46-1 よお、久しぶりやな
「もうすぐ巨大狼の巣や。ちょっと広めにサーチする。目ぇつぶれ」
ウヅキは言われた通りに目を瞑った。ケーのことをよく知るからこそ、それだけじゃ足りないと思い、さらに両手で顔を覆う。直後、火傷しそうなほどの熱が手の甲を襲った。
一瞬だけ真昼のような明かりが森を照らした。
光センサーは周辺の地形を感知して巨大狼の巣を探す。反応あり。巨大狼たちの姿を発見。巨大狼たちは耳を立てて光の出所を探している。
急斜面にできた広めの洞穴に巨大狼の巣があった。巨大狼は綺麗好きなようで、巣の周りにゴミは落ちていない。
巣の中には巨大狼たちだけだ。天の母親の姿はない。しかし臭いは残っている。導き出される結論は……。
「天の母親は食われたみたいやな。予想しとったがショックだわ」
「殺すの?」
「腹に人肉があるなら殺す」
腹を切り裂く宣言に聞こえた。確かめる段階で殺していそうだ。そもそも腹の中を調べて人肉があろうがなかろうが、天の母親を食べた疑いがある時点で殺していいのではなかろうか。生かしておく理由が無い。全く意味のないすっからかんな返答だった。つまり冗談というわけだ。
ケーは遠くを指差して数を数え始めた。巨大狼は全部で6匹。そのうち4匹は見覚えがある。
「さて、逃げられる前に顔を拝むとするかな」
「ちょっ、ケーちゃん! 私を置いていくつもり!?」
ケーは一直線に走り出した。そして次の瞬間には姿が消えてしまった。〖消失〗持ちのウヅキに見えないため、〖存在消失〗では無い。おそらく時を止めた。
「消えたし……」
こんな森深くまで連れてきておいて放置する。相手が美女でもお構いなし。ケーはそんな奴だ。ウヅキは悪態を吐きながら目を凝らし、ケーが指を差していた方向へと歩き始めた。
時が動き出す。突然目の前に現れた光に気づき、巨大狼の家族は一同に同じ方向を見た。
「よお、久しぶりやな」
ビクッ────ゥ!
巨大狼たちは全身の毛を逆立て、心臓が跳ね上がる音と共に大きく飛び上がった。
着地と共に逃げよう。逃避行動を取ろうとした次の瞬間。
「『動くなッ!』」
空間を揺らす重低音。過剰なストレスを与えられた木々からごっそりと葉が枯れ落ちる。
体毛と尾を立て、後ろ足で立ったまま止まる巨大狼たち。たった一言で屈服した。そのままの状態で次の指示を待っている。
ケーは一番大きな巨大狼に近づき、後ろから羽交い締めしてゴワゴワした毛を撫でまわした。
「よーしよし。いい子やねぇー! いい子いい子!
その口で人間を食ったんか?」
巨大狼の瞳に金色の瞳が映った。よく見るとケーの目は球じゃない。無数に敷き詰められた黒い触手の中で金色の触手がギュウギュウに丸まっているだけだった。押し潰されるように六角形だ。
巨大狼は宇宙の真実を垣間見てしまった。発狂しそうになる心を寸前で封じ込める。精神ばかりに神経を使ったせいで、肉体の制御を疎かにしてしまった。ガタガタと震える歯がケーの指を噛む。攻撃の意図は無いと、申し訳なさそうに目で訴えた。
「ここは草原エリアに近いなぁ。よくないなぁ。雑魚狩りはよくない。そうやろ?」
巨大狼には言語がわからない。ケーが何を言っても意味は通じない。でも気持ちは伝わる。
"狩るならば強者に挑め"
ケーの瞳が、指が、声が、心がそう伝えている。自分に言い聞かせるようにもとれた。
巨大狼は目を細める。まばたきで肯定の意思を伝えた。
「よろしい。わかればいい。おめぇらはこいつに従えよッ!」
他の巨大狼たちは悲鳴を上げ、伏せのポーズで答える。はからずもケーに捕まったのは群れのリーダーだったが、もしそうでなくともこの瞬間にリーダーが交代しただろう。それほどの恐怖を植え付けられた。
ケーは指先からニョキニョキと寄生虫を生み出した。それをリーダー狼の鼻の中に潜り込ませている。
「ガフッ……ガフッ……」
咳き込むリーダー狼を気遣うことなく、寄生虫を注入し終えた。
「よし。いい子や。いいか?
もしも草原エリアに近づく同胞がいれば殺せ。それを群れのルールに加えておくがいい」
リーダー狼の頭にすんなりと言葉が入ってくる。何を伝えたいのかが全部理解できた。
リーダー狼を解放し、ケーの隣に座らせると次の巨大狼を呼んだ。
次の巨大狼は生まれたての子鹿ように足を震わせる。恐怖に抗いながらも言う通りに近づいてきた。
「偉い子や。ご褒美をあげようね」
ガシッと巨大狼の顎を掴み、指先から生み出した寄生虫を鼻の穴に入れていく。
「ガフッ……ガフッ……」
やはり咳き込むが全部入ると途端に落ち着いた。終わったら次を呼び、次々と寄生虫を入れていく。
「俺の思念が伝わるな? いいか。これから毎晩、今日の出来事を思い出す。約束を守り続ければ思い出す回数が減る。覚えておけ」
巨大狼たちがか細く吠えた。ケーは肯定の意思を受け取ると、光を地面に浴びせて天の母親を探し始めた。
そうしていると臭気が一番濃い場所を見つけた。唾液でテカテカとした石の食卓だ。ここで沢山の獲物が食べられたのだろう。しかし食べカスが落ちておらず、手に取れるような手がかりは見つからない。
そこから更に臭いを辿ると洞穴から出た。すると穴を掘って埋めたような場所に辿り着く。こんもりと盛られた柔らかい土が数多く作られており、小さな砂山の一つ一つから別々の腐敗臭がした。
その場所からは腐敗臭だけでなく糞尿の臭いもした。食後のゴミ捨て場兼トイレでもあると推測される。
引き続き天の母親の臭気を追った。数多くの砂山の中にたった1本の道ができ、導かれるように砂山を掘る。
生活用の穴はそこまで深く掘られておらず、掘り出し始めてからすぐに衣服の感触があった。
「あーくっさ。スンスン。あーくっさい。すごいわコレ」
糞の臭いはさることながら、ジャージに染み込んだ血と唾液と汗と腐った肉片の香りが度し難い。
ジャージのポケットに手を入れることも躊躇われるが、ポケットの部分に硬い感触がある。間違いなく探索許可証だ。
ポケットのジッパーを開けようとするが、土が詰まっていて開かない。仕方なくポケットの入り口を熱で溶かして、穴を開けてからゴリ押しでポケットの中身を取り出した。
中身はやはり探索許可証だった。汚れてはいるものの傷もそこまで入っておらず無事だ。探索許可証には黒髪美人の証明写真とその名前があった。
「『天道愛』か……。そうか……」
残念ながらそれ以上の情報は得られない。土をさらに掘り返していくが出てくるのは衣服だけ。骨も内臓も出てきやしない。
どうやら巨大狼にとって人骨はスナック菓子程度の硬さでしかないらしい。ひと欠片も残っていなかった。諦めきれず肉片に修復をかけてみるが修復不可。現時点では為す術なし。
「待てよ。天道? 天道ってことは……まさか……」
ケーの記憶には残っていた。あの布だ。『天』を持ち上げたときに破いてしまった布。
「じゃあ天の由来にした『天』って、『天道』の天かよっ」
天道天。本名がわからないなら、こうなるだろう。
「上から読んでも下から読んでも『天道天』か。いじめられないかなぁ……」
ケーの妄想は天が学校に通うところまで進んでいるらしい。『天・スマイル・ダーク』よりは遥かにマシであるため、真の名前が見つからない限り、『天道天』の名前で戸籍を作るつもりのようだ。
のちの手続きをスムーズに進めるため、『天道愛』のDNAを採取してジッパー付きビニール袋に入れておく。念のため一番大きな肉片を選んだ。殺菌消毒洗浄したから汚れも気にならない。
掘り起こした土を集め、もう一度穴に埋めた。その場所忘れないために墓標を作りたい。そんな想いからか青い花を象った墓標を作り出し、穴があった場所に突き刺した。
ケーは墓標に『天道愛』の名前を刻み込む。探索許可証を見て、呼吸を整え、こんもりとした土に手を置いて語りかけた。
「救えなくてごめんな。天は俺が必ず立派に育てる。もしもまた天と巡り会えたなら、そのときはちゃんと謝ってやってくれ。そしたら笑い合えるから」
ビニール袋に入れたDNAと探索許可証を亜空間に収納して腰を上げる。だんだんと絶望感が増してきた。死者蘇生と修復の限界が見えると同時に、【クレイジークレイジーグレイブヤード】の完成像がぼやけてくる。
死者蘇生に必須なのは、ある程度形状を保った生前の肉体。脳が残っていれば確実に修復して完全復活できるが、脳が無くても心臓などの重要な臓器や大量の細胞があれば同様の方法で完全復活させられる。
【クレイジークレイジーグレイブヤード】の場合は生前の肉体を必要としない。魔法金属の肉体を用意すれば魂のみで復活させられる。魔法金属は無限に複製できるため必要なのは魂だけである。しかしこの魂というのが厄介な代物で、そう簡単には用意できない。
魂を呼び出すには強い思い出がいる。生前の肉体があれば、肉体に残った強い思い出をもとにして魂を呼び出せる。しかし肉体が無い場合は、呼び出す側に強い思い出が必要となる。
では肉体と思い出がどちらも無い人を完全復活させるにはどうすればいいか。現時点での答えは、『どうにもならない』。
ケーが蘇らせたいのは核ミサイルで殺された人間たち。その者たちの死体も、強い思い出も、地球上には存在しない。名前と顔だけで蘇らせることを目標にしていたが現時点では絶望的だ。
【クレイジークレイジーグレイブヤード】そのものにもまだまだ欠点がある。範囲が限定されるという欠点に加え、解除後に魂が抜けてしまうという最大の欠点がある。唯一の手がかりは生き残りであるムツキだけだ。
「帰るかウヅキさん。ほったらかしにしてごめんな」
「ホントですよ。森に美女を置き去りにするなんて男として……いや、人間として失格です」
〖存在消失〗していたウヅキが姿を現した。ちゃんと追いついていたようだ。ケーは〖消失〗を体に馴染ませているため、ウヅキの存在に気づいていた。事が終わるまで怒られたくなかったから、墓を作る間もずっと気づかないフリをしていた。
「ごめんなさい」
「いいですよ。許します。貴方に女として見られるのも嫌ですし」
「おう。その辺は安心してくれ。ウヅキさんは女じゃない」
ケーの後頭部で鉄を打つような音がした。ウヅキは犯行に使った小槌で自分の肩を叩いている。
「女ですが、なにか?」
「ごめんなさい」
ウヅキは女であることを誇りに思っている。他人に女として見られるのは嫌なのだが、女を否定されるのも嫌なのだ。個人として評価しなければまた同じようにぶたれる。
「わかんねーなもう……」
ぶたれたお礼に面倒くさそうな視線がケーから送られた。それを受けてウヅキはにっこり笑うと、森へ向かって迷わず歩き出した。




