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43-1 アリルレ砦、第二都市グフロート

 彼の前に壁はない。彼の後ろに壁ができる。

 ケーは進路上にある障害物を吹き飛ばし、瓦礫が落ちてくる前にその下を通過した。


 モンスターたちは禍々しい気配を察知して事前に身を隠した。破壊をもたらす未知の怪物が通過した後に、自分の判断が間違っていなかったと安堵した。


 距離にして小樽→釧路間をリニアモーターカーが走行するかのようなスピード感で怪物が爆走する。

 あまりの速さで進むため、気流が荷車の底部へ流れ込み、揚力が働いてタイヤが浮いていた。以前スパルナがやっていたように、魔法で空気の壁を作っていなければ荷車は大破していただろう。経験が活きた。


 砦が見えてきた辺りから徐々に速度を落とし、門の手前で停止する。ケーは火山エリアを爆速でスルーし、迷宮国を出てからわずか1時間たらずでアリルレ砦に到着した。


「俺はここでやることがある。車はここに停めとくけん。休んどってもええよ」


 車内に呼びかけると、乗客たちは全員荷車から降りて着いていく意向を示した。

 走行中に見ていたのは荒野が更に荒れる景色だったが、車内はそれほど揺れなかったから充分に休めたとウヅキは言う。なんなら少し仮眠していたらしい。


 ケーは後ろに女4人を引き連れ、アリルレ砦の門を叩いた。ムカエルが最後に見せた血付きの契約書が本物ならば、砦にムカエルが来ていたはずだ。中に生存者がいるかわからない。もしかしたら全滅しているかもしれない。


 返事を待つ間、せっかちなケーは門に手を触れて感覚を研ぎ澄ませる。『ゼンマイソウルコンバット』の獲得で感知能力は更に向上した。強く発光せずとも遮蔽物の先にある風景がぼんやりと見える。


 門の付近にエルフの気配があった。生存者はいた。城壁の上にも来訪者を窺うエルフがいる。どうやら門を開けるかどうか迷っている様子だ。


「ケー・スマイル・ダークだ。門を開けろ」


 金属質な喉から強く空気が押し出され、重く低い声が地上を震わせた。振動は広範囲にわたり、範囲内にいる全生物の臓物を揺らした。



 いつも味方だったはずの地面に裏切られ、地獄が語りかけてくるような声を全身で感じたとき、それを聞いた者たちは終末が訪ねてきたと腰を抜かして戦慄した。

 エルフたちは恐怖に打ちひしがれる。しかし声を無視することもできない。待たせるとどうなるのか、きっと門を壊してくる。そうなれば不敬を働いた者がその後どうなるかは自ずとわかる。

 守衛のエルフ兵士は四つん這いで進み、絶えず内容物を吐き出しながら城門の閂を抜いた。


 閂が抜かれた瞬間、門の隙間にカビが生えたかのように黒い触手が入り込み、重さを感じさせない速さで門が開いた。門側に突風が生まれ、風に巻き込まれたエルフたちは地面を頼る。


 誰もが地面を見るなか、強大な威圧感に押しつぶされる。精神的なプレッシャーを少しでも薄めるために、勇気を出して立ち上がった。


 砦に入ってくる二足歩行の怪物をチラリ見て、エルフたちはすぐに目を伏せた。眺め続けたら深淵に引き摺り込まれそうだった。



 ケーは用事があって訪ねてきたのだ。いくら目を逸らしても、逸らした先にケーがいる。エルフのそばに立ち、エルフの顔を覗き込んだ。


「アリルレはどこだ」


 目を合わせてしまった不運なエルフ兵士は、守衛の職務を放棄して目を瞑った。息が吹きかかった。すぐ隣にいる。どうして怪物に目をつけられたのが自分なのかと運命を恨む。顎を震わせ、瞑った目から涙を流した。


「アリルレはどこだ」


 その声には怒気がこもっている。不運なエルフはこのまま気を失いたいと思った。何を言っても助からない気がする。

 だが気絶してくれない。眠るのを恐れた脳が気絶から防衛している。意志と本能が対立していた。

 二度目の質問から時間が経った。このまま黙り込んでも危ない。肌を掻きむしりたくなるほど空気がピリピリしていた。


「あがっ……がっ……アリリリレ……」


 顎が震えて喋れない。不運なエルフは自身の頬を叩いた。



「オ、オ、オリ、ビア様。と、所。や、館」

「案内してくれ」


 案内役に決定。そう言ってケーは手を伸ばし、震えるエルフの背中を撫でた。これで恐怖が薄まるといいが、どうやら落ち着くまでの時間は延びたみたいだ。


 ただ訪ねただけでこの様だ。どうしたら出会う人々を怖がらせずに済むのかケーは考える。だが相手の立場に立って考えてみると無理だと悟った。

 もしもある日突然、宇宙の深遠を想像させる幽玄な怪物と出会えたならば、感情を失った者さえも恐怖を取り戻すだろう。異常な精神を持つケーですら眠れなくなる。だからこそ、せめて優しく接する。



 足腰の弱い人を介護するかのように、案内役として選んだエルフを横から支えた。いったいどちらが案内しているのかわからない。(はた)から見れば、怪物がエルフを引きずって遊んでいるようにも見える。


 やがて案内役エルフは城館に引き摺られていった。外で作業していたエルフたちは少しでも恐怖を和らげるよう身近の同胞と肩を寄せ合う。

 城館から次々と女の悲鳴が上がる。いったい城館の中で何が起きているのか、外野のエルフたちは妄想を膨らませて震え上がった。



 一歩一歩進むごとに新たな悲鳴を生み出しながら、ケーは案内役エルフを引き摺り回す。ちなみに城館の構内図をケーは知っているため、最初から案内は必要ない。

 だったら何故こんなことをしているかというと、エルフ兵士に職務を全うさせてあげるためだ。後に守衛の職務を放棄したと他のエルフから非難されないよう配慮しての行動だ。そんな配慮をせずとも誰も守衛を責めないだろうが、ケーは形式を大事にした。


「ありがとう。もう結構。持ち場に戻ってくれ」

「は、はは、はぁい!」


 慌てて廊下を駆け戻る案内役のエルフ。その後ろ姿は情けなくも希望に満ちていた。

 案内役を見送ると同時に女4人の表情が垣間見える。ニコニコするムツキ、涙目のユーキ、呆れた顔のヤヨイとウヅキ。


 正面に視線を戻す。泣き続けるオリビアがそこにいた。オリビアは空の棺桶に突っ伏して泣いている。


 ここはエルフと小人の遺体安置室。落ち着いたら故郷へ送り届けるために遺体が集められていた。砦内で死んだ遺体だけでなく、周辺の集落から届いた遺体もここに安置されている。遺体を届けたのは村を失い、生活が成り立たなくなった避難者たちだ。砦は難民キャンプと化していた。


「アリルレはどこだ」


 泣く女に何の気遣いも無く声をかけた。泣いている人の扱いは難しい。一言間違えば壁を作られる。ケーはそんなリスクも考えず、ただただ自分の要求を伝えた。



 オリビアはケーに気付いてはいるもの、悲しみがこもった目を向けるだけで、また突っ伏して泣き出した。

 姿形が大きく変わっていても、オリビアはその怪物がケーであると一目でわかった。これでもう何度だろうか、ごく自然に恐怖を与えられるのは。普段通り過ごしていただけなのに、振り向いたら突然そこに死の権化がいる。こんな恐怖を与えてくる相手をオリビアは他に知らなかった。



 オリビアと話すにはまだ時間が必要そうだ。そう気づいたケーは遺体安置室を歩き回り、遺体を修復して蘇らせていった。

 今のケーはゴチャゴチャ理屈をこねて善意かどうかを判断しない。思いやりの心が想起される頃には既に行動が終わっている。ただただ良心が命ずる所に従い、後先なんて考えずに禁忌を犯している。


 ただし、全員を平等に死者蘇生しているわけではなかった。棺桶を一瞥するだけで横切る場面が所々見られた。

 兵士と思われる遺体は棺桶に寝かせたままだ。なぜ兵士を蘇らせないのか。それは単純な理由からだった。

 兵士は敵を殺すために自分の命も捨てる。兵士という役を引き受けた時点でその者は死んでいるも同然。棺桶で寝ている状態が正常なのだ。これが一番安定した状態だ。

 もちろん理不尽な理由で兵士になったならば、ケーは喜んで復活させるだろう。しかし、それがわかるまでは望まれない死が優先される。



 起き上がった元・死者たちは目を擦り、キョロキョロと周りを見回した。死んであの世にいたはずなのに、いつのまにか知らない部屋で目覚めていて茫然とした。

 周りには同じような棺桶が並び、自分と同じような表情をした同胞がいる。まるで夢のようだ。しかしおかしい。地獄では一度も眠れなかった。それなのに夢を見るのか。幻術か。どうなっているのかと各々が心に思った。ここはいったいどこなのか。もしかして地獄とは違う場所なのか。

 しかしそのうちケーを見つけ、まだ地獄にいるのだと再認識した。


「おはよう皆さん。二度目の誕生日おめでとう。

 皆さんは死より蘇った。疑うならば見て回ると良い。待っている者がいるかもしれないぜ」


 その言葉を信じるわけじゃない。蘇った者たちは、ただただこの場から離れたいという気持ちで遺体安置室から出て行った。あれほどの怪物。地獄でも見ることはできなかった。


「ケーちゃん! ちょっと何やってるの。あんまり人を増やしたら必要な出費も増えちゃうんじゃないの」


「負担は増えるやろうな当然。だが働き手も増える。きっとサボりも出る。人が増えれば問題も増える。どうしようね。どうもしないのがいいかもわからんね」


 ヤヨイの問いかけに対して、歯切れの悪い返答だった。それもそのはず、その後のことなんて何も考えていない。正しいと思うことをやっただけ。

 ケーは後から気づいて自分でも不思議に思った。なんでこれが正しいと思ったのか。

 相手は地球人でもない。地球にとっては生かす価値もない。それなのに知らずうちにやっていた。死ななくて良かったはずの命が腐れていくのを見て、気づいたら復活させていた。


「『厄災に遭った』と思ってもらうしかないかもわからんね」


 殺せば元通りにできる。しかし、元通りにする理由が思い浮かばない。殺す理由を思い浮かんだ奴が勝手にやればいい。それを止めることはしない。


 ケーはもう自分を否定するのはやめた。良心から出た行動は否定しない。今はもう、目の前にある不幸を吹き飛ばすだけの台風だ。



 そんなケーの姿を見て、希望を感じたオリビアが泣き止んだ。この厄災の進路を少しでも変えられるならば、試してみたいと思ったからだ。


「アリルレ様は……主神に殺されました……」


「そうか……そうやったか。アリルレには助けられた。心から感謝している」


 それは社交辞令ではなく本心から出た言葉だった。ここでアリルレと会っていたからこそ、ムカエルを倒せた。

 実はムカエルとのリベンジ戦で、ケーはムカエルを攻撃できなかった。自身の寛大さが仇となり、『明確な敵意』を受けるまでは攻撃に入れなかった。攻撃可能な状況を引き出すために会話し、ムカエルを怖がらせた。


 態度を変えたムカエルは嫉妬でアリルレを殺したかのように振る舞っていたが、ケーはそれをその場しのぎの芝居だと思った。芝居はケーを騙す行為であり、芝居かどうかを見抜けば『明確な敵意』と言えるだろう。

 だが芝居かどうかを裏付ける事実がなかった。血のついた契約書を見せられたとき、芝居ではなく本当にヤンデレだと思ってしまった。

 ムツキの前例があったからヤンデレ属性に耐性がついていた。もしもヤンデレ耐性が無かったら、血のついた契約書に愛情を感じて硬直していたはずだ。すぐにアリルレを思い浮かべて怒りを想起し、お仕置きモードの演技ができなければ、ムカエルは本性を出さなかっただろう。『明確な敵意』を出すこともなかったはずだ。

 そういう意味ではムツキのおかげも少しはあるかもしれない。だがやはり、アリルレへの気持ちが怒りの原動力となったのは間違いない。


「もしも、生きているときにその言葉が聞けたのなら、アリルレ様も喜ばれたと思います」

「アリルレの遺体はどこだ」


「アリルレ様は……ここにはおりません……

 ケー様がおっしゃられた通りに主神にお伝えしたところ、主神は急に態度を変えられました。

 アリルレ様は何度も辱められ、暴行を加えられ。それをオリビアは見ていることしかできませんでした。どうして、アリルレ様は主神の怒りを買ったのでしょうか。どうして、死ななければならなかったのでしょうか。どうか。どうかオリビアに教えてください」


「わからん。たぶん俺への当てつけよ」

「そんな……」


「ただ一つ言えることがあるとするならば、ムカエルはここで時間を使ったから俺に負けたってことよ。仇は討ってやったぜ」


「はは……はははっ……あははははははは!

 仇を討った?

 討ってませんよ。アリルレ様の遺体がここにないのは、遺体に主神が乗り移ったからですもの。

 もうどこにいるかもわかりません。透明になってしまいましたから」


「ムカエルが出ていったのはいつごろの話だ?」

「さあ……いつでしょう」


 オリビアの目には悲哀と軽蔑がこもっていた。笑っているものの声が震えている。動揺を隠しきれていない。


「ムカエルと取引したな?」

「……どうして、そう思われるのですか」


「おめぇの心が読めないよう細工されているからよ。取引していないというならば話せ」

「話せません」


 オリビア胸ぐらを掴み、もう片方の手で握り拳を作る。


「無理矢理話させることもできるんやぞ。苦しいぞ」

「話せません」

「わかった。話せないなら話さなくていい」


 オリビアの顔の前で拳を止め、握りしめた拳を開いた。

 その手には、ケーと同じ模様のミミズが蠢いていた。


「いま思索中の分身や。ムツキのスキルを見て思いついたんよ。

 こいつはな。生き物の体内に入るとその者の脳に寄生し、触手を伸ばして根を張る。

 安心しろ。何も操ったりするわけじゃないし脳にいても痛みはない。

 こいつはアンテナみたいなもんや。おめぇがムカエルと接触したとき、場所と会話が俺に伝わる。

 だから今は話さなくていい。ただ生きてくれていたら充分よ。希望を持って生きてくれ」


「いや……いやっ! そんな! そんなことをされたら二度とアリルレ様とお話しできない」

「大丈夫。アリルレは俺がムカエルから取り戻してやる。安心して飲み込め」


 ケーの手がオリビアの唇に触れる。分身はオリビアの呼吸に導かれるように、もぞもぞと手のひらの上を移動した。


「いや……いや……むむ」

「唇を開けろ。痛くないから」


 オリビアの胸ぐらを掴んでいたはずの大きな手が、いつのまにかオリビアの後頭部を掴んでいる。


 離れようにも離れられない。涙を流して拒むオリビア。


 涙は頬を伝ってケーの手のひらに落ちた。落ちた涙を分身が飲む。分身は潤いに喜び、頬を伝ってオリビアの目に飛び込んだ。


「ぎゃああああああああ」

「ほらもう。入っちゃった。目から入ると痛いってば」


 分身のサイズは目から入るにしては大きすぎる。

 オリビアは痛みを堪えきれず『限界到達者』の全力で暴れる。片目から血を流しながらケーの体を殴り、蹴る。目を掻いて取り出そうとするも血で滑って取れない。分身の尾が見えなくなる頃にはオリビアの片目が潰れていた。


「ほら。治してやった。もう痛くないぜ」


 ケーは布に持ち替え、血にまみれたオリビアの顔を布で拭く。オリビアの目は綺麗に戻っていた。


「あはっ……ははは……本当だぁ……痛くなぁい!」


 オリビアは笑いながら涙を流した。綺麗な透明の涙だ。


「生きていればアリルレと会える。諦めるなオリビア。それまではエルフェン国のために尽くせ」

「あははははっ! あはははは!」


 壊れたように笑い続けるオリビア。ケーはそれをほったらかしにして遺体安置室から出ていった。

 出て行くときに見えた女4人の表情は、皆一様に怯えていた。


「やはりムカエルは生きとったな。しぶとい奴だぜ全く。なー、天ちゃん」


 大金烏の翼が開いて天を確認する。

 オリビアの打撃を受けていないか心配だったが、何の怪我もなく無事だった。


「ムカエルを探さなくていいんですか?」


 ウヅキから敵を追い詰める意志がこもった容赦のない発言が飛び出す。警察官の性格が出ている。


「もちろん探す。一番簡単なのは森を全部焼き払うことなんやがな。そんなことは誰も望まんから、移動中に探せるところだけ探そう。まだ追いつけるかもしれんからすぐに出発するぜ」


 悲鳴をBGMにして、荷車がアリルレ砦から出発した。次の目的地は、サボとクロンプがいるクレイン国第二都市グフロート。

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