4-3 ニート、ヒルミミズ
【戦闘開始】
ニートのターン。飛びかかり攻撃。備中鍬を突き刺しにかかる。ミミズには目が無いからこれは急所に必中かと思いきや。ヒルミミズは避ける素振りを見せて急所を外された。だが備中鍬はきっちり刺さる。
備中鍬を引き抜くと真っ赤な血が噴き出した。
霧のような血を浴び、明暗を見分けるヒルミミズの視細胞が一時的に封じられる。
「ぐわああああああ! 目があああああ!」
同じくニートの目にも血が入った。
両者ともに視覚を封じられたとはいえ、互いが互いの位置を把握していた。
ニートは光センサーで、ヒルミミズは二酸化炭素と温度と振動で。
ヒルミミズのターン。全身を丸めて傷口を広げられないよう身を固めた。ヒルミミズは自身の魔石の位置を把握している。魔石のことを今日まで異物がある程度にしか気にしていなかった。
しかし光るニートにその異物を狙われた瞬間、これまでに感じたことのない危機感を覚えて無意識に避けていた。
ニートのターン。邪魔なウエストポーチを投げ捨てる。
ヒルミミズが防御態勢を取る間にもひたすら備中鍬を叩き込み、今できる最大限の膂力と速度をもって一点を掘り起こしていく。
ヒルミミズが防御を解く頃には、それはそれはもう大きな穴ができていた。
ヒルミミズのターン。ニートを遠ざけようと飛び跳ねる。攻撃手段が噛みつきしかないヒルミミズにとって、これは逃避に近い行動だ。
だからヒルミミズ自身この動きが攻撃に働くとは考えてもいなかった。
とにかくがむしゃらに暴れていたらいつのまにか静かになっていて、いつのまにか地面にニートを埋めていたなんて思いもしなかった。
ヒルミミズは5トン近い体重をしている。その重たい体を宙に浮かせるほどの筋力がヒルミミズにはある。質量5トンを浮かせられる運動エネルギーで高い位置から押しつぶされたら、ニートがどれだけ踏ん張ろうとも地面のほうが先に力負けする。
地面が柔らかいおかげでニートにかかる力は分散されたものの、その衝撃は人体を破壊するのに充分な威力を持っていた。運悪く全体重が乗った場合はおよそ30トンもの力を受けたことになる。
並の人間なら即死の衝撃力を受けてもなんとか呼吸を止めずにいるニートのターン。不滅の骨格のおかげで人のシルエットは保っている。しかし、ピントを合わせてみれば顔面はぺしゃんこ、皮膚は裂傷大多数。分厚いゴムの長靴が壊れていた。
それ以上に体内の状態は悲惨だった。負傷箇所が挙げられないほど臓器がぐちゃぐちゃにされている。
口から肉片を漏らしたニートは冗談も言えない体にされた。脳みそがシェイクされて出血を起こしている。普通ならもう助からない。
だがニートの体はヒトではない。彼をそんな姿に変えた魔石が死なないように無理矢理生かす。朝食にした魔石が現在進行形で融合中なのだ。まるで魔石そのものに目的意識があるかのようにニートを利己的に改造していく。
より強く、より硬く、より激しく、より甘く、より忠実に。
体内で何かが作り変えられる音を聴きながらニートは静かに眠りについた。
ヒルミミズのターン。地面に埋もれたニートを見つけた。ヒルミミズはニートの周辺を漂う二酸化炭素に釣られて首を伸ばし、吸盤状の口を押しつけて土ごと彼を飲み込んでいく。
体に大穴を空けられて体力を消耗したヒルミミズは蠕動運動を維持したまま、とぐろを巻いて消化と再生に集中した。
ニートのターン。しばらくヒルミミズの体内で土に揉まれ、消化酵素と粘液で肌をボロボロにされた。まだまだ消化に時間がかかりそうだ。
蠕動運動に押されて食道を転がり、魔石と融合しながら破壊と再生が繰り返される。ニートは眠ることでエネルギーを節約していたが、ついに再生能力が消化酵素に押し負けた。
そして最悪の状態で目を覚ます。
「ぎゃあああああああ! いでぇええええ! あぢいいいいいいああああ!」
いじめで負った深い火傷の上から酒をかけられた時と同じレベルの激痛でニートが涙を流した。笑い声の幻聴が聴こえてくる。
目を覚ました空間は暗く、窮屈で、柔らかく、ぬるぬるしていて、生臭い。ニートは瞬時に理解した。寝ている間にヒルミミズに飲み込まれたのだと。
「はやく抜け出さんといかん!」
ニートはヒルミミズの中で消化による破壊と変化による再生を繰り返し、その過程で全身の毛という毛が無くなっていた。つるっつるだ。古傷も消えている。
再生の間にも魔石との融合は正常に機能したが、目立った変化は見られない。ちょっと変わったところがあるとすれば発光器の数と光量が増えたこと、鋭い歯が増えたこと、目の下に大きな隈のような複眼ができたことくらいだ。
いや、それだけじゃない。丸出しだった股間が収納されている。
知覚系の能力ばかりが向上しているようだがニートは助かるのだろうか。ニートの体内にストックされた魔石は全て融合し終えたから奇跡は起こらない。再生能力だって燃費がかかる。再生したくても胃と腸が空っぽだ。
「腹減ったー。なんかねーかな」
ヒルミミズに食われた奴が飯の心配してる場合か。
「お、あっちにいいのあるんやないかな」
呑気なニートだがこんな状況でパニックにならないのは優れた才能だ。もしくは融合による脳の改造が影響したのか。以前より精神が安定している。
ヒルミミズの蠕動運動から抜け出したニートは内容物の移送先へ向かっていった。
地上のミミズと同様にヒルミミズには毒や重金属に対する強い耐性がある。その性質のため、口に入るものはなんでも食べてしまう。しかし全てが消化されるわけではなく、消化できない物質を濃縮したり糞にするための貯蔵器官がある。
ニートは再生能力が使えなくなったタイミングで運良く貯蔵器官に到達していた。
ここには消化されていない物質がある。もしかしたら食料となる物が中にあるかもしれない。
土に粘液が混ざっていて足場は悪いが底は浅くて歩いて行ける。
そうやって探索をはじめるとさっそく泥の上に大量の魔石が落ちていた。
「おお! あったあった! 蜜団子!」
ニートは軽度の潔癖症のはず……もうわかった。こいつは潔癖症なんかじゃない。誰がどう見ても潔癖症ではない。
彼が軽度の潔癖症になったのは大学を中退し、うつ病から回復した後だ。長い期間をベッド・風呂・トイレの往復だけで生活してきたニートがふとした瞬間にベッドの下を掃除したのがきっかけだった。
それからベッドだけでなく家中を拭き掃除して、思いの外に身の回りが汚かったことから健康を気にし始めた。
気になり始めたら気持ちが収まらず、壁や天井、皿やコップ、タンスや棚、機械まわりやパソコン内部、果ては猫の耳まで清潔にしていった。
掃除をすれば家族が喜ぶ。しかし、掃除の日が不定期になれば頼まれるようになる。
ニートは人に頼まれるのが大嫌い。掃除は自分のタイミングでしたい。よって掃除をしても人から嫌われる理由を探した。
人に嫌われたら無視される。無視されれば誰も頼まなくなる。そのために幼少期の記憶を改竄してまで自身が軽度の潔癖症という思い込みを作り出したのだ。潔癖症ならウザがられつつも掃除できる。
彼はいつもそうやって周りに合わせて自己暗示し、新しい仮面を作り、自分らしさを破壊してきた。
ニートはたくさんの物を無意味に壊してきたが、それ以上に壊れたのは人との絆と自分自身の心の声だった。
「うまい! うますぎる!」
ニートはダンジョンに出会ってからというもの自己暗示が少しずつ解けてきている。仮面が剥がれて幼い頃のわんぱくさが戻ってきている。脳震盪になる前のやんちゃ坊主がこの時代に帰ってこようとしている。
退院とともに感情が奪われ、いじめで失った夢と希望。
猫との触れ合いと野菜の栽培だけがニートの孤独を埋めてきたが、ようやく憧れが見つかったようだ。
だからかもしれない。最近、運が味方してくれている。
行く先々でピンチをチャンスにするヒントが散りばめられていた。
ヒルミミズの消化酵素による分解で変質化した魔石。それを次々と飲み込んでいくニート。
地上のミミズがそうであるようにヒルミミズは魔石とは適合できず、融合もしない代わりに魔石の有害物質への完全耐性を持つ。
ヒルミミズが生物濃縮した分だけ魔石の有害物質は減る。そのおかげでニートの臓器が有害物質を分解する手間が省けた。
食べても食べても底が見えないほど魔石が貯蔵器官に溜まったままになっている。
このヒルミミズはニートがダンジョンに入る前から沢山のモンスターを喰らってきたようだ。
じゃなきゃここまでの巨体を自由に操れるはずがない。ファンタジーであろうが多少は制約がかかる。その制約を破る手段こそレベルアップによる成長だ。
見せられるものなら是非ともヒルミミズのレベルをニートに見せてあげたいところだ。




