33-2 新しい命とかけまして冒険と解く、その心は? ※ステータスあり
太陽が真上に来た。焼けるような日照りが濡れた骸の表面を乾かす。
骸に神経はないが、魂には感知能力がある。骸に異変は無いが、魂は焼けるような思いをしていた。
(あつい……)
魂の感知能力は光センサーより格段劣る。
感知範囲はマサイ族の視力と同程度、拾える音は児童のそれと変わらない。オンオフの切り替えはできず、光・音・熱といった小さな波長を常に感じ取ってしまう。
退屈な時間を埋めるために、もう何度も魂の記憶を読んでいた。
特にケーが繰り返し見ているのは精霊王の記憶だ。
精霊王の人生はそのほとんどが闘争と政治で占めており、ロマンあふれる冒険と悲劇的な結末が物語を面白くしていた。
そのなかでケーが何より気に入っているのは精霊王の情事だった。
支配する領域が大きいだけに精霊王の守備範囲は広大だった。老いも若いも性別も、種族すら飛び越えてあらゆる性の喜びを知っていた。
新たな種族との行為を求めて海を渡り、他国を侵略する暴虐さには呆れた。だが占領地の国民から歓迎されるまで国を再興させる政治手腕の高さには素直に敬意を払う。
ともあれ全ては性欲に基づく行動なことは変わらず、相手を取っ替え引っ替え朝から晩まで性交してしまう精霊王の有り余る性豪さに、決して満たされることのないケーの性欲が刺激された。
刺激されても全ては虚像。過去の映像。変わらぬ現状。繰り返すうちに飽きてくる。嫉妬と羨望が干涸びていき、溜まった性欲も次第に失せる。
何度も記憶を読み返し、永劫の時を過ごしている気でいたケーだった。
日はまだ暮れていない。
(時間の流れは観測者によって異なる。これが特殊相対性理論なのか)
あまりにも残酷な現実を知って途方に暮れている。
これから長い時を過ごしていかなければならないというのに、初っ端から失敗した気分だった。
だがそれも束の間、何度も繰り返し見た記憶の中で、全ての悩みから解放される手段も見つけていた。
その手段は天使の記憶にあった。極娯楽神の基本世界では予備世界の宇宙と違い、分裂神が宇宙の編集権限を持っている。
ケーは既にその宇宙編集権限を目の当たりにしている。それも一度や二度ではない。真似事ではあるが、ケー自身も宇宙を改変していた。
例えば、
ケーが真似た【セレクトマジック】や【セレクトコンバット】のように簡単な方程式。
主神天ムカエルが使用した【アンリミテッド・パラドックス】のように条件式を組み合わせた複雑な逆理の顕現など。
宇宙が持続可能である限り、編集権限を行使した改変が許容される。
宇宙の許容を超えた場合には『しわよせ』が発生し、『しわよせ』を排除できなければ宇宙をリセットする仕組みとなっていた。だがその仕組みはケーの存在によって歪められた。
もしも宇宙の許容を超える改変を行なった場合には『しわよせ』のゴミ箱となったケーへと『しわよせ』が送られる。
(そろそろやるか)
退屈しのぎで自爆し、不動の誓いを1日目にして挫折したケーは宇宙編集権限の行使を決断する。
宇宙編集権限の行使時には魔力の消費を必要としない。行使時に改変内容がシミュレーションされ、行使後に魔力が消費される。『しわよせ』を生み出さないための安全装置だ。このおかげで間違いを起こさず自由に新しいルールを組み立てられる。
シミュレーションをせずに行使を確定することもできるが、行使後に消費される魔力量が足りないとルール改変は失敗するうえ、魔力も全て失う。
以前、ケーが城エリア黄金宮殿にて【クレイジー・クレイジー・グレイブヤード】という新魔法を作り出したときも、長い時間をシミュレーションに費やした。
結果的にエラーを起こし、宇宙の許容を超えて『しわよせ』を出してしまったが、無限の魔力によって強引に顕現させた。
今回行うルール改変は狭い範囲を対象に設定される。
対象は『精霊王の骸』とケーの意識。
天使の記憶とケー自身の教養を組み合わせて構築されたのはプログラミングを意識したループ構文だった。
【ループする期間】(常に意識を失う){
【もしも】(魔力が枯渇寸前になった場合){
【処理】意識を取り戻す;}
【もしも】(精霊王の器に修復箇所がある場合){
【処理】〖神パワー〗で修復;}}
この簡単なループ構文をシミュレーションした結果。行使後の魔力消費は少なく、充分に持続可能であることがわかった。
もしもこのループ構文を実行した場合、精霊王の骸が修復不可能なレベルまで一撃で破壊されるか、魔力が枯渇寸前になるまで無意識で骸の修復を繰り返す機械になる。
それは実質的な死だ。考えるのをやめ、ループが終わるまで目覚めることのない眠りにつく。
ケーは諦めの境地にあった。
もはや現世に別れを告げる気力が湧かない。
地球への未練はしこたまある。
だからといって地球へ戻るわけにもいかない。動く気力が湧いてこない。
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死ぬ覚悟はとっくの昔にできていたケーでも、やはりループ開始を即決できずにいた。
(やっぱり日にちを数える式も入れるか)
目覚める前提の悩みだった。ループ構文に日数をカウントするプログラムを加えるかどうかで悩んでいる。
悩んだ末、日数をカウントするプログラムを加えてシミュレーションした。
その結果、魔力不足のエラーを吐いた。
何を間違えたのか、ループ構文にカウントプログラムを組み込んでしまい、短時間内に何度も確認を繰り返すバグが発生。膨大な魔力を消費するというエラー報告が出た。
ケーは諦めの境地にあった。プログラムを修正するやる気も失せ、結局日数のカウントを諦めた。
悩みを失い、とうとうループを再シミュレーションしようとした次の瞬間……
マサイ族並みの感知能力が、青い花畑に近づく生物の動きを捉えた。
木々の間から徐々に生物の全体像が見えてくる。大きい。大きい物が背中にくっついている。あれはリュックだ。
警察官でも自衛官でも研究員でもない。その者は個人で来ていた。装備から予想できる正体はたったひとつしかない。
(探索者がなぜここに? 入ってきちゃいかん)
草原エリア付近に位置するとはいえ、この青い花畑は森エリアの範囲内にある。
青い花畑の近くには立ち入り禁止の看板が複数立てられており、どんな理由があっても探索者がこの青い花畑に近づくことは許可されない。
何の目的があって謎の探索者は青い花畑に近づくのか考えた。
ダンジョン管理センターで青い花の取引はできない。だからといって勝手に持ち出すことは許されない。
ダンジョンで獲得した素材を所持したまま管理センターから出た場合、その瞬間に窃盗罪の現行犯で取り押さえられる。ダンジョンゲートから出てきた素材は全て公共用財産扱いだからだ。素材は景品として通貨と交換できる仕組みであり、景品交換はプロ探索者にのみ許されている。特別な手続きを踏まない限り、管理センター外でのダンジョン素材売買は許されていない。
ケーは知らない。法律上、素材の持ち出しが許されていなくとも、青い花は裏社会の一部で出回っている。
外に持ち出される理由の一つにチェックの甘さがある。魔石の持ち出しはゲート式探知機が判別するため、人の手によるチェックはいらない。その他、通貨と交換できる素材はほとんどが大きいため違反者は目視で判別していた。
指名手配犯か挙動が怪しい人物にしか荷物検査を必要とせず、当日参加者はボディチェック程度で通され、隠しやすい植物類はスルーされていた。
のちに植物類の取り締まりが強化されることとなるが、今はまだ犯罪組織と医師しか青い花に目をつけていない。
大きなリュックを背負う探索者の頭はボサボサで、顔が隠れるほど髪が長かった。装備も安い農具とジャージの重ね着であり、とてもじゃないが森エリアで生き残れない。
ケーは探索者のステータスを覗く。
──────────────>
【LV.4】
【種族】ヒト
【重さ】 40
【戦闘力】MAX:1440
【タフネス】 1300
【魔力】 10
──────────────>
まだステータスカードすら出していないレベルだった。プロ探索者ではないことは明らかだ。森エリアでモンスターに襲われれば死んでしまうだろう。
ケーは迷う。もしかしたら今の姿でも助けられるかもしれない。
魔力には充分な余裕がある。〖神パワー〗で森を生き残るための道具を作って与えてやればいい。
ただし、作り出される道具は探知機をスルーし、地上へ持ち出されることとなるだろう。
良い人間かどうか見定めなければ地上で悪用されてしまう。その者が立ち入り禁止区域に侵入する人間とはいえ、ケーにとってはまだ許容範囲内だ。
怪しい探索者を観察する。どうして何の利益も得られない素人探索者が、命の危険のある場所まで来ているのか。犯罪目的ならば道具を与えられない。
(女やな。重ね着してるからわかりづらいけど)
精霊王の記憶で身につけた性別判別能力を発揮し、ジャージに隠れた体格だけで探索者の性別を当てた。
探索者の女は背負っていたリュックを地面に置く。
髪をかきあげてゴム紐で結ぶと、隠れていた顔が露になった。露になったとはいえ、爛れた皮膚と目元しかわからない。
ここには何度も足を踏み入れているのか、女は青い花の毒を吸い込まないためにマスクをしていた。
女は丁寧に青い花を摘み、震える手で地面に並べていく。指で数えながら反復し、チェックが終わるとポケットから透明のポリ袋を取り出した。
袋を開け、青い花を入れるとチャックを閉じる。
「んゔー……んゔー……」
仕事が終わったというのに女の様子がおかしい。
頭を抱えてウロウロし始めた。
次第に気性が荒れ始め、乱暴に髪をかき乱す。髪を結んでいたゴム紐が弾け飛び、ボサボサの髪が女の顔を再び隠した。
そして毒の付いた両手で顔を覆う。
女は泣いているのか、嗚咽が聞こえてきた。次第に女の泣き声は弱まり、置いたリュックのもとへ戻って屈んだ。
ケーはただただ女の様子を見守る。
今のところ女には怪しい点しかない。だからといって悪人とも思えない。情緒不安定でストレスを抱えていることだけは伝わっていた。
リュックの前で屈んだ女はそれを背負うわけでもなく、中から小さなレジャーシートを取り出して青い花畑の上に敷いた。
(こんなとこでピクニックでもやるつもりか)
だが次に取り出したものを見て、ケーは驚愕する。
「あぅ〜……」
女がリュックから取り出したのは、ボロ布に包まれた赤ん坊だった。
痩せこけた赤ん坊は泣きもせず、ただジッと母親の顔を見つめていた。
女はレジャーシートに腰を下ろし、赤ん坊を柔らかく抱いた。
ジャージのチャックをおろし、貧相な乳房を赤ん坊の口もとに当てる。
女は再び涙を流した。
食事中の赤ん坊を気遣うように、声を押し殺して泣いている。
長い時間そのままの体勢で固まっていた。
女の頬に赤ん坊の手が当たる。
すると女は反射的に仰け反り、ゆっくりとした動作で赤ん坊をレジャーシートの上に寝かせた。
女は爛れた指でジャージのチャックを上げる。
震える手で青い花入りのポリ袋をリュックに収納し、赤ん坊を青い花畑に残したまま来た道を戻っていった。
(おい、戻ってこい。何をしている。戻ってこい!)
赤ん坊を置き去りにした母親の女はまだ近くにいる。
骸から魔法が打ち上げられ、パンッと音を鳴らして火花を散らした。
すると、感知能力が木の影から恐る恐る青い花畑を窺う者を見つけた。
(戻ってきたか)
それは女ではなく巨大狼だった。それも一頭ではなく集団で来ていた。
他のモンスターと同様に巨大狼も青い花畑を忌避するため、花畑には入ってこない。
しかし外側に餌があるならば別だ。
(おい嘘だろ。また俺のせいか。誰か助けに来てくれ。おい、戻ってこい! 誰か! 神様!)
だが神に祈ったところで与えられるのは試練だけだった。巨大狼が赤ん坊に気づいた。
勇気ある巨大狼が青い花畑に近づく。
めいっぱい首を伸ばし、シートを咥えてゆっくりと引っ張る。
唾液で濡れたシートが滑るせいで何度も何度も繰り返すが、努力は無駄にならず、徐々に青い花畑の外へとシートが移動していた。
(誰か気づいてくれ!)
再び骸から魔法が打ち上げられ、パンッと音を鳴らして火花を散らした。
巨大狼たちが一斉に散らばって森の中へと隠れた。やがて森が静まる。
恐る恐る木の影から顔を出して窺うと、巨大狼たちが安心して青い花畑に戻ってきた。
(さらにもう一発!)
3度目の魔法が打ち上げられ、パンッと音を鳴らして火花を散らした。
しかし巨大狼は火花を見るだけで、全く恐れる様子を見せずに赤ん坊へ近づいた。
一時的に感情を取り戻したケーが再び諦めの境地に入ったそのとき!
『ワオーーーーーーッン!!』
森の中から長い遠吠えが鳴り響いた。それはリーダー狼による集合の号令だ。
赤ん坊に興味津々だった巨大狼たちは即座にその場を離れ、森の中へと消えていった。
静まる森。騒ぐ虫の音。鳥の歌。風に揺らめく草木の葉擦れ。環境音と不釣り合うように、泣き叫ぶ声が微かに聞こえた。
「あぅー……」
巨大狼に襲われ、ひとりぼっちにされたにもかかわらず、赤ん坊は寝入り始めた。
(誰か助けに来てくれ……頼む……)
他力本願はニートの本質。眠りについた赤ん坊と共に、自分も眠ろうとループ発動の準備を整えていた。
だがやはり即決できずに悩んでしまうところが、優しさを捨てきれなかった部分なのだろう。
ループするか悩んだ末、ケーは思い直した。
自らが動けば動くほど悪い方向へ転がっていく。それは先ほどの一部始終でも変わらなかったとケーは思い直した。
日数をカウントする条件式を抜いて再シミュレーションする。
シミュレーションは上手くいった。これで日数のカウントはできなくなるがそれで良かった。
もしも目覚めた時、ミイラ化した赤ん坊が目の前にあったら罪悪感が日数で表れる。そう考えると日数カウントを諦める口実にできた。
(よし、じゃあやるか。赤ん坊は気の毒だけど、俺はもう死んでるみたいなもんだし。政府が悪いよ政府が。俺のせいじゃない)
そう自分に言い聞かせ、ループのスイッチを。
「ごほっ……ごほっ……」
赤ん坊が青い花の毒を吸って咳き込んだ。しかし泣き出すわけでもなく。まだ眠っている。
ケーは空に向かって光の魔法を放ち、赤ん坊の眠りを妨げないように音もなく弾けさせた。
(これで誰か……)
「ごほっごほっ! ギャアアアアアアアアア」
赤ん坊が泣き叫んだ。痛くて、苦しくて、どうしようもなくて。
「ギャアアアアアアアアア!!!」
母親が居なくなっても、大きな音を鳴らしても、巨大狼に襲われても、泣かなかった赤ん坊が泣いた。
(オ゛ォォォォオオオオオオオッッ!!!!)
ケーは慟哭する。
怒り。苦しみ。痛み。失意をかき消すほど膨れあがった慈愛の心がケーの魂を奮い立たせた。
誰を責めれば気が済むか、報復すべき相手は誰か、誰の命令に従うか、周りに翻弄されながら慰めにもならない日々を過ごしてきた。
他の誰かを豊かにしても、他の誰かを喜ばせても、見つからなかった生きる理由。
カラカラに渇いた諦めの境地でようやく答えに行き着いた。
生きる理由なんて探さなくてよかったんだ。
(まだ死ねんッ!)
ケーが咆哮する。
不動の誓いを破り捨て、ループ構文をかなぐり捨て、新たな命を終わらせないため、自分自身の良心を信じる。
赤い骸が立ち上がった。歪な形で、頼りない腕で、真っ直ぐな心で前進する。
(赤ちゃんは絶対に死なせん!)
ケーは生まれて初めて、進むべき道を自分で決めた。
惰性でも、なんとなくでも、指示でも、地位でも、逃避でも、悦楽でも、植え付けられた恨みでもない。
自分の内側から湧き上がる正しい方向へ、自らの意志で突き進むことを選んだ。




