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3ー幕間 婆ちゃん、心配する

 ズッキーニを輪切りにしているとバキンと包丁が割れた。ぞわぞわと背筋を登ってくるものがあり、孫の顔が浮かぶ。


 もしかしてこれは虫の知らせじゃないか。包丁を片付けると夕飯の支度を中断してお縁へ駆けた。


 もう日が暮れたというのに孫の私服が残っている。

 孫はまだ大穴から出てきていない。

 不安に駆られて電話に走った。老いた体の寿命を削るほど心臓がバクバクと速くなる。動悸が収まらないまま固定電話のボタンを押した。


『はい。もし…』

「あ! クミ? ケーちゃん帰って来とるかい?!」


『あー、婆ちゃんね。ケーちゃん? まだ帰って来とらんけど……なんで?』


「それがくさ。昨日、おっきな地震があったやんか」

『おっきかったねー。なんかあった?』

「それでうちの倉庫ん中にばくさ。こっげな大きか穴ばできとったとじゃん。

 昨日そん中にケーちゃんが遊びさい入っていったとさ。昨日はそれで出てきたばってんが今日も遊びさい行ってからくさ。

 それからぜーんぜん出てこんとよ。朝は警察の人に職務質問されてから大事(おおごと)やったとに、夕方はこれじゃ」


 方言だらけで聴き取りづらいなか、ひとつの言葉が引っ掛かっていた。人生で初めての事態に流石の母親も聞き返す。


『え!! 警察!? 婆ちゃんとこに?』


「そうよ。ケーちゃんがあんたさ家から包丁ば持ってっとろうが。それがたまたま警察に見つかっとるみたいでからくさ。

 ウチん畑ば見せてから作業用の包丁ば言うて帰ってもらったとよ。

 かっー! それ持って穴ん中さい行っとーとじゃん! 穴ん中にこっげな大きか虫がおる、言うてくさ。ゴミ袋に虫ん死骸ば入れてから持って帰ってきとったじゃん。新種かもしれんとか言うてからくさ。今日燃やすとか言いよるが、ぜんぜん帰ってこんもんじゃけん。倉庫ん中に置きっぱなしになっとーとじゃん」


『えー、ちょっと待ってよー。えー、どーしたらいい?』


 混乱と焦燥と祖母の方言で、状況が全く掴めない。母親は息子が警察に連れて行かれたと思っている。


「いーから早よ来て! 私もどうしたらいいかわからん! 心臓が口から飛び出そうち!」


『私いま帰ってきたばっかりで疲れとるとよ。ヒロちゃん行かせるけん。午後休で帰って来とるけんさ。

 ちょっと、あんた、あんたもう酒飲んどるとね! ちょっとケーちゃん迎えに行ってきてー。 ……じゃあ歩いて行ってこい! なんかもう説明できんから向こうで聞いてきて! こっちは夕飯の支度までせにゃならんのよ!

 もしもーし。婆ちゃん? ヒロちゃんそっちに行かせたけん。一から説明してやってん。じゃあね』


 ブチッ。


 忙しいようで通話が切れた。頼みの娘の代わりに酔っ払いの娘婿が来るそうだ。


「ったく。他人事みたいに……」


 いてもたってもいられない祖母は110番を押そうとしたが、寸前でやめた。


 警察になんて説明したら良いのか思いつかなかった。ましてやさっき問題を起こしたばかりで勘違いされても困る。

 

 それでも落ち着かない祖母は玄関を出て、娘婿が来るのを待った。


「どーもー。うちのバカがなんかやらかしたみたいで、ご迷惑おかけしてすいません」


「いいえー。ケーちゃんが()らんくなって困るのは私のほうじゃけん。何も聞かされずに追い出されたんでしょう?」

「はい。それで、どういうことなんですか?」

「こっち、倉庫みてくださいな」


 見てもらったほうが早い。そう判断した祖母は倉庫に案内する。


 倉庫の中の大穴を見せ、パンパンに膨らんだ怪しいゴミ袋を見せ、中に入ってから出てこない孫について話した。


「警察に言ったほうがよかとやろうか」

「いやー。ちょっとやめたほうが良いかもしれません。これが(おおやけ)になったら大事(おおごと)になりそうで。人が集まると逆に救出が困難になるかもしれんです。それに穴の中の昆虫が人を食うなら消毒して穴を塞がれるでしょうし」


「口が堅い警察の知り合いはおりませんか?」

「いやー、甥っ子にいるにはいるんですけど、警部補になったばかりでそんな無茶ができる立場ではないですし、今東京にいますから戻ってはこれんでしょうし」


「ヒロちゃんが入るっていうのは……」

「暗いところは無理ですね」


 祖母は深くため息をついた。しかし、ひとりで問題を抱えずに済んで少し落ちつけた。なんとかなりそうな気持ちになれた。


「とりあえず今日のところは帰ります。明日になったら出てくるかもしれんですから待ってみましょう」


「そげなこつ言うて。野生動物じゃあるまいし」


 現状の共有だけで満足した娘婿は家へ帰って行った。

 問題が先延ばしされただけで何も解決されていない。孫は帰ってこないし、ゴミ袋はそのままだし。

 しかし、警察に通報できないことは祖母の心にしっかり刺さった。たしかに今この大穴を知られるのはまずい。警察に届出をして救出部隊が動いてくれたとしても間違いなく無関係の人が集まってくる。

 特にその穴の中で新種の生物が発見されたとあれば、孫が救出される前に別の団体が潜入して捜索を邪魔する危険性もある。

 厄介ごとにも対応させられたら祖母にかかるストレスは非常に重いものとなるだろう。二度とこの家に住めなくなるかもしれない。


 そんな考えが頭をよぎる。しかし孫が救出されるなら自分のゆく末がどうなろうと構わないと覚悟を決めた。



 夕飯の準備を終え、食卓傘をかける。

 服をジャージに着替えてマスクとタオルで頭を覆い、コルセットと沢山のサポーターを要所に巻きつけた。リュックの中に冷たいお茶、医療キット、殺虫スプレー、タコ糸を入れて倉庫へ向かう。

 倉庫で軍手、懐中電灯、長靴を装備。ビニール紐を柱に結んで準備完了。


「おっと、これを忘れるとこやった」


 愛用の草刈り鎌を腰に装着して今度こそ準備完了。短時間で戻ってくる前提だが孫よりもはるかに優れた装備だ。

 

 ライトで足元を照らし、ビニール紐を伸ばしながら順調に進んでいく。足腰が弱い身体に鞭打って真っ暗な下り坂を下っていった。


 ゆっくりとした歩速でようやくダンジョンの入り口まできた。天井に張り付いた巨大蛍の大群が祖母の心をギュゥと締め付ける。


「あの子はこの下を歩いたとね……」


 懐中電灯のスイッチを切ってリュックに収納する。空いた手に草刈り鎌を持って探索を開始した。

 進めば進むほどダンゴムシやナメクジやコガネムシの幼虫など、石の下にいる生き物たちの巨大バージョンとすれ違う。隣を歩いた程度では襲ってこず、刺激しないように警戒して進む。


 しばらく進んでいると祖母の手が引っ張られた。驚いて鎌を振り上げたがそこあったのはビニール紐。軍手で気付かなかったがビニール紐の限界がきていた。

 リュックの中からタコ糸を取り出して結ぶ。これであと300メートルは進める。


 そう思って顔を上げた瞬間、全身の肌が(あわ)立った。

 ダンジョンの悪魔的構造を見てしまった。

 

「ああ……ああこれは……誰かの手が加わっとるぞケーちゃん……」


 ビニール紐が途絶えたのはちょうど曲がり道だった。通ってきた道と同じ道幅の通路が他に二つ並んでいる。ヒントなしの3択問題。

 蟻の仕業ならこんな複雑な構造にはしない。なぜなら蟻は出入りすることを前提に巣作りをするから。

 ここは違う。考えなしに入ってきた者を逃がさない。悪意を持った何者かが意図的に侵入者を逃がさない造りにしている。

 心の底からビニール紐に感謝した。この数百円にも満たない細い紐が老い先短い命を繋ぎとめている。そして、改めて覚悟を決めた。


「帰ろう。タコ糸じゃいかん」


 タコ糸が防虫加工されているかわからない。一度帰還し、ビニール紐を買い足して出直すことにした。


 戦後を生き抜いた年の功で察したのだ。ルートを違えば襲われる。正解ルートでも帰り道は安全かどうか怪しいと。

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