奇妙な晩餐会『カルボナーラ』
「今日はほうれん草のフェットチーネを買って来たよ。やはりクリーム系のパスタにはフェットチーネに限るね。シャブリの12年物もあったんで、奮発して買って来たよ。もう冷やしてあるからいつでも飲めるよ」
ああ、また始まったかと私は心の中で呟く。
和茂のうんちく好きはいつものことだ。
今日は自分の誕生日と言う事で大好物のカルボナーラを私が作るということになっていて、特別気持ちが盛り上がっているようだ。
でも今日は私も職場でいやなことがあって、少しいらつく気持ちが心をささくれさせている。
「生クリームはちゃんとホンモノ買って来た?植物性の偽ホイップじゃないよねw」
和茂の心の中は大好物のカルボナーラでいっぱいのようで、見るからにうきうきとしている。
「バターもちゃんとバター? ベーコンはちゃんと厚切りのパンチェッタ?パスタのゆで汁の塩分濃度はちゃんと海水と同じにしたw」
細かく指示を飛ばしてくるが、和茂は料理には決して参加しようとはしない。
もともと九州の資産家の家の一人息子なので、台所に立ったことがないのである。
たまに洗いものを手伝ってくれるようになっただけでも、私の教育の賜物なのだ。
「そ……それなんだけど、やっぱりカルボナーラはベーコンじゃなくっちゃあ、駄目かなあ……?」
私は恐る恐る聞いてみた。実は私は今日、ベーコンを買って来てなかった。課長に仕事のミスを指摘され、ねちねち叱られて7時まで残業していたせいで、買い物にいけなかったのだ。まあ冷蔵庫のすみにあった、あれで代用してもいっかと思ったのである。
「え、それは駄目じゃん、カルボナーラっていうのは、焦げたベーコンから出る肉汁と塩分が風味を決めるんだから、ベーコンがなくちゃあタコの入ってないたこ焼きみたいになっちゃうじゃん」
その『タコなしたこ焼き』の例えは、まさしく耳にオクトパスだ。いい加減ちがうバリエーションを披露してみろバカ、と思ったけど、もちろん声には出さない。
今日は私の都合でなんちゃってカルボナーラになるので、誕生日の和茂にやはり申し訳ない。ここはぐっと抑えておかねば。
「それがさ、今は給料日前だし、とりあえず冷蔵庫にあるもので代用しようかなと思ってさ、ベーコンは今日買ってこなかったんだ。いいでしょ」
出来るだけ明るくそういった私に、まるで地雷を踏んだアメリカの海兵隊のような、絶望と怒りの入り混じった表情を作った和茂は私を睨みつけて言った。
「……で、何を入れるつもりなんだよ、僕のカルボナーラに」
てめーのじゃねえぼけ、私達のだと一瞬ぶちきれそうになったけど、今日は私もいつもの私じゃないので心の中で「どうどう」と6回ほどつぶやいてから答えた。
「は、はごろもフーズの魚肉ソーセージ………」
和茂の顎が重力方向に沿って引き下げられた。
「魚肉ソーセージい!!!!」
「け、結構合うと思うよ、あんがいベーコンと変わらない塩分濃度だし、オリーブオイルでしっかりと炒めたら、食感も似て来ると思うし」
と、必死でする言い訳のセリフに被せるようにして、怒涛のうんちくサイクロンが停滞した。
「冗談じゃない、君はカルボナーラってもんが分かってない。ベーコンというものが分かってない。大体豚肉を保存食にするために塩漬けにし燻製して作るベーコンは、保存し寝かせる事でたんぱく質がアミノ酸に分解されて、うまみ成分がたっぷり入っているからこそ、生肉などとは一線を隔した食材なんだよ。そのうまみを最大限に表現するのがカルボナーラと言う料理なんだ。なに、魚肉ソーセージ! ふざけるんじゃあない、あんなのはわけの分からない深海魚のすり身に小麦粉を加えて、化学調味料と塩分で味付けして、赤色着色料のコチニールで色付けした、似非ソーセージ食品じゃないか。コチニールが何か知ってるか、サボテンにつくカイガラムシのことだぞ、君、僕に蟲を食べさせようと言うのか、冗談もほどほどにしてくれ、そもそも君は…………」
それから延々と和茂は私の日ごろの行いや考え方をえぐり出しては文句を言い続けた。私はもう黙ったままもくもくと料理をするしかなかった。ソーセージの皮を剥いて、ちょっとでもベーコンに近づけようと薄切りにして、にんにくのかけらを落としたオリーブオイルで焼く。その間にパスタをゆでて、ボウルに牛乳と生クリーム、卵の黄身とパルメザンチーズを粉におろしてかき混ぜる。やがてパスタが茹で上がっても和茂はぶつぶつ言っている。今は私の洗濯物のたたみ方のところに差し掛かっていた。だんだんと上がっていく私の怒りのメーターの針は、そろそろレッドゾーンへと突入しかけている。
「そもそもYシャツと言うものは……」
そう言い放つ和茂の鼻ッ先にドンッと大きな音を立てて、魚肉カルボナーラの大皿を叩きつけるように置いてやる。ホワイトソースが飛び散り、和茂のお気に入りのラコステ(笑)のポロシャツにかかった。
「な、何をするんだ、シャツにかかったじゃないか、あっ、か、髪の毛にも飛んで、君ぃふざけるんじゃあないよ!」
「あら、ごめんなさい、これで洗い流したら」
もう私はその時、心からぶちきれていた。私は和茂が買って来たシャブリの12年もののワインを、ワインクーラーからおもむろに引き抜いて、和茂の頭からどぽどぽとぶっ掛けていた。
「ヒッ!」
小さく悲鳴を上げた和茂は動作を凍らせ、黙り込んだ。立ち上る素晴らしいシャブリの香り。
「いっただっきまーす」
私はわざと陽気な声でそういうと、目の前の大皿から魚肉ソーセージカルボナーラを山盛り自分の皿についで、大きな音を立ててそれを吸い上げ食べ始めた。
ダイニングには和茂の好きなエンヤの曲にのせて、私のパスタをすする音が不協和音のように重なって響き渡った。私はただひたすらパスタをすすり上げて黙々と顎を動かし続けた。
ものの五分も経った時、和茂に動きが見られた。
髪の毛からシャブリを滴らせながら、私と同じように大皿からカルボナーラを自分の皿にとる。そうしてフォークとスプーンを丁寧に使いながら、上品な仕草でパスタを口に運び出した。かちゃかちゃと食器のこすれ合う音が、時の流れにのって部屋に積もってゆく。
しばらく食べていた和茂が静かに言った。
「パスタは蕎麦じゃない、音を立ててすすっちゃあだめ……」
「だまれこぞう、食べながらしゃべるんじゃねえ!」
和茂の言葉に被せるように、噛み砕いたパスタを撒き散らして私の罵倒がこだました。