南海渡航12
アホウドリ。
この名前はかつて、簡単に捕獲出来る事から付けられたという。なんともあんまりな理由であるが、名前だけならまだ良かった。人間達は羽毛を得るため次々とアホウドリを殺し、絶滅寸前まで追い込んだのだから。
その後ひっそりと生き残っていた僅か数十個体が発見され、保護活動の甲斐もあってか個体数は徐々に回復。二〇一八年時点で個体数は五千羽ほどにまで回復した……というような内容を、継実は幼い頃に本で読んだ記憶がある。
あの時は無邪気に喜んだものだ。何しろ生き物好きだったのだから、絶滅しかけていた動物が復活したと聞いて、嬉しくない訳がない。そして人間がしでかした『愚行』に怒りを燃え上がらせもした。
しかし。
「(だからって、大人しく殺されてやるつもりはないけどね)」
むしろ出来る事なら安全のためキッチリ殺してやる――――野獣と化した少女は隠しもしない殺意を噴出させながら、かつては生きていてくれた事を喜んだ、目の前の『絶滅危惧種』を睨む。
白い羽毛で覆われている、ずっしりとした大柄な身体。
先端に黒い羽毛を生やした、大きな翼。
頸部から頭部に掛けて淡い黄色に染まり、桃色で身体の割に大きな嘴。
竜巻の底にある水面にぷかぷかと優雅な姿で佇んでいたのはそんな、何処からどう見ても普通のアホウドリだった。大きさも全長一メートルに満たない程度と、七年前までの『普通』のアホウドリの成体と大差ない。強いて違いを挙げるなら、天敵がいない島で暮らしていたが故に温和で無警戒な筈の種なのに、継実の首筋がチリチリするほどの殺気を放っている事か。
尤もその殺気の中に、人間への恨みなどは感じられない。
当然だろう。人間を皆殺しにしたところで種の繁栄は取り戻せないし、ミュータントを殺せない奴等なら野放しにしても問題などない。むしろ無意味な事にエネルギーを費やす事の方が、子孫繁栄の点で考えれば不利益である。復讐は、合理的に考えれば何も生まない事が明らかなのだ。
合理的なミュータントは、憎しみなどという無意味な感情には囚われない。アホウドリが人間を憎む事もないだろう。
……だからといって、こちらを見逃してくれる可能性はなさそうだが。
「(アレは、こっちの事を餌としか思ってない目だなぁ)」
これまでの人生で幾度となく向けられてきた、捕食者の眼差し。『喰う』という純粋な殺意は最早慣れっこで、だからこそアホウドリが何を想っているかも継実はすぐに理解出来た。
継実達の身体は未だ引力に見舞われ、海面目掛け落ちていく。アホウドリはカチンカチンと嘴を鳴らし、継実達を待ち構えている。早く来い、こっちに来いと言わんばかりに。
生憎大人しく喰われてやるつもりはない。どうやって自分達を殺すつもりかは知らないが、先手必勝で、やられる前にやってしまえば考える必要すらもない。
さっさとコイツをぶっ飛ばして、竜巻の外に出る!
「やるよ、みんな!」
「言われなくても!」
「ちっ……やるしかないか!」
「は、はぃ! が、頑張ります!」
継実の掛け声に合わせ、全員が動き出す。ツバメは自分の力で継実から離れるように飛び立つ。ミドリも四肢を広げて空気抵抗により減速し、後退するように離れていく。
最後まで傍に居たモモは継実に視線を向け、継実もその目を見る。
まずは私が行く。
言葉はなくとも目で語れば、モモは全てを察してくれる。腕を広げる事で風を受け、モモは継実から離れていった。
そして継実だけが真っ直ぐ、アホウドリ目指し突き進む!
「……………」
散開した継実達を前にしたアホウドリの視線が追うのは、ミドリ。本能的に一番弱いのが誰かを察したのだろう。直進してくる継実など、気にも留めていない様子。
中々に無礼な奴だ。『客人』が来たのだから挨拶するのが礼儀というものだろうに。尤も野生動物、ましてや鳥に礼節を期待するだけ無駄というものだが。
勿論継実は元とはいえ文明人。礼儀はキチンと弁えている。
「こっちを見ろっつーの!」
故に挨拶代わりに、指先より粒子ビームを撃ち出した!
此度の攻撃に大したエネルギーは溜め込んでいない。しかしそれでも指先から放たれた閃光は、人類の大都市を焼き払う程度の威力はある。アホウドリといえども、直撃を受ければ丸焦げの焼き鳥になるだろう。
直撃さえ受ければ。
だが、アホウドリは粒子ビームを受けない。
アホウドリまであと数十センチというところで、粒子ビームの軌道が捻じ曲げられたのだから。まるで粒子ビームが自ら避けるようにぐにゃりと曲がり、何処かへと飛んでいってしまう。
「! だったら、これはどう!?」
初手が外れた継実は、今度は物理攻撃へと切り替え。両手を組み、大きく振り上げて……ハンマーのように力いっぱい下ろす! 見た目はまだまだ幼さがある少女の一撃なれど、本気で繰り出したそれは小惑星クラスの打撃力を有す破滅の鉄拳。
狙いは正確にアホウドリを捉えている。アホウドリは未だ海をぷかぷかと浮かぶだけで、避けようともしてこない。継実の両手は真っ直ぐに下りていく。
が、不意にその動きが横に逸れた。継実の意思とは関係なしに。
引っ張られた。
そう感じた時にはもう、継実の両手はアホウドリの真横まで到達。強引に方向修正しようと試みるが、横向きに引き寄せる力が強くてどうにも出来ない。
継実の拳は海面を叩き、その運動エネルギーを解き放つ。隕石級の一撃で何十メートル級もの大津波が生じ、外へ波紋のように広がる。尤も津波は継実達の周りを取り囲む竜巻にぶつかった瞬間、粉々に粉砕されて取り込まれてしまったが。
継実はちらりと、真横に佇むアホウドリを睨む。アホウドリは未だ敵意に満ちた視線を向けており、微動だにしていない。この程度の攻撃など、恐れる事も備える事も不要だと言わんばかりに。
その自信を過信と呼ぶ事は、少なくとも継実には出来ない。継実の攻撃は、コイツの『能力』によって妨げられたのだから。
「(コイツ……『引力』を操るのが能力か!)」
散々見せ付けられてきたからこそ、分かるというもの。恐らくアホウドリは隠しもしていないだろうが。
引力を生じさせるには本来巨大な質量、正確にはそこから生じる重力が必要だ。しかしミュータントと化したアホウドリは、そんな事などお構いなしに引力を生み出せるのだろう。その力で継実達をこの場に引き寄せ、粒子ビームや鉄拳の軌道を逸らした。この巨大な竜巻や積乱雲も、引力で空気を引き上げる事で生み出しているのかも知れない。
おまけにこの能力、純粋に強い。
アホウドリの体重は凡そ二~三キロ程度。鳥としてはかなり重いが、継実からすれば二十分の一程度だ。人間の赤子よりも軽く、故に非力な筈。本来ならアホウドリがどれだけ力を込めようとも、パワーで継実を圧倒する事はない。しかし引力の力は一点に集中出来る。全身の力では継実の方が上でも、拳だけ、ビームだけと、『局所』に絞れば力負けしないのだ。
アホウドリと引力にどんな関係があるのか、継実にはさっぱり分からない。案外『重た過ぎて風がないと飛べない身体』という欠点を解消するために身に着けた力なのかも知れない。だとしたら、過剰な力にも程がある。
「(でも、付け入る隙はある)」
それでも継実は勝機を見出す。
革命的な進化を遂げて細胞が百倍ぐらい活動的……なんて出鱈目でもない限り、アホウドリはあくまで局地的に能力を発動する事で継実のパワーを上回っている。つまり劣勢を、一点突破で誤魔化しているだけ。
ならば、一点突破する暇をなくせば良い。
例えば超高速の肉弾戦が有効な対策となるだろう。
「ふん!」
継実はまず海面に『着地』。本来ならばそのまま沈むところだが、継実は粒子操作能力で海水の水分子を固定化。地面のように硬くし、しっかりと身体を支えさせる。
少々エネルギーは消費するが、これで足場は地上と変わらない。陸生動物として、十全に力を発揮出来る条件が整った。格闘をするなら、やはり足場はしっかり固まっていなければなるまい。
「はっ!」
継実は素早く腕を振るい、アホウドリの顔面を手刀で切り落とそうとする。
当然アホウドリはこの手刀を引力で引っ張り、攻撃を外させた――――が、継実の攻撃はまだ終わらない。手の後を追うように、今度は蹴りを放つ。
蹴りもまたアホウドリの力で軌道を捻じ曲げられたが、更に継実はもう片方の足を蹴り上げる。両足が海面から離れて身体が宙に浮かんだが、問題はあまりない。継実は自力で空を飛べるのだから、空中での姿勢制御はお手のものというやつだ。
立て続けに放たれたキックに、しかしアホウドリは未だ動かず。能力で二発目の蹴りの軌道を逸らし、これも『回避』する。両足が空へと逸らされ、継実の身体はぐるんとひっくり返るように浮かび上がった。
ならばと継実が繰り出すは、粒子ビーム。
腕も足も使ったが、届かぬもう片手から四連撃目の攻撃。粒子ビームの反動で僅かに後退しながら、さぁこれをどう対処するのかと継実は挑発的に微笑む。
が、これも引力で逸らされた。さも想定通りだと言わんばかりに。
「(ちっ! 格闘戦に慣れてるか!)」
成体である事から実戦経験は豊富だと踏んでいたが、思っていたよりも修羅場を乗り越えてきた奴らしい。継実という『巨大生物』に躊躇なく襲い掛かったのも、自分の強さに驕っているのではなく、これまでの経験で仕留められると判断しての事か。
経験に裏打ちされた自信は厄介だ。勝てるという事を知っているから迷いがなく、それでいて出来ない事も知っているので退き際を誤らない。必要ならこのアホウドリは能力なんかに頼らず、最小限の動きで攻撃を回避するだろう。連続攻撃を叩き込めばボロを出す、というのは甘い見積だ。
肉弾戦は継実の得意とするところだが、どうにもアホウドリの能力とは相性があまり良くなさそうだ。さて、どうしたものかと思考を巡らせる。
対してアホウドリは、既に次の手を考えていたらしい。
じろりとアホウドリが睨み付けた、刹那、蹴りを繰り出した継実の身体が『空中』でぴたりと止まったのである。
そして次の瞬間、継実の身体はアホウドリの方へと引き寄せられていく!
「(距離を詰める気!? 上等!)」
接近戦ならば望むところだと、継実は拳を振り上げながら引力に身を任せる――――が、ぴたりと止められたのは拳がアホウドリまで届かない絶妙な距離。
対するアホウドリはくいっと、継実の拳以上に届かない嘴を振るう。
すると継実の足下の海水が、まるで噴き上がるように上昇した! 引力は個別に掛けられるようで、継実は空中に制止したまま。噴き上がる海水が継実の身体を濡らす。
海水が噴き上がる勢いは強烈だ。まるで滝、いや、断頭台の刃がウォータージェットになったかのよう。ミュータント化していない人間ならば、一瞬で全身が細切れの肉片と化したに違いない。継実だって、ダメージを受けるほどなのだから。
更に問題はこれだけではない。
「(ぐっ……水の所為で息が……!)」
大量の水が噴き上がる所為で、空気までもが押し退けられた。いくら吸い込んでも水しか入ってこない。
引力を操るアホウドリは、物理的な破壊が少々苦手なのだろう。しかし獲物を捕まえるのに、わざわざ全身を粉微塵に粉砕する必要はない。窒息だろうが溺れ死にだろうが、兎に角死ねば良いのだ。
竜巻で『行方知れず』になったツバメ達も、こうしてじわじわと殺されたのだろう。
それを残酷だなんだと批難するのは、『文明人』の傲慢だ。アホウドリは生きるため、食べるためにこの方法を採用しているだけ。そして獲物を確実に仕留めるには、この方法しか出来ないと思われる。他に楽で確実な方法があるなら、そっちを選んでいる筈なのだから。
つまり。
「(復帰は容易、って事ね!)」
継実は自分の身体を構成する分子を、自らの能力で振動させた!
激しく揺れ動く粒子達は熱となり、継実の周りにある海水を過熱。二千度まで温度を上げていく。
水分子は二千度を超えて存在する事は出来ない。ここまで高温になると水分子の形が維持出来なくなり、分子が崩壊してしまうからだ。そして壊れた水分子は水素と酸素へと分かれ、同じ原子同士で結合――――水素分子と酸素分子へと変化。これを吸い込めば、酸欠からは解放される。
継実は海水から酸素を合成したのだ。とはいえ高濃度酸素分子はあまり身体に良くないのも事実。酸素の高いエネルギー量により、細胞自体が傷付いてしまうのだから。何時までも続ける理由はない。
しかしながら引力による拘束は強く、どうにも振り解けない。手首や足首、額や腰などにピンポイントな引力が掛かっているのだ。全体をくまなくであれば強引に押し返せそうなのだが、小さい範囲、それも関節部を押さえられると上手く動かせない。恐らく、一人だけではどうにも出来ないだろう。
こういう時は、素直に仲間に頼るのが一番だ。
「モモ!」
だから自分が気を惹いている間にアホウドリの背後に回っていた、頼れる相棒の名を呼ぶ。
「任せとけぇ!」
継実の掛け声に合わせて動き出すモモ。アホウドリはすぐに反応して振り返るが、一手遅い。
負傷した継実に代わり、今度はモモとアホウドリの一騎打ちが始まった。




