南海渡航04
「……気分転換?」
「うん。気分転換」
継実がオウム返しで尋ねれば、モモは屈託のない笑みを浮かべながら堂々と答えた。
確かに、考えが纏まらない時は気持ちを一新するのが大事である。考え方を変えてみればすんなり閃く事もあるし、気分転換で得られた経験がヒントとなる事もあるだろう。何事もメリハリが大切だ。
だからモモの意見そのものには、継実としても異論はない。
異論があるのは、モモの気持ち。
「……そー言って遊びたいだけでしょ」
「ええ、そうよ」
ズバリ指摘してみれば、あっけらかんとモモは認めた。まるで悪びれる様子もない相棒の姿に、継実は肩を落とす。
「アンタねぇ……」
「何よ、別に急いでる訳でもないじゃない。というか最近酷い目に遭ってばかりだから、偶にはのんびり遊びたいわ」
「いやまぁ、確かに此処ならのんびり遊べそうだけど」
砂浜というのは、生き物があまり多くない土地だ。潮の満ち引きにより、一日で何度も水浸しと乾燥を繰り返すため、多くの生き物にとって暮らし辛い。勿論核攻撃すら通じぬミュータントなら潮の満ち引きを『克服』するぐらい簡単だろうが、しかし住み心地の良さはまた別問題。誰だって居心地の悪い場所には棲み着こうとしないものだ。それに砂浜だと藻などの植物も生えにくいので、動物にとっては尚更魅力のない環境と言えるだろう。
生き物がいなければ、それらを餌にする大きな生き物もいない。危険で凶悪で強い生物というのは、虐められる相手がいて初めて生きていけるものなのだ。つまり生き物が乏しい環境は、ふらりと立ち寄っただけの継実達にとっては安全な場所なのである。
だから確かに、遊ぶなら此処しかない訳で。
「えっ! 遊べるんですか!?」
そして遊べると知って目を輝かせるミドリを見たら、継実は何も言えなくなってしまう。
「ええ。周りを探知しても、大きな生き物なんていないでしょ?」
「はい! ずっと不思議だなって思っていましたけど……本当に危ない生き物、いないんですね!?」
「あまりいないだけで、ゼロじゃないけどね。ミュータントになったサメとか浜まで上がってくるかもだし。でも今までの森とか草原とかと違って、何時襲われてもおかしくないってほど危険ではないと思うわ」
「はわわわわー……!」
モモの意見を聞き、ミドリはぱたぱたとその場で足踏み。それからくるりと継実の目を見てくる。
ミドリの目はキラキラと輝いていた。まるで、海を楽しみにしている小学生のように。
流石にこのキラキラお目々を曇らせるほどの残虐さは、元とはいえ『人間』である継実にはなかった。
「……そうね。気分転換は大事だし、ちょっと遊ぼっか」
「「やったー!」」
継実がOKを出せば、モモとミドリは万歳をして大喜び。
そこまで喜ばれると継実としても嬉しくて、つい、笑みが浮かんでしまう。それに継実だってまだまだ十七歳の女の子。家族と一緒に海で遊ぶのは、憧れの一つなのだ。
「で? 何して遊ぶ訳?」
「うーん、水際で追い駆けっことかかしら」
尤も、モモは特段やりたい事があった訳ではないらしい。なんともテンプレートな遊び方に、継実はくすりと笑った。
「そりゃ恋人同士でやるもんでしょうが」
「あら、家族でやっても楽しいわよ。こんな風に、ねっ!」
継実からのツッコミなど意に介さず、モモは波打ち際へ。しゃがんだモモはにやりといたずらっ子のように笑う。
何をする気か、見れば一瞬で察しが付く。継実はモモが動き出すよりも一瞬早く身構えつつも、逃げたり止めたりはせず。飛んでくるであろう海水に備える。
なお、実際に飛んできたのは『土石流』。
モモの強大なパワーにより海水と砂がごちゃ混ぜになった、茶色い濁流が飛んでくる。本当なら「きゃぁ♪」みたいな声を上げるつもりだったのに、継実の口からはなんの声も上がらない。避けようと思えば避けられたが、避けようと思っていなかったので避けられず。七年前の生身ならば色々大惨事を引き起こす流れが、継実の身体に襲い掛かった。
モモの『水飛沫』は一瞬で過ぎ去る。勿論継実はこんなものに流されるほど柔ではないが……立ち尽くす継実の身体は、砂と、衝撃で掘り起こされた泥に塗れてぐちゃぐちゃだ。ちなみに継実の隣にはミドリもいたが、ミドリも同じくぐちゃぐちゃのどろどろである。
唯一無事なのは、事の元凶であるモモだけ。
「……何か言う事は?」
「ごめんなさい」
問えば呆気なくモモは謝る。
悪気はなく、力加減を間違えただけなのだろう。それは、モモの口から聞かなくても分かる。家族なのだから。
――――じゃあ、これで許すかといえばそれは別問題な訳で。
泥だらけになった継実とミドリの心は、一瞬にして通じ合う。
「……いっけぇ! アイツもどろどろにしてやれ!」
「りょーかーい!」
継実の掛け声に合わせて、ミドリはモモへと突撃する! 継実もミドリの後追いでモモ目指してダッシュ。
三人全員で波打ち際を走る。走る速さは音に程近い、けれども彼女達にとってはのんびりしたもの。
全員顔に笑みを浮かべる余裕もあった。
「あっははは! ごめんって言ったでしょー!」
「許すなぁ! アイツも泥んこ塗れにしてやれぇ!」
「とりゃあっ!」
逃げるモモを捕まえるため、ミドリがモモに飛び掛かる――――が、モモはこれをひょいっと身を翻して回避。
「どべっ!?」
目標を外してしまったミドリは、砂浜に顔から突っ伏すように倒れる。
しかしすぐさま起き上がり、またモモと追い駆けっこへ。この不屈の闘志にちょっと驚いたのか、振り返ったモモの動きが僅かに鈍った
「隙ありぃ!」
そのタイミングで継実は大ジャンプ。モモに跳び付く!
七年間一緒に暮らしていたからこそ分かる、モモの意識に生じた隙間を的確に突いた。モモは驚いたように目を見開くが、一手遅い事を継実は確信する。
継実はモモに抱き付き、勢いのまま砂浜をごろごろと転がった。途中足やら腕やら絡まって、外れなくなったのは想定外だったが。
「ふはは! 捕まえた!」
「捕まったぁー」
ともあれ結果的にモモを捕まえた継実は勝ち誇り、モモはなんとも暢気な声を出す。
それがおかしくて、ついつい継実は笑ってしまう。
モモも釣られるように笑い出し、げらげらげらげら、楽しげな笑い声が砂浜に響き渡った。
「あはは! やりましたね、継実さん!」
そしてミドリも楽しげに笑う。
笑うのだが……何故か彼女は、継実達から少し距離を取っていて。
「ちょっとー、なんでミドリそんなに離れてんのよ」
「もっとこっち来なさーい」
引きずり込んで『ダマ』の一員にしてやるから、等という気持ちを隠しながら継実は手招き。ところがミドリは近付くどころか後退る。
ノリが悪いなぁとでも言ってやろうかと継実は口を開け、
「ひゃんっ!?」
何かがお尻を触ってきた刺激で、変な声が出た。
「……何変な声出してんの?」
「い、いや、何かがお尻を触って……ってミドリ!?」
「あー、いや、なんかそこ変な生き物いるみたいでして……なんというか、触手?」
「しょく……!? ぴゃあっ!? またお尻触られたぁ!?」
「味見ですかねぇ……」
持ち前の探査能力で、ミドリは危機を一足先に察知していたらしい。継実のお尻を舐めてくる触手的生物に苦笑いしながら、じりじりと遠ざかる。
ミドリは後でお仕置きするとして、これは良くない展開だと継実は焦る。ミュータントと化した継実には、十歳の頃には知らなかった様々な知識があるのだ。それは様々な生物の知識や自然科学だけでなく、人類文化の中で形成された娯楽……海辺と触手の組み合わせによる、ちょっとばかり大人向けな展開に対する知識もある。
このまま触手と組んずほぐれつなんてなって堪るか! そんな継実の『ご期待』に応えるように、どぼんっ、という水音が背後から聞こえてきた。触手だろうがなんだろうが粒子ビームで吹っ飛ばしてやると、継実は己の手に力を込めながら気配の方へと振り返り、
地面から顔を出す、体長七メートルほどの『オニイソメ』と目が合った。
「……おにいそめ?」
自分の中にある記憶に、継実はこてんと首を傾げる。
オニイソメ。
名前の通り、七年前には人類に釣り餌としてよく使われていたイソメという環形動物の一種である。イソメといえば足だかヒダだか分からないものが何百本も生えたミミズのような生き物で、気持ち悪さは兎も角決して強い生き物ではない。が、このオニイソメは別だ。
ミュータントと化していない個体であっても、体長は最大で三メートルにも達する巨大種。頭部には鋭い大顎が四本も生え、これで積極的に獲物を食い殺す。甲殻に守られている訳ではないが、ギチギチに張った肉に軟体動物的軟弱さを求めるのは間抜けが過ぎるというもの。魚だって積極的に切り刻む、恐るべき捕食者である。
継実達の前に現れたのは、見た目こそそんなに変わっていないが、大きさは遥かに増大。人間だって食べられるモノになっていた。にゅるにゅると海面に出てくる身体は、長大であるが筋肉の塊であり、凄まじいパワーを感じさせる。そして開いた口から溢れている透明な粘液は、彼が持つ食欲を教えてくれた。
触手は触手でも、コイツはエロなんて欠片も興味がないような人喰い触手らしい。
「ぎゃああぁぁぁぁぁ!? なんでこんな物騒なのが砂浜にぃ!?」
「いや、イソメは普通にいるでしょ……大型化してるのも、まぁ、今更珍しいもんじゃないわよね」
「ですねぇ。あたしも大分慣れてきました……あ、継実さん。早く逃げないと食べられちゃいますよ。さっきお尻をぺろぺろして、継実さんの味見をしていたみたいですし」
「味見ってそっちの意味なのぉ!?」
そっちじゃない意味って何? そう言いたげなモモとミドリの純朴な視線に、しかし汚れてしまった事への人間的羞恥を感じる暇などない。このままではあの鋭い顎でスライスされてお刺身だ。
ところで今はモモとひっ絡まっているので、継実もモモも身動きなんて取れなくて。
「ちょ、モモ!? 早く離れなさいぃー!」
「え。いや離れるのは簡単でしょ、私の身体体毛だし、継実は粒子操作で身体をバラバラに出来るんだから」
「あ。そうだった」
「海だからって気を弛め過ぎ」
自分の能力も頭から抜けるなんて。思い出した継実はすぐに身体をバラし、モモも身体を僅かに解して分離――――した直後、オニイソメの顔面が継実達の居た場所に突っ込んできた。
間一髪でこれを躱した継実とモモは、素早くミドリの傍まで移動。先程までと違って万全の体勢に移った三人であるが、獲物を見付けたオニイソメは「じゃあ諦めるか」なんて言ってくれる筈もなく。
「逃げろー!」
「はいぃー!」
「いえっさー!」
【ギシャアアアアアァー!】
継実達三人がすたこらさっさと砂浜を駆ければ、オニイソメもすたこらさっさと追い駆けてきた。
追い付かれたらあの世行きのデスレース。
海でやる追い駆けっこってこんなんじゃないでしょ、という想いが継実の脳裏を過ぎる。しかし同時に、こんなのでも悪くないでしょ、という考えも過ぎった。
確かに悪くない。
どんな時でも楽しまなければ損というもの。そして此処は海なのだから、何をやっても楽しくなれる。
「あはははは!」
気付けば心から笑っていて。
恐ろしい化け物を振りきった後、再び継実達は思う存分海の遊びを満喫するのだった。
……………
………
…
「いやぁー、遊んだ遊んだぁー」
心から満足しているのだろう。ぐったりとうつ伏せに倒れ伏しつつ、尻尾をぶんぶん振り回しながらモモがそう独りごちる。
「ほんと、楽しかったです」
傍に座るミドリも同意。頭の上には浜に流れ着いていた海藻がとぐろを巻いて乗せられ、何百年か前の貴族を思わせる風貌と化している。胸には貝殻を二枚付け、まるで人魚の物真似。
「こんなに遊んだの、久しぶりだなぁ……」
そして継実は砂の中から頭だけ出しながらぼやく。今猛獣に襲われたら間違いなく死ぬが、それはそれ、これはこれ。気にも留めず、感慨に耽った。
人類文明を容易く滅ぼすほどの肉体が、へろへろになるまで遊んだ三人。時間は随分と流れ、もう夕方になっていた。太陽は西に沈みかけ、空が明らむ。大海原が広がる東側は、一足先に夜の暗がりが広がり始め、ぽつりぽつりと星の煌めきが見え始める。
海からは鳥達の姿も消え、海面から跳び出す魚の姿もない。夜が近付き、皆寝床へと帰っていくのだろう。もう少しして夜行性の生物が出てくるまで、生き物達の姿は減り続ける。
もうすぐ、一日が終わる。楽しかった一日が。
そう、丸一日。
「遊んでばっかで、海を渡る方法なんも考えてないじゃん……!」
「だねー」
「うっかりしてましたー」
遊んでばかりいた継実達は、誰一人として目の前の大海原を越える術の事など忘れていたのだった。
気分転換のつもりだったのに、今やすっかり夕方。いや、何時までに南極へ行かねばならないという決まりもないので、一日遊び呆けても大した問題ではない。
問題ではないが、最初の一日すら頑張れない人間は、あとの何十日も頑張れない事を継実は知っていた。
「うぎぎぎ……あ、遊び過ぎた……」
「まぁ、良いんじゃない? 今日は疲れたし、ぐっすり寝れば良い案も浮かぶっしょ。明日も駄目ならまた明日ってね」
「そうやってまた明日また明日ってやってると何時まで経っても終わらないの! 夏休みの宿題みたいに!」
「うぐっ。よ、幼少期のトラウマが……」
継実の発言で、何故かミドリが精神ダメージを受ける。どうやら宇宙人にも夏休みの宿題、そしてそれを毎日コツコツやらなかった結果起きる惨事があるらしい。
やっぱコイツ本当は地球人なんじゃなかろうか。そう思いながら継実は砂から這い出て、ぶるぶる身体を揺すって砂を落とす。モモとミドリも立ち上がり、伸びたり身体を叩いたりしていた。
やってしまったものは仕方ない。それにモモが言うように、明日駄目でもまた明日頑張れば良い。元より期限なんてない旅なのだから。
そう考えれば、少し、継実は肩から力が抜けた。口許も、ちょっと弛む。
「ところで、今日のごはんはどうするのですか?」
「「えっ?」」
なお、ミドリの一言で弛んでいた全てが凍り付いたが。それもモモと一緒に。
……遊んでばかりで考えていなかったのは、旅路の事だけではなかった。割と肝心な、日課というか生きるための努力すら忘れていたと、今になって継実は思い出す。
「……まぁ、海藻が落ちてるぐらいだし、魚の死骸とか貝とか落ちてるでしょ」
「そうですね、もぐもぐ……これ硬いなぁ」
ミドリは頭に乗せた海藻を一人で齧り、三分の一ほど食べたところでモモと継実に渡してくる。モモは食べられないからいらないと断ったので、残りは継実とミドリでまた分け合う。お腹に食べ物を入れておけば、少しは身体の調子も良くなる。
それじゃあそろそろ遊びは終わりにして、真面目に考えたり生きようとしたりしましょうか……そう思いながら、継実は砂浜に流れ着いた食べ物がないか探すべく歩き出そうとした。
そんな時である。
「そこのお嬢さん方。お困りかい?」
足下から唐突に、そんな声を掛けられたのは。




