南海渡航03
ざざーん、ざざーん。
波の押し寄せる音が、辺りに響いていた。燦々と降り注ぐ日差しが、春の砂浜を暑くしていく。
その程々熱い砂浜に、足が六本とお尻が三つ生えていた。
……無論砂浜というのは、足やら尻やらが生えている地域ではない。というかそんな地域はこの地球に存在していない。しかし今、この場に足と尻が生えているのは事実。ちなみにお尻は布一つ纏っていないのでぷりんっと剥き出しだが、あまりにもシュールな光景故に色香など感じないだろう。というかちょっと不気味。
一体これはなんなのか。
その答えは生えている足及び尻こと、有栖川継実とモモとミドリが知っている。
「……………ぶはぁ!」
「ぼはぁ!」
継実とモモが、自力で頭から突っ込んでいた砂の中から這い出す。七年前の身なら割と窒息で死んでいたかも知れないシチュエーションだが、今の継実達の身体能力ならば造作もない事。二人よりも遅れてではあるが、ミドリもじたばたしながらどうにかこうにか砂から這い出した。
継実達は揃って頭をぶるぶると振り、ぼけーっとしながら海を眺める。水面は静かに揺れ動き、押し寄せる度にざざーんと爽やかな音を鳴らすだけ。
継実は全てをやりきったような、清々しい笑みを浮かべる。努力はした、頑張って私は南の島を目指した……そう言わんばかりに。
此処が南の国なら、その顔も意味のあるものだったのに。
「いや、何清々しい顔してんのよ。まだ一回目じゃない」
モモはそう言うと継実の首根っこをがしりと掴む。継実の体重は四十キロ以上あるが、雷撃以上の出力を出せるモモからすれば軽いもの。ひょいっと持ち上げられてしまう。
「え、ちょまっ」
「もう一度行って、攻略法見付けてきなさいよー」
「いや、なんで私が!? モモが行けば」
「だって私ろくに空飛べないし。じゃあ後は頼んだわ、よっ!」
継実の抗議を無視して、モモは継実を海目掛けてぶん投げた。
弾丸のような速さで投げ飛ばされた継実は、一瞬で大海原へ。ふらふらしながらも体勢を立て直し、継実は両腕を広げて飛行体勢へと移った
直後、海面から跳び出した『ヒラメ』が継実の腹を打つ。
「げぼっ!? こ、んにゃろ――――」
腹からの衝撃に耐えつつも、継実はヒラメを捕まえてやろうと腕を伸ばした、が、ヒラメもそう簡単には捕まらない。
継実の身体を砂状に分解しながら直進し、あっという間にその身を貫通したのだから。
これがヒラメの能力。触れたものを細かな粒に分解してしまうのだ。分解したものは律儀に食べているのか、ヒラメの口周りは粒になった継実の肉片で汚れている。
「ちっ!」
腹を食い破られた継実であるが、この程度なら問題ない。むしろコイツを昼飯にしてやるとばかりにくるりと身を翻し、大空を舞うヒラメを捕まえるべく腕を伸ばす。
そうして向けた背中側から、今度は小魚――――シロギスの大群がたくさん跳び出した。それも継実の頭、しかも髪の毛を狙って。
シロギス達は継実の髪に次々と食らい付き、ぶちりと強引に千切っていく!
「いっだだだだだ!? か、髪は女の命って知らないのッ!?」
抗議の声を上げても、シロギス達は止まらない。言っても分からないなら身体で分からせてやると、継実はその手に粒子ビームの力を溜め込みながら海面を振り向いた
が、そのまま背中を押されて、今度は水面に叩き付けられる。
「ミャー! ミャー!」
継実の背中で大騒ぎする、ウミネコの力によって。
「ごぽ!? ごぽぽぽぉー!?」
海に叩き付けられ、継実はジタバタと藻掻く。息継ぎのために顔を上げようとする継実だったが、ウミネコはそうはさせまいと更に継実の背中を強く押した。このまま窒息させるつもりらしい。
無論継実の方がウミネコより圧倒的に身体が大きい。パワーでは遥かに勝り、簡単に押し退けられる……筈なのだが、上手くいかない。
背中に感じる無数の足の感触、そして頭や四肢にもずしりとのし掛かる重さ。どうやらウミネコは、群れで継実を沈めようとしているようだった。
「な……めんなゴラァ!」
ぶちりとキレた感情のまま、継実は雄叫びを上げフルパワーを発揮。粒子操作の力で海水を形成する分子の運動量、即ち熱量を一気に引き上げる!
莫大な熱により海水が蒸発し、巨大なキノコ雲が立ち昇る。魚も鳥も衝撃波で容赦なく吹っ飛ばされた。尤も誰一匹として死なず、継実から遠く離れた場所で見ているだけ。
爆発の中心点である継実も同様だ。粒子操作の力を用いて海面に立った継実は、空から水から自分を見ている小動物達をぐるりと一望。どしりと四股を踏み、力を滾らせながら睨み付ける。
「掛かってこい! お前達全員、焼き鳥と焼き魚にしてやる!」
小さな生き物達に向け、継実は一喝。
物理的衝撃を伴うほどの大声を受け、鳥や魚達はぴくりと身体を強張らせる。次いで、今までの攻勢が嘘のようにあっという間に退いていく。
……逃げていくのは継実としても望んでいた展開だが、あまりにも呆気なさ過ぎる。何かがおかしいと継実は首を傾げた。
しかし理由はすぐに分かる。
自分のすぐ後ろから、ビリビリとした殺気が来ている事に。
「……………」
継実はくるりと、後ろを振り返る。
海から一匹の魚が顔を出し、継実を見ていた。
ただの魚なら「あら可愛い。今日の夕飯ね」と継実も言うところだが、しかし此度はそうもいかない。その魚は体長三メートルあるかないかの、イタチザメなのだから。
「……えへ」
継実はとりあえず笑ってみた。敵意がない事を示すように。
イタチザメも口を大きく開けて笑ってみせた。お前美味そうだな、と言いたげに。
なんらおかしな話ではない。イタチザメは好奇心旺盛で、今まで見た事がないようなものでもとりあえず襲ってみる生き物なのだから。
七年前の世界でもそれなりに人的被害を出していた、所謂人喰い鮫である。
「ひええええええっ!?」
情けない悲鳴を上げながら、継実は海面を走る!
粒子操作により、海面の水分子を固定化。地面のように硬くする事で、継実の脚力を受け止めさせる。これにより継実は海面を、地上と変わらぬ秒速六キロほどの速さで駆ける事が出来た。
しかし海を進むイタチザメは更に速い。
水中を秒速十三キロもの速さで爆走するのだ。どうやら鼻先から出す『電気』により水分子の動きを制御し、水そのものの動きに乗る事で海中を進んでいるらしい。
つまり、それは『水を操る能力』。
「(ふぃ、フィアと同じ能力! こんなのと水辺で戦って勝てる訳ないし!)」
かつて ― と言ってもほんの数日前なのだが ― 苦戦を強いられた敵と同じ能力、しかもその能力を十全に扱える環境での遭遇に、継実も冷や汗が流れる。
しかしながら正確に言えば、イタチザメの能力はフィアと同じものではない。
フィアよりも応用力に欠ける代わりに――――より獰猛だ。
「シャァァー!」
声帯などないだろうイタチザメの、見た目の凶悪さとは釣り合わないか細い鳴き声が上がる。
合わせてイタチザメの周りに、無数の半透明な触手が生えてきた。
触手達はいずれも水で出来たもの。しかしフィアが作り出したものと違い、カクカクと動きがぎこちない。それでも正確に継実の動きを追尾し……狙いを定めるやバチバチと稲妻を放つ。
そして触手の先端が分離し、継実目掛けて射出された!
「いっ!?」
射出された触手の先端は、継実の手に命中。纏う電撃による分子結合の分解と、高速回転する触手の物理的衝撃の合わせ技により、継実の手を貫通する。
継実だって何も無防備だった訳ではない。体表面の分子結合を強化しており、ちょっとやそっとの威力では掠り傷すら負わない強度がある。だがイタチザメの繰り出した水のドリルは、これを容易く打ち破ったのだ。
ダメージの大きさでいえば、大したものじゃない。身体に穴が開いても継実の能力なら再生可能だ。しかし手を貫通する威力があるのだから……頭蓋骨をぶち抜いて、脳みそをぐちゃぐちゃに掻き回すぐらいの事は出来るだろう。脳をやられるのは流石に不味い。
そしてイタチザメは、何百本もの触手を生やし、全ての先っぽを継実に向けていた。無論構えるだけで済む筈もなく。
無数の触手弾が、逃げる継実を狙い撃つ!
「ぎゃあぁぁぁ!? ひぃいいいい!?」
悲鳴を上げて走る継実。比喩でなく全身穴だらけになりながら、頭だけはなんとか守って走り続ける。
しかしイタチザメの攻勢はまだ終わらない。いや、そもそも水触手の攻撃など本質的な問題ではないのだ。
一番の問題は、イタチザメの方が圧倒的に速い事。
このままでは追い付かれて、喰われる!
「っ! なら、これでどう!」
最早これまでと観念した継実は――――振り返るや粒子ビームを自分の足下に撃ち込んだ。
高運動量の粒子により過熱された水が、大爆発を起こす。爆発の衝撃を眼前から受けたイタチザメは僅かに減速し……進行方向と同じ向きで受けた継実は大きく加速。
その速さ、秒速十三キロにちょっと足りない程度。
イタチザメほどの速さはない。が、これで十分。少なくとも浜辺に到達するまで追い付かれなければ良いのだから。
これは間に合わないと理解したのか、イタチザメが海面で悔しそうにガチガチと顎を動かす。どうだ悔しいかと、煽りの一つでも入れたくなる継実であったが、しかしそれどころではない。
何しろ今の継実は、全力疾走の倍近い速さで飛んでいる。自分の実力以上のスピードを出していて、完璧に身体の体勢を整えられる筈もなく。
「わ、わ、わわわわ――――」
両手をバタバタさせて安定を得ようとするが、まるで効果なし。砂浜に着地した瞬間継実の足がぐきりと曲がり、
「どべっ!」
勢い余って砂浜に頭から激突。
秒速十三キロで転倒した継実は砂の爆発を起こしながら埋没。砂浜から下半身が生えているような、間抜けなオブジェクトとなってしまった。ぐたり、と身体から力が抜け、あらゆる意味で悲惨な姿を晒す。
「うーん、客観的に見るとやっぱりヤバいわね」
「ですねー」
なお、家族二人は継実を助けようともせず。
何しろこれは『二回目』の事なので、わざわざ助ける必要がない事をモモ達は知っているのだ。
「……ところで攻略法は見付かった?」
「ない」
「私投げられ損じゃん!」
砂浜から這い出した継実に告げられる、モモの冷酷な発言。憤りを露わにする継実に、ミドリが「まぁまぁ」と宥めてくる。
実際、モモを責めても仕方ない。それが現実なのだから。
「(渡る前から分かっていたけど、ここまで苛烈とはね)」
一回目のチャレンジ――――モモとミドリを引き連れて海を渡ろうとした時と、同じ原因で引き返す羽目になった。
つまり、海洋生物及び鳥類の猛攻。
個々の戦闘能力は継実からすれば大したものではない。しかし種類の豊富さ、そして何より個体数の多さにより、前進を妨げられる。それでも有象無象には変わりないので、全力を出せばなんとか蹴散らせるが……そうすると今度はサメやマグロなどの大型肉食魚が引き寄せられてくるのだ。こちらは体重的に継実達全員分を遥かに上回る大物。パワーに勝り、能力も強く、何より置かれている環境が継実にとって良くない。抗う以前の問題である。
ぎゃーぎゃー喚きながら逃げ出して、砂浜に頭から突っ込んで事なきを得る……それが精いっぱいの結果だ。
「どーしたもんかなぁー……」
天から妙案が振ってくる事を期待して呟いてみるが、なんのアイディアも浮かばず。
元々相性が悪い事は理解していたが、ここまでどうにもならないというのは想定外。小動物と大型魚のコンボにより、沖まで一キロも進めないうちに砂浜へとUターンを強いられてしまう。尤も強いられなければどんどん前に進んで、陸から離れたところで前門の虎後門の狼状態に陥り、海の藻屑となるのが目に見えていたが。
そう、此処での出来事は大海原で起きる事の序章に過ぎない。浅瀬を軽々と突破して、後戻り出来ない場所で苦戦する……それぐらいの状況でなければ、海を渡る事など出来ないのだ。
此処をなんとか突破するのではない。楽々と突破しないといけない。
しかし考えても考えても、打開策なんて浮かばない。当然だ。海洋生物達の独壇場に乗り込んで、楽々突破なんて虫が良過ぎる。
端から無謀だったのだ。海を渡って、南極まで行こうなんて。
「(何か、良い方法は……)」
それでも諦めきれなくて、継実は顰め面になりながら考えを巡らせようとした――――
「っだああああああ! 止め止め! 一旦止めぇい!」
ものの、モモの大声で思考がぷつりと途切れてしまう。
別に、あと少しで考えが浮かびそうだった、という訳ではない。しかしそれなりに集中していた時に邪魔されて、イラッと来たのは確か。
だから継実はモモをちょっと睨んだが、対するモモは何処吹く風。むしろ清々しく笑う始末で、なんとも楽しげである。こうも笑われると、苛立ちや怒りよりも疑念が募るというもの。
故に怪訝な顔をする継実に、モモは一片の曇りもない笑顔でこう告げるのだ。
「気分転換よ。折角海に来たんだし、ちょっとぐらい遊んでも罰なんて当たらないわ」




