南海渡航02
継実達の目的地は南極である。
南極は日本から見て南側に位置する大陸。だから南に真っ直ぐ進めば、やがて辿り着く。辿り着けるのだが、日本は『島国』であり、周りを海に囲まれていた。大陸や次の島までの距離に違いはあるが、何処からどう行こうと陸地で続いている場所はない。一応北海道から流氷でロシアに渡るルートを使えば、アフリカや南アメリカの南端までは『陸路』で行けるだろう……が、南極自体もどれだけ氷が張ろうとも陸続きにはならない土地だ。
つまりどんなに遠回りしたって、渡海は避けられない。ルート次第で回数は減らせるだろうが、必ず一回はやらねばならない事なのである。
「ほんと、どうしたもんかなぁ」
故に継実達は海の下までやってきて、現在こうして立ち往生を強いられている。継実はぽりぽりと自分の頭を掻きながら、目の前に広がる雄大な景色を眺めた。
海。
文明社会に浸っていた人間は忘れていただろうが、本来、海とは驚異的な隔離の力である。陸上生活に適応した生物では、数十~数百キロと続く水を渡りきる事など到底出来ない。途中で溺れるか、或いは食べ物が得られなくて死んでしまう。鳥のように空を自由に飛べるか、流木一つでもなんとか乗っていられる小さな虫でもない限り、越える事など叶わない境界線なのである。
隔離は何も悪い事ではない。オーストラリアが有袋類の楽園なのは、海により大陸から有胎盤類が移入してこなかったためである。小さな島に固有種が多いのは、海により大陸の個体群との交雑が妨げられ、独自の変異を遂げた遺伝子が残りやすいからだ。更に伝染病の移動も防ぐため、複数の島に分布する生物からすれば絶滅を回避する防壁にもなる。
母なる海という言葉があるが、それは単に生物の起源が誕生したというだけには留まらない。様々な種を、多様な形質を生み出す原動力でもあるのだ。地球という星がこんなにも賑やかなのは、海のお陰だといっても過言ではない。
雄大にして強大なる、星の力。
「どうします? 走っていきますか?」
そんな星の力を、異星人は自らの身体能力一つで越えようと提案する。
七年前なら何を馬鹿なと一蹴する意見であるが……今の継実達なら、問題ない。
ミュータントとなった彼女達の力は、星の力さえも凌駕するのだから。
「んー。まぁ、やってやれない事はないわよね。継実は空を飛べるし、私も毛の表面張力で浮かべるし」
「あ。そこは電磁誘導とかじゃないんですね」
「確かに電気はパワフルだけど、疲れるのよ。毛でぷかぷか浮いて、しゃかしゃか走る方が楽だわ」
「その移動方法はなんか虫みたいで気味が悪いのですが」
「そーいうアンタはどうやって渡るつもりなのよ」
「勿論モモさんか継実さんにおんぶしてもらうつもりです。えっへん!」
人の事を気味悪いと言いながら、平然どころか偉そうに頼ろうとするミドリ。出会った時と比べて随分ふてぶてしくなったものだと、継実もモモも呆れやら親しみやらでついつい笑ってしまう。
どうやるかは兎も角として、継実達の能力ならば海を渡るぐらい造作もないのは確かだ。継実は空を音速の何倍ものスピードで飛べるし、モモも水上を易々と動ける。そしてそれを重さ数十キロの荷物を抱えながら数十分と続けられるだけのスタミナもあった。
やろうと思えば恐らく休憩なしでも南極までの海を越えられるだろうし、沖縄やインドネシアなどの島々で数度休めばより安全だ。能力的にはなんの問題もない。ミドリはモモを頼ろうとしているが、彼女だってその気になれば草原の巨大ゴミムシから逃げ続けられる程度の速力はあるのだ。足が沈む前に次の足を、という漫画みたいな方法も『現実的』に行える。嵐で荒れ狂っていたとしても、結果に違いは出ない。
自分達三人の能力なら、大海原は怖くないのだ。
……あくまでも、海だけならの話だが。
「つーかやり方はどうでも良いでしょ。どうにかしなきゃいけないのは、あっち」
そろそろ話を前に進めるために、継実は指で示しながら現実の問題を指摘する。
継実が指差した先である沖合い数キロ地点。そこでは激しい水飛沫が上がっていた。
七年前であれば、水上バイクでも爆走しているのかと考えるのが自然だろう。今でもある意味当たっている。水面付近を何か、大きなものが爆走しているのだ――――水上バイクの何十倍もの速さで。
しばらく継実達が観察していると、爆走していた何かが海上に跳び出す。少々平坦で青灰色をした五十センチ前後の、如何にも海の魚らしい見た目の身体が宙に浮かぶ。
イサキだ。本来は岩礁地帯に暮らす魚であるが、うっかり迷い込んだのか、或いはあの辺りに立派な岩礁があるのか、はたまたミュータント化によって新たな生息地を開拓したのか。
いずれにせよ明らかにミュータント化した身体能力を披露したイサキは、海中を超音速で泳ぎ回っていたであろうスピードのまま跳び出した。驚異的速さは大きなイサキの身体を空高く、一瞬で何十メートルもの高さまで至らせ、
その後を追うように海中からサメが跳び出した。
体長二メートルはあるだろうか。こちらも同じく何十メートルもの高さまで跳び上がっていく。イサキは尾ビレを振って足掻くものの、サメの方がずっと速い。
追いついたサメはそのままぱくりとイサキに噛み付き、自由落下に任せて海に落ちる。どぼーんっ、と大きな水柱が上がったきり、海は再び静寂を取り戻した。
勿論、そんな程度で今し方の光景を忘れられるほど、地上の生き物三匹は能天気ではない。
「地上がミュータントだらけな状況で、海だけ例外なんて訳がないか」
「そうよねぇ。流石にこれは無視出来ないわ」
「うーん、どうしたものでしょうか」
継実が肩を落とし、モモが頷き、ミドリが悩む。三者三様の反応を示しつつも、心は一つになっている。
現代の海を渡る上で最大の問題。それは、水生生物の存在だ。
地上の生態系がミュータントに支配されたように、海洋生態系がミュータントに乗っ取られていても何もおかしくない。むしろ当然だ。継実達の目の前に広がる静かな水面の下で、一体どんな能力が飛び交っているか分かったもんじゃない。人類文明全盛期には乱獲や海洋汚染などで相当個体数が減っている筈だが、ミュータントの逞しさと繁殖力を考えれば、恐らくこの七年でかなり数は回復しているだろう。今頃海はお魚パラダイス。ちょっと海上を進めば、何十という数の生き物と出会うに違いない。
そして大型の水生生物は大抵肉食性である。地上と違って海藻などの大型植物資源が乏しいため、どうしても肉食の方が『楽』なのだ。先程のサメのみならず、襲われていたイサキだって肉食魚。道中で彼等のような肉食性の水生生物と遭遇する可能性は、かなり高いと言わざるを得ない。そしてある程度大きな生き物なら、継実達を餌と認識して襲い掛かってくる。
襲われれば当然戦う事となるだろう。しかしそうなると問題なのは、相性だ。
地上で暮らしている継実やモモは地上に適した身体付きをしている。目のレンズ体は空気の屈折率に合わせられ、肺は空気から酸素を取り出し、手足は頑丈な大地を踏み締めるのに向いた作り。しかしながら水中ではどれも役に立たない。海中の屈折率ではろくにモノが見えないし、肺は水から酸素を取り出せない。立派な手足は液体をろくに捉えられず空回りするだけ。
水生生物は違う。彼等は当然水の中を完璧に見通せるし、水に溶け込んだ酸素を利用出来る。ヒレや流線形の体躯は水を掻き分け、猛スピードで移動するのに適したものだ。
つまり、海中では陸上生物はろくに力を発揮出来ず、対する水生生物は全力を惜しみなく出せる。
なんとも当たり前な話であるが、さて、こんな当たり前の状態で実力が『互角』の相手と戦って、果たして生き延びられるだろうか? 或いは圧倒的な格下相手にも、必ず勝てるだろうか?
Yesと答える自惚れは、もうこの世界には生き延びていないだろう。
「(下手したらイワシの群れにすら殺されかねないなぁ。ロブスターとかも強そうだし……いや、そもそも動物プランクトンが群がってきたらそれでアウトか。数が多過ぎて勝負になんない)」
想定される危険があまりに多く、そしてどれもが容易に起こり得る。海上付近や海中を渡るのはリスクが大きい、というよりもほぼ自殺行為だ。取れる手ではない。
他の手は何かないだろうか? 考えてみるが、継実の頭に浮かんだ案は一つだけ。
「あ。じゃあ空はどうですか? 継実さんなら飛べますよね?」
ミドリが提案した、大空という通路だ。
これでも『海上』を渡る事には違いないが、高度数百メートルもの高さを飛べば、魚達の興味も薄れるだろう。仮に襲われても、距離さえあればひらりと回避する事は難しくない。海面すれすれを走るよりは遥かにマシだ。
この方法の場合ミドリとモモを継実が背負う事になるが、それ自体は問題ない。ミュータントとなった継実のパワーは、その気になれば巨大なビルだって持ち上げられる。合計百キロにもならないような重さなど、負荷として計上する必要すらないだろう。
しかし。
「正直それも気が進まないなぁ」
継実は空を仰ぎながら否定的な意見を述べた。
空にも『生き物』の姿がある。
カモメだ。継実の視界内だけで十数羽が優雅に飛んでいる。独特な鳴き声は風情があるが……堂々と姿を晒し、大きな声で鳴くというのは、それだけ自分達の強さに自信があるとも言えるだろう。
実際カモメはミュータント化する前から、かなり強い生き物である。鳥としては大型故か気が強く、しかも死肉や魚類など動物質を好むためか攻撃性も強い。アシカの赤ん坊の目玉を抉り出して弱らせる、小型犬を攫うというケースもあるほどだ。そんな生物のミュータントなど、正直陸でもあまり相手にしたくない。
他にも海鳥達は数多く存在し、大空を支配している。鳥達は空を飛ぶという性質上身体が軽く、また骨も脆いため、魚やサメほどは継実達に襲い掛かってはこないだろうが……可能性はゼロではない。そして空を飛べるといっても継実はあくまで陸上生物であり、空のエキスパートである鳥達と空中戦をして勝てるとは継実自身思えなかった。
ルートとしては、海上よりはマシな程度だろう。他に案があるならこれも選びたくない。
「だからって、それ以外の方法もないんじゃない? まさか地中とは言わないわよね?」
とはいえモモが言うように、他の案など浮かばない。
地中への潜行も出来なくはないが、暗い・狭い・酸素不足というのは水中よりも陸上生物には辛い環境だ。しかも数は少ないとはいえ、地中にも生物は存在する。オケラやミミズ、ゴカイやイソメのミュータントに襲われたら為す術もないだろう。よって地中は論外である。
どれもこれも危険な道のりばかりだ。選択肢の悪さに、継実は思わず項垂れてしまう。
「あー……フィアみたいな仲間がいたらこんな悩まずに済んだのに」
「水を操るとか、水生生物としては間違いなく最強格の能力だもんね」
「あの人、つくづくインチキですねぇ……」
ぼやいたり、たらればを語ったり。うだうだしながら時間を過ごしつつも、継実は少しずつ覚悟を決めていく。
結局のところ、もうこの世界に百パーセントの安全はない。いや、人間が支配者ぶっていた時にもなかったが……今や五分の勝負が出来れば良い方だ。負け戦が当然であり、大半が勝率通りに死んでいき、故にどの生物も親の数よりずっとたくさんの子供を産む。一個体に出来るのは、よりマシな選択肢を選ぶのが限度である。
そして地中は論外、海上も相性最悪となれば、残るは空中だけ。他に候補がないのだから、あとは覚悟の問題だ。
息を吸い、深く吐いて気持ちをリセット。南極目指して飛び立とうと、継実は気持ちを固めた。
「さぁ、行くよ!」
継実はモモとミドリの手を掴み、二人を連れて大空へと飛び出す。モモ達も既に覚悟を決めたのか、異論を出さず継実に従う。
そして三人は大空を駆けた。
この先にある、南の島を目指して――――




