旅人来たれり01
どーん、どーん、どーん。
キラキラと光り輝く初夏の朝日の中、大きな爆発音が草原に轟いていた。
爆発は白い煙となって広がり、衝撃波を撒き散らす。規模は半径数メートル程度の小さなものだが……観測手段があれば、その爆炎の持つエネルギーが小規模な核爆弾並であると分かるだろう。
直撃を受ければ並の生物なら跡形もなくなる。ましてや連発してきたなら、どんな頑強な建物に逃げ込んでも意味がない。文明の力では抗えず、為す術もなく滅ぼされるのみ。
そんな破滅的な力を発するのは、体長一メートルはあろうかというイノシシ。
そしてそのイノシシの攻撃から逃げているのは、緑色の髪を靡かせている如何にもか弱そうな少女――――ミドリであった。
「ひぃいいいいいっ!? ぴぃやぁ!?」
悲鳴を上げ、爆発が起きる度に飛び跳ねながら、ミドリは音よりも何倍も速く草原を駆け抜ける。かつては葉で包まれていた身体を今は胸と股しか隠せていない毛皮で包み、がむしゃらに手足を動かしていた。大きな胸が手足を振る度に揺れ動く。尤も超音速で跳ねるそれに色香を感じるモノなどいないだろうが。
爆発は彼女のすぐ傍でも起こり、普通の人間なら粉々に砕けるような衝撃を与えてくる。されどミドリの身体にとってはちょっと表皮が震える程度の威力だ。直撃しない限り、脅威ではない。
しかし状況は決して良くなかった。
七年前ならば圧倒的なスピードである超音速走行も、今ではちょっと素早い程度。例えばミドリの後ろにいるイノシシは大地を蹴る度に先の『核弾頭級爆発』を足下で起こし、自らの身体を音速以上の速さで押し出していた。爆発による加速なので直線的であるが、そのスピードはミドリを大きく上回る。ミドリは右へ左へうろうろと動く事でこれをどうにか避けていたが、何時までも続けられるものではあるまい。
何よりイノシシ自身に、何時までも続けるつもりがない。
「ブモッ! モッ!」
イノシシが短く吠えた、瞬間、その鼻の穴から二つの白い何かが飛ぶ。
それは空気の塊だった。ただし凄まじい密度に圧縮され、プラズマ化しているが。
これが核爆発並の威力を有した爆風、或いはイノシシの身体を加速している爆発の正体。プラズマは莫大な熱により接触した物体を加熱・気化させ、急激な膨張という形で爆発を起こしているのだ。
イノシシは今までこれを撃ち出してミドリを攻撃していた。しかし此度撃ったものはミドリの身体ではなく足下狙い。ミドリ本体を狙った時は躱されてしまった爆発も、動かない地面ならば外す事などあり得ない。
「きゃぶっ!?」
直近で起きた爆風に煽られ、ついにミドリは転んでしまう。音の速さで激しく地面を転がるミドリだったが、こんなものでは怪我などしない。
しかし、これまでにない速さで直進してくるイノシシの一撃はどうだろう?
大きく開いた口の中にある、プラズマを纏った牙や歯の一撃は、果たして耐えられるのか?
ミドリにそんな自信はない。避けなければ命が危ないが、転んでしまった彼女には、直進するだけなら彼女よりもずっと速いイノシシを颯爽と回避する猶予などなかった。
このままではミドリは手痛い一撃をもらい、あの世行きだ。
野生の世界において死など有り触れていて、大半の命は劇的に終わる事などない。鳥が虫を啄む時にドラマなど生じないように、イノシシが人間を食い殺す時にも感情を掻き立てるストーリーなど始まらないのだ。死ぬ時は、呆気なく死ぬのである。
――――無論、イノシシも同じように。
「ガルアアァッ!」
「はあぁっ!」
草むらから飛び出したのは、二つの影。
モモと継実だ。今まで近くの草むらに身を隠していたのである。
モモと継実はイノシシを挟み撃ちにする形で現れた。イノシシは二人の存在に気付いたように目を見開くものの、突撃してくる二人を回避しようとはしない。
否、出来ない。
爆発による急加速は、イノシシを文字通りの猪突猛進に変えてしまった。軌道を変えるには大地を踏まねばならないが、ミドリに止めを刺そうとして最大加速で飛び出したイノシシの身体は、爆発の反動で大きく宙に浮いている。いくら四肢をばたつかせたところで、蹴るのは地面ではなく空気のみ。
回避不能に陥っていたイノシシは、モモと継実の突進を躱せず。継実達はイノシシの両肩部分に組み付いた!
継実とモモなら、単純な『怪力』では体重で勝る継実の方が上。イノシシは継実に押される形で、直進していた軌道が曲がる。イノシシは墜落と同時に横転し、モモがその下敷きとなった。
「ブ……モオオオオオォォォォッ!」
転がされたイノシシは即座に反撃に転じ、組み付いていた継実に向けて吼える。
当然ながらただの咆哮ではない。口からは声だけでなくプラズマ化した空気……青白い『炎』までもが吐かれ、継実を直撃した!
「うぐぁっ!? ぐぅううっ!」
軽く連射しただけでも凄まじい威力を秘めていたプラズマ化空気だ。大量の、そして炎に見紛うほど圧縮されたものの破壊力は、ミドリを襲ったものとは比較にならない。単純な物理的衝撃も凄まじく、継実は一気に吹き飛ばされて何百メートルも地面を転がった。
しかしこの攻撃で吹き飛ばせるのは、一方のみ。
継実はやられても、モモは未だ健在だ。
「がうっ!」
モモはイノシシの右肩に深く噛み付いた! 継実を吹き飛ばしたイノシシはすぐに振り返り、モモを炎で焼き払おうとする……が、モモの方が一手早い。
イノシシに噛み付いたモモはすかさず己が能力――――放電を始めた!
雷など比にならない電流を直に喰らい、イノシシは全身を痺れさせた。口からの炎は途絶え、びくびくと痙攣するばかり。二秒ほどでモモは電撃攻撃を止めたが、イノシシは力尽きたように倒れ伏し、もう動かない。
何しろイノシシの身体には電撃を防ぐものがろくになかったのである。如何に超生命体といえども、対策もなしに原子力発電所数百基分の電気を受けて耐えられる筈がなかった。
「……ふぅ。やったわよ継実、ミドリ! 仕留めたわ!」
「よっしゃあーっ!」
モモからの報告を聞き、何百メートルも飛ばされた継実ははしゃぐようにジャンプ。人類を超えた跳躍力でモモとイノシシの下へと戻ってくる。
イノシシの下敷きになったモモであるが、この程度ではダメージなど負わない。相性的に苦手である爆炎ですら人類が作り出した兵器程度の威力なら問題なく耐える『身体』にとって、八十キロ程度の重さがのし掛かったところでへっちゃらだ。
炎による攻撃を受けた継実も、着ていた毛皮が焦げた程度の傷しかない。粒子を操るという能力のお陰で、継実の身体は高熱には強いのである。イノシシが吐いた炎のパワーには負けたものの、怪我をするほどのものではなかった。
「はぁ、はぁ……はひぁぁ……」
そしてミドリは、全身をガタガタ震わせながらへたり込んでいる。
何処か怪我をしたのだろうか? 心配になった継実は、すぐにミドリの下へと駆け寄る。次いで継実は己の目でミドリの身体をくまなく、粒子レベルで確認。表面だけでなく内臓や血管も『目視』で看ていく。
少なくとも継実の目には、ミドリがこれといった怪我や傷を負っているようには見えなかった。
「どうしたの? 腰でも抜けた?」
「へひゃ? え、あ……は、はい。た、立てません……」
「そっか。はい、捕まって」
へたり込んでいる理由が分かったので、継実はミドリの前に手を差し出す。ミドリは一瞬躊躇いながらも、継実の手を掴む。しっかりと握り締め、一呼吸入れて身体の震えを抑えてからミドリは立ち上がった。
ミドリが自身の足で立っている事を確かめてから、継実は彼女と手を離す。ミドリはぱんぱんと両手で膝を叩いて土埃を落とし、それからほんのりと頬を赤らめる。
「あ、あの……すみません。お手数お掛けして」
「ん? 迷惑なんて掛けてないよ。ちゃんと役割通り、イノシシの気を惹いてくれたじゃない」
気遣いでもなんでもなく、継実は自分が思った事をそのまま伝える。
ミドリはただ逃げていたのではない。継実とモモが不意を突けるよう、囮になってくれていたのだ。役目を果たして胸を張るなら兎も角、迷惑を掛けたと謝るのは違うだろう。
優しさも何もない筈の言葉を、ミドリはどう思ったのか。こくり、と頷いたミドリは、ちょっと恥ずかしそうに手足をもじもじさせた。
「ねぇーねぇー。早く食べましょうよーハエとか寄って来てるしさぁー」
そんな『文明的』なやり取りは、お腹を空かせた野犬には興味もないようで。
そしてお腹を空かせたサルと宇宙人にとっても、同じだった。
「そんな事よりご飯にしましょ。早くしないと、モモが言うように虫に先を越されちゃう」
「……はいっ!」
元気よく返事をし、ミドリと継実は早歩きでモモの下へと向かう。
モモは既に獲物の解体を始めていて、腸が引きずり出されていた。ついでに、我慢出来なかったのかその内臓を生のまま貪り食っている。腹を引き裂いたであろう爪がある手は血糊でべたべたに汚れ、口許には血のみならず肉片まで付いている有り様。
あまりにもスプラッタな姿であるが、継実にとっては七年間見慣れてきたもの。今更怖がる事もない。
そしてミドリにとっても同じだ。
「あー、また先に食べてるー」
「? だってお腹空いてたし」
「食事は家族みんなで、一緒に食べましょうよ。他の星の知的生命体でも、大半は家族や友人と共にする食事を大切にするものです」
「他所は他所。うちはうち」
「もぉ! 知能があるのだから、もっと文明的になりましょうよー……もぐもぐ」
文句を言いながら、しかし生の内臓を手掴みし、そのまま口に運んで食べ始めるミドリ。手と口許はすぐにモモと同じ色合いに染まった。
食事姿に文明や知性は微塵もない。これぞ正しく『畜生』だなと思いながら、されど継実はつい笑ってしまう。
ミドリと出会ってから、早四十日。
新しい家族との生活がすっかり日常になったのだと、今更ながら実感出来たのだから。




