押し付けた縁は続かぬ
婚約の裏話に入ります。
なぜ王家筆頭の侯爵家と弱小名ばかり伯爵家の婚約が結ばれたのか。
《王子殿下、貴族子息らを惑わす御令嬢は魅了の魔法を使っていた。》
然り。
《彼らに意識はなく、責任を問うのは難しいのではないか。》
然り。
『それではかの御令嬢の思惑はなんだったのか。』
都合の良い婚約者を手に入れること?
容姿も家柄もよい男たちにもてはやされること?
高位貴族への復讐?
興味本位?
否。
術の被験者たちからの事情聴取によれば御令嬢への恋愛感情は見受けられなかった。誰も彼も術の心地良さから抜けられなかったと証言している。
便宜上、魅了の魔法と表現したが、そうではないことは明らかだった。かの魔術は相手を自分の意図へ誘導する、即ち服従の呪文であった。存在はしているが禁術であり、資料を保管しているのは王族くらい。一介の令嬢が手を出せるわけがない。
と、なれば自ずと結論は変わってくる。
そう。
《かの令嬢は隣国からの刺客だった》
と考える方がしっくりくるのだ。
♢♢♢
我が国は一方を海に、三方を異なる国に囲われている。歴史を遡ると小競り合いは度々あるが、先の大戦以来平穏を保ってきた。しかし、ここ10数年、きな臭い動きがちらほら伺える。即開戦ということにはならないであろうが、着々と工作活動が続いていることは明白だった。
彼らの狙いは肥沃な領土である。雨量の減少、森林伐採などにより、干ばつが起こり砂漠化が進行しつつある。難民も増加していた。
今こそ国が一丸となる必要があった。
王家の威信を示し、更なる求心力を得るためにはどうすればいいか。
宰相として、力を示せねば。
各領地は災害や天候による不作で自領の生活を確保するので精一杯だ。中央で何かやってもそんな余裕はない。
そこで注目をしたのが伯爵とは名ばかりの弱小一家であった。豊かな農地が多く、多種多様な食物の栽培に優れている。何度か見舞われた大災害でも領内で乗り切り、死者を出さなかった唯一の領地。他国とは距離があり、攻め込まれる心配がない。避難地としても食糧庫としてももってこいだ。代々大した野心もなく、領地第一の信条を持つ点もちょうどよかった。
だからこそ、王家筆頭の武に優れた侯爵家と弱小伯爵家の婚約が交わされたのだ。別に陛下に説明して、王命を使ったわけではない。侯爵家に内密に伯爵家のご令嬢を進めただけだ。侯爵家は別にとりわけ縁組したい家があるわけではなかった。王家に少し恩を売っといてもいいか程度の考えで伯爵家に婚約の打診をした。折り合いが悪ければ話をなかったことにすればいい。ただそれだけだった。
いきなり名もない伯爵家を重用したところで上手くいかないのが関の山だ。他の貴族の反発で潰される。幸いなことにかの伯爵家には器量の良い娘がいた。見目はいいし、頭も悪くはない。娘が気に入りそうな婿を用意すればいい。公爵の息子か、伯爵の息子か。いや、氷の貴公子と呼ばれ社交界を賑わせた侯爵にも息子がいたな。大変優秀だと評判もいい。当人たちが好意を持てば胡散臭く思う伯爵も抵抗はしづらいであろう。
侯爵家とつながりを持てば、周りの貴族もむげには出来まい。侯爵家に恩を売るためにも伯爵家を持ち上げる家も出てくる。
政策は順調に進んでいた。物価が異なることを利用して王都の物価としては安く買い上げる。不作により首が回らない領地への救援物資の支給。緊急事態において近隣領地ではなく王都に助けを求めるように。じわりじわりと中央集権体制になるように体制を変えていく。
いざという時の備蓄を運搬するための街道も幾つか整備できた。これは伯爵家の手腕であり王家は一切関与していない。成果を上げられるかもわからないところに出す費用はないからな。食料を高値で買い上げることで生産量自体も増加した。不作時のノウハウも若干ではあるが、聞き出すことに成功した。
一時の危機が過ぎれば余裕も出てきた。質の良い食料の売買が盛んになることで、貴族も動き出す。王都への荷馬車も増え、思惑通りに中枢への意識を高めることになった。流通が増えれば、こちらの手の者を送り出す確率が上がる。方々に飛ばした子飼により、その領地ごとの状況を詳細に得られるようになった。
優れた領には褒賞を、賄賂に塗れた領地を取り締まりサポートとして身内を引き入れ、借金で首が回らない領地には低金利で出資した。各領地を透明化させることで、味方を増やし、監視の役割を果たし、恩を売る。多少の支出の多さに目を瞑れるくらいには、民意を上手く操るための投資としては惜しくはなかった。
とても上手くいっていた。
中央集権体制が整いつつあった。
想像よりもかの伯爵家の者たちは有能だった。
思わずほくそ笑んで、重鎮としての椅子を用意しようと考えるくらいには気分が良かった。利用するだけにしては口惜しい。
周辺国がきな臭い中、このまま行けばどうにか乗り切れると高を括っていたのに。
そのために交わした密約だってある。
若者どもがやらかした。役に立たない奴らめ。
此度の事案は、他国の工作活動が失敗として表に出たものであった。問題はどこの国であるか。早めに探らなくてはいけない。ただの御令嬢がやらかしたこととして処理をしたため、裏を知っているものは少ない。
狙われたのは侯爵令息と伯爵令嬢の婚約破棄だったのだ。
大まかな体制は整いつつあるとはいえ、今伯爵家に抜けられるわけにはいかない。伯爵家自体に与する貴族が出始めているのに離反させるなんて。
たかが子息の失態レベルだ。それでもまだ傍観するつもりだった。刺客がもっと失態を犯して、外交問題の切り札となるまでは静観する姿勢を保っていた。
辺境伯が動き出さなければ、息子たちも殿下さえも利用し尽くす心算であったのに。よりにもよってミルティアか。唯一王家と同等の歴史と力を持った一族。せっかく中央に実権を集められていたのに、地方に渡すなどできるはずがない。許すはずがない。幸い、伯爵家は分からないが、侯爵家には察しているだろう。この婚約をやめるわけがない。それに婚約解消には王家の許可がいる。
慌てて密偵を送り、令嬢を秘密裏に処理した。都合の悪いことを全て消し去って。
これで打つ手はなくなるだろう。
全ては我が国の未来のために。
そして、我が家の繁栄のために。