相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ
主人公視点に戻ります。
まあ嫌だと思っても婚約を断る術を持たないのである。
『調査結果は以上である。
科は術師にあるものとし、被験者は負わないものとする。かの者たちはこれからの態度で汚名を返上し、名誉挽回することを期待する。』
国王の会見の最後の言葉だ。
"大事"にならないように"敢えて"みな元鞘に戻った。国王からの調査報告はその念押しだった。暗黙の了解として、その話題を出さないようにしているのに蒸し返すなど出来るわけがない。
婚約解消した1組は別である。あそこは自他共に認める不仲さだった。誰も皆仕方ないと思うだろう。
後々考えてみればあの婚約解消も一種のパフォーマンスだったに違いない。話題がそちらに移るように、と。フリーになった彼らの求婚劇もまるで御伽噺のようだった。
そもそもこちらは弱小伯爵家ですから。
その前提を抜きにしても言い出せるわけないのだ。
借金はないとはいえ、ただ広い農地が広がるばかりの我が領地。彼の家と婚約を結んだことで領内の特産品を交易する伝手を得た。上流階級は繋がりが命だ。どんなに良いものができても、交流が出来なければ意味がない。それまでは領内で生産をして、余った物は備蓄として買い上げていたがそれ以上の利益は得られなかった。
侯爵家と繋がりを持てる家として付き合いも増えたおかげもあり、交易できる物は今や食料だけには留まらない。馬車として、また良質であれば軍馬として利用できる馬の出荷ルートも確立できた。街道が整備されたおかげで王都への寄り道として、交易の馬車が休む拠点にもなった。チーズは王都のコンペティションで優秀賞を獲得し、受注が一気に指数関数的に跳ね上がった。
その日暮らしをしていた領民が、今では休みにはお出掛けができるようになった。嗜好品を楽しめるようになった。領内のお祭りでは華やかな衣装が流行るようになった。経済効果は計り知れない。
これは、この婚約の恩恵だ。
領主の娘が婚約者に虐げられたくらいでは有り余ってしまう。それがわかっているから、他の可能性など関係ないのだ。
領主の家は街を見下ろせる高台にある。眼下に広がる一面の灯りを見て、笑みが漏れた。数年前までその灯りは蛍よりも淡かったのだから。
今日の出来事を思い出す。
「我儘を聞いてほしいのです。」
私はお父様に頼みこんだ。辺境伯の御子息へのお断りは直接させてほしいと。非常識だとは理解している。相手にも迷惑をかけるかもしれない。しかし、もう一目見ておきたかった。渋い顔をしながら最終的には父も受け入れてくれた。
半刻にも満たない時間。
とても楽しくて、嬉しくて、そしてちょっぴり切なくて、キラキラしていた。
最後に切り出した言葉を彼は優しい顔で受け留めた。言う前からわかっていたと言わんばかりの反応に、感謝を告げようとした口が震えた。
ああ、自覚をしてしまった。
だめだ、だめだと言い聞かせながら落ちてしまった言葉。あの人に何度も紡いだはずの2文字は、いつになく特別な色を持っていた。
「 」
困った笑み。それはあの婚約者と同じようで全く違った。目には蕩けるような甘さがあった。腕を引かれて抱き締められる。離れなきゃいけないことはわかっていても、離れ難かった。温かくて、想像よりも筋肉質で、あの人よりは硬くはないけれど、初めて背中まで回った腕にキラキラが弾けた。視界が緩む。何もかもが眩く見えた。多分これが幸せだというべきものだろう。
たった数分。されど数分。
腕から放たれた私たちは違う馬車に乗り込んだ。もう、会うことはない。会ったとしても同じ道を歩くことはない。だって迷惑をかけるわけにはいかないのだ。しかし、感じたのは悲しみだけではなかった。
「「さようなら。」」
小さく手を振った私は久しぶりに心からの笑顔を向けた。
次回は少し遡って辺境伯との出会いから別れまで。
 




