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立場が逆転して獣人に奴隷にされた人間の末路

作者: 山田 六十

 古来、人間と獣人は互いを助け合うパートナーとして共に生きていた。手先が器用な人間は様々な道具を作り、力と体力に優れた獣人は狩猟や住処の護衛等、それぞれの役割を対価として互いに対等な関係を築いていた。


 しかしある程度文明も進んだ事で、獣人がいなくとも住居への危険も減り、食料も安定した供給が成されるようになった事で、獣人達の立場は対等とは言えなくなってきた。代わりに優れた体力を別の形で支払うようになる。製造における力仕事などが主だ。しかしそれにより、指示をする人間とそれに従う獣人という構図がいつの間にか当たり前のようになっていき、いつしか獣人は人間よりも立場が弱くなっていた。


 上流階級の中には奴隷として個人的に獣人を所有するような者まで出始め、獣人の立場がたちまち低くなっていく。しかしある時、獣人達はふとしたことに気が付いた。


 自分たちの方が強くね?


 きっかけはとある貴族に仕えていた獣人が反乱を起こした事であった。人間を遥かに超える強靭な肉体の前には、武器を持った多数の人間が相手であってもなんら問題にならない圧倒的な物であった。その後各地で獣人達が人間に反旗を翻す事となる。圧倒的な武力の前に双方の立場はあっという間に逆転されてしまう。


 以降、人間は獣人達の快適な生活を支える為に働かされる事となるのであった。当然獣人の中にも人間を所有物として扱う者も現れる。レ二もそんな境遇の一人であった。




「お嬢様、朝です」


 レ二は三度、同じ文言を繰り返すと主の体を揺さぶる。そろそろ寒くなってきた時節ではあるが、彼女の体には何もかけられていない。寝相が悪く蹴っ飛ばしたという訳ではなく、獣人は人間に比べて体温が非常に高いため、よほど寒く無ければ寝る際に毛布をかけて寝ることはないからだ。通常ベッドの上に体を丸めて寝るのが殆どであり、人間が使う物に比べればその大きさは半分にも満たない。


 起きる様子もないので、何度も呼びかけながら体を揺すり続ける。人に比べて、気配や音に敏感であり、ちょっとしたことで睡眠から覚醒するというのが昔の獣人の常識であった。が、外敵の侵入を防ぐ役割もなくなり、自身たちが統治者となったことで危機感が薄れ、最近では人間とそう変わらない者が多い。無論、非常時ともなればまた別であるのだが。


「くぁ……。おはよう。レニ」


 暫く揺すり続けて、ようやく主は目を覚ました。大きくあくびをすると口の中の犬歯がこれでもかと主張する。金色の毛並みで覆われた右の獣耳じゅうじを数回はためかせ、灰色の眼をレニに向けた。主の覚醒を確認するとレニは背筋を伸ばして挨拶を交わす。


 彼女の名は、テリアン・ヨーキ・フォクシリア。町を統治する貴族の次女だ。レニは彼女の奴隷として屋敷に召し使えられていた。テリアンはベッドから降りると体を上から流れるように振るわせる。彼女の綺麗な金色の毛が揺れる。まるで空気を含ませたように全体がふっくらと膨らんだ。


「今日も時間通りね。えらいえらい」


 子供に言い聞かせるように言うと、彼女は寝間着を脱ぎ捨てながら部屋の隅にある化粧台へ向かい腰を掛けた。その間にレニは部屋のカーテンと窓を開けて空気の入れ替えをする。テリアンが降りたベッドを軽く整えているとお呼びの声がかかる。


「レニー、つくろってー」

「はい。ただいま」


 脱ぎ捨てられた寝間着を拾い上げつつ、彼女の背後へと回る。ブラシを片手に、彼女の体全体を撫でるようにとかしていく。毎朝彼女の毛並みを整えるのはレニの日課だ、親指が退化している獣人達は道具を扱う作業には不向きな為、そういった作業の多くは人間に任せることが多い。無論獣人に持ちやすい構造をした道具も存在はするが、やはり長年の種族間に染み付いた得手不得手の差は大きく、彼女のように人間を付き従えるような立場の大きいものは、自分でやることは基本的に少ない。


 テリアンは気持ちよさそうに目を細めて、レニに身を委ねている。フワフワできめ細やかな毛並みがクシの間を通っていく。季節柄、抜け替わりの時期である為、何度かくしに絡まった抜け毛を処理しつつも、丁寧に彼女の体を整えていく。


「失礼します」


 一言声を掛けると、最後の尻尾を持ち上げて優しくクシを通していく。最後に全体を軽く整えて、朝の毛繕いは終了した。


「やっぱり、レニってつくろうの上手よねー」

「ありがとうございます」

「特に尻尾! 下手くそな奴がやるとスッゴイ痛いのよねー! 引っこ抜く気かって位」


 尻尾は人間には付いてない部位なだけに、扱う人間によってかなり差が出るらしく、獣人達の間ではそこで技術を計る目安としているというのはよく聞く話であった。なのでレニ自身も、尻尾の部分を扱うときはかなり慎重に扱う。多少失敗したからといって、罰を与えられる訳ではないのだが、咄嗟の痛みを受けた際の甲高い獣人の声は非常に罪悪感が覚える為、精神的にもあまり気持ちの良いものではないのだ。


「ふふーん。本当にアンタは良い子だわー。特別に撫でることを許してあげる」


 そう言うとテリアンは振り返って頭を下げた。獣人が人間に体を撫でさせるのは褒美の一つであり、仕えている人間にとっては栄誉な事である。実際は人間側にそう思っている者はほぼ皆無であり、立場の逆転が起きた際に獣人の貴族が勝手に作った慣習である。


 レニはゆっくりと彼女の頭に掌をのせると、両手で頭頂部から頬までを撫でまわす。テリアンは嬉しそうにうっとりと目を細めつつ、尻尾を気分よくはためかせた。本来、人間が獣人の体を撫でるのは古来から伝わってきた友好のコミュニケーションであり、仕事を行った獣人に対して人間が礼を示すために行うものであった。長年その扱いを受けてきた獣人は、人間に撫でられることで脳内から幸福物質が分泌され多幸感に包まれる様になっていた。要は自分達が撫でてほしいだけなのである。


「お嬢様、そろそろお時間ですよ」

「ん~。もうちょっと撫でてもいいのよ?」

「非常に光栄な話ですが、もう朝食ができあがりますので」


 暫く撫でまわした後、レニは切りの良い所でそう提案する。テリアンは未だに撫でてほしそうであったが、「特別に撫でさせてやってる」という体裁である為か、自分から強く継続を指示出来ないでいた。実際、気の済むまでやらせるとなるとかなりの時間を要するうえに、撫でてる方も腕が疲れてしまう為、そういった時間の調整も彼の仕事であった。


 しぶしぶ、といった様子で納得するテリアンに服を着せていく。多くの獣人が着る服は人間の物に比べると非常に簡素である。基本的に季節ごとに生え変わる毛皮で適正な体温調整が行える彼らにとっては、服などは本来そこまで重要なものではないからだ。人間で言う所の下着程度の物しか身に着けないのが基本であった。以前の統治者であった人間を真似て服を着こむことが、権力の象徴とする者も居たが、大半は「暑い」「動き辛い」「爪が引っかかる」など様々な理由から、早々に廃れていった。




 肉を中心とした朝食をテリアンは幸せそうな顔で食べている。レニは後ろで彼女の食事風景を眺めていた。奥には彼女の父が座っており、同じように朝食を豪快に片づけていく。人間の貴族とは違い、優雅なテーブルマナー等は存在せず、豪快な食事風景だ。これも衣服と同じように最初は真似をしていたのだが「面倒」という単純な理由で一瞬でないものとされた。その後ろにはレニと同じく屋敷に仕えている人間の女性が立っている。彼女はレニがこの屋敷に来る前から仕えている古参の奴隷であり、テリアンの祖父の代から仕えている。屋敷の人間のまとめ役といった所だ。


 他にも、母、姉弟の後ろにはそれぞれ専属の人間が控えている。フォクシリア家のような大きく力のある一族だと、各自に専用の人間を傍仕えに置くことは珍しくない。テリアンの妹である、チワンヌの口元が汚れているのを見ると、彼女の奴隷である人間が口元を拭った。


「ロイは気がきくなー。撫でてもいいよ」

「これチーヌ、食事中だぞ」

「えー、でもちゃんと良くしてくれたご褒美を……」

「そんなのは後でよかろう」


 チワンヌはつまらなそうに小さく唸る。ロイは咎められるのが分かっていたのか、彼女の申し出には応じなかった。そんな彼の考えを理解したのか、チワンヌは得意げな顔で語り出した。


「でもロイってすっごい気遣いできるんだよね。この前なんかさ――」

「あらあら、それでしたらわたくしのボブなんてとっても器用ですのよ」

「母様、私のレニなんて、つくろいがとても上手です。他の方にさせる気は毛頭ありませんけど」 

「ハッハッハ! 残念だがそれならばエダには敵わないよ。何といっても年季が違う」


 それを皮切りに、自分達の専属の自慢合戦が開始される。人間を仕えさせることは、獣人達の間でステータスとなっており、互いに自慢しあう事は珍しくない光景だ。特にフォクシリア家では毎食の様にこういう光景が散見される。それぞれが自分の所持する奴隷が一番だと信じて疑わないのは、人間を所有している獣人の殆どが考えている事であったが、貴族である為そう言った自負も人一倍に強い。


 テリアンが得意げに自分の長所を大げさに語る姿を眺めなら朝の交流は終了した。




 主の食事を見届け、自分の朝食を済ませた後、レニはテリアンの部屋へと向かう。ノックをして許しを経ると、ドアノブを下げて中へと入る。彼女はベッドで丸くなっているようであった。


「レニ。そこに座って」


 レニをベッドに胡坐をかかせて座らせると、テリアンはその上に座って体を寄せる。鼻先を彼の首元に擦り付けながら目を細める。思わず体を撫でてしまいそうになるが、建前上許しを得ないで撫でるのは礼を欠くという事になってしまう為グッと堪える。基本的に彼らの取り決めた礼儀は名目上という物が多い。しかし貴族としては、ある程度人間より立場が上だという事を周りに示さなければならない為、他の人間持ちよりそういったルールには厳しい。


 今は彼女の部屋の中であり、他人の目を気にする必要もないのだが、普段から行っていると他人の前でも、うっかりとやってしまう可能性がある為、常日頃から意識した行動が重要なのである。そんな彼の思いも気にせずテリアンは体をこすりつけて満足げな表情であった。暫くて満足したのか、本棚から一冊の本を取り出すとレニを座椅子代わりに読みだした。


 書物の各ページの端には小さい穴が開いており、そこに爪を引っ掛けて捲る様にできている。だが、テリアンはあえてレニに持たせて彼に捲らせていた。爪で捲ってしまうと紙に傷がつくという理由だが、単に彼女が甘えたいだけだというのをレニは知っていた。こうやって彼女と共に本を読むことは、幼い頃からの日課であったが、まだ器用に指先を動かせなかった幼い彼女がレニに捲らせ、それが今でも習慣付いているのだ。


 内容は今流行っている大衆恋愛小説ものであり、身分違いの恋愛を主題としたよくあるものだ。レニは彼女の指示の元、手慣れた様子でページを捲っていく。彼自身はあまり興味がないので流し読みの状態であるが、テリアンは興味深く鼻をスンスン鳴らしながら真剣に文字を追っていた。


 三分の一ほどを読み終えたという所で、彼女は読むのを切り上げた。間にしおりを挟み、レニはベッド横のテーブルに本を置いた。暫く視線を彷徨わせた後、テリアンは彼の体に背を預けながら呟く。


「この本でさ、男が貴族の女の子に近寄るのを仕える人間が邪魔してるじゃない?」

「はいそうですね」


 正直流し読みでそこまで詳細な内容は覚えてはいなかったが、登場人物位は大まかに覚えている為なんとか肯定の返事をする。


「もしさー私にそんな男が寄ってきたらレニはどうする?」

「そうですね……」

「やっぱり身分違いだー! って相手をボッコボコにするのかしら?」


 実際は人間が獣人相手にそんな事できるわけもないのだが、彼女は期待する様な目でレニを見つめる。恐らく彼の忠誠心を試しているのだろう。彼女の期待通りの発言をしないと暫く機嫌を損ねて拗ねてしまうのでレニは少し頭を巡らす。


「そうですね。やはりお嬢様に相応しくないと判断すれば、暴力を振るわないまでも反対はしますね」

「ん~、そっかそっか。レニは優しいからね。うふふ、でもやっぱり反対なんだね」


 何がそんなに嬉しいのか、テリアンは愉快そうに彼の頬に鼻を擦りつける。


「じゃあさじゃあさ、私がそいつの事を好きだって言ったらどうする」


 今度は難しい質問だ。流石に個人の意思が絡むともなれば尊重するべきではあるが、彼女の立場を考えれば家の為に否定するべきともとれる。しかし、いざというときに力になることを望んでいるのならば、やはり肯定するべきであろうか? 先ほどより長く考えていると彼女は楽しそうに笑いだした。


「冗談。冗談。そんなに真面目に考えなくてもいいのに」

「はぁ」

「そんなに眉寄せちゃって。ご主人様が取られる所想像して嫉妬しちゃったの? かぁいいなぁ」


 そういって満足げに自分の頭を彼の首にこすりつけた。実際は違うのだが、主が満足そうなので余計な口は挟まなかった。




「レニ! お散歩行きましょ! お散歩!」


 昼食を終えて暫くたっての事だ、テリアンはレニの手を引きながら、屋敷の外へと連れ出そうとしていた。基本的に奴隷は許可なく外出をすることを許されていない。所有者が体調管理も兼ねて定期的に外へ連れだすのが一般的だ。


「やっぱり飼い主としては、ちゃんと面倒見なきゃいけないからねー。いやー大変だわー」


 そう言いながらもテリアンの尻尾は激しく左右への往復を繰り返していた。もはや説明するべきことでもないが、結局の所自分が行きたいだけなのだ。スキップ混じりな主人に手を引かれながらレニは抵抗することなく外へと連れ出されていく。女性といえど獣人である以上、腕力では到底かなわない為、抵抗などはそもそも無意味なのだが。


「ほら、ちゃんとご主人様の跡を付いてくるのよ」


 彼女とレニの片腕には革のバンドが付けられており、そこから垂れ下がった紐を引きながら一歩前をテリアンは歩いていく。見かけによらず力強い引きに遅れないようにと彼も少し足早に付いて行く。興奮気味の獣人に急ぐように手を引かれると、かなり腕に負荷がかかる。なので遅れないようについて行くのはなかなか気が抜けないのだ。当初は人間が獣人に行っていたように首輪に紐を繋いでいたのだが「さすがに可哀想」という事で、使用する獣人は少ない。逆に人間が余計な怪我しないよう考慮して自身に首輪つけて人間に紐を持たせるという本末転倒な事をする獣人もいる。


 気分よく街中を歩いていくテリアンに、街の住人達は矢継ぎ早に挨拶を交わす。一応はこの街を治めている一家の長女である為、彼女の影響力はとても強い。他愛もない世間話から最近の近況などを交えながら、出会う人々と挨拶を交わしていく。その中に必ずと言っていいほどレニの自慢話が挟まれていた。それに対して街の人々も口々にレニを褒めたたえる。他人への所有する奴隷の評価など基本的には社交辞令みたいな物なのだが、彼女は非常に満足気な表情であった。


 そんなことを繰り返しながら暫く街中を歩いていると、一組の獣人の少女と人間の少年をテリアンは目にした。少年の手には革で作られた掌大のボールが握られていた。少女は少年を急かす様に尻尾をはためかせ右手のボールを見つめていた。少年は勢いよくボールを投げるとそれを追いかけて、もの凄い勢いで飛んでいくボールを追いかけていく。人間には到底出せないスピードで駆けていくと、ボールが地面に付く寸前に掬い上げ、その勢いのまま少年の元へと持ち帰ってくる。


 あれはトッティーコと呼ばれる子獣人の間で流行っている遊びだ。投げられた物体を如何に速く拾い上げ、元の位置に持ってこれるかを競うものである。大人の獣人になると小動物を狩るのだが、その前段階の様なものである。少女はボールを投げた少年を褒めたたえると、自身の頭を撫でさせた。良い投げ方だったという事なのだが、人間的にはどう良かったのかはイマイチ分からない。ただ撫でてほしいだけであろう。


「懐かしいわねー」


 二人のやり取りを見ながらテリアンはそう呟く。彼女も、まだ幼き頃にああしてレニとよく遊んでいたのを懐かしんでいるのだろう。投げたボールを得意気な顔で拾ってきた彼女が、満足気な顔で自分に良く頭を撫でさせていた事をレニも思い出す。


 少女達のやり取りを暫く眺めたあと、再度二人は歩き出す。途中で屋台を見つけると彼女は空腹だったのか、臭いにつられてそちらへと足を向けていく。興味深そうに覗き込み、売り子の者と会話を交わすテリアン。レニはその様子を後ろで眺めながら待っていた。


 その時一人の獣人の男がぶつかってくる。男はレニを確認すると不愉快そうな顔を露わにして突き飛ばした。実際はそこまで力を入れていない様であったが、人間にとってはかなりの力に感じられ、思わず地面に倒れ込んでしまう。


「人間のオスがボーっと突っ立てるんじゃねぇよ!」

「レニ! どうしたの?」


 レニが倒れた事で腕が引っ張られ、即座にテリアンが駆け寄ってきた。


「アンタも飼い主なら邪魔にならないようちゃんと躾を……」


 得意気に注意を促す獣人の男だがテリアンの顔を確認して、露骨に顔に焦りを見せ、言葉を詰まらせる。まさかフォクシリア家の所有する人間だとは思っていなかったのだろう。いくら獣人より立場の低い人間と言えど、貴族の所有物ともなれば話は違ってくる。テリアンは怒りを露わに男を睨みつけた。犬歯を露わに低く唸りを上げる。


「ハァ!? あなたが前方不注意なだけでしょ! 大体無意味に暴力を振るう必要なんてないじゃない」

「いや、別に暴力って程じゃ、ちょっと押しただけで……」

「ウチの所有物を悪戯に傷つけたんだから、それ相応の対応はさせて貰いますからね」

「そ、そんな……」


 暫く、言い訳を続けようとしていた男であったがテリアンの勢いに押されてすごすごと退散していく。その姿を見届けると、彼女は心配そうにレニの元へと体を寄せる。


「大丈夫!? 怪我とかしていない?」

「ちょっと倒れただけですから」


 しかし彼の右腕から血が出ているのを見てテリアンは顔を青ざめ、さらに心配そうな顔を覗かせる。倒れたときに少し擦りむいただけなのだが、彼女は泣きそうなほどに狼狽えた。


「ど、どうしよう。お医者様呼びましょうか? 立てる?」

「いやそこまでは、ちょっと擦りむいた程度で」

「そんなこと言って! 私知ってるんだからね、人間ってとってもひ弱なのよ」


 気遣うように傷口を舐めながら、レニを支えるように立ち上がる。反乱を起こした際、多くの獣人は人間のあまりの貧弱さに驚いたと言う。少し引っ掻いた程度で大怪我をする人間達を見て、自責の念に駆られた元奴隷獣人達も少なくはなかったという。あまりの圧勝ぶりに、すぐに死んでしまう貧弱な人間はなるべく丁寧に取り扱うようにと、全国的にお達しが出た程である。


 そういった事情もあり、人間を奴隷として扱う獣人達は非常に過保護な面が出ていたりする。特にテリアン達の様な、幼い頃から共に育った人間には病弱な家族を持ったかのように接する事は珍しくなかった。行き過ぎると、他の獣人には一切近寄らせないという者も居る程だ。


 逆に人間と接する機会がない獣人は、露骨なまでに興味を持たず嫌悪することも少なくない。力を持たない癖に過去に自分たちを虐げていたという事実を恨んでいる者も多かった。実際は力の差が大き過ぎる為、人間の行う暴力など彼らからすれば、じゃれているのと大差なかったという。反乱もちょっとした立場向上程度の目的であったが、生まれ持った身体能力に天地の開きがあったことで、予想以上に大規模な変革となってしまったのだった。


 レニが怪我をしたことで散歩は中止となり、大急ぎで屋敷に帰る事となった。大丈夫だと言い張る彼の発言を無視し、テリアンはかかりつけの医者を呼びつけた。実際大した怪我ではないのだが、彼女の要望もあり、大げさに包帯を巻かれる事となってしまった。


 夕飯を終えるとテリアンは自身の部屋にレニを呼び寄せた。一応、人間にも相部屋ではあるが専用の部屋を用意されているので、寝る際は別々なのだが今日は彼女の要望で一緒に寝る事となった。どうやら昼間の怪我がまだ心配なようであった。


「ねぇ痛くない? 大丈夫?」

「はい、もう平気です。お嬢様のお陰です」

「ごめんね。ごめんね。私が目を離しちゃったから」


 悲しそうにレニの顔に鼻を寄せる。一緒のベッドで床になっているが、獣人用のベッドは人間の彼にとっては短くて少々狭苦しく感じた。が、主人の気遣いを無下にはしたくなかった。彼の体にだけ毛布掛けられており、彼の体に収まる様にテリアンは体を丸めて身を寄せていた。


「いえ、私も不用心でした。人間を良く思わない方も多いと知っていたのに」

「ん? 違うのよ? 彼は別に人間が嫌いって訳じゃないの」


 思わぬ訂正にレニは少し首を傾げた。人間を嫌悪している獣人かと思っていたので、この返答は意外であった。そんな彼の困惑を察したのか、テリアンは呆れた様に口を開いた。


「彼も奴隷を持ってるのよ。それが牝なんだけど、すっごい溺愛してるって噂。言い寄られて、つがいにでもなられたら困るって、人間の雄を毛嫌いして一切近寄らせないようにしてるって話よ」


 要はウチの可愛い娘に色目を使いかねない人間の男どもはみんな敵だ。という事らしかった。しかも話を聞くと、その人間の女性の年齢は四十の後半であり、レニとは二回り以上も年が離れているという話だ。


「……今ちょっとどんな娘か気になったでしょ」

「いや、全然」

「嘘! 絶対どんな可愛い牝だろう。って思ったでしょう!」


 拗ねるようにテリアンは言う。冗談でもなく半ば本気に近い物言いだ。ある程度の人間の個体差の見分けはつくらしいが、年齢による微妙な見た目の差異を獣人は把握できないようであった。なので彼らにとっては年齢差における恋愛対象内かどうか、というのをイマイチ把握していない節がある。無論それは人間側から見た獣人も似たようなものであるが。


「言っておきますけど、何処の馬の骨かも分からない奴なんか認めませんからね」

「いえ当分はそう言った話は」


 しかしそれこそヨボヨボのお婆さんの様な人間と見合いを組まれたらどうしようかと、ちょっぴり心配に感じるレニであった。そんな不安をよそに、テリアンは昼間の詫びとして彼に撫でることを許した。体に指を這わすと彼女は気持ちよさそうに体をくねらせて、仰向けに寝転んだ。お腹を撫でるとくすぐったそうに声を出しながら、鼻を彼の首筋に寄せた。


 そうこうしているうちに、眠気が襲ってきて二人はいつしか睡魔に身を委ねていく。立場も低く自由も少ないが、彼にとってはコレが普通であり幸福な日常の一ページであった。そしてこれが獣人と立場が入れ替わった人間の行きついた末路なのであった。

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