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診療所

作者: ゆ


仕事先の先輩に勧められ、とあるマッサージ店に訪れる事になった。

聞くにどうやら普通のマッサージとは大分違うらしい。

所謂そういう趣旨…土耳古(トルコ)比律賓(フィリピン)と比喩されるマッサージ店なのかと尋ねても、行けばわかると言って譲らない。

怪しい予感が過ぎりどうにかして断ろうと思ったが、珍しく饒舌に話しかけてくる先輩の態度に気圧され断れず、何回かごねてみたものの結局行く事になってしまった。


先輩に言われた通り町外れの路地裏に入る。

右角にあるこじんまりとしたアパートの様な建物がそうなのだろうか。店には見えず、やはり少し怪しい。

本当に入って大丈夫なのか?




悩んでいるのももったいない。仕方がないのでアパートに入り、何段か階段を登る。

そういえば先輩にどの部屋なのか聞いてなかった気がするが…そんな考えとは反対に、自分の足は軽快に階段を駆け上がっていく。

一階。二階。三階。四階。

まるで何処にあるかが分かりきっているかの様だ。五階へ辿り着く。五〇四号室。

ドアを開け、靴を脱ぐ。思っていたより部屋が広い。スリッパに履き替える。

 下駄箱のすぐ傍に小さな診療所の様な受付が置かれているが、肝心の受付嬢はつまらなさそうに灰皿を弄っている。喫煙者なのだろうか

周りを見るが客は居ない。どうやら自分だけらしい。


受付嬢は一瞬驚いた様に目を見開きこちらを見たが、直ぐにつまらない表情を浮かべて口を開いた。

「はじめて?」

呂律が回っておらず、何処と無く病的な声。この国の人間ではあるようだが…

ええ、先輩の紹介で。そう答えると受付嬢はぼんやりとした視線を上に向けた。

「ふうん」

そうなんだ。ぶっきらぼうな返事、受付がこんなので大丈夫なのか?

「また来たんだ」

ボソリと呟いた言葉はあいにく聞こえず。

聴きなおそうとしたが、受付嬢はそれきり口を閉ざして奥の方へ引っ込んでしまった。

どうやら先生を呼びにいったらしい。

少々遅くなるらしい。長い階段の広井もあるので待合室代わりに並べられたらしい椅子の群れに腰を下ろすことにする。



 特にやることも無いので周りを見渡す。酷く殺風景な空間だ。白色の箱の中で受付と椅子だけが浮かび上がっているかのようで、ひどく居心地が悪い。

そうこうしているうち、わりとすんなりと自分の名前が呼ばれた。順番が回ってきた、といっても自分以外の客はいなさそうだ。準備に手間取ったのだろうか。


スリッパを引きずりながら診療室を区切ったカーテンをめくる。

「いらっしゃい」

先程の受付と初老の男が一人。受付は看護師も兼ねているのだろうか。相変わらず不愛想な表情からは何も読み取れないが、先程と違い少し派手な色のセーターに着替えている。

「紹介を聞いて来たんだね」

白衣を着こんだ初老の男はテーブルに肘を乗せ、白いひげに隠れた口角を上げる。人懐っこい笑顔だ。不思議と初対面のような気がしない。

「ここがどんな場所かわかっているかい?」

 実を言うと詳しいことは、正直に話す。

起こるまでもなく、相変わらずの朗らかな表情で男は頷く。

「まあそれでもいいさ、来てしまったんだから仕方がない。」

「カルテは貰っているよ。あとは君が横になるだけだ。」

はあ、気の無い返事。スリッパを脱いで台へ上がる。

「うつ伏せはだめだよ、あおむけで大きく深呼吸して」

言われた通り、仰向けに転がる。天井は白い。カーテンも白い。医者も白い。

看護師の赤いセーターだけがひどく目につく。

「濡れタオルを用意して、あの子の目に乗せてあげて」

ひんやりとした感触。

白い肌、赤いネイル。

白い布地、暗闇。

「何も見えなくなったね、落ち着いて、ゆっくり意識を遠ざけて。」

医者の声がぼやける。

なんだかとても眠くなってきた。

「寝てもいいんだ、ゆっくりお休み」

落ちる瞼にタオルが擦れる。

「お休み」

意識が遠くなる。

「おやすみ」

女の手が頬を撫でた。








 頭をぶつけた衝撃で目を覚ました。

硬い床の下で横になっていたらしい。痛む腰を抑え立ち上がる。

周りを見渡す。さっき迄訪れていたはずの診療所とは異なる様相。奇妙な感覚に襲われる。

人通りはなく、コンクリートの外壁も寂れ、どこもかしこも錆び苔に埋もれている。

出口のような場所もない。線路を挟んだプラットホームの周りは鉄網で覆われている。

此処は駅か?

どうして自分はこんな場所に。

いつになく混乱している。



 困り果て、駅のベンチに座り込む。何が何だかわからない。頭を抱える。なんだか無性に泣けてくる。嫌なことを思い出しそうだ。


カンカンカンカン、唐突に踏切の音が響く。頭が痛い。


カンカンカンカン、耳障りな轟音。もうすぐ電車が来る。吐き気に襲われる。


赤ん坊の様に泣きわめく。



「可哀そうに」

ふと、ベンチの横に女が座っている。

「困ってるんでしょうね。」

嗚咽し震える肩を細い手が(さす)る。

「思い出せないんでしょう」

赤いネイルがちらつく。ろれつの回らない声。その声は酷く安心する。

「でも大丈夫よ、辛いのは一瞬」

彷徨う両手を、女は握る。ひんやりとした感触だった。

「電車なんて来ないの。来たのは貴方の記憶だけ」

 





 冷や水を浴びせられたような感覚。はっきりとした意識が戻る。

驚いたまままた周りを見渡す。踏切の音は止んでいる。

錆びれた駅の風景もない。暗闇。濡れた感触。誰かの手が目の上のタオルを外した。



「おはよう、ゆっくり眠れたかな?」

白い壁、白いカーテン。白い医者は相変わらず笑っている。

「前よりはマシになったねえ」

覚えていないだろうけど。小さくつぶやく声。

「声は出せるかい」

呻き声が漏れる。喉が枯れたらしく、掠れた音しか出てこない。

横の看護師に何かを耳打ちする。看護師はカーテンの向こうへと消えていった。

「今水を取りに行ってもらってるからね、少し待っててくれ」

目元の皺を深くさせ、生い茂った髭を撫でる。椅子を回転させ、体もこちらへと向ける。

「薬はいらなさそうだし、今日はサービスしてあげるよ」

え、いいんですか、どうして?

「君の先輩に感謝するといいさ。とにかく今日はここまで。…そうそう、受付の場所は覚えているよね?」

まあ大丈夫だろうけど。からからと音を立てて笑う。医者は最後までこの表情を変えることがなかった。



看護師から水を受け取り、診療室を出る。

受付まで来ると、看護師はすでに着替えており、相変わらず灰皿をいじくりまわしている。

作ってもらった診察券を仕舞い、スリッパを脱ぐ。

玄関で履き替えドアの鈴を鳴らし、取っ手を閉める。

「また会いましょうね」

隙間から見えた受付嬢が一瞬、自分に微笑みかけていた気がした。



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