物語の価値
なろう作品に関して思うことを書かせて頂きます。
作者はあくまで中立ですので、ご了承ください。
―現在、なろうでは、テンプレ、非テンプレ作品と部類されるものがある。
テンプレは、言わずもがな俺tueeとか、チート、異世界転生、悪役令嬢もの等が定番。非テンプレというのは、簡単に言うとその要素がない作品だ。
なろうには、非テンプレ作品も多くあるが、『小説家になろう=テンプレ』と連想してしまいがち。
なろう作品だけでなく、現代では、ライト文芸やキャラ文芸というのがある。それらはミステリー物や、妖怪物、飯テロ、ほのぼのとした日常もの等が多いイメージが持たれやすい。
これらは他の作者の方のエッセイでも、新たな形の読者とか、新たな物語の在り方、社会に生きる人々の内面の変化とか言われている。そして、中にはそれらの物語が躍進するとか、主流になると主張する人々もいる。実際、本屋へ行き、ライトノベルコーナーや、ライト文芸、キャラ文芸コーナーへ行くと、その物語の多さに驚く。
これらの本が多いのは、読者がそう言った本を求めていることの現れだと私も思う。しかし、『読者に求められるから』、『人気があるから』というそんな理由で、物語に対する想いや愛がないまま、安易にテンプレ作品や、似た展開の作品、いわゆるN番煎じに走る人がいる。
そのためか、なろうでもテンプレVS非テンプレの論争や、一方の優劣を語る人がいる。
そういったものを目にするたびに、私は思う。
―人によって物語の価値は違うし、そして、変わるのだと。
――――――――――――
私は、テンプレ作品が好きだった。
正しく言えば、今でも好きだ。
ただ、それはハーレム作品ではないものに限る。これは、個人の価値観の話で、私にとっての物語の価値なのだ。
私が、現在、連載している小説からもわかる通り、私はアンチハーレム派、もしくはアンチ逆ハーレム派だ。たぶん、これは、読まず嫌いとかではなく、本当に受け付けないのだと思う。きっと、それはこれからも変わらないと思う。ご都合主義だからとかは、あえて批判はしない。これは、私がハーレム要素がある作品の価値を理解できないだけだから。
しかし、他の読者にとっては、価値があるのだと思う。皆に愛されるのが理解できる主人公だからとか、登場人物が魅力的だからとか、とにかく好きなのだとか、そんな理由があるのだと思う。
それと同じように、乙女ゲームものや、悪役令嬢ものも人によっては、価値があるのだと思う。とか言う私が好きなテンプレ作品もこの種類だ。高校時代からたくさん読んできたけど、未来を変えようと努力したり、前世の知識を活用する展開が好きだった。
また、乙女ゲーム、悪役令嬢もの限らず、チート設定の物語も好きだった。主人公が最強設定で、無双するのは、読んでるこちらも爽快感があった。
そんな風に高校時代はテンプレ作品を読み漁った。本当にテンプレ作品が好きだった。
しかし、大学生になってから、その『好き』が少し変化した。
――――――――――――
きっかけは、ハッキリとは言えない。
今、思えば、それくらい多くのきっかけがあったから。
私は、大学生になり、それなりにたくさんの経験をしたと思う。ボランティアやバイトもしたし、サークルにも参加したし、飲み会にも参加したし、実習にも行ったし、たくさん本も読んだ。もちろん自分なりには、ちゃんと授業も受けた。
つまり、たくさんの経験や、たくさんの人に触れあった。
涙が出るような本当に素晴らしい経験もあった。逆に、もう二度とこんな目に遭いたくないと思う最悪な経験もあった。人間関係にしても、素直にすごいと思ったり、嫉妬できないくらいに尊敬する人もいた。逆に大嫌いだと思ったり、殺意を抱くくらいに嫌な人にも会った。
たぶん、たくさんの経験、もといきっかけのおかげで、私の価値観は変わったのだと思う。いや、正しく言えば、価値観が広がったのだと思う。
私は、子供の頃から本が好きだった。幼い頃は絵本を読んだ。小学生では児童文学を読んだ。高学年頃から、ライトノベルも好きになった。中学生も、たくさん文学作品やライトノベルを読んだ。高校生はそこに、ウェブ小説が加わった。本当にテンプレ作品を知った頃は、読み漁って、そればかりだった。
大学生では、さらに図書館の本を読むことが増えた。大学の図書館にある本は、専門書だとか、教養本、新書が多い。そういった本は物語ではない。どちらかというと、知識を増やしたり、深めることを目的としている。それらの本を読むことも、貴重な経験だったと思う。価値観を広げるきっかけだった。
そんな多くの貴重な経験たちのおかげで、物語を読んでいる時の感じ方が変わった。かつて読んだ物語でも、『あぁ、今思えば、あの物語は、こういう意味だったのか』とか、『あの登場人物は、だから、あんなことを言ったのか』と意味を読み取ったり、『もしかして、こうだったのかもしれない』と別の解釈もできるようになった。
私は、経験の数は、きっかけの数そのものだと思う。多くのきっかけにより、私は、今までは読んでこなかった物語を読むようになった。
私は、最近、人の内面を描いた作品や、外国の文学作品、それに絵本を読むようになった。
人の内面描いた作品は、綺麗事抜きの、人間の汚さや弱さを描いた作品。それでいて、最後は登場人物が、これからも力強く生きていくのだとを信じられる作品。いわば、ハッピーエンドの物語。
外国の文学作品は、ファンタジーではなく、リアルな現代を生きる人々の作品。それぞれの国の常識や、日常、問題が物語に描かれている。こちらも、ハッピーエンドの物語。
絵本は、幼い頃は大好きで、一度卒業して、この年齢になってまた好きになった。どんな絵本が好きか、そこまで深く考えてない。ただ、あの頃と絵本を読んだ時の感じ方が違う。今の私にとって、絵本の物語は、『可愛くて、温かい』それに尽きる。また、私は絵本の全部が好きというわけではない。絵本は教養的な面を持つためか、子どもに考えてもらうために、あえてバッドエンドの物語も中にはある。しかし、絵本でも、あくまで私はハッピーエンドがいい。
どれほど、価値観が広がり、変わっても、私はハッピーエンドが好きなのだと思う。
そして、それは私の変わらない物語の価値なのだ。
――――――――――――
なんだかんだ書いたが、私はあくまで、今でもテンプレ作品が好きだ。
しかし、かつての頃ほど、テンプレ作品ばかりが好きなのではない。今の私には、同じくらい好きな物語、好きになれる物語がたくさんある。
テンプレ作品にはテンプレ作品の良さがあるし、非テンプレ作品には非テンプレ作品の良さがある。
そもそも、自分の中に物語があり、それを外の世界に描くこと。これはとてもすごいことなのだ。テンプレ作品、非テンプレ作品問わずだ。
そして、人によって物語の価値は違うし、変わるから優劣をつける意味もない。
自分の物語の価値を大切にする。
他人の物語の価値を大切にする。
そのように、物語の価値を大切にし合うことが、とても大切なことなのだと私は思う。
若輩者が偉そうに語ってすいませんでした。
作者は、規約とマナーさえ守っていれば、どんな物語も良いと思っている中立派です。
最後になりますが、お読み頂きありがとうございました。