dr-1
「はぁ、まあ、そうですね…押し込み強盗……。押し入った場所から察するに………」
ルドとその上司であるマフニのいる地下の研究所の一室。ガラス張りの壁があるその部屋に、ルドの声が響く。
「この場所が目的なのではないでしょうか」
何か決定的な根拠がある訳では無い。あるのは殺された被害者の殆どがここと関わりがある、あるいはあった人間であるということのみ。
「……そうだとしたら、何故だと?」
「さあ、そればかりは何とも……」
お互いに黙り込み、会話が膠着してしまう。こういう二人だけの会話に限らず、会議や討論などでも時々こういう時間は生まれる。
暫くそうしていたが、その"間"を砕いたのはマフニだった。
「……近々、と言っても来年の話でしょうが、環境世界首脳会議が開かれます」
「ああ、そう言えばニュースでありましたね、何でも"我国も参加することが決まった"とかで」
「はい、そのニュースで合ってます」
「それと何か関係が?」
ルトの質問に、マフニは少し間を開けてから話し始める。
「前提として、リグヴがサンプル保護の役目を担っていることは知ってますね?」
「ええ、当然。海底にある要塞のような立地であることから、後から任されたんでしたっけね」
ルドは自分の記憶を頼りに、その知識を頭から引っ張りあげた。それを受け、マフニは満足そうに頷く。
「それを引き受ける利点として、戦争を行わなくても済むような条約が結ばれた、のですが…」
マフニはそこまで言い終えて口篭る。
その様子を見て、ルドは眉を釣り上げた。ですが、と続く時は大体ろくな事がないと相場が決まっている。
「今回の議題にはどうやら『我国が秘密裏に生物兵器を開発しているのではないか或いは、される危険性はないか』というのが上がっているようなのですよ」
なるほど大国にとっては、確かに戦争が行えない、裏を返せば、どの国でも侵略を許さないという利点を活かしたこの国が、そういう実験を行った場合の脅威は計り知れないものとなるだろう。
「つまり?」
「まあ所詮、それは可能性の列挙に過ぎませんし、それ自体はすぐに下火になるでしょう。ですが、仮に"それに該当する研究"が実際に行われていたら?そしてそれが事前に発覚でもしたら?」
確かにそれは不味い、何かしらの制裁を覚悟しなくてはならない。外部からの供給は無くてもそこまで生活に致命的な影響は与えないだろうが、肉や魚類、つまり動物性タンパク質系統の輸入が停止した日には、住民が皆、心優しい森の妖精と化してしまう。その上、食べ物はなんとかなるとしても重科学に必要な金属類や燃料などの供給だけは、外部との繋がり無しではこなす事は出来ない。
最悪、なんの武力も無い状況で戦禍に呑まれるかも知れない。それだけは避けねばなるまい。
「不味いの一言で済ませるのが不味いくらい不味いですね」
少しふざけた返しをしてしまったが、実際はそんな事言ってられ無いくらいには危険な状況に陥っている。
「…そうです。まあ、確かに先程までの話は全て"仮定"の話な訳ですが」
マフニはルドの顔を覗き込むように見る。
「ここでは既に、それに当てはまってしまう事柄が行われてしまっている。世間ではこの国が生態に関するサンプルを保持しているのが、今回の会議への出席の理由。と見ている人が多いのでしょうが…我々からすると、違った意味を持って見えてしまいます」
「皆さんの研究が外部に…それも国外に漏れている可能性がある。という事ですかね。そして狙われている」
ルドは思わず嘆息し、首を振ってそれに応えた。
「ええ。外の国でも、首脳会議が開かれると公表されたであろうこの時期に、その上、厳しく管理されているこの国に、ある筈のない拳銃を用いた事件が起こる。これらに関係がないと考える方が難しい」
「もしそうだとして、どこの国が怪しいですかね」
「今回の首脳会議、開設を提案したのは『ジャプム(地上の三大国の一柱)』ですが、我国に参加を提案したのは『グスタム(同じく三大国の一柱)』ですね」
という事は、グスタムが怪しい訳だが、あの大国がわざわざこんな小国を気にかける理由が解らない。
現在、この星には七つの国がある。そのうちの三国は三大国と呼ばれ、『赤巾』後にも残っていた国のことがそう呼ばれている。
中でも『グスタム』は大国の名に恥じない広大な領土を有し、その軍事力は文字通り最恐である。その国がこの弱小国とも言える『リグヴ』に圧をかけて、或いはかけようとしているのだ。不自然なこと限りない。
「いくらこの国が天然の要塞に覆われているとは言っても、戦力で押し潰すことなんて訳ないでしょうに、何を警戒しているんでしょうか?」
「……私の部下が仕入れた情報なのですが」
ルドの淡々とした質問にマフニは直接は答えずに、まだ述べられていない事実を提示する。
「彼らは200年前の戦争での事を警戒しているらしいのです」
「200…って言うと、ああ、"覇権戦争"ですか」
ルドはその内容を思い出して、合点する。
"覇権戦争"文面通りの、何の捻りもありはしない戦争だ。戦争自体は全くなかった訳では無いが、ここまでの規模となると、『赤巾』以来初めての大戦争だった。
それには、『リグヴ』も参加している。ただし、覇権争いに加わった訳では無い。
「まさかあんな、"噂された話に尾ひれが付いような噂話"を信じているとでも」
ほとんど反射的に否定的な言葉を発してしまうが、ルドは、実際にはありえない話でもないことを理解していた。いや、正確にはそういうものだと割り切っていた。
「ええ。200年前、リグヴは覇権戦争に参加しました。あくまでも『ノグトル(三大国の一柱)』の援助として軍隊を送った位のものでしたが…大した国力のない国でしたからね。いや、今もそうなんでしょうか」
「ただ、その弱小国が送った二個師団にも満たない兵団が戦況を大きく変えた。いや、変えすぎたんでしたね。"我らの神は正気の戦争に狂気を投入した"有名なフレーズだ」
ルドは当時の文献のあまりにも有名すぎるフレーズを引用して、マフニの言葉の後を引き継ぐ。
確かこれは、ノグトル軍の最前線で書かれたとされる書記の一部だったか。その殆ど伝説と言ってもいい内容に、未だにその真偽が議論されるほどのものだ。僅か二百年前の話とは言え、内容が内容だ。
そこら辺も拍車をかけて、一部のマニアの間ではこれを題材にした様々な創作作品が未だに根強い人気を誇っている。
そしてこれには、リグヴが関係してたとされているのだ。正確には大戦に投入されたリグヴ軍、一つの大隊が原因だとされている。リグヴの軍が参戦した途端、戦況がひっくり返ったのだから、そう思われるのはむしろ当然だ。当時のことはよく分かっていないが、実際のところはリグヴ軍が投入されたとほぼ同時期に、機密作戦がなされていたのだとされているが、真偽のほどは定かではない。
そして、その被害者であったグスタムが伝説を半ば信じ、警戒するのもまた、必然とも言えるのではないか。
「そうですね、私も好きでしたよ、若い時はね。『あれは狂気の塊だが、狂気にしては正気すぎる』とかね。日記にしては些か気取った表現ですけど、それが若いのにはうけるんでしょうね」
マフニはどこか懐かしそうに目を細めて言った。
「まあ確かに、もし"この伝説が事実で、しかも今もその伝説の再現が可能"なら……と考えれば警戒もしたくなりますね」
仮にそれが尾ひれの付きすぎて原型を留めていない伝説だとしても。
「はい。そこで、貴方にはここの隠蔽の手伝いをお願いしたいのですよ」
マフニは話を戻し、肘を机に立て、指を組んでルドへと目線を合わせ直した。
「組織全体を隠蔽とは、これまた無茶をおっしゃる」
「そこは我々全員が働くわけですから、貴方は貴方だけの仕事に集中すればいい。そう、例えば……」
そこで彼は虚空を眺め、少し考える素振りを見せた後、さも当然の事のように言い切った。
「密使が紛れているとしたら、"それを排除する"とかね」