エピローグ、海底都市
私たちが住む世界よりも未来、そして決して私たちが住む世界とは異なっている世界。この世界における海底都市「リグム」。その大学で教鞭を振っているルド・イクアラは、不思議な過去を持つ人間だった。そんな彼は、ある生徒たちとの出会いによって、その過去の因果との邂逅を再び果たし……
〜エピローグ〜
季節は移り変わる。季節が変わるということは、環境も変わる。気温が変わり、見られる生物の姿も変わる。春には草木が着々とあおい葉を茂らせ始め、夏には虫たちが大いに飛び回る。秋には葉が落ち、時に赤い葉っぱが風に舞い上がる。そして冬には寂寥が跋扈する静かな世界が訪れる。
深淵の海底にあっても、それだけは変わらない。
いや、本来は変わらないはずだが、そこは科学という人類の生み出した産物が捻じ曲げてしまっている。
「さて、まずはどこから入るかな……。
うん、今日は初回の授業、周知の事実というやつから入ることにしよう。
皆知っている通り、今我々が暮らしている世界は、我々人類が作り上げた世界だ。その文明は人間が火を見つけたところから端を発する訳で、所謂、原始の時代から始まった。そして、それから何万という年月を重ねても、人は炭素というエネルギーを使い続けた。それはまあ、現代でも一定の支持を得るエネルギーであることに間違いはない。
歴史上ではそれが、ある種の悪の根源とされて倦厭されたこともあったが、今となってはその誤解は解かれたといっていい。ただ、そこに至るまでには長い道のりがあった。それは一口で語るには長すぎる話で、この授業で詳しく語るのはもう少しあとの話になるな。ざっくばらんに説明してしまうと《オルト》という物質の発見がその転機となった。
その、この世のものとは思えないエネルギー資源はどこにでも溢れていて、これらをすべて収集、管理することなんて誰にもできなかった訳だ。結局『オルト』は我々の生活を劇的に変化させ、産業基盤を塗り替え、多くの混乱を生んだが、それは今の時代にまで波及することは無かった。我々が現在の生活を享受できているのがその証左だ。
そのエネルギー源が発見されたのは約五百年前と言われている。
五百年前と言えば、歴史が苦手なやつでも耳にしたことくらいはあるだろう。『赤頭巾侵攻』と呼ばれる世界大戦が起こった時代だ。実際は、それ以前から『オルト』という物質は存在していたのだろうが、それが大々的に知れ渡ったのはこの頃からだったのは確かだ。
謎が多い戦争で、戦争の発端も詳しいことは戦火によって分からず、どうして世界大戦に発展したのかも分からない。ただ、この大戦での犠牲者の数は膨大なものだったが、この戦争がもたらした技術の進歩は計り知れないものだった。文字通り革命的なパラダイムシフトだった訳だ。
何せ、電気という主流のエネルギーが今まで誰も知らなかったような物質一つで全部すげ変わったんだから。
いちいち例示するのが面倒なくらい、今の社会に無くてはならない技術がこの時に開発されたのは知っての通りだと思う。
しかし、大戦における技術力の発達という、いわば『悪魔との契約』に払った代償は、偏に『命』だったというのは忘れてはいけない。それは死を残した。腐食を残した。人間の作り上げた兵器、威力と引き換えに猛毒を振りまく爆弾。それが原因で多くの命は滅んだ。命の集合体である国も当然維持できない。
そしてそれ自体は『オルト』以前から存在しているものなのだから、人間というのは全く持って度し難いものだな。
……話を戻そうか。
まず世界の国家は、3カ国しか無くなった。これは単純な話で、国としてあることができたのがこれだけだったという話だ。そもそも暮らせる地域自体がほとんど残されていなかった。そんな状態で三つも国が残ったこと自体が奇跡みたいなものだ。インフラなんかはことごとくが壊滅、通信手段ですら電磁波で遮られて使えない。それは本物の人類の絶滅の危機だったことだろうな。ただ、当時の人間たちは相当にしぶとかった。生き汚いとは言うまいよ。君たちが生きているのは、そのおかげだからな。
そしてそれが上手くいった背景には『オルト』がある……
とまあ、僕の講義ではこのように、『オルト』の動きから世界史を読み解いていこうというもので……」
春先の暖かく柔らかい陽光が差し込む、穏やかな午前中。思わず眠気を誘いそうな温もりの中、彼は長々と話慣れた内容を生徒に向かって話していた。年度最初の講義なだけあって席は大部分が埋まっているし、真面目に話を聞いているような生徒もいるのだが、こちらがどんな話をしていて、それが如何に生徒受けが良くても、この数というのは減っていくもので、次回までには何人まで減っているのかを考えるのもまた一興だった。
そもそも、三千年もの歴史を経て未だにこういった形で講義をしているのは馬鹿らしくも感じるが、そもそも教えられる人間が少ないのだから、少人数での授業が実施できないのは詮無きことか。
「……とまあ、試験は論述形式で行います。質問などがあれば、挙手でもいいですし、あとで聞きに来ていただいても構いません」
「………」
一応教室を見回し、質問がないことを確認し、彼は一つ頷く。
「それでは、早いですが、本日はこれで終いにします。お疲れ様です」
講義を終え、教室が賑わい始める中、のんびりと帰り支度をして教室をでる。
廊下に出ると、自然と窓の外に目が行った。
朝の斜光が目を焼いて、黒い斑点を眼窩に染み付ける。
海底でも天気が味わえるようにと、「擬似天候」と呼ばれているシステムによって地上と遜色のない天候が再現されており、そのちょっと無駄なシステムによって人工の光が差し込んでいるからだ。
そしてこれは現在、海底都市である『リグブ』にしか存在していない。そもそも海底都市がリグブしかないのだから道理だが。
海底都市「リグブ」。海底に作られた大都市、戦後災から逃れるために建設された大都市である。この、二億は問題なく収容できるとされている建造物の建設にも、漏れなくオルトの偉功が絡んでいる。
いやはや本当に便利な物質だ。何でもオルトのおかげにしておけばいいのだから。
彼が所属するのは、リグブの中心に位置する最大の地区「ミシウォア」にある「ミシウォア大学」。世間ではミシダイだのと呼ばれている。
中央に位置するだけあってかなりの難関校だったりする。そんなところで教鞭を振うこの男は、それだけ実力がある人間ということになるのだろうが、とてもそうは見えないのがこの男の凄いところだ。
長く伸びた髪は背中でまとめられ、スーツ姿で革靴を叩いて歩く姿はパリッとしているようにも見えるが、見た目が圧倒的に若い。せいぜいが二十代後半くらいにしか見えないその姿のせいで、彼はよく生徒と間違われた。
まあ、歩きながら欠伸を漏らしてのんびりと歩く姿に威厳もくそもないのだから自業自得ではあるのだが。
軽く目を瞬いて黒い影の残響を追い払いつつ、廊下を歩き始める。
まだ授業が終わっていない教室も少なくはなく、廊下にいる生徒の数は疎らである。
どの教室も防音性は高いので、外に声が漏れ聞こえるという事は無いが、透明なドアから時折見える他の教師達は、如何にも教師然とした、威勢の良さそうな立ち振る舞いで口を動かしている。
こう見ると何か滑稽に見えてこない事も無い。
結局、特に何かと遭遇することなく社会科教師用職員室にたどり着くき、扉に軽く手をあてる。自動で開いていく扉を一瞥してから中に入る。
職員室の扉は教室の透明な扉とは違い、スモークガラスの様な素材でできており、中を覗く事はできない。
教室の扉が透明なのは『何かがあった時に外からの確認がしやすいように』であり、職員室は逆に『テストなど見られては美味くない物』が多いため、完全に透明な扉ではない。
因みに、全教室触るだけで起動するタイプの半自動扉である。
背後で扉が閉まるのを感じつつ、自分の席に腰掛ける。やっとゆっくり座れることに安堵して鼻から吐息を漏らす。
立ちっぱなしというのは結構辛いものだ。
「一限目からお疲れ、ルドセンセ」
隣から声を掛けられ、目をやると無精髭を生やした筋骨隆々のゴツゴツした教師がコチラを見てニカニカしている。如何にも"体育会系オヤジ"といった風体だが、彼も列記とした社会科教師である。
この厳つい男は、ガリグ・ジミニー。
正確な年齢は知らないが、まあ、おそらく50代半ほどだろうとルドは見ている。
そんな中年男と、見た目若僧のルドは仲がいい。
「……ホントですよ。なんで一限目から『自歴(自国歴史)』なんてぶっ込んでんですかね…。まあ、四、五限目とかにぶっ込まれるよりは断然ましですが」
半分大袈裟に、半分本気でぼやきつつ、ガリグに笑い返す。
「それは、その飯の後の一番だるい授業が、両方とも明日に入ってる俺への当て付けか?」
「おっと、それは災難ですね」
「腹立つなぁ、その言い方」
別に両方とも本気ではない。証拠に、ガリグの口元には、最初と全く変わらない笑が残っている。
この人とは、もう五年ほどの付き合いになるが、会った時からこういう風に冗談を交わし合う様な関係だった。
一頻り取り留めの無いことを話していると、ふと気になって壁にかかった時計を見る。
「おっと、そろそろ時間だ」
釣られて時計を見たガリグが、時間を見ると直ぐに、教材を持って立ち上がった。
どうやら、二限目に授業が入っているようだ。
「そんじゃぁ、行くかぁ」
のんびり歩いていくガリグの背中を見送ってから、ルドは自分の机の端末に目を向ける。
珍しく受信のランプが点滅しており、"上司"からの指令でも来たのかと、メールボックスを開く。
案の定、一通のメールが届いており、差出人は『マフニ・エリタゴ』となっている。
教職の方ではなく、もう一つの方の上司だ。
無造作にメールを開き、内容を確認する。
人に見られると困るものではあるが、幸いにもこの部屋に来るのは、質問に来る生徒かガリグくらいのものである。他の社会科教師もいるのだが、担任だったり何だりと他の職員室に行っていることがほとんどだ。
メールの内容は、要約すると
"暇なら顔を出せ"
との事だ。
わざわざメールを使ってまでこの時間に呼び出しの指示をするのは、彼にしては珍しいことだ。ルドの要約では『暇なら』だが、実際は少し切羽詰まってるのかもしれない。
幸いにも今日は午後からは授業が入っていない為、(念のため)校長にも話を通してから向かう事にする。
取り敢えず、三限は済ませなくてはなるまいて。
メールの内容からも、また電話でないことからも、そこまで急を要する訳ではなく、早ければ早いほど都合がいいくらいのものだろうし、今すぐ慌てて行く必要もない。
メールを閉じ、次いでに削除してから伸びをして身体をほぐす。
しばらく退屈しのぎができるかもしれない。そう思うと、自然と気分が明るくなる。
さて…
「暇だな…」
気付くと誰も居なくなった部屋。ただ一人取り残されたルドは、どうなる訳でもないことを呟く他、する事が何もないことに気が付いた。
授業がある手前、今からここを出るわけにもいかないし、かと言ってここですることも無い。
授業の準備くらいしろという野暮ったいツッコミは受け付けない。
「一時間…ふむ」
取り敢えず珈琲でも入れようかと思い、席を立つ。二人しか部屋に来ないだけあって、ほぼ二人の私物と化した社会科教室はルドの私物である珈琲メイカーが置いてある。豆はガリグがいつも買ってくるが、多少博打気味なところもある為、あまり期待していない。
つまり何が言いたいかと言うと、ルドはいつも自分で用意した豆を使うことにしていた。これならハズレはない。
「………」
珈琲豆を取り出すため、冷蔵庫(当然自前)の前に立った時、銀色に色付けられた取手から陽光の照り返しを受けた。
今日は晴れているのだということを思い出す。
外にでも出てみようか。
思い立ったが吉日。急いで珈琲を準備してフタ付きのコップに暖かい珈琲を注ぎ込んで、それ以外に携帯端末だけは持って部屋を出た。
この学校は国で一番の学校である。文字通りの国立大学で、その設備には目を見張るようなものも多い。
その中の最たる一つと言えるのが、『校庭』である。
廊下に出て、階段を下っていく。最下層についたところで靴の置いてある中央玄関から校庭に出る。
そこは一面青々とした芝に覆われた平らな空間が広がっている。少し奥の方に行けば木も生えており、とても科学が発展した技術国家とは思えない光景だ。しかし、これらは作られた空間だ。今から約300年も昔のことではあったが、『自然保護計画』、或いは『グリーニングプラン』と呼ばれる計画で植林がなされた結果なのである。
確かに少し注意してみてみれば、それらはあまりに整いすぎているようにも感じる。
サラサラと爽やかな風が吹き、ルドの肩で結えた長い黒髪が少し乱れた。
軽く深呼吸してから、暖かな日差しをその身に受けつつ、芝で覆われた空間に一本だけ引かれた舗装された石畳の道を歩き始める。
左手に持った珈琲はルドが足を踏み出す度に揺れるが、蓋をきちんと閉めているので溢れることは無い。
飛び交う鳥達の声は、この自然に覆われた景色も相まって長閑な雰囲気を演出してくれる。
一分ほど歩くと、微かに水が流れる音が聞こえてきた、それは目的地が近づいたことを示す音だ。
ルドのお気に入りの"さぼりポイント"であるそこは、加工された石で縁どられた"小川"のような場所だ。便宜上ルドは小川と呼んでいるが、その実態はこの国の飲み水全てを司る、言うなれば用水路である。正確には飲み水になる水を浄水場に導く路なのだが、まあ、同じようなものだ。
ここにこれが流れているのは、近くに大きな浄水場があるからに他ならない。
何にせよルドにとって、ここがこの国一番のお気に入りの場所だ。
加工された川なだけあって、透き通った水が流れるその場所は、そこに生命こそ芽吹かせることはないが、静かな水の流れとこういった晴れた日の陽光をキラキラと照り返す様、そしてその周りの青々とした芝と木々の風に揺られる姿がその水面鏡にぼやけて映し出される様は、いつ眺めていても見事なものだ。
実際この場所は、海底都市絶景スポットにも数えられている名所である。休日には公園として多くの人で賑わう人気スポットだ。尚、一応校地内の為、平日は解放されていないので一般客はおらず、この時間は実質ルドの貸切状態だ。休み時間になると、生徒もちらほら見かけることが出来る。
「………っこいせ」
川辺りに備え付けられたベンチに腰掛け、珈琲を啜りつつしばらく景色を眺める。
腕時計の長い針は、出た時から十ほど針を進めていた。
三限まではまだ遠い。
未完、書き直し、設計図がボロボロ。不定期、気分次第。