花屋に咲いたおやゆび姫
それは、とてもシンプルなシステムで我が家の生計は成り立っていた。瑞々しく店頭に並ぶものはいつも華やかで、様々に形作られた曲線美に目を奪われる。客はそれに足を止めるとたちまちに店の中におびき寄せられていく。それぞれの花にはその花弁の色みを引き立てるような包装を施し、丁寧な対応で客にそれを手渡す、ひたすらに繰り返す日々が続く。
花は美しく咲き誇っている間に売らなければいけない。消耗品を取り扱う商売として、父はいつも花が萎れていないかどうかよく注意を向けていた。そういった父の注意が行き届いているお陰か、店には咲いたばかりの花か、これから咲くであろう蕾が置かれているものしか私は見たことがなかった。枯れている花を売る訳がないので、それはごくごく当たり前のことだ。だから何ら不思議のないことであったし、私はそれに違和感を覚えたことはなかった。
父は、店で売る花の種類を制限したことは無かった。代わりに、少しでも萎れかかった花を見つけると、すぐに店から下げて捨ててしまっていた。
他の花に比べ、少しでも萎れていたら客に買われることはないのだ、と言う。こうして潤いある生活をしていくには仕方のないことなのだよ、と。
売れる見込みの無いものは捨てるに限る。父は徹底してその方針を貫いていた。
幼い頃、母親の所在を父に尋ねたことがあった。綺麗な花に囲まれ、何の不自由もない暮らしの中で自然に思い浮かんだ疑問を、私は父に投げかけた。
父は平素と変わらぬ顔つきで返した。お母さんは出て行ってしまったよと、臆することなく答えたのだった。のちに、想定内の質問であったのだろうと自分の中で納得しようとしたものの、父の口から発したとてもあっさりとした答え方に、そうなんだ、と、私は会話を終わらせることしか出来なかった。幾度か、そんな会話をしたことを忘れた頃に同じような質問をしたこともあった気がする。それでも、父はいつも変わらずにお母さんは出て行ってしまったと、何度でも私に繰り返した。
私が思春期にもなる頃、店の経営は不穏になりつつあった。花を仕入れることが難しくなってきたからだ。
まだ咲くには早いような蕾どころか、父の店は萎れかけの花ですら仕入れることが出来なくなっていた。それは、法の改正という絶対的な権力の基に行使された結果だった。今までなら捨てていた花も父は手元に残し、一輪一輪大事に扱うようになっていった。細々と商売を続けていく中で身を置いている店の経営難を悟ったかのように、客に手向けられた花は次々と店から去っていった。
何も売る花が無くなってくれば、いよいよ店の経営が傾き始めてくる。焦り、奔走しながらもかき集めた資材は僅かな収益にしかならず、潤沢だった生活にもひびが入る。この世は理不尽だと声を荒げつつも、父は消沈したように背中を丸め、困窮にやつれた顔を歪ませた。店を構えてから今までで、このような苦難に陥ったことはこれが初めてであるらしかった。
私は自分が物心つく前に家を出て行ったという、母を思い出していた。今一番近くに居る父を除けば、自身の寄る辺には最早母親しか居ないと思っていたのだ。
私は、幼い頃に何度も同じ内容で尋ねたことを、今一度父に問うた。父も私と同じことを考えていたようで、もう連絡を取る術が無いのだと、落胆に帯びる声を暗い部屋に漏らした。
もう、どこにも頼る所が無い。私は改めて、自分には家族が父一人しか居ないのだということを思い知った。
父は突然、思い立ったように声を上げた。お前は花売りになる気はないかと、父は私に向かって言ったのだ。
それは本当に急な提案で、私は父の思惑を量りかねていた。すると父は複雑そうに眉間に皺を寄せ、今まで聞いたことのなかった母の情報を訥々と話し始めた。実は、私の母も花売りとして父と店を経営していたことがあったのだと、父は私に母のことを初めて私に打ち明けたのだった。
私は父からそのことを聞くと衝撃を受けると共に、嬉しさを感じていた。父と、私の知らない母親は共に支えあっていた時期があって、一緒に家庭を築いていた。確かに母はこの店に生き、私を産んだことがあった。その事実が私に喜びをもたらし、ここでようやく自身の出生の秘密が明らかになったことで尚更深く心に染み入るようだった。
勿論、自分に出来ることがあるならば何でもやると言うと、父の顔は安堵した表情に変わった。母と同じ仕事を私も受け持つことになる。妙な因果を感じ取ると同時に、何だかこそばゆいような、誇りとも言えない気恥ずかしさが私の胸の中を引っ掻いた。
母もやっていた花売りの仕事とは、どんなものなのだろう。無意識の内に綻ぶ顔を抑え、私は父にその仕事内容を訊こうとした。しかし、父は早速今日から働いてもらいたいと言って、まだ承諾したばかりであるにも係わらず私を店に促した。仕事の内容を訊きたかったのに、父はすぐにでも私に花売りの仕事をして貰いたいようだった。
私の何か言いたげな様子を察してくれたのか、安心していい、怖い仕事ではないから、大丈夫だから、と、父は私の肩に手を置いた。
…………母もやっていたのだから私にも出来る、何とかなるかもしれない。そう言い聞かせて、私はすぐ先にある仕事場を見据える。今までにたくさんの花が自身を綺麗に咲かせて仕事を成し遂げていた、その場所。
未だ歩き出せないでいる足を急かすかのように、客はすぐに付く、まだ蕾でいるお前なら商品価値は十分にあるんだと、父は私の背中を押したのだった。




