クレメンテ
真っ暗な通路。ほのかに見えるランプの灯り。周囲を伺うにも暗すぎてシーファのランプを追うことしかできない。
この闇の中、不都合なく見えているのか、シーファの歩みに迷いはない。
いきなり足を止めたシーファの背にぶつかりそうになりたたらを踏む。
「ココだ」
呟いて、壁を睨む。そこは何の変哲もない壁だった。
さっきからずっと何とは言えない匂いがゆっくり漂っている。
どこか、考えが逃げていく、めんどくさい課題に向かう時に起こるような虚脱感に誘われる。
「クレメンテ!」
ここの扉もスライドだった。
部屋の中は明るくも雑然としていた。鼻につくのはゆで卵の黄身の臭いを強くしたような匂い。一歩、後退しかけた俺の腕をとってシーファは一歩部屋に踏み込む。
匂いに目がシバシバした。
「何者だ!」
そんな声とともに立ち上がったのは、小学生か、中学生かどっちかだろうと言いたくなるような背丈の子供だった。
ただ、日本人ではないことは確定だった。
鮮やかな緑の髪。人目を引く紅い瞳は大きい。
「俺様だ!」
シーファが得意げに応じる。……それでいいんだ。
「俺様なぞ知り合いに多すぎるわ!! うしろは『客』か?」
多いのかよ!?
のこのこと寄ってくるクレメンテ(仮)。
やはり身長は高くなかった。黒いつなぎの作業服は袖なしだ。性別女というのなら胸はまな板というほどに慎ましい。例えそうでも、つなぎの下にシャツ一枚着ろよとは思う。
ちらりと視界に入った髪に半分隠れた背中は大きく素肌が晒されていた。
「フン! 確かに『客』のようだな。んんっ? なんだ。じろじろとこのクレメンテの美体に見惚れたか? 変態か?!」
遠慮など全くもって必要ではない感じでベタベタと触ってくる。
そのセリフはあり得ないぐらいに失礼だ。
見るところなんて寝癖のひどい髪についている食べかすかゴミを見ろっていうのか?
その髪を見ていて、ふと気がついた。
耳が髪から飛び出していた。
緑の髪を押し退けてプリッとした弾力を主張するように、ちょっと大きめの耳がそこにあった。
「変態め! 初対面の娘の耳に注目するなんて変態の証に違いない。しかし、身長は申し分ないが、如何せん雑魚すぎる。クレメンテを欲しがるには貴様は役不足なのだ。悪く思うな」
クレメンテ(決定)は不満そうに俺を指差し叫びつつ、俺の何かを検分する。そして何らかの結果を出し、慰めるように俺を振った。
告ってもねーよ!!
なんだろう? この込み上げる敗北感は。
俺はあまりに得体の知れないクレメンテに困惑して、シーファに救いを求める眼差しを送ってみる。
「ジクト族は耳に注目されることが求愛行動なんだよ。そんな理由も合間ってクレメンテはジクト族の間では露出狂として有名だ。ちなみにこれでも、二児の母だ」
まじかよ!?
あ。シナを作らなくていいから。子供たちがいるんだろ? 親がそんなだったら泣くぜ?
淡々と説明したシーファが俺の肩を叩く。
「んじゃ、俺は一回出るからまた後でな」
え!?
「ああ。クレメンテ、使った薬と魔力わかるんの報告書は明日持ってくるなー」
「うむ。使った薬はなんだ!」
「……『愛の架け橋』だ」
「そうか! びっちり書き込まれた報告書を期待している!! 使用者の使用感報告は重要だからな!」
クレメンテはチラチラとシーファと俺を見比べ、テンション高くニマニマと笑っている。
「簡潔に効果はあったでいいだろう?」
シーファがウンザリした表情で軽く手を振る。
「いや! 今後に生かすためにも必要だ! 魔法薬の発展に我が好奇心が欠けては発展が数日遅れてしまうわ!!」
す、数日ならいいんじゃないだろうか?
煌めく瞳は邪心で曇っているように見える。
それに対し、シーファは無言でひらりと消えてしまった。
置いて、行かれた。
ここにいるのは見知らぬ得体の知れないなんちゃってお子様。実は二児の母にして、役立つけど使用法がロクでもない魔法グッズ技師。言うなれば、マッドサイエンティストってやつだと思う。二人っきりが怖い。
ひたりと部屋が沈黙に包まれる。
観察されているのがわかる。
「我が名はクレメンテ・ロップ。偉大なる魔法工技師である。我が開発せし工具が『客』を示した。その『客』はおそらく貴様だ!!」
ビシィっと指を差される。
さり気なく踏み台に片足を載せて転びかけているのは愛嬌のうちだろうか?
「それでは尋問を始めたく思う。ついて来るがいい」
クレメンテは俺の名前を聞こうともしなかった。
「俺はエンだ。客ってなんなんだよ?」
ふわぁと振り返ったクレメンテは冷めた赤い目を俺に向ける。
「勘違いをしてはいけない。貴様に質問は現段階では許可されていないのだからな」
さっきまでのじゃれた空気はシーファがいた故だったとわかった。
尋問は食堂のような場所で行われた。
「座れ」と椅子を促され、俺は言いなりに座る。
クレメンテは手元にバサバサと音を立てて紙を積み、片手にペンらしき棒を握る。
コトリと白い湯呑みが置かれる。
振り返れば青髪の青年が立っていた。視線を感じたのか、彼はにこりと笑う。
いつのまにか向い側クレメンテの後ろにも緑の髪の少女がいて、クレメンテの髪を必死に整えていた。クレメンテはその行動なぞ見えておらぬとばかりにお茶を飲み、菓子を摘み一息ついて。
「準備は万端だ。キリキリ質問に答えるならば、後で問いかけに答えなくもないと約束しよう!!」
それじゃ、約束してねぇだろ!
こうして尋問は始まった。