通学路
返してもらったテストの出来は最悪。
追試と補習授業を考えると気鬱だ。
母親や家族に文句をつけられて、小遣いを減らされて、バカにされるのだ。
考えれば気が重くなるばかりだった。
強めの風に空を見上げれば、ふかりふかりと白を飾った青い背景に黒い送電線が風で揺れる。
そんなせつない空気に浸る俺を嘲笑うかのように同じ高校の制服を身につけたカップルがチャリに二人乗りで通り過ぎて行く。
くそっ。
補導されちまえ。
そんな不毛な事を思いつつ、耳にイヤホンをつける。
ウォークマンのスイッチを入れ曲を聴く。
せめて気晴らしをしなければやってられない。もしかしたら、これだって取り上げられるだろう。せめて今は何も考えたくない。
流れる曲を聴きながら、何時もの通学路を歩く。
くすんだ灰色の歩道。車も少なく、人通りも少ない何時もの道順。だからこそ目を閉じて曲にひたれる。
芝生の匂いがしてきたら曲がり時。
いつもの感覚なら、そろそろ芝生の匂いがしてくるはずだった。
不満を心の中でボヤきつつ歩いていたせいで見落としでもしたのだろうか?
匂いだから、嗅ぎそびれか?
鼻をひくつかせるとなぜか、乾いた埃っぽい匂い。
目を開ければ、足元が赤茶けた土だった。
訳がわからなかった。
いつもの通学路。
自宅と学校の間は徒歩十分。
公園の通り抜けなんかしてないし、だいいち、あの公園の地面は白っぽい。
こんな乾いた埃っぽい赤じゃない。
目を閉じる。
きっと、錯覚だ。
必死に自分に言い聞かせる。
いや、本当でもいつの間にかドッキリにはめられているとか?
シャレのキいた友人がいることはいるがあいつにはそこまでの実行力も財力もない。
希望は錯覚。
あんまりの成績の悪さに幻覚にハマってるんだ。
ほら、人間追い詰められると自分の脳みそで麻薬作り出したりするらしいし?
いくらライトノベル好きの俺だって、そんなことが本当におこるなんて思ってなんかいないしな。そんなこと、ありえない。あるはずがない。
それなのに。
俺は異様なほどに目を開けたくなかった。
冷静な部分が囁く。
『現実逃避だな』と。
目を開けなければ、受け容れないでいられるんじゃないかという淡い期待。
目を開ければくすんだ灰色の歩道……、は……どこにも、なかった。
開いた目に晒されるのは、埃っぽい乾いた赤茶けた土。
おそるおそる顔をあげる。
なかった。
なにもなかった。
視界に入るのは赤茶けた何もない大地と、高く澄んだ青い空。
そして、空中に霞んで見える逆三角形の山だった。
呆然として考えが働かない。
ただ、声が出た。
「あ。補習受けらんねぇや」
わかってる。
多分そんな問題じゃない。
それに追試だって受けられない。
本当に訳がわからない。
後ろを見ても赤茶けた大地に終わりなく、いつもの通学路の面影はどこにもなかった。
ああ。
そして周囲には誰もいない。
空に山が浮かんでる。
こんな場所、日本のどこにもねーよ。
「ふざけんなよ!!」
俺の叫びは無駄なことだと嘲笑われるかのように赤い荒野に吸い込まれていった。
「まじ、ふざけんな……よ」
息が切れる。
赤茶けた大地―――荒野だろう―――はどこまで行っても終わりなどないかのように広がっている。
方向はわからない。
わかったとしても、地理を知らない俺に何の役にたつのだろう?
こんな風景を持つ近場は知らない。電信柱も電線も標識だってないのだ。
動かないほうがいい?
何もない場所で?
俺にはそんな判断はできなかった。
だから荒野を歩き始めた。
音を出さなくなったウォークマンを通学鞄に放り込んで。
荒野には時々、もたれることが可能な枯れ木がある以外何もない。
風の音以外の音はわからない。
だから、まるで無人の星に下り立ってしまったかのような錯覚を覚える。
水の匂いも植物の青々しい匂いもここにはない。
もちろん、アスファルトにこびりついた排ガスの匂いや裏路地特有のアンモニア臭も感じられない。
水分補給はするべきだが、この何もない状況が恐ろしくてペットボトルに手をつけることができないのだ。
いつまで、どこまで、この何もない状況が続くというんだろう。
うっすらと翳ってきた空に思うことは夜になればここはどうなるのだろうという漠然とした不安。
ライトノベルのよくあるパターン、『勇者様召喚』とかでは実際なさそうだと思える。
だってココまで何の接触もないだなんておかしいだろう?
必死に思考を悪い方から逸らせる。
誰の声もない。
風の音だけが聞こえ、空にさかさまの山がある。
俺がおかしくなりそうだ。
「はは。ただの事故で神隠し。かよ」
たどり着いた枯れ木のそばでへたり込む。
ああ。割に合わない。
もう歩きたくなかったし、『神隠し』と呟いたことで嫌なことを思い出してしまったのだ。
『初頭円』『霧桐円』遠縁筋で『神隠し』にあい、還ってこなかった人たち。
それで、俺の名前は『七尾円』
「マジ……かよ」
じゃあ、俺はココで死ぬしかないんだろうか?
こんな荒野で渇いて、餓えて死ぬしかないんだろうか?
誰にも、知られることなく?
暗い、絶望で立ち上がることができなくなった。
じゃり
砂を踏む音。
視線を上げると黒い人影が俺を見下ろしていた。
薄暗い夕闇の中、黒いフードつき外套の人物。
手が伸びてくる。
「!」
息を飲んで身を引く。
逃げるまもなく、胸ぐらを掴まれ、引き立たされる。もっとも逃げても走る力は残っていないからすぐ捕まっただろう。
『ぎゃ!』
異音が聞こえる。
カチャカチャと金属めいた音が響く。
黒外套の人物が自分の肩を軽く叩く。
そこから顔を出す小動物。
カチャカチャと音を立てていたのはその爪だった。
何か音が、いや違う。
外套の奥から、外套の人物が喋っていた。しかし、その声は聞こえるがただの音の羅列であり意味がつかめない。
そう、『言葉』が通じなかった。
異世界召喚ものってだいたい『言葉』は、何とかなるものじゃ……ないのか?
ああ、でも海外ファンタジーなら言葉が通じないで意見が伝わらないって言うのもあったっけ?
そうだよな。
日本国内でも下手に方言きついトコいったら言葉なんかつたわらねぇもんな。
こいつは俺に何か聞いてるのか?
俺はココで殺されるのか?
それとも、勇者として何か頼まれるのか?
ぐいぃと引かれ、顎を掴まれた。
周囲は薄暗く、フードのせいでその表情はわからない。
何か音が耳に届くがやはりわからない。
強く固定されぎょっとした瞬間、唇に軽い感触。
続いてぬめる熱に意識が白くなり、外套の男を拒絶するために動こうと呼吸しようと喘ぐ。
こじ開けられた口に侵入してくる舌。そして何かがどろりと咥内に広がる。
驚愕と、むせ返るような刺激にパニックになる。
それでも男は離れなかった。
こくん
口の中に広がった刺激が唾液と共に嚥下される。
するりと男が離れる。
咳き込もうとしたところを口をその手でふさがれる。
「飲み込め」
男は俺の口を片手で塞いだまま荷物から何かを取り出し、軽くあおる。
数回嚥下される音。
「水、いるか? 言葉を通じさせるための薬だからな。飲み干さなきゃダメなんだよ。コレ」
泣いて、いいだろうか?