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その日はたしか中学一年の夏休みで、夜に近所の河川敷で花火大会が行われることになっていた。
俺はクラスメイトの男友達二人に、その夏祭りに誘われた。
「男同士のほうが気楽だし!」
「そうそう、女なんて連れて歩くなんてカッコわり―し」
いっしょに行くことになった男子はそんなことを言って俺を誘った。なんとなくその言葉の裏がわかった俺だったが実際そうだろうと、そいつらと夏祭りに行くことにした。
一時間前には家を出て、俺が土手を伝いながら屋台などが出ている、夏祭り会場へと向かっている時だった。事件は起きた。
「――っ!」
背中に激しい衝撃が走った。俺は声を上げる間もなく、前に倒れた。
ズボンの後ろポケットがまさぐられる感じがする。スポッと何かが抜かれた。
そこで俺はやっと状況を理解した。顔を上げ振り向く。だが遅かった。「ひったくり」は俺をまたぐようにして走りだした。
「待て!」
頭に血が上ったまま、俺は立ち上がってすぐさまひったくりを追いかけようとする。だが、倒れた時に打ちどころが悪かったのか、動かす度に右足に激痛が走った。
「おい待て! 待て! 待てよっ!」
悔しさをそのまま言葉にするようにして、俺はとにかく叫んだ。だがそうしている内に、ひったくりの姿はどんどん遠ざかる。
「だ、だれかつかまえてくれー!」
「任せてっ!」
もう一度俺が叫んだ時だった。俺の横を物凄い風が吹いた。
その風を起こした正体は、ポニーテール姿の女の子だった。ポニーテールの髪が右に左にと眼で追い切れないくらいの速さで動く。
「……」
女の子の走る姿を見て、思わず絶句した。距離としては百メートル以上は離れていたひったくりと女の子の距離が、みるみるうちに縮まっていったからだ。
ひったくりもそれに気付いたのか、さらにスピードを上げようとする。ひったくりの前方に、人混みが見える。会場入口だった。
まずい……このままでは取り逃がしてしまう! 無駄と分かっていながらも、俺は右足を引きずるようにして走りだそうとする。その時だった。
「ああああっ!」
女の子が雄叫びとともに、ジャンプする。まだひったくりとの距離があったにも関わらず、女の子のジャンプは一気にその距離をゼロにした。
「ぎゃっ!」
女の子に両足を後ろから掴まれたひったくりは、先ほどの俺のように、前に倒れた。
その騒ぎに近くにいた群衆も集まりだす。女の子は「ひったくりです!」と悲鳴のような声を出した。それに何人かの男が反応し、ひったくりは完全に動かなくなった。女の子はひったくりの近くに落ちた財布を拾い上げる。キョロキョロと辺りを見回した後、女の子は俺の方に駆け寄ってきた。
「はい、財布!」
女の子は汗一つかいていない、ニッコリとした表情を浮かべてきた。
「あ、ありがとう……!」
戸惑いながらも俺は礼を言って財布を受け取る。
「いいっていいって! それじゃわたしはこれで!」
女の子は手を振りながら俺に別れを告げる。
「ま、待ってくれ!」
慌てて俺は引き止めようと声をかける。その際、女の子の肩を掴んだ。
「きゃっ」
ビクッと体を震わせ、女の子はその場にしゃがみ込んだ。
「な、なに?」
女の子は驚いた顔のままに俺に振り返る。呼び止めたはいいが、何を言うかはよく考えていなかった。
「えっと……その……」
心臓の鼓動がいっそう早くなる。暑さからか緊張からか、汗がドバっと湧き出てきた。
「お礼……させてくれないか……」
やっと出た言葉は、そんなものだった。
「え……あ、うん、いいよ! それじゃいっしょに行こう!」
突然の俺の申し出に、女の子は戸惑うも、すぐに了承してくれた。俺たちは騒ぎが大きくならない内に、人混みに紛れ込んだ。
俺は「屋台の食べ物を奢る」という意味で、お礼をさせてくれと言った。だが、しばらくして女の子がそれを別の意味に捉えていることに気付いた。
「一人で祭りに来たんだけど、退屈してたんだ!」
そう、女の子は「いっしょに夏祭りを回ること」が、お礼だと思っていた。かといって今更違うとも言えず、俺はなし崩し的に、女の子と会場を回ることになった。
この日を境に、俺はその女の子――青嶋夏希と「友達」になった。
「裏切り者め……」
「制裁、制裁、制裁!」
同時に、二人の男友達からの信頼失った……。
これが俺と夏希の初めての出会いであり、「友達」になった瞬間でもあった。