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あの後、再び俺に狙いを定めてきた春海だったが、力が抜けたのかがくっと膝を地につけた。
「おい大丈――!」
「しっかりして、立てる!?」
俺が近づくよりも先に、蓮香はすぐさま春海に駆け寄った。
「ええ……大丈夫……よ」
蓮香は春海の顔をじいっと見た後、何かを悟ったのか、蓮香は春海の右腕を自分の肩に回し、起こした。
「……とりあえず、屋敷に戻るわよ」
有無を言わさぬ蓮香の言葉に、俺は黙って頷いた。俺も手伝おうと近づこうとしたものの、春海はキッと俺を睨んできたので、仕方なく、二人の後ろを歩くようにして屋敷に戻った。
その間、二人は何かを話し合っていた。聞こえなかったが、なんだか楽しそうだった。
屋敷に着くと同時に、蓮香は黒須さんを呼んだ。蓮香は黒須さんに「至急食事を用意して下さい」とお願いし、黒須さんもすぐさまその頼みに従った。
俺はわずかな時間に、庭に回って紫島家の飼い犬、マシロの頭を撫でてやった。マシロは尻尾を振り、俺の手をペロペロと舐めてきた。
マシロに別れを告げた後、俺は屋敷に入り居間へと向かう。蓮香が春海をテーブルに座らせているところだった。テーブルの上には、夕食とはまた違う、肉やらスープやらサラダなどが豪勢に並べられていた。
「食べて」
蓮香はそう春海に言う。それと同時に、春海はガツガツとそれらの食べ物に手を伸ばした。
「ごめんなさい……ありがとう……!」
食べるペースが早いものの、春海はフォークとスプーンを巧みに使いこなし上品に食べていく。どうやら春海はかなり腹を空かしていたようだ。
いつの間にやら、菖蒲さん・花梨・菫ちゃんがやって来ていた。
当然のごとく質問攻めにあう俺だったが、その問いには本人が答えることになった。ものの五分と経たない内に、テーブルの上の食事はほとんど消え去っていた。
「すいません、いきなり……。自己紹介が遅れました」
春海はぺこっと頭を下げる。春海は顔を上げ、先ほど俺に見せた表情とは、まるっきり別の――それでいていつも通りの笑みを見せる。
「わたしの名前は紺野春海です。今年で十六歳の高校一年生です。趣味は読書と音楽鑑賞です。そして……不本意ながらもそこの馬鹿と中学時代の同級生です」
入試の面接のごとく(受けたことはないが)、春海は笑顔で丁寧にそう言い終えた。春海は紫島姉妹と黒須さんに頭を下げる。だが、俺の方には下げない。
どうやら「能力」に関してのことは言わないつもりのようだ。蓮香が「能力」持ちだとは身を持って分かったようだが、やはり他の姉妹が「能力」を持っているかどうかは疑っているようだ。
「おーヨロシクなハルミ!」
突如屋敷に訪れた春海に対し、菖蒲さん一人だけはフランクに返事をした。他の姉妹――特に菫ちゃんに至っては、みんなの後ろに隠れるようにして立っている。花梨は逆にぽかんとしている。
「それでハルミは何しにこの町に来たんだ?」
菖蒲さんはそのまま普通に尋ねる。こういう時、菖蒲さんの性格が羨ましいと思う。
「……それは――」
その問いに、春海は口ごもる。だがすぐに、息を大きく吸い込み、こう言った。
「そこの馬鹿をぶん殴るためです」
若干怒りの混じった声だった。春海はギロッと俺を睨みつける。 思わず俺は後ずさる。わからない……いったい春海は何で親友の俺に、ここまで深い恨みを持っているんだ……?
「おいおい、なんかブッソーな話だな」
その答えに、菖蒲さんは初めて春海に難色を示した。
「ぶん殴るなんて……そんなこと駄目です……」
「全くだ! この男を好きにしていいのは我だけだ!」
それに便乗するように、菫ちゃんと花梨もフォローに回ってくれる。だが蓮香だけは違った。
「……とりあえず、詳しく話を聞いてみないかしら」
突如現われた来訪者の春海に対し、蓮香だけは味方側に回っていた。出会った当初では、考えられないものだった。
「……それではコーヒーを用意してきます」
黒須さんはそう言って台所の方に姿を消した。さすがプロのメイド、黒須さんは一瞬にして場の空気を読んでいた。
そして俺たちは蓮香に促されるようにして、テーブルに座る。なぜか俺の席は、長テーブルの横で、その左に蓮香と春海。右に菖蒲さん・花梨・菫ちゃんの順で座った。なに、この配置?
「どうぞ」
黒須さんがお盆に載ったカップをそれぞれの場所に置く。菫ちゃんと花梨だけは、若干コーヒーの色にミルク色が混ざっていた。
「それでは私はこれで……」
黒須さんは話を聞くつもりはないらしく、そっと部屋を出た。
「……つーかさ、なんか込み入ったジジョーっぽいけど、アタシたちが聞いてもいい話なのか?」
ズズーッとコーヒーを飲みながら、菖蒲さんは今さらながらに訊いた。
「はい。この馬鹿があたしにした行為を聞けば、あなたたちはすぐさまこいつを追い払うはずです。……というより、なんでこいつは今、こんな立派な所にいるんですか? 本当なら一人暮らしをしているはずなのに……」
言いたい放題言ってくれる。ぶっちゃけそうなっていたかもしれないので、冗談に感じられない。……ん、そういえば俺、春海にそのこと言ったっけ?
「あー、それは話せば長くなるんだけど……」
頭を掻きながら、俺はカップを持とうとした。――っと危ない、俺は中指でしっかりと取っ手の部分を掴む。うーん、やはりまだ慣れないな……。
「……一葉、それ……どうしたの……?」
春海は俺の右手を指さす。ああ、そうだった。
「いや、ちょっと犬に人差し指を噛み千切られたんだ」
「……は?」
春海はいっそう怪訝な顔をした。まあ、誰だってそうなるだろうが、事実なものは仕方ない。
「ちょっとそれっていったい――!」
「家の件も含めて、話せば長くなるからこの件は後回しだ。とにかく、お前の話を先に聞かせてくれ」
話が逸れてきたので、俺は強引に本題へ戻す。春海はかなり納得のいっていない顔をしていた。
「……わかったわよ。ちゃんとあんたの罪を思い出させてあげる」
仕方なくといった感じに春海は本題に戻る。
「おういいぜ! ただし、違うと思ったらすぐに否定するぞ」
春海が自分の言葉に自信を持っているようだが、俺にも自信はあった。何があろうとも、俺は春海にここまで恨まれるようなことはした記憶はない! ――多分……。
「ふん、相変わらず口だけは達者ね……。ホント、最低……」
春海の表情が、一瞬だけ悲しみに変わる。だがすぐに真面目な顔つきになる。
「それではお話します。そこの馬鹿――八城一葉があたしに行った『裏切り』についてを」
そうして、春海はポツポツと本人の俺ですら覚えていない、中学の時のことを語り出した。
――ここまでが前置きとするならば、この話の後こそ、俺の一生忘れられないゴールデンウィークの始まりだった。
気づいたら、俺は紫島家の屋敷を、逃げるように飛び出していた。