佐藤殺人事件
被害者は地面に「さとう」というダイイニングメッセージを残していた。
赴任するなりの殺人事件だなんて。最初は緊張していた私だったが、いざ現場を目にしたところで肩の荷は軽々しく下りた。
私ははやる気持ちを抑えながら取り調べを行った。被害者はペンションの経営者。発見したのは宿泊に来ていた5人の旅行者だった。
「この中に犯人はいらっしゃいますか? 自首するなら早い方がいいですよ」
一応訊いてみたものの名乗り出ない。田舎の駐在だからといって馬鹿にしているのか。
「この中に佐藤さんという方がいらっしゃいますね!」
犯人はいきなり名指しにされて動揺したに違いない。わずかな沈黙を挟んで、一人の手がゆるゆると上った。私はここぞとばかりに手錠を振り上げようとした。ところがせっかくの瞬間を遮るように残りの四人が手を上げた。
「な、なんです。どういうつもりですか? 皆さん全員佐藤さん? そんなわけないじゃないか。捜査撹乱ですよ。本当のことを言ってください」
「ホントにみんな佐藤なんだから仕方がないでしょう。ねー」
「な」「うん」「まあねえ」「そうそう」
5人全員が仲睦まじく頷き合う。
「そんなバカな。み、皆さん、身分証明書を出してください」
学生証、運転免許証、保険証が提示される。いずれも正真正銘の佐藤だった。
「どうしてこんなに佐藤ばっかり……。偏りすぎだろう」
「佐藤は日本で一番多い苗字です。重複したって不思議じゃない」
「それにしたっておかしい。あんたたち、一体どういう関係?」
「私たちはインターネットで知り合った佐藤愛好会のメンバーなんです」
「なんなんですか、それは?」
「佐藤という苗字を称える会です」
「活動内容は?」
「ですから佐藤という苗字がいかに素晴らしいかを話し合うんです。参加条件はもちろん名前が佐藤であること。ただそれだけです」
私はしばらく茫然としていたが、不意に腹の底から笑いが込み上げてきた。
「何がおかしいんですか?」
「だって、あまりにもバカバカしくて。いかにも珍しい苗字ならともかく、よりにもよって佐藤だなんて。平凡すぎる。ありすぎ。素晴らしくもなんともない」
「佐藤を侮辱するつもりですか?」
「侮辱も何も、私も佐藤なんだ」
「え、あなたも同志ですか?」
「やめてくれよ。確かに私は佐藤だけど、こんな名前がいいと思ったことなんて一度もない。無個性だし何の面白味もない」
「不必要に自分をけなすのはよくありませんよ」
「別に自己嫌悪なんかしていない。佐藤って名前が最低だってだけだ」
「佐藤は何も悪くありません」
「いいや、最低だよ。何回でも言ってやるね。佐藤なんてどうしようもな……うっ!」
私は頭に衝撃を受けてその場に倒れ込んだ。五人の声がうっすらと耳に届く。
「あー、またやっちゃったよ」
「ううん。佐藤さんは悪くない。この人、同じ佐藤なのに佐藤を馬鹿にしすぎだもの」
「すみません。佐藤の悪口を言われると、どうしても我慢できなくて」
「佐藤さんがやらなかったら僕がやってたかも……」
「佐藤さんは我々の、いや、佐藤全体の鏡ですよ」
薄れゆく意識の中で、私は地面に「さとう」とつづるのが精一杯だった。