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選ばれぬ正義  作者: ふぁい(phi)


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3/7

第三章 説明に使われた沈黙

その出来事は、

ニュースになるほどのものではなかった。


地方署で起きた、

軽微な職務上のトラブル。


通報。

臨場。

対応。

結果。


手順は、過去と何ひとつ変わらない。


違っていたのは、

その後に書かれた「補足説明」だった。


桐山は、

その文面を読んだ瞬間、

視線を止める。


――「現場では、

  当該対応以外の選択肢も検討されたが、

  結果として、適切な措置が選ばれた」


検討された、という一文。


だが、

誰が検討したのかは書かれていない。

どの選択肢があったのかも、

明示されていない。


桐山は、

その言い回しを知っている。


それは、

実際に語られた異議ではない。


語られなかった違和感を、

後から「検討」として回収する書き方だ。



桐山は、

第二章の投書案件を思い出す。


語られなかった疑問。

判断されなかった迷い。


それらは、

正式な記録には残らない。


だが、

「存在した可能性」としてなら、

後から使える。


説明の厚みを増すために。

判断を強固に見せるために。


桐山は、

背中に冷たいものを感じる。


選ばれなかった正義は、

消えるのではなかった。


再利用される。



桐山は、

報告書の作成者を確認する。


若い係長。

実務に長け、

文章も整っている。


悪意はない。

むしろ、

組織を守るための最適解を選んでいる。


桐山は、

軽く声をかける。


「この“検討された”という部分だけど」


係長は、

少し考えてから答える。


「過去の事例を踏まえた表現です。

 実際、現場で問題提起がなかったわけではないので」


問題提起。


だが、

その場で語られたわけではない。

記録もない。


それでも、

言葉としては成立してしまう。


桐山は、

それ以上、何も言わない。


言えば、

この文章は修正されるだろう。


だが、

修正されたところで、

別の言い回しが用意されるだけだ。



夜、桐山は、

自分のノートを開く。


そこには、

語られなかった違和感が、

断片的に書かれている。


だが、

そのどれもが、

証拠にならない。


証拠にならないから、

守られない。


守られないから、

説明に転用される。


桐山は、

初めて理解する。


語られなかった正義は、

無害ではない。


扱いやすい。


語られていないからこそ、

誰のものでもなく、

どんな結論にも合わせられる。



数日後、

内部監査の資料が回ってくる。


例のトラブルについて、

外部から問い合わせがあったという。


記者ではない。

市民団体でもない。


「過去の類似事例との整合性」を

確認したいという、

ごく事務的な照会だ。


桐山は、

その回答案に目を通す。


そこには、

第二章で扱った案件が、

「類似事例」として引用されていた。


語られなかった違和感が、

ここで初めて、

公式な文脈に組み込まれている。


桐山は、

ゆっくりと椅子にもたれる。


異議は、

語られなくても、

役に立つ。


役に立つ形で、

後から意味を与えられる。


それは、

前作で描かれた

「語られた正義」よりも、

さらに扱いやすい。



桐山は、

その回答案に、

一切手を加えなかった。


加えれば、

自分が関与した痕跡が残る。


残れば、

それは新たな「語り」になる。


彼は、

沈黙を選んだ。


だが、

それが中立ではないことを、

もう知っている。


沈黙は、

空白ではない。


素材だ。



帰り道、

桐山は、ふと考える。


この構造は、

どこまで進むのか。


語られた正義は、

前例になる。


語られなかった正義は、

説明になる。


どちらも、

判断を止めない。


むしろ、

判断を加速させる。


桐山は、

歩きながら、

足音を数える。


一歩。

一歩。


誰も立ち止まらない。


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