第8話:S級ボスとトップアイドルと、地底湖での気まずいピクニック
地底湖の青白い光が、張り詰めた空気を照らし出していた。
目の前には、国内トップクラスのSランク探索者にしてアイドル、神宮寺アリス。
彼女は細身のレイピアを構え、鋭い眼光をこちらに向けている。
対して、僕の背後では銀髪の美少女ことS級ボス・ロゼが、低い唸り声を上げていた。
「主様、あの生意気なメスを排除する許可を。爪の垢ほども残さず消し飛ばします」
「ちょ、ちょっと待ってロゼ! ストップ! ブレス禁止!」
僕は必死にロゼを制止しつつ、両手を挙げてアリスに向き直った。
「あ、あの! 僕は怪しいものじゃありません! ただの底辺配信者で……!」
「知ってるわよ。佐藤カイト、登録者数二桁……だった男」
アリスは剣先をわずかに下げ、呆れたようにため息をついた。
「ここまで追いかけてきたけど……あんた、本当にただの一般人みたいね。魔力反応がミジンコ以下だわ」
「ミ、ミジンコ……」
「それに、そのS級ボス……」
アリスの視線がロゼに向く。
ロゼは僕の腕に抱きつき、威嚇するようにアリスを睨み返していた。
「ふん。主様に色目を使っても無駄だぞ、貧相な女め」
「だ、誰が貧相よ! っていうか、なんでそんなに懐いてるの!? あんた、国を滅ぼすレベルの『終焉を喰らうもの』でしょ!?」
「今は主様の忠実な『メイド』だ。文句があるなら焼くぞ」
一触即発の空気。
その時、僕の腹の虫が『グゥ~』と情けない音を立てて鳴り響いた。
静寂。
「……ぷっ」
アリスが吹き出した。
「あーもう! 調子狂うわね! わかったわよ、一旦休戦! 私もここまで走ってきて疲れたし」
彼女はレイピアを鞘に収めると、その場にペタンと座り込んだ。
僕もへなへなと腰を抜かす。
「ほら、主様。あんな野蛮な女は放っておいて、これを」
ロゼがどこから取り出したのか、僕の口元に『激安エナジーバー(チョコ味)』を差し出してきた。
「あ、ありがとうロゼ……」
「あーん、してください主様。はい、あーん」
「え、いや、自分で食べ……」
「あーん」
有無を言わせぬ圧力。
僕は諦めてロゼの手からチョコを齧った。
甘さが疲れた体に染み渡る。
「……信じられない。S級ボスが、まるで恋する乙女じゃない」
その光景を見ていたアリスが、タブレットを取り出して何かを確認し始めた。
画面には僕の配信が映っている。
「同接、もう5万人超えてるわよ。コメント欄も『てぇてぇ』とか『爆発しろ』で埋め尽くされてるし」
「ご、5万!? 嘘だろ……」
「嘘じゃないわよ。あんた、もう有名人ね。……で、どうやったの? そのテイム」
アリスの瞳が、探るような色から、純粋な好奇心へと変わっていく。
彼女は少し身を乗り出した。
「実は私、こういう魔物生態学とか結構好きなのよね。通常、S級モンスターは自我が強すぎてテイムなんて不可能とされてるんだけど……」
「い、いや、僕もよく分からなくて……気づいたらこうなってて」
「ふーん……ま、あんたのその『抜けた感じ』が、逆に警戒心を解いたのかもね」
アリスはリュックから携帯食料を取り出し、もぐもぐと食べ始めた。
トップアイドルとは思えないほど気安い姿だ。
「ねえ、アリスさん。どうしてここまで?」
「……これを見つけたからよ」
彼女は懐から黒い金属片を取り出した。
以前見た『黒の楔』だ。
「誰かが故意にモンスターを暴走させてる。あんたの配信を見て、この場所が震源地に近いと踏んだの。……まさか、あんたが犯人じゃないでしょうね?」
「ち、違います! 僕はただ配信のネタを探しに……」
「知ってる。ミジンコにあんな高度な術式は組めないもの」
酷い言われようだが、疑いは晴れたらしい。
「とにかく、地上に戻るまでは協力してあげる。私もこの『黒の楔』の出所を突き止めなきゃいけないし、あんたみたいな一般人を置いていくわけにもいかないから」
「ほ、本当ですか!? 助かります!」
Sランク探索者の護衛。
これほど心強いものはない。
僕が安堵の息を漏らすと、ロゼが不満げに頬を膨らませた。
「主様、私の護衛だけでは不服ですか? こんな人間など、盾にもなりませんよ」
「い、いやいや、ロゼは最強だけどさ、仲間は多い方がいいじゃない?」
「仲間……? チッ、主様がそう仰るなら仕方ありません。荷物持ちくらいにはしてやりましょう」
「誰が荷物持ちよ!」
アリスとロゼが火花を散らす。
その様子を見ながら、僕は安物ドローンのカメラに向かって苦笑いした。
コメント欄には赤スパが乱れ飛び、『ハーレム展開キタコレ』『アリスちゃん素が出てるw』『カイトの胃に穴が空きそう』という文字が流れていく。
とりあえず、最悪の事態は回避できた……のか?
地底湖の静寂の中、奇妙な三人組の休息は、しばし続くのだった。
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【アイテム・用語】
- 激安エナジーバー(チョコ味): カイトが持参していた非常食。ロゼが甲斐甲斐しくカイトに食べさせたことで、コメント欄を沸かせた。




