第3話:S級ドロップと疑惑のトップランカー
土煙が晴れると、そこには何もなかった。
いや、正確には『何かがあった痕跡』だけが残されていた。
つい数秒前まで、俺、佐藤カイトを絶望の淵に叩き込んでいたSランクモンスター、アビス・スパイダー。
巨大な体躯も、鋼鉄より硬いとされる甲殻も、すべてがロゼの放った一撃――単なるデコピンのような衝撃波によって、文字通り分子レベルで分解されてしまったのだ。
「主様、終わりましたわ。あのような多脚の虫ケラ、主様の視界に入れるのもおこがましい汚物でしたので、塵にしておきました」
ゴスロリ服の埃を優雅に払いながら、ロゼが微笑む。
その笑顔は、背景がダンジョンの最深部でなければ、守ってあげたくなるような可憐な美少女そのものだった。
「あ、ありがとう……ロゼ。えっと、塵って、本当に跡形もなく消し飛んでるんだけど……」
俺は引きつった笑みを浮かべながら、恐る恐るコメント欄を確認する。
『ファッ!?』
『今の何? CG? 特撮?』
『いや、解析班だけどパーティクルの挙動がリアルすぎる。これマジモンだぞ』
『俺の知ってるアビス・スパイダーと違う、もっとこう……絶望的な強さのはずだろ!?』
『ロゼちゃんマジ天使(物理)』
安物ドローンカメラが捉えた映像の向こう側では、視聴者たちがパニックを起こしていた。
そして、画面を埋め尽くすような赤いエフェクトの嵐。
『スパチャ:¥10,000 とりあえず命拾いおめ』
『スパチャ:¥50,000 ロゼちゃんのファンクラブ入会金です』
『スパチャ:¥10,000 主の情けなさが逆に癖になってきた』
「う、うわぁあああ!? 赤スパが! 赤スパが滝のように!?」
俺は慌ててスマホの画面に張り付く。
人生で初めて見る高額投げ銭の乱舞に、恐怖も忘れてドーパミンがドバドバと溢れ出した。
「主様? 何か良いことでもありましたか? そのように顔を緩ませて」
「あ、ああ! ロゼ、すごいぞ! お前のおかげで今夜の晩飯が豪華になりそうだ!」
「晩飯……? よく分かりませんが、主様がお喜びなら何よりです。あ、そういえば」
ロゼはふと思い出したように、足元に転がっていた『何か』を拾い上げた。
それは拳大の大きさがある、禍々しくも美しい紫色の宝石だった。
「虫ケラの死骸から、これだけが残っておりました。キラキラしていて綺麗でしたので、主様への貢ぎ物に良いかと」
「え……これって」
ロゼから手渡された石。
ずしりと重いその感触に、俺は首を傾げる。
『おい待て』
『それってまさか』
『鑑定スキル持ちいないか!?』
『【深淵の魔石】じゃねーか!!』
『はあああ!? ドロップ率0.01%の幻の素材!?』
『市場価格1億5000万のやつだろそれ!!』
「い、いちおくごせんまん……えん……?」
コメント欄の文字が、俺の脳内で巨大な札束の山に変換される。
俺の手が震え始めたのは、さっきまでの恐怖とは全く別の理由だった。
一方その頃、地上。
都内某所のタワーマンション最上階。
「……ありえない」
日本で五本の指に入ると言われるSランク探索者、神宮寺アリスは、震える手でタブレットを握りしめていた。
彼女の目の前には、カイトの配信画面が映し出されている。
「アビス・スパイダーを単独撃破……しかも、従えているのは人型に変身した高位ドラゴン……?」
アリスは眼鏡の位置を直しながら、画面内のロゼ、そしてカイトが手にしている『深淵の魔石』を凝視した。
探索者としての長年の勘と知識が、この映像がフェイクではないことを告げている。
「それに、あの場所……間違いなく未踏破領域『奈落の底』だわ。
背景の岩盤に含まれる魔素の輝きが、上層とは桁違いだもの」
彼女は立ち上がり、部屋の隅に置かれていた愛用の武装――純白の戦衣とレイピアを手に取った。
「こんな一般人が、あんな危険地帯にいるなんて。しかも、S級ボスを『テイム』して連れ回すなんて、ダンジョン管理法違反もいいところよ!」
正義感か、それとも未知の事象への好奇心か。
アリスの瞳に強い光が宿る。
「待ってなさい、バカ配信者。私が直接行って、その化けの皮を剥いでやるわ……! ついでに、そのふざけたテイムスキルの謎も解明してあげる!」
アリスは身支度を整えると、風のように部屋を飛び出した。
ターゲットはEランクダンジョン『初心者の墓場』の最奥、そのさらに下にある奈落。
こうして、地上最強の探索者が、底辺配信者の元へと向かうことになったのである。
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【アイテム・用語】
- 深淵の魔石: アビス・スパイダーからドロップしたS級の魔力素材。紫色の禍々しい宝石で、市場価格は1億5000万円にも上る激レアアイテム。




