6
都会は好きだ。一人ぼっちじゃない、そう錯覚を与えてくれる。
中央砂漠に位置するチスタ=バローチ市は、1000年前からある人工湖のほとりに広がっていた。フアラーンに比べれば建物の背丈は低いし、繁華街から少し外れただけで安っぽい建売住宅が同じ顔をして並んでいる。
それでも、ロナンブルグの山々から3日かけて下山して砂漠のハイウェイを走った後では都会の光化学スモッグも熱いシャワーのようにここちよかった。
レイナは事前に調べておいた白痴のグアイの事務所を建物の外から監視していた。路駐したトラックの荷台から銃眼越しに出入り口を見ている。交差点の角に建つ黄色い2階建てのアパートで看板や表札の類はない。建ててから1000年は経っている古いレンガ造りのアパートだった。
「ほらこれ。ブリトーらしき食べ物があったから買ってきた」
ニシが昼食の買い出しから帰ってきた。
「ブリトーってなんだよ。蛋餅だろーが」
この味も、懐かしいチョウシュウ食品の合成肉だ。ロナンブルグの本物肉に比べれば、ティッシュを噛んでるみたいな肉だが、それがいい。しつこいくらいのマヨネーズとチリの味付けも悪くない。
「こんなの食ってたら寿命が縮まりそうだ」
「はっ、おもしれー。てめーは不死身だろ」
「レイナの寿命を心配して言ってるんだが」
「飯くって死ぬわけ無いだろ。それに、だ。10年20年先 病気で死ぬよりも明日明後日鉛玉を喰らうほうがよっぽどアリよりのアリだ」
「それは、レイナの言葉?」
「さあね。傭兵じゃみんなこう考えてんじゃね? ま、あたしは優秀だかんよ、おっ死ぬことはないぜ」
「じゃあ早死しないよう、豆とコメのグリーンサラダを買ってこないと」
不健康な飯ほど美味い、というのは道理だろうが。他の傭兵みたいに酒もタバコもやらない分、健康には自信がある。あとウェストは細くケツもほどほどに大きい。
「で、グアイは出てきたか? 俺がいない間に」
「いや。腰の曲がった婆さまと、不健康そうなシンママとそのガキ。それっきりだ。グアイってのは男だろ?」
というか、それ以上の情報がない。ネネの婆ちゃんいわく、グアイはブレーメン系の名前で本来の発音ではgurwaiだとか何とか。
「そうだな。ロナンブルグの若者たちも、個人サイト経由から仕事を請け負っていて、直接会ったことはないらしい」
「ロゼとアーヤの方はどうなんだ?」
「ロゼは連邦系の商工組合へ行ったが、ウェルダンの手がかりは無かったみたいだ。アーヤは昔ながらのやり方でクラブの顔役に当たってるみたいだが」
「ま、そう簡単に情報が出てきたら苦労しないわな」
レイナはトラックの荷台の、工具箱に腰掛けた。不健康味の蛋餅にかぶりついて、カフェイン入りの緑の炭酸ジュースで流し込む。外は青い空に容赦なく照りつける真っ白な太陽が浮かんでいるが、トラックの荷台は空調が効いているので涼しかった。
チスタ=バローチは中立都市を宣言しているだけあって、あちこちには連合の大企業の広告看板が立ち、道路をみやればコウノイケの現金輸送社が走り、財団製の飾りっ気なしの安いSUVとピックアップトラックが走り、市警の装備は連邦系の車両と武器だった。
そして道路の補修作業は、作業ロボットよりコストの安い難民たちが炎天下の中作業していた。
「2000年も歴史があるのに人権という概念が無い。酷いもんだ」
またニシがわけのわからない愚痴をぼやいている。
「仕事があるだけマシなんじゃねーの? 砂漠にテウヘルにギャングに、街の外は住めたもんじゃねぇ。この街より東へ行けば、もうあとは黒い砂漠地帯だ。連合も財団も連邦も、難民を門前払いする」
「マシだろうがなかろうが、人権は認められるべきだ。ああいう二級市民じゃ口座が作れず家も借りられず、その日暮らしだ」
どうだかね。あたしからしたら連中は努力もせず楽してる連中だ。あたしは砂漠の中の廃墟のアジト暮らしで、連中みたいに毎日仕事があるわけじゃなかった。努力して歯を食いしばって今や、連邦の特務部隊の一員だ。
「レイナも、思いやりを持てたら良いのにな」
「勝手にあたしの頭ん中を想像してんじゃねーよ! あたしだって昨日の夜 飯食ってる時やってきた物乞いに金をやったじゃねーか」
「そうだな。善因善果、きっといいことがある」
ニシは適当な返事をして、レイナの頭を適当に撫でた。立ったまま、銃眼越しに外を見ながら昼食にかぶりついた。レイナはパルを開いてロゼへ定時連絡=「変化なし」を送った。ウェルダンまであと少しだと言うのに肝心の情報屋が捕まらないのが気に入らない。
「よし、突撃しよう」
レイナはすっと立ち上がって、冷房でキンキンに冷えたドアノブをつかんだ。
「待て待て、行ってどうする」
「グアイを見つける。丸1日待ってても出入りしてないってことは引きこもってるんだろ。だから、行く。いないなら手がかりがあるはず。どうだ、あたし、賢いだろ」
ニシは、酷く嫌そうに眉をひそめたが引き止めるのを諦めた。
レイナに続いてニシもトラックを降りて鍵をしっかりかけた。武器もぶら下げているが、治安の悪いチスタ=バローチじゃ市警も、武器を使わない限りは見逃してくれている。
黄色いアパートの出入り口は、表の通り側に2つあった。一方はマットレスやソファの粗大ごみが積んであって入れない。もう一方から入った。
内部は明かりが無く、風の吹き溜まりにゴミが積もっている。空気も埃っぽく乾燥している。
部屋番号はわかっていた。2階の角部屋で通路側には換気用の小窓が1つ、あるだけだった。化石みたいなアパートのくせにドアは電子錠だった。非接触式のカードリーダーとキーパッドが付いている。
「チッ、面倒だな。キーパッドってことは指紋を見つければ……」
しかしキーパッドの数字は不規則に並んでいて、起動するたびにその配列が代わった。
「ふむ、合理的だ」
「口動かすんじゃなくて、頭動かせよな!」
「電子キーならシスが解錠できるはずだ」
「おっ、そうだった」
レイナはナイフを取り出すと、4つあるマイナス・ネジを回して蓋を外した。束になった配線からセキュリティに繋がっているユニバーサル・ジャックを自分のパルと接続した。数分の作業の間、ニシはレイナの“壁”になって廊下の向こうを監視してくれていた。
「もしもし、シス? この扉を開けられるか」
しばらく返事が無かったが、すぐノイズ混じりの電子声が返ってきた。
『解析中。しばらくお待ち下さい』
「愛想のない奴」
『聞こえてんだからね!』
最後のは地声で返ってきた。
1分もしないうちに、電子錠が解除された。横開きのスライドドアが音もなく開いた。
室内は暗く、スイッチを押しても電気は付かなかった。チョウシュウ食品のゴミがらが積んである散らかった部屋だった。
「あたしのイメージだと、腕利きの情報屋ってもっとこういい暮らししてるものだと。アパートはオンボロ、家具といえばテーブルとソファだけ。電気代を払ってないせいで止められてる。この汚れ方からして、ここで寝てたな」
「トイレの水の乾燥具合からして、1ヶ月は帰っていないはずだ。何か手がかりは」
ちらり、とニシに目配せされた。うず高く積もったゴミ山をかき分けろって? 嫌な仕事だな。
テーブルのゴミ山をかき分けると、食品のプラスチック包装ごみに混じって消費者金融のチラシや名刺サイズのビジネスカードも混じっていた。そしていくつかのクラブのレシートもあった。
「かなり羽目を外すタイプって感じね。そりゃ住処に金を使えないわけだ」
テーブルの上はゴミしか無かった。レイナはかがんでテーブルの下を覗き込むと、破れた衣類の下に情報端末を見つけた。それに手を伸ばそうとした時、
「レイナ」
聞き慣れた、ニシのバリトンボイスだった。レイナも立ち上がって一歩身を引き、拳銃のホルスターに手を添えた。
なんの警戒心もなしに、戸口に現れたのは3人の、20歳前後の若者たちだった。シャツの袖と襟口からはセンスのないタトゥーを見せている。ゴロツキのような知性を全く感じさせない姿勢と服装は、つまり相手を死ぬまで殴りつけてもへとも思わない連中だった。
「こんにちは」
ニシは両手を広げ武器を持っていない、とアピールした。
「こんにちは、じゃねーよ。もしもし? 頭ん中からっぽですか? ウチから借りた金と利子、きっちり払ってもらわんと困るんだわ」
「なるほど、お仕事ご苦労さま。だが、きっとそれはここの家主のことだろう。俺たちも家主に用事があって、偶然開いたからこうして中に入っただけだ」
しかしゴロツキ共は頭の悪そうな笑い方をして、
「あのな、そのヤヌシさんじゃなくてもいいわけ、わかる? 金さえ貰えれば俺達だっておとなしーーく帰るんだ。金がなきゃ、くくく、そっちのべっぴんなお嬢ちゃんをいただいていかなきゃなぁ」
「べっぴんな? どこにいるんだ?」
クソが、後でお前も殴る。
ゴロツキの挑発的な態度に、ニシは紳士的に対応していた。後ろの1人が手癖でジャックナイフをいじりだしても、ニシはチラリとも見なかった。
「落ち着け、俺たちは軍から来た」ニシは身分証を見せつつ「穏便に事を済ませたい。グアイの居場所について知っていればそれなりの礼をする」
「はっ、あはははははっ。警察じゃなくて兵隊さんね。てことは罪のない市民に手を上げられねーってわけね」
3人衆の頭がガンつけながら一歩前へ出た。レイナも、ニシの静止を振り切って前へ出る。
「てめーら、調子こいてたら痛い目あうぞ」
「ほう、べっぴんだけじゃなくて肝もすわってら。俺好みだ」
「あたしは銀髪だぞ。なめてんじゃねぇ」
「なーにが銀髪だ。そんな真っ白な銀髪があるわけねーだろ。ふつうはグアイみたいにちょろっと白いだけだっての」
唐突な衝撃=くそ、頭がくらくらする。
頭突きを食らったレイナは、すぐ意識を戻すと男の胸ぐらをどついて押しのけた。不意な腕力にバランスを崩して、男の体は部屋の外まで吹き飛んで壁に当たって倒れた。
「本物の銀髪の力、教えてやんよ、フニャチン野郎。かかってこい」
レイナは武器を構えることもなく、ニシに習った通りのカラテの構えをチンピラに向けた。
「おっと、刃物は無しだ」
ニシはチンピラの腕を掴んでジャックナイフを取り上げたが、しかしレイナに加勢せず、一歩身を引いた。
固く握りしめた拳でチンピラの1人の顔によこっつらを殴る。血が飛び出て歯が折れて飛んだ。なんて心地良んだ。少しだけフリオの気持ちがわかる。
代わって訪れる衝撃=横から殴られた。
すぐ足をさばいて2発目をガード/カウンターにジャブ&ジャブ。3人目のチンピラがよろける=上半身の守りは硬いが体幹が崩れてる・
レイナは足払いでチンピラを床に倒すと、髪の毛を掴んで玄関横の靴箱にぶち当てた。柔い合板製だったため、チンピラの顔がめり込み、崩れた棚の木片に埋まった。
「レイナ、それぐらいでいいだろう」
「わーかってるよ。あたしだって力加減ぐらいできる」
「ふん、そうだな。さて喋れそうなのは、お前だけか」
ニシは最初にふっとばされたチンピラの眼の前で蹲踞いて覗き込んだ。ニシの手には拳銃がある。
「いくつか質問がある」ニシは穏やかなバリトンボイスだった。「グワイの居場所は」
しかしチンピラは答えなかった。するとニシは静から動へ──急に拳銃の遊底をスライド/装填して男の額に銃口を突きつけた。
「ひっ、知らない! 俺達はここに住んでる野郎に金の催促をするよう言われただけだ!」
「で、雇い主は?」
「あ、ばばあ、坂東って顔役だよ」
ああ、とレイナが反応した。
「アーヤが言ってたな。この街の顔役で銀行やら闇金の取り立てが専門だって」
「じゃあ、グアイが銀髪だってのは?」
あれ、そんな話、あったっけ。
「会ったことはない。そう聞いただけだ。もみあげのところが、こう、白いんだ」
「そうか」ニシが冷たく言い放ったせいでチンピラが縮こまる。「もう用は無い。さっさと雇い主んところ帰れ。あとそれっぽい言い訳も考えておくことだな」
ニシは拳銃のセーフティをかけた。チンピラたちはすぐ我に返って、おぼつかない足取りでアパートから逃げた。
「こういう場合、緩急をつければいいんだ。銃を、ただの脅しと見せびらかしたかと思ったら急に撃つ気配を見せる。そうすることで相手に心理的な余裕をなくさせ、真意を引き出す。一種の心理戦」
「さすが、ニシだな。あたしだったら歯が全部なくなるまで殴ってたぜ」
ニシは手を伸ばしてレイナの前髪をかきあげた。
「額、大丈夫か」
「ばっ、触んじゃねぇ! 大丈夫に、きまってるだろーが」
「そうか。ただでさえ少ない脳細胞がさらに減ったら困るだろうから」
余計なお世話だ、くそが。
レイナはテーブルの上のゴミを全部床に掃いて落とすと、唯一の手がかりの情報端末をテーブルに置いた。
「アーヤなら使い方がわかるんだろうけど、あたしは……」
電源の入れ方ぐらい、わかる。バッテリーはまだ残っていた。しかし次には画面いっぱいにパスワードの認証が求められた。
「さて、次はちんちくりんの出番だな」
レイナはパルからケーブルを伸ばして、情報端末のユニバーサル・ジャックに挿した。
「もしもし、シス。次はこれ。解除よろしく」
パルの、視差を利用した立体画面に、シスがたがねとハンマーを持って石を打っているアニメが流れた。
『うえ、安物の電子錠とはわけが違うんだよ』
「ほら、がんばれって。お前ならできる」
『レイナわかってない。ベベル社版のOS義式ver601.4だよ。セキュリティが硬いの』
「いやでも、たかが機械だろ。こんな小さくて軽い」
『むー。放熱用のアルミベッドも氷風呂も無いのに。さて、とりあえず辞書攻撃は──』
30秒ほどずっと沈黙した後、電子音声のシスの声が返ってきた。
『──試行中。しばらくお待ち下さい。現在、力任せ攻撃中』
情報端末の画面も変化がなく時間がかかりそうだった。
「あーまだかよ」
「そう焦るなよ、レイナ。俺たち前衛も後衛も、同じぐらい大変なんだ」
「さすがニシ様、わかってらっしゃる。トーキョーでもこんな感じなのか?」
「ユキの後衛か? 11進数の量子演算器を搭載したサーバー群だから──」
「トーキョー語じゃなくてあたしにもわかるよーに言うと?」
「シスよりもずっと大きいコンピューターだ。ペンタゴンのファイアウォールも1秒で突破できる。プロテクト自体を解除するんじゃなくて溶解するんだ。ただシスは、個人の頭にこれだけの電算処理機能が詰まっているのは驚きだ。たぶん、0と1のデジタル処理以外にも人格回路を使って処理能力をブーストしている」
そういう細かい話は、知らない。
「ふうん。で、そのユキってのは女か?」
「恋人? いや、まさか。ただの仲間だよ」
ふうん=無意識にその質問が湧いて出たが、理由が自分でもわからない。そういえばもうひとり、トーキョーに女がいたはず。名前は確か、サクラ……。
その時、パソコンからビープ音が鳴り、立ち上がった。
『うへ、疲れたんだよ。対話式暗号なんて趣味悪すぎる。289日前の晩ごはんは? だってさ。簡易対話アルゴリズムで、毎回質問が変わるの。OSのルートに日記帳があって、それを参照してる。回答もアルゴリズムで判断されるから、正確さは要らないけど文脈が通ってないと弾かれちゃう』
意味がわからずニシを見たが、ニシも肩をすくめただけだった。
部屋は乱雑だったがパソコンの中は整理が行き届いてていた。サイバーネットにつなげて、メッセージのやり取りを確認した。
「123011件の未読メッセージ。これ全部見るのか」
ありきたりな、フィッシング詐欺、精力増強剤、アダルトサイトの広告メールばかりだった。
『見つけたよ!』
「どわ、いきなり喋るな」
まだシスとつながっているのを忘れていた。
『難しいことじゃないんだよ。受信じゃなくて送信を見るんだよ。2ヶ月前に頻繁にやり取りしたメッセージがある。宛先は匿名だけど、電子アドレスは、えっと……ここだね。企業オフィス街の外れにあるバー・ソメウリ。あ、ちょっと待って』
ぷつっ、とシスとの会話が途切れた。
「けっこう、役に立つんだな」
「だろ? お互い持ちつ持たれつ、仲間を尊重するんだ、レイナ」
「ちっ、わかってるよ」
「でもレイナだって、チームの役に立っている。銃弾をかいくぐって戦う役回りも、大切だ」
「それ、褒めてる?」
「褒めてない。事実を言っただけだ」
くそ、そう言われるとどう返していいかわからない。
『もしもーし、レイナちん』スピーカーから代わってアーヤの声がして『こっちでも話がまとまったよ。バー・ソメウリが怪しい。経営者はママ・グルアって呼ばれてる』
「……で?」
妙な名前という点以外は、気にならない。
『ネネ婆ちゃんは、これはブレーメン式の命名方式だって言ってる。ブレーメン式の発音でグ・ゥルア。で、私達が探しているのがグ・ァイ。つまり2人は親戚? 家族? わかんないけどそういう関係。住所を送るね。とりあえず、ホテルに戻ってきてね。待ち合わせは1時間後』
そこで通信が途切れた。
「ま、事が進んで良かったじゃん。あたしがアパートに突入しようって提案したからだぜ。すごいだろ?」
「ああ、すごいすごい」
ニシは雑にレイナの頭を撫でた。
「ついでに、すごいレイナにお願いだ。レイナ、トラックを運転してみたくないか」
「バカいえ。男は女のために運転するってのが道理だろうが」
レイナはニシを部屋の外へ追い立てた。そして入口のドアは開けたまま、次の目的地へ向かった。




