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車列は山腹の旋回場で足止めを食らっていた。
古地図では道が山の向こうまで繋がっているはずだったが、がけ崩れで塞がっていた。ネネの萬像で吹き飛ばせば山体自体が崩れそうなくらい、山肌全部が岩で覆われている。
トラックは狭い山道で方向転換ができるはずもなく、ロゼが神経をすり減らしながらなんとか旋回場へ後退してきた。ロゼは澄まして見えるが、言葉の節々にイライラが乗っかっている。
ロゼと、萬像のお陰で記憶力の良いニシがあれこれ話している。しかしまだ結論は出ていないようだ。もしロナンブルグの集落へ戻るとしたら今日1日の行程が無駄になる。
「なあ、これなんだ?」
レイナは道の側の小さな祠を覗き込んだ。小さい祠は石とモルタルで壁と屋根が作ってある。そして中には不格好な石像が座っていた。
「あっこれこれ!」
アーヤが珍しく甲高く鳴いた。
「うっせぇな、耳元で叫ぶなよ」
「チョンプーン市でブレーメン学派のヒトに会ったって言ったでしょ。そのとき見せてもらった写真とそっくり! ええともうちょっと大きかったはずだけど」
「ふうん」
レイナはじろじろと祠を覗き込んで、そして石像を小突こうとしたらアーヤに手を叩かれた。
「いーい? これはねブレーメン廟っていうの」
「廟?」
意味は知らないし綴りも書ける自信がない。
「ブレーメンの七戦士──マングット、リアン、テン、ザップ、ママム、カヌゥそして末の娘を祀っているのよ」
「末の娘って、アレだろ」
レイナが顎で示した先で、ネネとシスがニシと話している。子どもたちに懐かれた青年、に見えるがそれぞれが1500歳の化石ババアと40歳以上のサイボーグオバサンと、萬像で歳を取らない青年だった。
「平均年齢1500歳」
レイナがぼやいた。
「長い太刀を持ってるから、たぶんリアンの祠かな。ともかく、これはとても大切なものなの、いい、わかった?」
はいはい、わかったよ。ガキじゃないんだ、石を投げて遊んだりしないって。
レイナが前駆二輪に戻った時、ちょうど話がまとまったらしい。
「この道を戻って、2つ目の分岐を左に行こう」
ニシがわざわざ教えに来てくれた。
「で、あたしが偵察だろ? はいはい、わかってるって。でもロナンブルグに戻ったほうが確実じゃね? 人が住んでるんだし道だって」
「ここの住人は連邦とも企業連合とも馴れ合っていない。また以前のようにトラブルに巻き込まれたくないそうだ」
「以前って、あれだろド田舎でドンパチしたアレ。ネネのせいだろ、変な仕事を安請け合いしたせいで」
「妾を呼んだかの?」
ニシの背中から──文字通り──ひょっこり登って黒髪のお団子ヘアが現れた。
「呼んでおりません」
はぁ、軍隊ってのは面倒だな。
ほどなく出発し、例のごとくレイナは先行して道を偵察した。山道は殺風景なまま、山肌に沿って右へ左へ曲がっている。山肌は石と岩で覆われている。僅かな灌木と下草は、あちこち歩いているヤギに食われるせいですぐ禿げ上がってしまう。
肌感覚では、もうすぐロナンブルグに戻る頃合いだった。左の谷底は浅くなり、川沿いには乾燥に強い木々が生え、畑も小さいながら点在している。
「2つ目の曲がり角は、ここだな」
背の低い尾根に沿った道で、今度は右側に谷底が見える。
「こちらレイナ。この道はだいぶ見通しがいいな。がけ崩れはないっぽい。車の轍もまだ新しいし」
シスの機械眼ほどではないが、目がいいので、道が遠く霞む先まで見通せた。しかし人影はなく、ヤギばかりだった。
『了解。レイナさん、引き続き先行偵察を』
「あーこの先、広場があるみたいだけど、休む?」
『いえ、遅れを取り戻すためこのまま走り続けてください』
「了解」
レイナは尻のすわりを直して、肩をぐるりと回した。荒れ地に苦労しているトラックとバギーを尻目に、さっさと出発した。
道幅はさっきより広く、ヒトの手で補修はしてあるようだった。対向車がロバが引く荷車ぐらいならトラックとすれ違えるはず。
「と、ちょっと離れすぎたか」
さっきからずっと見えていた広場で一旦停車した。
広場は岩山を削り三方に朱に塗られた建物があった。壁に刻まれた文様は誰もが知っているブレーメン模様だった。
「へぇ、これがブレーメン廟」
広場の中央には焼香台があり、消えた線香が刺さっている。廟の中には巨大な石像が鎮座していた。道中の祠より実写的に掘られている。1つひとつが武器を持っている。巨大な刀だったり鈍器だったり、夜になったら動き出しそうな迫力がある。
アーヤほど知識もないから由来がわからないが、珍しいものだしやっぱり見入ってしまう。1ずつ見て回ると、最後の1つが小さい石像だった。幼い少女の石像で、武器などは持っていない。しかし左手が鮮やかな青色に塗られている。
「末の娘。んー、ネネにはぜんぜん似てない」
この石像は、幼く清楚で可愛らしく作ってあるが実際のネネはもう少しふんぞり返った態度をしていて生意気だ。髪型が違うのは良しとして、実際のブレーメンの姿を正確に模しているとは到底思えない。
レイナはネネの石像を見ながら、視線を動かさず背後の気配に傾聴した。金属の擦れる音と小さいささやき声が風に乗って届いた。一旦は聞こえたがその後は不自然にもぴたりと止んだ。ごく自然にバイクに戻るふりをしながらホルスターの留め具を外した。
ソードオフ・ショットガンには弾を込めてある。右手も、拳銃を提げている右太ももの横で動かさない。
しかしなんの変化もなくバイクのところへ戻ってきた。
『レイナさん、定時連絡を』
「あーもしもし。道路状況は問題なし。ピンクの子猫ちゃんはお腹をすかせているみたいだ」
『了解』
お腹をすかせている=危険が迫っている、と符牒暗号でロゼに報告しておいた。
「あーそれとブレーメン廟っていうのかな。デカいのがあった」
『なにそれ、私見たい!』
ロゼに変わってアーヤが通信に割り込んだ。
『アーヤさん、観光に来たわけじゃないんです。レイナさんは、一旦待っていていください。子猫ちゃんにご飯をあげなくちゃいけないので』
「了解」
ったく、敵かどうか不明の輩に囲まれて、1人待てってのか。罠が無いか見張る役が必要なのは理解しているが、やっぱり心細い。
バイクのキーを回しイグニッション・オン。いつでも発進できるようにしておいた。
その時、視界の外から明るい輝きが近づいてきた=直感的にソレの正体はわかっている。レイナはすかさずショットガンを抜くと、緩慢に時間が流れる中で照準を落ち着いて合わせた。
引き金を絞る/同時に空中で火炎瓶が砕け散った。崖の上とレイナとちょうど中間ぐらいに慣性で液体が飛び散り燃えた。
弾はあと1発。そして崖の上には岩陰から古びた猟銃を構えた人影がワラワラ湧いて出た。言葉は一切交わしていないが「それ以上動くな」というのが伝わった。
「はいはい、降参だ。だから撃つなよ」
レイナはショットガンを折って排莢し、ゆっくりと地面に置いた。拳銃もゆっくりとした動作でホルスターごと地面に置いた。そして諸手を上げる。
地面近くにいた2人がセミオートライフルを手に近づいてくる。反撃してこないとわかって自慢げなのがムカつく。でもニシならきっとこうする。無理に反撃せず一旦主導権を相手に渡して、好機を伺う。
銃を持っている連中は兵士というわけではなさそうだった。しかし盗賊とか追い剥ぎとか、そういうのでもない。日差し避けにバンダナを巻いた男たちで、節くれだった手や紫外線で白濁した眼球を見るに、たぶん地元の農民だ。銃も、ボディアーマーを貫通できないような骨董品ライフルだった。
レイナは一切言葉を発さず、いかつい連中もレイナの武器を取り上げるだけで言葉を発さない。
ややあって、ロゼのトラックが見えた。失態にさてなんと言い訳しようか。1発殴られるぐらいは覚悟しておきたいが、ロゼの腕力じゃ歯が折れる前にマウスピースをはめさせて欲しい。
車列が止まり、まずライフルを持ったニシが前に現れた。銃口は下げているが、1秒の10分の1で構えられる姿勢だった。シスはトラックの上にはぴょんと飛び乗り長大なライフルを構えた。
いやまて、やり合うのか? どう見ても数で負けているだろう。全員倒せてもあたしは何発か食らうんだが。
「俺達は武装しているがあくまで自衛のためだ」ニシがずいぶん慣れた言い回しで言い放つと「お互い紳士な対応をしよう。そちらの責任者は」
ざわざわと小さい話し声が聞こえる。
「お話をしましょう。私は丸腰ですわ。紳士ではなく淑女ですが」
ロゼはジャケットを脱いだ。大型拳銃はぶら下げてなく、体の線がよく見えるタートルネックのセーターだけだった。
対して、レイナに銃を向けている2人とは別に、干からびた老人が出てきた。歳を取っているが足取りは確かで、長銃身のショットガンを構えている。
「はじめまして。私はロゼでございます。怪しく見えるかもしれませんが、訳あってオーランドから遠くウェルダンへ旅をしております」
「連邦の兵士か」
老人の言葉は訛りが強かった。
「ええ、兵役は経験しましたわ。認識証をご覧になりますか? パルの電子証で簡易的なものですが」
くそ、あれだろ。認識証を見せたスキに老人を羽交い締めにして逆人質にするっていう。映画だけと思ったがニシが訓練場でやって見せて、鳥肌がたった。
しかし老人の返事はなかった。すっと指を、この先の道へ向けた。
「盗賊。財団の兵士の。この小娘は人質だ。お前たちが倒せ」
ロゼはまだ微笑を浮かべたままだったが、その表情がぴくりとも動かない。レイナも両手を上げたまま、ロゼの指示を待った。
銃を突きつけられているが、どちらも中距離用で取り回しが難しい。力ずくで奪い、殴り倒せばたかが痩せた農民の2人ぐらいわけない。ニシもシスもすぐ反応して援護射撃をしてくれる。あたしたちは仲間だ。黙ってたってそれぐらいの連携は取れる。
「うわーブレーメンのおっきい像だよ。みてみてアーヤお姉ちゃん」
場違いなほどの甲高い幼女の声が響いた。ニシの静止をするりと避けると、ネネがアーヤの手を無理矢理に引っ張ってブレーメン廟の中へ行ってしまった。
「これ、七戦士の末の娘でしょ。すごいねー」
「そ、そうね。とても威厳に満ちていて聡明でおわせられる……」
「かわいいーでしょ」
「うん、かわいい」
なんだこいつら。
「ね、アーヤお姉ちゃんは七戦士の中で誰が一番好きなの?」
「もちろん末の娘……」
「うっそだー。前 話してたの」
「カヌゥかな。あはは、仲間を守る殉死のお話は、涙なくしては聞けないから」
「カヌゥ! でもね、知ってた? 鎌ドウマが大の苦手で一目見るだけで膝が震えてたんだよ」
神話に登場する本人が神話の裏話を披露するのは、正直笑える。
ネネはアーヤの腕をがっしり掴んで無理やりブレーメン廟を見て回った。途中出会った農民兵にもお行儀よくお時期したせいで、農民兵も銃を下げて挨拶した。
「提案です。翁の方。私たちかよわい3人が人質になるのはどうでしょう。人質といってもその銀髪じゃ扱いに困りますでしょう?」
老人は、じっと黙って白く茂った眉さえ動かさない。思わせぶりな逡巡のあと、顎で部下たちに指示し、引き下がった。ロゼがネネとアーヤに合流すると農民兵はレイナに武器を返した。
★おまけ