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ブレーメンの聖剣 第3章散華<サンゲ> 下巻  作者: マグネシウム・リン


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挿絵(By みてみん)

家の入口からバスルームまで、レイナの抜け殻が落ちていた。銃のホルスター、ベルト、制服のズボン、ジャケット。上下セットの黒い下着は投げ捨てられたまま観葉植物に引っ掛かっている。

 レイナが手に握っているのは、拳銃だけ。

 バスタブの底に横たわって熱いシャワーが顔にかかる。栓を抜いてあるのでほんの頬ぐらいの高さだけに水が溜まるので窒息はしない。握っているか握っていないか、分からないぐらいの力で拳銃を包んでいる。

 これだけ濡れていても、正常に作動する。近衛兵団の記章入り拳銃。弾も入っているし撃鉄は起きている。でも、指が震えるせいでトリガー・ガードに上手く入らない。

 バスルームのドアはあけ放ったまま、そこに(ヤツ)がいた。

『……初めまして。(おう)アナ・キルケゴールです。年賀の挨拶では顔を隠していたので、この顔を見るのは初めてかもしれませんね。みなさんに、大切なお知らせがあります。最初で最後のお願いです』

 (ヤツ)のパルからなじみのある声が聴こえる。年増なくせに優しい声をしている。

(わたくし)たちは、数百万年続く人類の末裔、なのです。にわかには信じがたいかもしれません。人類は銀河中心部で生まれ繁栄を遂げた後、緩やかな衰退と退廃を迎えました。そこで人類は……』

 何度聞いても、おとぎ話にさえならない、突拍子のない話だ。

『……そうして文明の回帰(リセット)を繰り返し人類種を数百万年の間、存続させてきました。これは唯一大陸(タオナム)へ入植した時の、映像です。3桁区に倒れている旧居住塔。あれは入植のため準備を整えるための旧人類の居住区でした』

 そんな映像ごときで騙される奴なんていねーって。

『私には責務があります。人類を未来永劫、この銀河に生きながらえさせなければならないのです……』

 クソッタレな理由であたしらは生まれたってわけか。

『次の惑星への播種(はしゅ)計画はすでに最終段階を迎えていますが、虚無の災害はオーランドを取り囲むように進んできています。軍は戦う準備が整いました。が、市民の皆さんにも協力してほしいのです。配給所ではすべての人に十分量の武器と弾薬をお配りしています。それを、どうか。銃を人類の敵に向けて、使ってください』

 あほくさい。

 虚無の災害が避けれないってのは、市民の誰もがもううすうす勘づいている。耳をすませば銃の発砲音が聞こえる。戦って死ぬより、今さっさと死んでしまった方が楽だ。皇のため、くそったれな人類のため戦う義務はない。

 アナの声明はすこし時間が空いたあとで再び始まった。ニシもパルを閉じた。

「どうしてそこにいるんだよ」

「自殺って案外難しいんだ。即死できないと苦しむことになる。介錯(かいしゃく)だよ」

 知らねー言葉使いやがって。いらつく。

「アナは、ずっと悩んでいた。どうして自分にこんな役割が回ってくるのか、って。何百人も皇はいたのに、どうしてよりによって自分の()で終わりを迎えるのか、って。重責にずっと悩んでいた。俺たちの前で気丈にふるまっていたのは、そういう重荷と諦めとささやかな期待だけだった」

「わかってる」

「ロゼもそうだ。レイナ、君を騙すような形になって一番苦しんでいた。ロゼは泣きたくなるような状況で、ずっと涙をこらえていた。上司として君の友人として」

「わかってる」

「俺も、すまない。君には言っていないことが多すぎた」

「こうなることは、いつ知ったんだ」

「いや、実際のところ最近なんだ。ウェルダンへ向かう途中、ロナンブルグで。観測情報から、虚無の災害は幾何級数的に速度を上げている。と、こんな話はもういいな」

 暴露話のつもりか?

「——もう少し前の話だ。タムソムからオーランドへ向かう途中、腐獣(テウヘル)の集団とやりあった後のことだ。アナたちと話した。俺は兵士としての経験も指揮官としての経験も——正確には歩兵ではなく艦隊だが、ある。そして寓像(ミソロジー)は、ネネほどの破壊力は無いにしろある程度万能で柔軟性がある。だから協力を頼まれたが、それは3人、君たちの任官を条件に引き受けた」

 なぜ——

「——なぜって? 君たちのフアラーンの生活を見たからだ。いつ死ぬかもしれない生活をしていて心が痛んだからだ。いずれ訪れるであろう虚無の災害までにせめて、意味のある人生を送ってほしかった。そしてあわよくば虚無の災害は君が寿命を迎えた後の問題になれば、と願っていた。せめて君だけは——」

「そんなこと、てめぇに頼んだ覚えはねーよ! いらねーおせっかいだ。あたしはずっと弱い者いじめをしてきた! 反政府活動だの陰謀論だのって警棒で殴りつけてな! でもまともだったのはあいつら(・・・・)のほうだったじゃねーか! こんな、こんなみじめな思いするくらいならな、とっととフアラーンで腐獣(テウヘル)に食われた方がずっとマシだっての!」

 レイナは起き上がり/左手に銃を握ったまま指先がトリガーに触れた。爆発音が浴室に轟いた。

 ニシは微動だにせず。すぐ顔の横でタイルがはじけ飛ぶ。ニシの耳から一条の血が流れたがすぐに傷は塞がった。

 銃声に驚いた仲間たちが顔だけをバスルームに出した。

「全員呼び出したってか。クソが」

 泣きはらした顔のアーヤと、年相応に心配そうにしているシスだったがニシに目配せされてリビングに戻った。

「俺の名前はニシだ。本名はとっくに捨てた、ただのニシ」自己紹介あるいは自分語り「コールサインは西(ウェスト)人類(ゲプト)軍外交部所属。外交部ってのは秘密工作とか威力偵察とか、そういうのが仕事。しかし異文明との戦争は数百年に一度あるかないか。だから練度維持のためホモサピエンスの社会に介入していた。いわば、金次第で動く秘密の軍隊、だな。普段は暇つぶしがてら東京の公安に協力したりしなかったりだが、紛争があれば各地に派遣されていた。

 俺は、それが全部平和につながると思っていたが、結局何も変わらなかった。核の流出を防いだり、難民を救ったり、10人の国連兵士を助けるために100人の少年兵だって殺した。なのに、何も変わらなかった。相変わらずヒトはヒトと殺しあってる」

「何が言いたいんだ」

「俺は3億年後の地球から来た。ここは、3億年前の地球。唯一大陸(タオナム)、俺たちは超大陸(パンゲア)と呼んでいる太古の世界だ」

「そんなバカな話——」

 億、だと? (とし)を数える単位じゃないだろ。

「嘘じゃない、というのはレイナが分かるだろう。後のエピソードは、最初会ったとき話したとおりだ。(ア・メン)に、世界を救え、そう言われてこの世界線へ飛ばされた。

 そう、言い忘れていた。世界線。平面の連なりが空間であり空間の連なりが時間である、だったか。アマーの四定理。世界線に過去も現在もない、無限の現在が並行して存在している。だから時間旅行はたとえ(ア・メン)でさえできない。無いものはできない。が、それぞれの“現在”は時間の流れが異なる。3億年後の現在も3億年前の現在も同時並行して存在している。文字通り、無限、だから。あるいは観測したら存在する、ともいえる。あとは(ア・メン)は手ごろな世界線に俺の自我と記憶を飛ばした——どうやったかは知らないが」

「ばかばかしい」

「そう、だが真実」

「世界、この世界を救ってくれるのか」

 しかしニシは首を横に振るだけだった。

「それは、少しだけ期待したが、やっぱり(ア・メン)の言葉だ、そのまま信用するに値しない。10日後、アナは旅立つ。人類を連れて。そして3億年後、人類はなんとか(しゅ)を繋いで、めぐりめぐって俺たちホモサピエンスが誕生する。ある意味、君らヒトも俺たちホモサピも、第1の人類の因果で誕生するってわけだ。それが(ア・メン)にとっての“世界の救済。”

 もっとも、“この世界線”が“俺のいた世界線”と同じ歴史をたどる確証はないが、(ア・メン)がわざわざ救えと言ったんだ、ほぼ同じだろう。わかるか?」

 わかるわけないだろうが。

「じゃあその、3億年後のトーキョーで私たちの生きた証があるってこと?」

 ドアの向こうからアーヤが訊いた。

「いや、無い。虚無の災害は、なるほど面白い言葉の綾だな。ようは使いすぎたマナの揺り戻し、だ。すべて生命体を吸収し元に戻す“ゆりもどし”だ。生命体が消えた後の地球は大陸全部を巨木が覆う石炭紀になるわけだ。先史文明が存在した、なんて誰も信じない。考古学的な証拠も残っていない。俺も、聞いただけでは信じられなかったが、唯一の証拠が赤月の印、だ。

 皆はあれが、皇の胸に収まった赤い宝石のことを指していると思っているが、あれは単なる送信機、量子通信機だ。赤月の印とは一種の人工衛星で、皇すべての記憶が量子通信で同期(エンタングル)している。それだけでなく赤月の印は皇の子宮へ遺伝情報を転送して次の皇を処女懐妊する……で、その赤月の印の実物を、俺は皇のオリジナルの素体を見た。赤月の印は機械じゃない。なんというか、ふわっとした水のような空気のような、そいういやつだった。場所こそ月公転軌道だが、存在しているのはコンマ数秒 ずれた次元にある。はっきり言って科学だか魔法だか、わからないシロモロだった。人類(ゲプト)の技術でさえぼんやりと何かが存在する、ぐらいにしか認知できない。だから見て触れるために寓像(ミソロジー)で無理したわけだが、触ったとたん、皇の記憶を見た。まるで何百万人もの記憶が一瞬で流れるような体験だった。でも、一番最後の記憶は覚えている。たしかにアナの記憶が最後だった。漆黒に包まれる大陸を、宇宙から眺めていた。君たちも、いたかもしれないな。はっきりとは思いだせないが」

「アナさんの記憶が最後なら、じゃあ、惑星脱出は失敗するの?」

「いや、おそらく赤月の印が回収できなかっただけなんだろう。そしてある程度距離が離れると記憶が同期できない。あるいは虚無の災害でそもそも同期(エンタングル)が途切れてしまったか。さっきのアナの話でもあったように、惑星移民は数万年から数十万年のサイクルで行われる。いわば文明の極みまで発展するわけだから、次元の隙間に存在する赤月の印を回収できるんだろう。わずか2000年のヒトの文明じゃ、それは難しい」

「でもニシ君、けっこう詳しいこと知ってたよね」

「ウェルダンのソラ。彼が持っていた剣を覚えているか? あの剣にはブレーメンの戦士、ニケの爺さんの魂が囚われている。3億年後、俺もあの剣を手に入れる。そしてニケの爺さんからいろいろと教わっている。いや逆だな。先史文明のことを知り、爺さんに問いただしたら『ああ、そうじゃった』とか話し始めた。主に第1次獣人(テウヘル)戦役の前後だけれど」

 3億年だと、ばかばかしい。バカ話だが、マジな証拠が目の前にいる。皮肉野郎でバリトンボイスでスカした奴。

「わかったよ、よくわかった」レイナはツルツルするバスタブでバランスよく立ち上がった。「あたしらが戦えば、アナを宇宙へ逃がせられたら、お前が生まれるんだろ」

「ああ、そういうことだ」

「で、今度はあたしたちのとこんに助けに来る。バカげた理屈で」

「ああ、そういうことになる」

「じゃあいい。あたしは戦ってやる! クソッタレな人類のためじゃねぇ。ニシ、お前のために」

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