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物語tips:前駆二輪
一般的な車両は、前方部に電動の反重力機構を装備して、その反作用で移動している。後輪は一般的にはゴムタイヤを履いているが、高級車となれば完全に浮遊する。
一方でバイクは昔ながらのレシプロエンジンとゴムタイヤが主流だが、レイナの父が改造したバイクは前方部に自動車用の反重力機構を備えている。膝の高さほどを超高速で滑走できる。また、完全に地面から浮いているので、砂中の腐獣を刺激したり地雷を踏むこともない利点がある。
「では、こことここにサインを」
「うっす」
レイナは、連邦の境界監視員の差し出した書類に目を通すことなくささっと流れるような筆跡でサインをした。通関書類というより免責事項に近く「この先は連邦法の及ばない無法地帯であり、危害を加えられた場合、連邦は個人的な案件に介入することができません」という内容をこねくり回したかのような小難しい文で埋まっている。レイナは「私は同意します」という文にいちいちチェックマークを付ける。
係員の座っている個室ブースはエアコン付き充電用コンセントありの快適空間だったが、屋根があるだけの屋外に立たされているレイナにとっては窓の隙間から漏れ出る冷気でさえ心地よかった。
連邦と企業連合の支配地域を隔てる最後の関所は、ほとんど要塞のような佇まいだった。高い壁と有刺鉄線、そして浅く掘られた壕に囲まれている。腐獣は知性がないので、壕に落ちたら同じ動きで起き上がる。そこを監視塔からの狙撃で仕留める。連邦のハイウェイは危険地域でも軍の警備が行き届いているが、ここから先はフェンスもないし連合の民間警備会社が腐獣掃除をしてくれるわけでもない、ただ真っすぐ伸びる道だけがあった。
レイナが書類を返すと、ブースの中の係員が会釈した。
「では道中お気をつけて」
ふん、笑えるぜ。危険な目に遭っても連中の責任は「お気をつけて」の言葉をかける程度だってことだ。
レイナは書類をバッグにしまうと、前駆二輪にまたがってイグニッションキーをオン=前駆二輪前方の反重力機構に通電しふわりと浮かび上がる。自動でソリも格納された。
滑るように低空を飛び、すぐ先で待っていた仲間たちに合流した。ニシとシスは各々のライフルを組み立て、照準器を調整している。
「やっとこれで銃が持てる」
レイナは再び前駆二輪から降りるとバッグを漁って、ショットガンとその弾帯、マチェーテを体に巻き付ける。そして拳銃も、ニシに倣って右太ももにホルスターを巻いた。ちょうどいい塩梅に外套が銃を隠し、引き抜くときは外套のスリットから手を伸ばせた。
隣で腕組みしているアーヤも、いつもの短機関銃とそして右の腰に同じ軍用拳銃を提げていた。そして、
「オーランドにいる間、銃はいらなかったじゃない? だからこの先自分の身は自分で守るってなんか面倒よね。オーランドに住む価値っていうの? わかった気がする」
「あたしらは、その“オーランドにいる間”もドンパチしてたんだが。しかも1ヶ月も軍のキャンプでつまんねー訓練をさせられたんだ。銃を使ってこそナンボだろ」
大型自動拳銃は軍の支給品で、弾倉2つと弾も一箱、一緒に支給された。弾を使った分の報告書を出す規則だったが、レイナの記憶に報告書はもう無かった。
「案外、銃って簡単だったんだね。的にぽんぽん当たったよ」
「ばかいえ、的は動かないし撃ち返してこねーだろ。腐獣相手に戦うの、あんなに楽じゃねーんだからな」
だからこそのショットガンだった。質量で叩き割るマチェーテもそう、どちらもかすりさえすれば腐獣の動きが封じ込められる。
「レイナ、よく勉強したじゃないか。いい教官にあたってよかったじゃん」
ニシはライフルを負革で斜めがけしている。その三三式ライフルは、元は死体から奪ったものだが、書類上は支給されたと上書きされた。ライフルの上部レールには私費で買った中距離用照準スコープと遠距離用のブースターが付いてる。シスの長距離射撃とレイナの短距離攻撃の間を埋める手段だった。
「あー教官もそんなこと言ってたっけか。半分はあたしの経験則。動かない的なんて撃ててもさ、当たり前じゃんって」
「といっても戦闘機動訓練じゃ、だいぶしごかれたらしいな」
ニシは笑っていたがレイナは真顔だった。
「あんな罵倒されたの生まれて初めてだった。いや、だってよ。拳銃なんて使ったことねーしよ」
レイナはおもむろに拳銃を抜いた。その手を後ろからぬるりと伸びた手が強烈に掴んだ。
「レイナさん、銃を抜くときの原則、覚えていますか」
背筋がぞっとする生ぬるい声に、
「常に弾が入っている、標的のみに向ける、常にトリガーを離す、常に弾を抜いておく」
ロゼはレイナの背後にぬるりと現れ、レイナの手から拳銃を取ると、慣れた手つきで弾倉を抜いた。遊底を素早く2度 前後させ薬室が空であると確認する。
「ごめんなさい」
「銃とは意思であり責任です。連邦製の銃と弾丸は常に、連邦の敵にのみ向けられなければなりません。とりあえず拳銃は次の街に行くまで私が預かっておきますから」
「でもよ!」
「なんですか?」
クソおっかなない目つきだ。教練キャンプの教官を思い出す。もはやロゼは雇い主ではなく上司であり上官だからあまりごちゃごちゃ言い返せねぇ。
ロゼはすたすたとまっすぐ背筋を伸ばし、自分の運転するラリー・トラックへ戻った。以前、タムソムから乗ってきたトラックとは別の、軍用装甲トラックを民生風に再塗装したものだった。腐獣の襲来に備えて、自動迎撃機銃が左右に1門ずつ、電動ゲートの下に隠れている。
「ま、気を落とすな、レイナ」
「ふん、くだらね」
「レイナ、反省」
ニシがごしごしとレイナの頭を撫で、ニシの背中におぶさったシスもレイナを撫でた。
『ウェルダン派遣部隊』はレイナのバイクを先頭に、アーヤのバギーとロゼの運転するトラックが続いて街道をひたすら走った。連邦のように整備された街道ではない。錆びた道路標識が次の目的の街のチョンブーン市までの距離を知らせていた。
チョンブーン市は北海に近いので季節があった。ちょうど今は雨季で、空はどんより曇っている。雨は、今日のうちは降られなさそうだった。荒野に現れた水たまりのオアシスを見るに、あまり多く雨が降ると道路も水没しそうだった。
『レイナさん、道路が冠水していたら早めに報告を』
「了解」
ロゼに指示されたが、こっちだって冠水は苦手だ。反重力機構は荒れ地には適しているが水の上は走れない。理屈は知らないが、そういう仕組みになっている。そして電気配線がむき出しのせいで水没したらすぐ故障してしまう。
レイナは視線を遠くに、深い水たまりやら脆い橋やらを警戒したが、そこまで荒れ放題というわけでもなかった。
『対向車線、なんか混んでるね。そういや、検問所も反対側は混んでたよね』
アーヤの声が無線機から届いた。対向車線をずらずら走るのは、古びた長距離バスや荷台にまで人が乗ったピックアップトラックだった。仕事やら旅行というふうでもない、巨大な荷物も車に載せていた。
「難民だろ。軍警察が喋ってるの聞こえたぜ」
『へ。やっぱ砂漠化のせいかな。でも連邦って許可が降りるのかな』
知らない。そういうのはロゼのほうがよく知っているだろうが、今は話しかけたくない。
『どだい無理じゃな』
返事をくれたのはネネだった。幼女ボイスのくせに言葉の一つひとつが婆くさい。
『でも追い返されてもさ、行き場がないでしょ』
『チョンブーンなら、まあ砂塵とギャングと遭うこともないじゃろうな』
『むーなんかかわいそう』
『アーヤ、救うべき者は多い。今は自分の任務に集中することじゃな』
物は言いようだな。大多数を救うには少数を犠牲にしなければならない。ここが傭兵と兵士の違いだ。どちらも銃弾にかじりつく生き物だが、傭兵は状況に応じて動けるが、兵士は少数を切り捨てる/切り捨てられる。やっぱり納得できない。
前駆二輪の硬いシートのせいでケツが痛くなった頃、チョンプーン市の外環高速道路の橋桁をくぐった。砂漠に生えた人工都市群で、大企業の巨大看板がどの方向を見ても目に飛び込んでくるのが懐かしい。
ウェルダン派遣部隊の車列は道をそれ、パーキングエリアに入った。レイナは充電ケーブルを車両に繋いでコインを充電器に入れた。一方でアーヤは燃料缶の中身をタンクに移し替えている。
「では今日の行動目標です」ロゼは言葉遣いは丁寧だが一挙一動が軍人じみている「まず侍従長は連合の通貨へ両替しにコウノイケへ行きます。連合の紙幣はレイナさんたちに払ってしまって手持ちがないですから」
そしてその紙幣は、すべて連邦の通貨カードに替えてしまった。
「了解」
「護衛はレイナさんが担当します」
えっ……いや顔に出さず、静かに頷いておこう。
「妾といっしょがそんなに嫌か」
ネネが小さい婆ちゃんみたいにしょげた。
「そんなんじゃないって、ただ」
「妾も、かわくない孫を連れて歩くのは嫌じゃ」
クソババアが。
「他の隊員は車両の護衛です。最新の情報では、チョンプーン市の治安は悪化しています。攻撃を未然に防いでください。発砲は私の許可があるまで禁止です」
レイナは、しかしいつもどおりの連合系の街ぐらいにしか感じなかった。パーキングエリアの回収されないゴミ山では、そこから換金ゴミを漁る薄汚れた浮浪者がゴミ山を掘り起こしている。駐車場を野良犬の群れが走り回る。雲飄向東──これが日常だった。
「そして情勢は常に流動的です。アーヤさんとニシさんでこの先のルートの情報収集をお願いします」
そこで各々が散開となった。
前駆二輪のリアシートの荷物をトラックに移すと、すでにネネがちょこんと乗っていた。お行儀よくハーフヘルメットも被っている。
「そのメット、どうしたんだ……ですか」
「む、これか? ニシがの、危ないからと1つ、買っておいたんじゃ。ほれ、はようせい。時間は大切なのじゃ」
「あれだろ、時間是金だろ。あたしでも知ってるぜ」
わざわざネネのためにブレーメン学派のありがたーい言葉を諳んじてみせたが、ネネはそっぽを見たままだった。
前駆二輪を走らせ街の中心部へ向かう。片側2射線の道路の両側にデパートと銀行が並んでいる。その出入り口には民間警備会社の武装警備員が立っている。路駐しているパトカーにも、防弾ベストと自動ライフルを装備した警察が暇そうに車列を眺めている。コウノイケの支店は銀行のすぐ横にあった。こじんまりしたビルで、1階部分が現金輸送車の駐車場、2階が窓口だった。
「んだよ、治安いいじゃん」
「お主の目は節穴よの。警備員も警察も明らかに重武装でこれのどこが治安が良いと言うんじゃ。チョンプーンは夜間の外出禁止令が出ておる。どれもこれも難民と一緒にギャングどもも流入して、後ろ暗い仕事をしているからじゃ」
ある意味で傭兵にとってはビジネスチャンスということだ。市警で対応できない案件があれば顔役が傭兵を雇う。たぶん、難民とギャングに加えて傭兵も相当、街に入り込んでいるはず。
「つまり、あたしたちが仕事をきっちりこなせば、ここにいる奴らも救えるってことか」
「そうじゃな。レイナ」
仕事の話はそれ以上、無かった。
窓口のカウンターでレイナは武器の類を預け、ブーツまで脱いで金属探知機をくぐった。一方のネネは特に検査をされることもなく、棒付きの飴ももらった。番号札をもらい暫く待つ。たぶん、1時間くらいかかりそうだった。
「ガキ扱いじゃん」
暇なので慇懃無礼に聞いてみた。
「若く見えるということじゃな。よいよい」
ネネはちゅぽん、と棒付き飴を口から引っ張り出した。他人から見れば、金持ちの娘とその後見人ないし銀髪の護衛役、ということか。だれも隣に座ろうとしない。むしろ事務員がアガモール茶をレイナに持ってきた。
「上客扱いじゃん」
「額が額じゃからの。コウノイケも客を見分ける目があるということじゃ」
ネネはポシェットから手帳型のパルを取り出した。予想に反し、婆っぽい黒の本革ケースだった。
「ふーん」
レイナは渡された茶をためらうことなく飲んだ。オーランドの下水でも死ななかったなら、毒が入っていたところで腹を下すくらいで済むはず。
ネネは、食べ終えた飴の棒を、黒手袋の左手で包み、開いたらすでにそこにゴミは無かった。ちょっとした手品を披露してネネはニンマリした。
「萬像ね。おっかねぇ。というか体力を使うんだろ? いいのかよガキの遊びに使って」
「よい。転送術は、体力の消耗は物体の質量対して相関がある──」
レイナはソウカンという言葉が何を意味するかわからず小首をひねったが、ネネは構わず続けた。
「──そして質量とは単純に重力に対する重さという意味ではないのじゃ。つまりヒトの精神や魂といった複雑さもまた、相関がある。それを旧人類の知識から得て、そして萬像で再現したんじゃ」
「はぁ」
「この間、オーランドの地下へ2人を迎えに行ったじゃろ? ゴミ1つ消すのはわけないが、ヒトを運ぶとなると相当に疲れる。若い頃はもっとこう、自由気ままに行ったり来たりできたんじゃがの」
レイナのとなりで小さい体がのびをした。
「えーと、旧人類のナンチャラカンチャラ」
「そうじゃ。旧人類の技術や知識。妾は少なからず、1500年かけて少しずつ収集してきた。電子サーバーはこの間、シスに盗み見られたがの、宮廷の私室にはすでに破棄された知識の写本がまだ残っておる」
「おかしくね、それ? お前ら……じゃなくってオーランド政府は回帰主義って聞いたぜ。古い知識は捨てるんだろ」
「妾はブレーメンじゃからの。ヒトの社会の制約は受けないのじゃ。じゃがの、レイナ、興味はないか。ブレーメンの本当の姿、宇宙の真実。レイナもヒトであろう。ヒトがどこから来てどこへ向かうのか」
「むー、あたしあんま難しいことわかんねーけど。ヒトの祖先が宇宙から来たってアレだろ」レイナはすこし唸った後「やっすいSF映画でも陳腐すぎて面白くないぜ」
「なんじゃそれは」
「ヒトっていうけど、そんな大昔のことなんて関係ないだろ。あたしらにとって大切なのは美味い飯と家と、あとはアレだな。力だ。銃だ。その旧人類様の力で、働かなくてもよくなるってんなら大歓迎だけど、そうじゃないんだろ」
「なんとまあ。レイナ、お主はアナとよい友だちになれるじゃろうて」
「ならねーよ。歳だって倍は違うじゃん」
空いた茶碗を事務員に返した。番号札を確認するとあと2人だった。
「ええと、なんだったけ。アーヤがよく言うんだ。そう思い出した! 不知其子観知其友。ブレーメン学派のありがたーい言葉だぜ。意味は、えっと。友達を知れば……」
「レイナ、一応言っておくがの、妾は生まれてこの方、そんなけったいな諺なぞ言ったことないぞ」
「いやでもこれ、ブレーメンの言葉だろ?」
しかしネネは、口をとがらせたままそれ以上喋ってくれなかった。
番号札の番号が呼ばれ、ネネが個室のブースに入ったがレイナはその外で待機した。腕を組んで意味ありげに銀行の客たちを睥睨すると、皆が正面を通らず迂回して歩いた。
「何をしておる、レイナ。終わったぞ」
ネネはコウノイケのロゴ入りのナップサックをレイナに押し付けた。普段感じない紙の重さを両手で受け止める。
「もっとこう、何かないのかよ。鍵付きアタッシュケースとか」
しばらくの間オーランドで生活していたせいで紙の紙幣の面倒くささを忘れていた。こんなの『私はお金を持っています』ってギャング共に教えるのと同じじゃないか。
出口で武器を返してもらい、路駐している前駆二輪へ戻った。
「案外早く終わったな。アイスでも食って帰るか、婆ちゃん」
「ふむ、そうじゃの。妾はやはり3段アイスがよい」
「腹、壊しても知らねーぞ」
いや、うっかりしていた。ブレーメンは銀髪より遥かに体が丈夫なんだった。
ちょうどネネがヘルメットを被った時、すぐ横にバンが擦過音を立てて急停止した。スライドドアが開いて拳銃を持った男たちが飛び出す。同じ黒の目出し帽と同じ黒い服を着ている。
「金だ!」
たった一言の指示だった。向けられた銃口だけでも十分に意味が伝わる。
「でもあたし、銀髪だぜ。喧嘩を売るのかよ」
隣りにいるのはちっこいがブレーメンだし、後ろにはコウノイケの武装警備員も立っている。しかしネネは子どものフリをして縮こまり、警備員に至ってはこっちを見ようともしない。
「クソが、敷地外は関係ないってか」
レイナは動こうとしたが、敵の数が多すぎる。まだショットガンに弾を込めていないし、どれだけ素早くマチェーテを振っても5発は食らってしまう。それはさすがにまずい。
「肝心の拳銃もロゼに預けたままし」
男の1人が腕を伸ばしレイナの持っているコウノイケのナップサックを奪おうとする。レイナが抵抗するとちょうど額に銃口を向けられた。
ああちくしょう、この前の訓練の時、ニシの話をちゃんと聞いておけばよかった。新兵相手に、突きつけられた拳銃やライフルを奪うテクを教えていた。ほんの瞬きする間に奪って3発は撃ち込めるとかなんとか。
「こわーいお兄さんたち。車がなくなったら強盗ができないじゃろ」
ネネが急に喋ったので、強盗たちも目を白黒させた。そして同時に強盗たちのバンが内側から爆発した。強盗たちは破片と熱風をモロに浴びて地面に倒れた。レイナも前髪が少し縮んだ。
突然の大惨事に、無関心を決めていた警備員も慌て消火器を引っ張り出した。通行人たちもパルで市警に連絡を入れようとしている。強盗たちは散り散りに逃げ、運転手は炎に包まれて路上でもがいた挙げ句、路線バスにぶつかって吹き飛ばされた。
「おいおい、まじかよ」
「ほれ、レイナ行くぞ。アイスは無しじゃ。残念じゃがの」
金の詰まったナップサックをバイクのサドルバッグに収めると、近づいてくる市警のサイレンから逃げるように前駆二輪を飛ばした。5ブロックほど事件現場から逃げてやっと心臓の動きが収まった。
「ヒヤッとしたぜいろいろと」
ちょうど赤信号なので、お行儀よく停車してリアシートのネネに話しかけた。ぎゅっと腕を腹に回し、体が密着しているので高い体温が伝わってくる。
「ちと疲れた」
「寝るなよ、寝たら落ちちまう」
「んーそうじゃな」
レイナは鼻を鳴らすと、弾帯のベルトを解いてネネの腰にまわして、そして自分の腹でベルトの穴を巻いた。長さはぎりぎり/バックルに届いた。
「あたしが護衛するはずが、なんか守られちまったな」
「気にするな、レイナよ──」
おかぶを奪われたんだ。落ち着かないのも当然。
「──妾はレイナよりずっと強い。強い者が弱い者を守るのは道理じゃろ」
気遣いして損した。
レイナは言い返そうと半身を翻したが、背中に身を預けてネネは寝てしまった。
結局、レイナとネネは出発から2時間ほどで集合地点のパーキングエリアに戻った。トラックの荷台上を見るとシスが長大なライフルを立て膝の姿勢で構えて、機械の目とセンサーの耳で全方位を見張っている。
ベルトを解くと、ネネはとぼとぼとトラックの助手席へ向かい、大の大人でも足場を伝う高さをぴょんと飛んで収まった。
「任務完了しました」
レイナはロゼに現金の入ったナップザックを預けたが、ロゼの視線はネネの方を向いたまま、
「何か、問題でも」
「いえ、特に」
ネネとは事前に口裏を合わせてある。
「ふむ、そうですか。燃えた合成燃料のニオイ、縮れたレイナさんの前髪。なるほど。侍従長の指示なら致し方ありませんが、上官への嘘の報告は罰則違反だけではなく組織全体に悪影響があります。忘れないように」
「了解」
ロゼは背筋をまっすぐしたまま、トラックの荷台の中へ消えた。
おっかねぇ。いつぞやのビッグフット・ジョーの虚勢がほんの小物に見えるぐらい、ロゼはおっかねぇ。絶対に怒らせてはいけない。
「なんかいつもと違うんだが」
レイナはトラックの助手席へ周り、なるべく声を絞ってネネに聞いてみた。ネネはまぶたを閉じていて、首には枕も巻いている。
「ロゼも人の子、うまく行かなければ多少イライラすることもあるじゃろうて」
ネネがうっすらとまぶたを開けた。
「ん、そうか? いまのとこ順調じゃね? このままハイウェイを進めば来週にはウェルダンだぜ」
「そのウェルダンへ侵入する方法は」
「あーいや、わかんねーけどさ。でもでも傭兵の感っていうか。出入りしている運び屋は絶対いるから、そいつらを探し当てて金で釣れば、もうラクショーよ」
レイナは、よくニシがやるトーキョーの仕草を真似て親指を立ててみせた。
「ほんにレイナはいいやつよの。単純で、難解な物事も些事に思えてしまう。さて婆は一眠りするゆえ、また後で」
そしてネネは数秒も立たないうちに細い寝息を立て始めた。
アーヤとニシのペアからは、すぐあとでパルに連絡があった。昼も近いということで、町外れのダイナーで集合とあいなった。
ここもフアラーンで立ち寄っていたダイナーとそんなに変わりはなかった。入口がレジの真正面で客席が左右に長く伸びているところが違う、ぐらい。赤いソファは日に焼けて退色している。店内でぼうぼうと響くBGMは無名歌手のギターアレンジのカバー曲らしい。
レイナが先に店内に入り、ネネとシスが続く。ロゼはスーツのボタンを外したまま、殿で入店した。客たちのいかつい顔つきは、どうみても気質ではない。ギャングか傭兵かで銃を隠し持っているのは明らかだが、ここでは一切の争いをしてはいけない、という不文律はフアラーンのそれと同じだった。
アーヤとニシは先にボックス席を取っていて窮屈だが全員がそこに肩をくっつけて座った。シスはニシの膝、ネネはロゼの膝の上に座った。
「さて、ここで情報の共有ね」
アーヤがパルを投影モードに切り替えて、ダイナーのテーブルに唯一大陸北部の地図が映し出された。そしてニシが、膝にシスを抱えたまま指差しで説明した。
「予定ではの先、海沿いの街道を通ってフアラーンに行く予定だったが、道が使えなくなっている。財団のはぐれ外交部隊が街道を行く市民を攻撃して略奪している。いわゆる財団の軍隊だが、インフレと賃金の未払いのせいで統率が取れていないそうだ」
「あれ、私が聞いたのは、財団の策略で、チョンプーンの港が欲しいから圧力をかけるために軍隊を派遣してるって。可変戦闘車もいるらしいよ」
アーヤが付け加えた。
「可変戦闘車、ですか」ロゼが眉をひそめて「財団が保有する可変戦闘車は、100年前に売却されたっきりで、そう多くないはずです。せいぜい一個大隊。第81戦術防衛軍団が所有するだけです。財団の主たる国は南部ですから、わざわざ北海の沿岸まで来ているとなると」
ロゼははっとして、結論を飲み込んだ。
「可変戦闘車ね。オーランドでちらっと見たけど、あれと戦うのは無謀だよな」
レイナがぼやく。ロゼの膝上のネネを見たが、同じく首を縦に振っていた。分厚い装甲と機関砲に大砲も積んでおきながら、ジェットエンジンで前駆二輪と同じ速度で浮走する。
「そして残る街道だが」ニシが指をずらした。「この3つの旧道のは使えない。腐獣が出没している。あの巨大な腐獣まで出たって話だ。企業連合の保安部隊が焦って街道の橋を落とした」
「腐獣って、地面の中を移動するんだろ? 意味ねーじゃん」
「そう。お陰で田舎に住む住人は強制的にチョンプーンに移住させられている」
手詰まり、か。山脈を避けて南へ迂回するとなると、大陸中央の砂漠地帯を通ることになる。かなりの遠回りになる。乾燥しきった無人の平野はそれだけでも危険なのにその上テウヘルまで出るとなると、危ない。
「でね、私がルートを見つけてきたの」アーヤのハンドサインで、地図に手書きの赤い線が加わった。「街で、敬虔なブレーメン学派の人に会ってね。これからロナンブルグのブレーメン廟へ聖地巡礼に行くんだって。もうずっと昔の街だから地図には載ってないけど、高原地帯のロナンブルグを超えたら、大陸中部のチスタ=バローチに向かえる。一応、ウェルダンには一番近い大都市で、もしかしたらウェルダンに出入りしている運び屋に会えるかも」
日程はざっと見積もって+3日、往復7日はかかる。どのルートもギャングかテウヘルかどちらかとやり合わなければならない。
「わかりました。それで行きましょう」
指揮官たるロゼの一声で、この先の方針が決まった。
物語tips:ブレーメン学派のありがたーい言葉
一般教養のひとつで、迷える現代人がかつてのブレーメンの哲学を学ぶことで人生に光を見出そうとしている。ブレーメンの古語は文字が存在しないため、古い発音に共通語を当てはめている。そのため勉強していないと意味がわからない。
例
時間是金→時は金なり
不知其子観知其友→その者を知るにはまずその者の友を見よ
敬虔な者は、これら哲学を暗記するだけでなく大陸各地のブレーメンの遺構へ巡礼している。
なお、これらはブレーメンが絶滅した後ヒトがでっちあげた哲学が多いため、ネネはあまりいい顔をしない。