11
「58……50──9!」
「はーい、浅ーい。0からもう一回」
レイナは息を吐き、舞い上がる砂埃と一緒に乾いた空気を肺いっぱいに吸った。シスは揺れるレイナの背中に器用に座って、半分機械の頭をぐらぐらさせてバランスを取っている。
今日は朝、早起きしてみんなで朝食を取ったあと、ネネとロゼそれにニシはソラとの会合に出かけてしまった。今日のロゼは朝から一言も発さなかった。イライラしたときのロゼは旅の中で見てきたが、ストレスのせいで顔が彫像みたいに硬かった。ネネも老けてしまったように元気がなかった。
「30! もういいだろ」
「もう、しょうがないな」
レイナはばたりと床に倒れた。その背中からシスがぴょこんと飛び降りる。昨日ソラから「鍛えればいいのに」と触発されとりあえず、腕立て伏せから始めていた。
普通にやってみて簡単だったから、シスを背中に載せてみたが、銀髪の力をもってしてもきつかった。
「オーランドで訓練を受けたときは余裕だったのにね」
アーヤは優雅にパルで雑誌を読んでいる。
「そういうお前は不合格だっただろうが」
「でも座学は合格したよ」
レイナはシスが渡してくれた水を飲んで頭から浴びた。
「わたしはね、全部合格だよ」
「義体のおかげだろーが」
「ちっちっち。甘いねレイナ。義体はね、誰もが扱えるものじゃないのよ。わたしは天才なんだよ。幻肢痛に悩まされて一生痛め止めを飲むことだってあるんだし。でねでね、機械化狙撃部隊の教官に誘われちゃったし。」
でもニシはすべての評価を軽くパスしたのにずっと謙虚だった。訓練の時、どれだけ褒められても萬像のおかげだって断った。その上、教官たちにトーキョーの戦訓をいろいろ教えていた。
戦争なんて400年前に起こったきりだが、トーキョーじゃ戦争がしょっちゅうあるらしい。
「レイナちん、今男のこと考えてたでしょ」
アーヤが横槍を入れた。
「考えるわけねーだろ」
「知ってる? レイナ、男のこと考えると髪がピンって跳ねるんだよ」
まじかよ──しかし頭を触ってみたが特に変化はない。
「図星なんだ」
「くそ、カマかけたな」
「やだなーマジになんないでよ。女子トークさ☆」
疲れているせいでアーヤを殴る元気が出ない。
レイナはぺたんと座り込んだ/屋外へ出たシスがすぐ帰ってきた。片手で巨大な鉄塊を引っ張ってきた。
「あれ、レイナもう終わり? せっかくわたしがバーベルを借りてきてあげたのに」
「それはバーベルじゃねぇって! 車の車軸じゃねーか。持てるわけ無いだろ」
重そうな音を立ててバーベルが落ちる。シスは機械油の付いた手を曲げ伸ばしした。
「どした? リューマチか、おばちゃん」
「自己診断実行。強化腱? んー、ベアリングかな。注油だけじゃだめっぽい。帰りに技師に見てもらわないと」
「財団特製の義体もとうとう壊れた?」
「出力のリミッターかけとくから大丈夫。ヒト筋力の112%まで」
スイカを指で割って開くのには困らないだろう。
とりあえず、借りてきたスクラップを返しに行かないと。シスに後ろのほうを持たせて、あたしはロープをくくりつけて持ち上げよう。
強い昼の日差しで真っ黒な影が2人の足元から伸びていた。ウェルダンはオーランドより緯度が高いので長い影ができている。レイナとシスはずっしりと重い車軸をぶら下げて村落の道を砂を蹴り上げながら歩いた。
「今日はガキンチョが多いね」
シスの周りを子どもたちが走っている。
「ああ、今日は週末だからな。つーか、シスもガキンチョだろ、いやオバチャンか」
「おねーさん!」
「よくいうぜ」
ウェルダンの子どもたちは、レイナとシスの周りを走りながらスクラップ置き場まで付いてきた。身長が大中小それぞればらばらで、賑やかだった。
車のシャシー、エンジン、タイヤが種類ごとに分けて並べてある。そして連邦の可変戦闘車の巨大な反重力機構とジェットエンジンもあった。
「こんなもんどこで。これじゃ大砲もどっかに隠してそうだ」
シスがスクラップ置き場のおっさんと話をつけている間、レイナはぐるっと見て回った。前駆二輪の改造に使えそうなものが見つかるとじっと見ていたが、知識がないせいで手に取れないでいた。
ぐるっとスクラップ置き場を一周して入口に戻ると少年集団のなかでひときわ日焼けして元気そうなのが前に出てきた。
「ねーちゃん!」
なんとまあ可愛らしい少年だ。今までに会った男──ギャングかジャンキーか、ニシみたいな皮肉屋とは大違いだ。
「ねーちゃん、髪がつんって立ってる」
「はいはい、その手には乗らないって」
レイナは少年を相手にしなかったがそれでも少年は付いてきた。
「んだよ坊主」
「坊主じゃない。俺、リュヤ。ねぇ、ねーちゃん暇ならあっちで遊ばない?」
「暇つーか。いいか大人ってのは何もしないというのも仕事の内なんだ」
と、カッコつけてみたはいいが、ロゼからは指示を特にもらってない。村で問題を起こすな巻き込まれるなというのはわかっている。しかし可愛らしい少年たちと遊ぶのも悪くない。
ちらりとシスの方を見ると、子どもたちに手を引かれて広場の方へ駆けて行ってしまった。
「しょーがねーな。付き合ってやるよ」
その言葉を合図に、少年たちがわらわらと集まった。
子どもたちが集まっていたのは村の外れの広場だった。ボールを蹴って右へ左へ集団が動いたり、年少の子どもたちは遠巻きに見ながら、日陰に座っていたり自転車を危なっかしく2人乗りして行き来している。
来年には大人の仲間入りをしそうな年長組が、ボールを巧みに操り年少組に言葉なしに教えている。
「なんでアーヤもいるんだ?」
アーヤは小さい女の子たちと両手をつないで立っている。
「シスちんから連絡もらって。ほら、ここからならパルの短距離通信が使えるからさ」
「おめーもやるのか、あのボール遊び」
「フットボール。んー男子がやってるのを見たことあるけど、やったことないんだよね。体育で少し、ぐらい。もしかしてレイナ、やったことない?」
「あったりめーだろ。学校行ったこと無いし」
というかあちこち行く親父に着いて回ったのせいで友達なんていた記憶がない。
「大丈夫。バカでもわかりやすいルールだから」
「んだとコラ! だれがバカだって」
「ボールを使った陣地取りゲームだよ。まず攻撃側がスタートラインからボールを蹴ってスタートする。そして守備側の妨害をかわしてなるべく前へ進む。あそこに──えっと廃タイヤが間隔を空けて並べてあるでしょ? それぞれポイントが決まってる。ボールを前に落としたり守備側に取られたら1セット終了。もう一度スタートラインから。4セットが終わったら攻守交代」
「あーなるほど。だいたいわかった」
「あとはローカルルールがいろいろあるよ。接触はボールを持っている人にだけしていい。高校生たちはタックルするけど、子どもたちにあまり激しくぶつかっちゃだめだよ。怪我するし」
「わかってるって」
「チームは5人ずつみたいだね。その分コートも狭い。点数は適当にやってるんじゃない?」
子どもたちは楕円形のボールを器用に投げたり蹴ったりして、ポイントが多ければ喜んでいる。
「なんだ、簡単じゃないか。じゃ、いっちょ大人のスゴサってやつを見せつけてやんよ」
「あーあたしはパス。日焼けするから」
今日のアーヤはいつもより肌にきっちりクリームを塗りたくっている。そして小さい女の子たちに手を引かれて木陰に座り込んでしまった。
「んだよ、おもしろくねーの。つーか2人でできるのかよ。あたしとオバちゃんで」
「わたしはおねーさん」
シスはつん、と胸を張った。機械のレンズがぎらぎらと太陽光を照り返している。
「あと手足のリミッター、気をつけろよ。ガキども骨折させたらマジしゃれんなんねーから」
「そのくらいわかってるって。レイナの倍、生きてるんだよ」
ほぼ3倍だろうが、サバよむんじゃねーよ、おばさん。
さっきまでプレイしていた年長組は休憩のため脇にのいて、かわりにレイナたちを誘った少年たちがコートに入った。
「あたしらは2人で十分!」
「そうなの、十分なの!」
レイナとシスは少年たちと対峙した。まずは少年たちが攻撃側でレイナたちが守備側だった。少年たちは額を突き合わせてコソコソ話してる。
「なんだ?」
「作戦会議でしょ」シスの機械兎の耳が上下に動いたが「あ、耳の機能も切っておかなきゃ。フェアにね」
「殊勝なこって」
「レイナもさ、ああいう小さい男の子が好きなんでしょ。さっきからデレすぎ」
「デレてねぇよ」
「ほんとかな。あわよくば少年の細い体に抱きつきたいとか」
思ってないから。
少年チームの作戦会議が終わった。1人が後ろ向きにボールを持った。
「あれ、蹴って始まるんじゃねーの」
「どっちでも良いみたいね。ローカルルール」
合図も笛の音もなく始まった。一斉に少年たちがワラワラ駆け出したが──
「くそ、ボールを持ってるやつ、どいつだ!」
「レイナ、そっちだよ! ブロックして」
瞬発力で走って進路を塞いだが、その少年はボールを持っていなかった。そして背後で少年たちの歓声が上がる。
「おい、シスのほうじゃんか」
「むー、手加減しすぎた」
「言い訳は無し。ほら2セット目だ」
要領はわかった。必ずしもボールが見えるわけじゃない。あの分だと囮作戦ってのもありそうだ。スタートラインの向こうで少年たちがちょこまか動いているが全員の動きは把握している。
再び合図もなくゲームが始まった。レイナは腰を落とし左右どちらへも飛び出せるよう、そして少年を捕まえられるよう両手を広げた。1人目、2人目、3人目が飛び出す。ボールは持っていなかった。そして4人目が走り出しレイナもシスもそちらへ走ったがボールは持っていなかった。
「あれ?」
そしてレイナの頭上をボールが飛んでいた。楕円形のボールは砲弾のように飛び、そして少年の一人がキャッチした。
「いぇーい!」
さっきレイナを誘った可愛らしい少年が両手を上げている。
「あークソ、やられた。シス、こうなったら本気出すぞ」
「2人だけじゃ闇雲に走ってもだめっぽいね」シスは何度か目を瞬かせて「ニシを呼んでみたけど、忙しいって」
今日はニシたちが中継機を持っていっているので、村の反対側でも通信できた。
3セット目が始まった。
今度はシスが一歩前へレイナが一歩引いて待ち構えた。少年たちは途中でボールをパスし、その真ん中にレイナが追いついた。そのおかげで3セット目の得点は防ぐことができた。
少年チームは再び輪になって作戦会議をはじめた。
「はっ、どんなもんだい。大人をナメんなよ」
「レイナだってまだ子どもじゃん」
「ロリっ子かおばさんか、どっちかはっきりさせろよ、シス」
「おねーさん!」
4セット目が始まった。1人、2人、3人と相手チームが走り出すが誰もボールを持ってない。4人目の少年がレイナの真正面でピタリと止まって視界を塞いだ。
「レイナ、蹴る気だよ!」
スタート地点から斜め上にボールが蹴り上げられた。陣地の一番奥──最高得点エリアで3人が待ち受けている。ボールの軌道が太陽に被ったのでどちらに飛んでいくかわからない。
「シス、しゃがめ」
こうなったら大人の意地を見せてやる。
レイナはくるっと翻って走ると、ちょうど前かがみになったシスの背中に乗り上げて垂直に飛び上がった。そして空中で体を捻りすぐ横を通るボールに手を伸ばした。
ちょうど手がボールに触れたが、片手だけじゃうまく掴めず、指の間をすり抜けて落ちてしまった。地上では子どもたちがそのボールをキャッチ──2つほど得点の低いゾーンでボールを胸と両手で捉えた。
4セットが終了した。
少年チームはケラケラ笑いながら、レイナとシスチームと陣地を交代した。
「最後のはちょっとズルだったかもね。一般人はね、そんな飛び方できないんだよ」
シスは背中の土をはたいた。
「うっぜ。こっちは初めてやったんだ。しかも2人。それぐらいやって、やっとトントンだって」
「大人の意地っていうか、大人げないかも」
上手いこと言ったつもりか? 最初こそかわいらしい少年たちとわちゃわちゃ遊べると思ったが、ガチだ。ガキンチョども、勝ちに来ている。
「見てらんないね、2人とも」ドレッドヘアのサングラス女が日差しの下に現れた「ちゃんと作戦を考えなきゃ。陣地取りなんだから」
「だったら、ちゃんと参加しろよアーヤ。2対5じゃ勝てるものも勝てねーって」
「ヤだよ。走って汗かいたら汗疹できちゃうじゃん。私のお肌、デリケートなの。まーでも、2人が少年たちに負け続けるのもかわいそうだからさ。司令塔役をやってあげる」
「司令塔?」
「作戦を考えたり、最初にボールを渡したりする役。というか役目があるんだよ、フットボールは。体育の教科書で読んだ」
3人は額を合わせ、陰の中で作戦を確認した。アーヤは砂の上に3つの石を置いて線を書いた。
「よーし、ガキンチョども。あたしらの番だぜ」
アーヤは背を向けてボールを持ち、その右にレイナとシスが立った。
「おねーちゃんたち、強そうだからぶつかっていくね!」
「へっ、取れるものなら取ってみやがれ」
試合開始。
レイナとシスはぐるっとアーヤの回りを回る。すぐに少年が迎撃/身を翻して交わした。レイナは少年×3に囲まれたがその手にボールは無く──シスはボールを持って最奥のラインへ走った。少年が横からタックルを決めようとしたがすかさずスライディングでかわし、ゴールした。
1セット目は最高得点を獲った。
「えへへ、どうよ撹乱と動揺作戦」
アーヤは得意げだった。
「意外とうまくいくじゃん」
「ま、教科書で読んだだけなんだけどね。じゃ次は──」
つぎもアーヤは石と線を地面に書いて説明してくれた。
2セット目が始まった。レイナとシスは、いきなりフィールドの両脇を走った。アーヤがくるりと振り向きボールを蹴り上げる。
少年たちもこの作戦は先読みしたらしく、レイナとシスの近くへ2人ずつ分かれる。
シスが空中でボールをキャッチ/急停止&後ろ向きにボールを蹴り上げる=2人目以降は前方向へボールを蹴ってはいけないローカルルール。
レイナも急停止から一歩下がってボールをキャッチ/少年3人包囲を抜け前進&後ろに控えたシスへボールを蹴る。
シスがボールをキャッチ/すでに得点ゾーンに入っているが、さらに奥へ進む。息があがっている少年3人のブロック=その隙間を狙って蹴る/レイナがボールをキャッチ──
「あっ、いけねぇ」
鋭角に飛んできたボールを掴みきれず落としてしまった。しかし得点はある。
少年たちも額を突き合わせてごそごそと作戦会議をしている。フィールドの反対側でも大人チームが額を合わせた。
「大胆だが、悪くない作戦だったな、アーヤ」
「ホントはもっと広い、10人制チームの作戦なんだけどね。さて次はどういこうか。なんだかこっちの手が読まれてきた気がするから、ちょっと味変」
3セット目が始まった。
まずレイナが走り出す/それに向けてアーヤがボールを投げる。冗長なボールの軌道に、つい少年たちも作戦を忘れボールを取りに行く。
シスが走り出した。少年と交錯するようにボールを捉え、小脇に抱えると一気に駆け出した。少年たちもシスをブロックしようとするがレイナに行く手を阻まれて尻餅をつく。
ゴール。視線誘導作戦とど真ん中を走り抜ける正攻法が上手く行った。
「次は、子どもたちに勝たせてあげよ」
アーヤの発言にレイナが目を白黒させた。
「おいおいおい、これは真剣勝負なんだぜ」
「あのね、レイナ、歳が半分のいたいけな少年たちに勝って、楽しい?」
「半分? あたしから見たらたいして変わんねーけど。あっシスなら10分の1の歳」
ぱちん、とシスは、レイナのケツを叩いて付け加えた──5分の1。
「子どもたちに花を持たせてあげるのも、大人の風格なんだぞ、レイナちん。そしてわざと負けてあげたと、バレないようにする」
「メンドーだな。そんな作戦、あるのかよ」
「裏の裏の裏を読むんだよ」
4セット目が始まった。
レイナがボールを受け取りシスより先行して走る/少年たちはレイナの独走を警戒して3層で防衛線を作る。
ここで予想に反してアーヤが走り出した/レイナがパスの姿勢=3人チームに変わって少年たちの動きも変わる。
レイナがアーヤへパス──のフリをしてコートの反対側から走ってきたシスにボールを手渡し/シスにアーヤが合流=フェイク。シスが走り出す。
すでに少年たちの陣形はバラバラ。レイナは最奥まで走り終えた。アーヤは少年×2にブロックされ、シスの正面にも少年×3がボールを奪おうと襲いかかる。
残された手段はひとつ=シスがボールを蹴りレイナがキャッチする。少年たちの数人は振り向いてレイナに気を配っている。
シスがボールを蹴り上げる姿勢をとる/やや大げさにゆったりと狙いを定めるフリをしたが、横から来た少年が強引にボールを奪い取った。
シス=両手を上げる。
「あー取られちゃった」
白々しいぞ、ババア。
しかしそれはそれで、少年たちは4セット目を0点で押さえたことに喜んでいた。
1試合が終わり、休んでいた年長組たちが代わってコートに入ってきた。レイナたちと少年組はそろって木陰の下に入って休んだ。
「えーお姉ちゃんたち、初めてなのに強いじゃん!」
なんとも可愛らしい、少年のキラキラした笑顔だ。しかもまだ声変わりしていない。ニシのバリトンボイスも嫌いじゃないが、こういうウキウキボイスはずっと聞いていたくなる。
「えっへん。なんてったって、名うての傭兵だからな、あたしらは」
「ま、私の場合、体育の座学をまじめにしておかなきゃ赤点だったし」
んだよそのアカテンって。
「わたしはね、体動かすの得意なんだよ。えへへー」
レイナは木陰でぼんやりと年長組たちのフットボールを眺めていた。戦略以上に、体力と脚力で勝負をして、いざというときは力任せにボールを奪い合っていた。悪態をつきながら、でもスポーツはスポーツなのでルールを逸脱したりしていない。
「レイナちん、髪が立ってるよ」
馬鹿らしいとわかってはいたが──頭の上を触ってみると、確かに髪が跳ねていた。
 




