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※一部差別的な表現が含まれています。
休んでいていい、というからには休ませてもらう。
ロゼとネネ、それとニシは夜通し起きていたというのに疲れの素振りも見せず、案内兼監視役の兵士と一緒に村の中心方向へ行ってしまった。
レイナもアーヤも、長時間の運転の疲れが今になって現れて、硬いベンチの上で横になる。シスはまだ眠くないらしく、ときどき音階の外れた鼻歌を鳴らしている。
「ずっと考えてたんだけどさ、レイナのお父さんのこと」
目を閉じているとアーヤの声が聞こえてきた。
「嫌なら嫌って言ってねレイナちん」
レイナが黙っているのを確認してアーヤも続けた。
「お父さんとレイナ、襲われたのはアレンブルグの仕事の帰り、だったよね。どこぞのお金持ちの発掘作業とその護衛って」
正解。よく覚えてました。
「データキューブはアレンブルグから発掘されたんだよ。アレンブルグは旧連邦で第2の都市だったけど大昔に放棄されて、そのあと黒い砂漠に街ごと埋もれてしまって。ロゼさんとネネばあちゃんが話しているのを聞いた」
眠気がやってこないので目を開けると、すぐ真上にシスの顔があった。青い大きな瞳にくすんだ色の金髪のじとっとした毛先がかかっている。肌は元気に日焼けしているがそれが本物かシリコンかは、知らない。シスはレイナの銀髪を手ぐしですいているが、レイナはシスのしたいようにまかせた。
「それってつまり」
アーヤが言い淀む。
「じゃあつまり、あたしに親の敵討ちのために金剛旅団の連中をぶち殺せって?」
「別にそこまで言うつもりはないけど。私が言いたいのは冷静に……」
「あたしはいつも冷静だっての」
「怒んないでよ」
ばかか、こんなんで怒るわけないだろ。
「そりゃ、あたしだって、考えてたさ。オヤジがいた発掘隊はたくさん傭兵を抱えていた。依頼人はどのみちアナの母ちゃんか婆ちゃんだろ? 連邦の兵士だっていたはずだ。それを襲えるのは金剛旅団ぐらいだし。でもよ、あんときは、あたしはまだ小さくて敵が誰だったかなんて覚えてないし、それにオヤジが死んだ直接の原因は腐獣だ。だから、不思議と恨みが湧いてこない」
「わたしなら全員殺すよ」
機械兎がニンマリと笑う。
「それは傭兵の流儀ってのか? いっとくがビック・フット・ジョーんときとはわけが違う。戦って負けたんなら、それはオヤジが弱かったから。死んだのもオヤジが弱かったせい」
「金剛旅団さえいなかったら、お父さんはまだ生きていたかもしれないしレイナだって銀髪にならずに済んだんだよ! あっ、いやごめん、今のは言いすぎた」
くだらねぇ。“もしもあのとき”って考えるのは相当なとんまだ。アーヤだってもしもあのときクソDV男がいなかったら左目が斜視になることもなく、今も安全な街の中でつまらない人生を送っていたんだろう。
「オヤジのことは、あたしん中じゃもうけりが着いてんだ。突然ブチギレて金剛旅団の頭を殺して交渉をおじゃんにするようなヘマ、しないって」
「ふふふ、ブチギレたときは手伝うよ」
シスが不気味に笑う。
「お前な、あたしの話 聞いてた?」
さすがにうざいので、レイナは銀髪を撫でているシスの手を払い除けた。
「うん。ニシのプランびぃも」
「どぎつい交渉」
つまり銃口を突きつけ兵士を皆殺しにしてデータキューブを奪う。しかし金剛旅団っていう傭兵集団ならまだしも、街を守る兵士たちまで殺すとなると、少し気が引ける。ニシとネネの婆ちゃんがいれば絶対、ブレーメンとテウヘルもどきにも勝てるし、ロゼが殺せって命令するなら、誰でも殺してやる。でもそれは嫌だ。
アーヤが黙り、シスもどこかへ歩いて行ってしまうとすぐ睡魔が波のように押し寄せてきた。
暑さのせいで浅い眠りだったが、何か夢を見ていた気がする。夢の中にニシがいた、そんな後味の悪い感じだけが残った。
「レイナ!」
アーヤのよく通る声で目が冷めた。ぼんやりと天井を眺めていると突然横から引っ張られ、気づいたら乾いたレンガの床が見えた。
頭と鼻に鈍い痛みが起きたが、わけもわからないまま後ろ手に縛られた。
「おいクソインポ野郎、放せ!」
ずるずると鼻が詰まったが、全部鼻血だった。乾いた床に砂と血が混ざって固まった。
戸口のほうで、アーヤがジタバタもがいていた。猿轡を噛まされ、ボロいバンに引きずり込まれた。レイナも無理に立たされが、すぐに分かった。これはいける。
ニシやロゼの体術に比べたら、こんなのガキの遊びだ。背中で抑えている誰かは、重心が高いしそもそも腕力が並以下だ。
レイナは前に進むふりをして足を踏ん張ると一気に後ろへ体重をかけた。そして敵の重心を突くと一気呵成に後ろに押し倒した。敵は壁に後頭部を打ち付けてうずくまった。その頭目掛けて、レイナは一気に足を蹴り抜いた。弧を描いて歯が飛ぶ。
「アーヤ!」
しかし振り向くとアーヤを載せたバンはもうもうと黒煙と砂埃を残して走り去ってしまった。
「くそ田舎っぺがナメた真似しやがって」
あたしより少し年上ぐらいの男がすぐ足元でうずくまっている。まだ息があるが、もうひと蹴りで首が砕けそうなぐらい弱っている。
レイナはブーツに隠しておいたナイフを引き抜くと、手首を縛っている縄を切った。そして鼻血だらけの顔面をぬぐうと、男を地面に伏せさせた。教科書通り、右腕を背中側へねじり、首元を押さえつける。
「へっ、つまんねー軍事訓練も役に立つもんだな」
男は頭と顔が血に濡れていた。鼻も折れている。レイナはそれでも容赦せず力いっぱいに頭を押さえて、
「アーヤをどこへさらった!」
「あ、アジトに」
「どこだよ」
「海の、海沿いの。行けばわかる。頼む、殺さないでくれ。教えてやったろ! 言われたとおりにやっただけなんだ」
「へっ、クソが。殺さないって約束はしてねーぜ」
レイナがナイフを男の首筋に当てたとき、戸口にシスが立っていた。両手で緑の果物を抱えている。
「うぁ、レイナ、激しめのプレイが好きなんだね。ふたりとも血だらけ」
「いや、おめーの機械の目が壊れてんじゃねーの。というか、こんなときにどこ行ってたんだよ」
「ん、散歩。でね屋根の修理を手伝ったの。わたし体が軽いから。そしたらスイカくれたんだよ」
シスは親指だけでスイカをふたつに割ると、もぐもぐと食べ始めた。そして大きめの破片をレイナに渡す。
「はい、あーん」
「あのな」
「なんとなくわかったの。強盗しにきたの? 強姦はないよね、レイナ相手じゃふつう欲情しない。アーヤも相当なマニア向け」
機械ロリおばさんのほうが相当ニッチだろうが。
「アーヤがさらわれた。海沿いのアジトに」
「あ、あれね。目立つよね。墜落した連邦の巡空艦なんだってさ。金剛旅団のアジト」
くそ間が悪い。連中に復讐するつもりなんてはなから無かったのに、向こうから殺り合う口実を持ってきた。
レイナはシスからロープをもらうと、不届きな侵入者の腕を背中で縛った。腰と首にもロープを回しているので腕が少しも動かない。
「えへへ、殺し?」
シスがニタニタ笑っている。レイナもスイカの残りをもらってかじりついた。甘い果汁に血の味が交じる。
「はぁ、面倒なことになった。とりま、ロゼとニシに知らせないと。パルは……」
わかっていたが、圏外だ。このド田舎にパルの中継塔なんて建ってるはずがない。短距離通信も距離だか日干しレンガだかのせいで届かない。
「弾はね、いっぱいある。全員に3発ずつぐらいプレゼントできる。いける」
「まてまてチンチクリン、あたしだってバカじゃないんだ。ウェルダンとの交渉がうまく行ってたとして、あたしらが金剛旅団をぶち殺したら交渉がおじゃんになる。そんなヘマはできない」
「でも交渉がうまく行ってなかったとしたら? だからアーヤを人質に取られたって可能性は?」
「ん、ある。あるが、早くアーヤを助けてやらんと何されるかわかったもんじゃない」
「だよねー。やられた内容次第では、フフフ。あれやってみたい。体の端から1000回に分けて切るやつ」
「時間ねーっての」
レイナは食べ終えたスイカの皮を窓から投げ捨てると、地面に転がしておいた捕虜を蹴って仰向けに変えた。
「で、名前は?」
喋ろうとしないので蹴る仕草をすると、ひび割れた唇が動いた。
「……レック」
「はっ、おもしれー。小さいのだと。ちんこがポークビッツみたいだからか?」
しかし男=レックは答えなかった。
「よしじゃあレック、アジトに侵入する方法を教えろ。あたしらからすりゃ真正面からどついて全員殺してもかまわねーんだけど。お仲間がぶち殺されたくなきゃ裏口とか壁の穴とか教えやがれ」
しかしレックの口は硬かった。
「あーあ、レイナは交渉がへたっぴだね。わたしに任せて」シスはナイフを取り出すと「よく話せるように頬を割いてあげる。そのあと、目かな。話すのにいらないから。次に耳。手を落とせば縛る意味もなくなるし」
シスは小さい手にナイフを握った。そしてレックに機械の赤い目を近づける。
「わ、わかった! 案内する! だけど、頼む殺さないでくれ!」
おもしろくねーな。命乞いってのはもっと種類があっていいだろうに。
シスはぺちぺちとレックの頬を叩いた。
「裏切ったらね、最初に死ぬのは君だから。いちばーん、苦しい方法で」
年相応に、シスはドスの利いた声で言い放った。
レイナは太めのロープをレックの腰に縛ると自由に歩かせた。昼間の暑い日差しのせいか村の中はヒトの気配が全く無く堂々と歩けた。シスもライフルに布切れを巻き付けて隠している。村の中心の通りから外れ、住宅の隙間を縫って進む。その先が漁船の修理工場と船着き場だった。
「あそこだ。俺の案内なんていらないだろ」
「黙って歩け!」
レイナはレックの後頭部を握りこぶしで叩いた。
巡空艦の残骸、というより巨大な獣の骨を思わせた。太い竜骨が背骨のように伸び、楕円の骨組みが生えている。海風でぎしぎしと揺れるのでなお不気味だった。
巡空艦の居住区画にアジトを構えているらしく、トゲトゲしい車止めで入口を囲っている。
「裏口は、あそこだ。船着き場の横から浜に沿って進むとハッチがある。狭いから大人は通れない」
「シス、入口が見えるか?」
「うん」
シスの返事は短く、小屋の屋根ですぐライフルをあぐらで構えた。
「じゃ、ちょっくら行ってくるから」
レイナはレックの足をロープで縛ると、猿轡を噛ませてシスの横に転がした。
「ここから援護するけど、射角が取れないから期待しないでね」
「大丈夫だって。静かにさっと行って帰ってくる。帰り道で後ろから襲ってくるクソ野郎に鉛玉ぶち込めば良いんだよ」
レイナは拳を握ってシスと突き合わせた。
船着き場も人気がなかった。船はすべて出払っていて沖のほうに帆が揺れていた。レックの情報は嘘ではなかったようで、岩場の丸い石を踏んで歩くうちに裏口に着いた。パルのイヤホンを挿すとシスから通信が届いた。
『レイナ、ちょっとやばい。金剛旅団のボスが現れた。すごい大男。それにレイナと同じぐらい髪が銀色』
「銀髪?」
『うん、長髪の。見たらすぐわかると思うけどあれ、相手にしないほうがいいかも』
戦うなと言われたつい力試しに殴りたくなるものだ。静かに隠れて行動するのは性に合わないが、アーヤのためだ。
巡空艦の残骸の中は、昼間だと言うのに明かりも窓も無いせいで真っ暗だった。そして鉄のサビ臭さと一緒に魚の生臭さも漂っていた。手のひらが手すりに触れると、べっとりと油状の何かがまとわりつく。
最下層は波の打ち付ける音がしたが、上階へ上がるとランタンの灯りと話し声が聞こえた。背の高い貨物箱が積み上げられ視界が悪いがレイナの姿を隠すのには十分だった。
話を聞く限り、ここじゃない。もうひとつ上だ。
知らない名前と隠語ばかりで会話の内容はさっぱりだが、仕事の愚痴らしい。
金剛旅団の構成員たちはしばらくして話し終えたあと、話し声は一番奥の階段で上の階へ消えた。レイナはすぐ足音を立てないよう、膝の屈伸を使って進んだ。階段は廃材を溶接して作ったハシゴで、外の光が真上から降っている。
目が眩むような明るさだった。半分は屋根があり、その向こうは日差しが照りつけている。ざっと10人ほどの人影があったが全員が日差しの方を見ていた。
レイナは腰をかがめて、兵器用の木箱の間を進んだ。陰から向こう側を伺うと、後ろ手に手錠をかけられたアーヤがぺたんと座り込んでいる。
見張りがひとりいる。鍵はたぶんあいつか。倒してしまってもいいが、物音で他の連中に気づかれる。ニシを連れてくればよかった、なんて泣き言は言えない。
「シス、こっちが見えるか?」
『屋外にいるね。見えないけど、パルの電波探知で位置は掴んでる。狙撃はできるけど、無力化できるのは3人がせいぜいだよ。位置が悪い』
「連中の気を逸らせないか? その間にアーヤを助ける。あ、そうだ。あの錆びた骨組み、撃って落とせるんじゃね?」
『そんな曲芸みたいなことできるわけないでしょ。んーでも、ちょっとまって。あの投光器なら落とせる』
「よし、タイミングはそっちに任せた。あたしはいつでも良いぜ」
『弾道を演算中、ちょっと待って』
ドキドキする、楽しいったらない。これが傭兵の良いところだ。兵士みたいに命令に縛られない、テメーの頭で考えてテメーの手でケリをつける。
金剛旅団は、ボスを中心に話しているようだったが、海風が強いせいでよく聞こえない。しかしどこか全員が緊張していて罵声も聞こえる。
遠すぎて銃声は聞こえない。でもアジトの見張り台で投光器がぐらついた。そして配線を引きちぎり衆人のど真ん中に盛大な音を立てて落下した/同時にレイナも飛び出す。
ニシにジュードーを習っていて正解だった。武器も使わず自分より大きい相手でもねじ伏せられるトーキョーの技だ。見張りに接近を気づかれたが、左手で相手の袖を、右手で襟を掴むと体を下へ潜り込ませ、グルっと回って床に叩きつけた。
「レイナちん! 助けに来てくれたんだ!」
「すぐ助けるから、黙ってろ」
見張り役は呼吸が乱れているがまだ生きていた。手錠の鍵を腰のベルトから盗むと、すぐアーヤを解放した。後ろの方で、何か言っている/見つかったかもしれないが気にしない。
「こっちだ、死ぬ気で走れよ」
来た道を戻る。貨物の間をすり抜け最下層まで降りた。
「うげ、何この臭い。魚油の燃えた臭い、みたいな」
「んだよそれ」
レイナは小さな裏口にアーヤを押し込んだ。体が薄いせいでどこにも当たらずにすり抜けている。
「魚の油。灯りに使うんだよ」
「へー。腐獣の臭いよかマシだろ」
レイナも続いてすぐ隙間をくぐり抜けた。そして2人で波打ち際を走った。
「これからどうするの?」
アーヤはすでに息が上がっていた。船着き場まで逃げてきたが、まだ人影がない。
「ニシたちに合流する。これは連中の落ち度だ。落とし前付けさせてやる」
誰も殺さずにアーヤを救出できたのは意外だったが、これはこれでよい。全面戦争の“プランB”じゃなく交渉を有利に進める“プランC”だってできてしまう。
『レイナ、注意して! 頭上』
見上げると同時に巨大な影が横切った。アジトの上層から船着き場へジップラインが伸びていて、それを伝って大男が地面に着地した。
「よう、小娘どもが。どうした、迷子か」
レイナはすぐさまホルスターから拳銃を引き抜くとすぐに狙いを定め引き金を絞った。教科書通りの構え、足の位置、腕の伸ばす距離──撃つ前の警告文以外、完璧だった。
しかしその大男は、手を広げそして銃弾を手の平で防いでしまった。長い銀髪が海風で横に流れる。
「クソが、銀髪だからって銃弾まで弾き返せるわけないだろ!」
「甘いな、小娘。銀髪だから何でも叶えられるんだ。それとお仲間の狙撃兵は、俺の部下がねんごろにもてなしてやっている」
大男はギラギラと笑っていた。しかし同時に機械音声で通信が届いた。
『わたしなら逃げられた。大丈夫』
「レイナ、あれは金剛旅団のリーダー、バオ。鉄仮面のバオって呼ばれてる。銃弾が効かないんだって」
「ほう、そうかい。だったら話は早ぇ」レイナはマチェーテに持ち代えると「そういう頑丈野郎とはさんざんやり合ってんだ! すぐ潰してやるよ」
「威勢がいいねぇ。そっちがその気なら相手になってやる」
バオは固く巨大な拳を握る。血管が浮き指が節くれだっている、ハンマーのような拳だった。海と砂漠の日差しに焼かれて肌は濃く日焼けしている。
レイナは全力で地面を蹴った/バオも同じ速度で動いた。
マチェーテの刃は、バオの太い腕を斬ることができず/弾かれることもなく、やんわりと衝撃が吸収される。初めての感触にレイナが返す刃を迷っていると強烈な一撃が見舞われた。
レイナも同時に空いていた左拳を繰り出したが、それでも体が後ろに吹き飛ばされる。バオはそれよりも速かった。飛びかかりながら両手を結び腕全体でハンマーのように飛びかかってきた。
レイナは間一髪、避けたが飛び散った石ころ側頭部に当たって視界が揺らいだ。マチェーテを構えはしたが片目だけでは距離感が掴めない。隣でアーヤもレイナのホルスターから拳銃を抜いて構える。
「いたいけな嬢ちゃんたちに本気を出すと、まああれだ、大人げないよな。弱い者を殴るのは好きじゃない」
「誰が弱いって! もっぺん言ってみろフニャチン野郎が」
「ほう、良いのか。良いのか、本気で」
バオは、背中に手を回すと長く重く巨大な業物を引っ張り出した。鉄塊と呼ぶにふさわしいハンマーだった。
「知ってるか、ハンマーで頭蓋を叩き割るときの音。クシャ、だぜ。最高に気持が良くて勃っちまう」
「小さすぎて勃ってるかわかんないんじゃねーのか」
視界は戻ってきた。大丈夫、渡り合える。やつは本物の獣だ。体の強さと戦いの経験がある。
バオは鉄塊ハンマーを握ってもまだ、速かった。アーヤはためらわず、訓練通りの姿勢で拳銃を撃ったがバオは細かなサイドステップを使うせいでその半分も当たらない。
くそ、考えろ──横殴りのハンマーをギリギリでかわす──斬撃は効かない、だったら絞め技はどうだ──関節を狙って斬って殴るとバオの気勢を反らせた──ジュードーの技にある絞め技だ──バオはバックステップ&鉄塊を振り上げるというヒト離れの力を見せる──訓練のときはロゼに絞め技を食らって2秒で気絶したが、アレなら効くはず。こいつだって血管が首に通ってるんだ。
レイナはマチェーテを投げ捨てると瞬時にバオの間合いに入ってバオを掴んだ。そしてニシに習った通り、体を捻り体を浮かび上がら……
「くそ、動かない!」
足が地面に固定されているみたいな重さだった。
「へぇ面白いことすんじゃん。いいね、気に入った」
バオはすかさずレイナの首を掴むと持ち上げた。ぎしぎしと締め上げる。レイナが足で蹴るがバオの体はびくともしなかった。レイナの顔がみるみるうちに青ざめる。
「さすが、銀髪。まだ首が折れない。が、鍛えてないだろ、お嬢ちゃん。銀髪は強いからって。甘いね、甘い。それじゃ勝てない」
くそ、息ができない。首に巻かれた鎖みたいな指に爪を立てようにもびくともしない。脚を振り上げる気力も無くなってきた。
ふいに首の戒めが解かれた。レイナは地面にまっすぐ落下して膝と肘をしこたまぶつけた。
「そこまでです」
岩壁の上/波消しブロックの上に色素の薄い青年が立っていた。腰には2振りの剣が結ってある。
「おいおい、そう怖い顔すんなって。ちょっとしたお遊びだろう、ソラ?」
「お遊びで客人の首を締め上げるって、とうとう脳みそまで筋肉になったのか単細胞」
「いやいや、先に撃ってきたのは嬢ちゃんのほうだし、あーいやでも誘拐したのは俺の部下か」
「バオ、後で詳しく話そう」
くそ、何がなんだか。考えをまとめようとしたが、アーヤが抱きかかえてくれた。それに崖の上からニシも飛び降りてきた。
「かすり傷だ、大丈夫だって」
レイナは2人の腕を押しのけて立ったが、それでもふらついてアーヤの背中にもたれかかった。
「会議中にバオの副官がやってきたんだ」ニシはレイナの顔を覗き込むと「金剛旅団の下っ端が先走ってアーヤを誘拐したっていうじゃないか。バオはその話をつけにアジトに行き、俺達も駆けつけたってわけだ」
「話? いや違う。やつらあたしの寝込みを襲ってアーヤを誘拐したんだ」
「そう、バオの部下が勝手にしたんだ。だからバオはそれをなだめようとした」
「じゃあ、あたしをハンマーで潰そうとしたのは?」
3人でバオを見たが、ウェルダンの首魁=ソラを前にバオはすっかり縮こまっていた。
「追いかけて話をしようとしたら、嬢ちゃんがいきなりハジキ出してよ、撃ってくるもんだからつい調子に乗って。アハハハハ!」
バオはあっけらかんに笑ったが、ソラにブレーメンの力で叩かれて姿勢を正した。
浜辺にネネの姿は無かったが、代わりにロゼがやってきた。
「本当ならまずは私に報告するのが筋ですが、居場所を伝えていなかったのは私の不手際ですね」
「ご、ごめんなさい」
ロゼは足元に転がっていた薬莢を拾った。
「正しい銃の使い方をしたようですね。そして、仲間のためによく頑張りました。褒めてあげます」
ロゼは力強く、レイナの頭をもしゃもしゃ撫でた。
 




