3 元婚約者
そこに立っているのは祖国にいるはずの(元)婚約者だった。
カインは静かに私の方へと歩いて来る。
私は周りに人が居ないかを確かめて後ずさる。たとえ元婚約者と言えど今は侯爵家で働くメイドだ。仮にもお客様で来た方に気安く話しかける訳にはいかない。
「シア・・、会いたかった」
優しい声で名前を呼ばれると、飛び付きたくなる。あの日、あの時を思い出してしまうから・・
「ベラスター伯爵子息カイン様。ようこそお越しくださいました」
私とカインとは身分差がある。たとえ元婚約者であっても馴れ馴れしく接する訳にはいかない。
私はメイドらしく頭を深く下げる。心の中で
(早くこの場から離れて!)
と、願いながら・・
しかし、カインの足は私の目の前で止まり事もあろうか私の顔を覗き込んだ。
「ひゃぁぁぁ!!」
私は驚きのあまり変な声を上げながら後ろへ下がる。カインはそんな私を見てクスクス笑っている。
「元気そうで・・良かった」
本当に私を心配したその顔は少し泣きそうだった。カインはゆっくりと私に近づき、カインの手が私の顔に触れる瞬間
「これはバレイド国の執務官、ベラスター卿では?」
後ろから突然声が掛かりカインの手が止まる。
ざっ、ざっ、とこちらに向かって来る足音に、私は更に頭を下げて二歩後ろへ下がる。
「うちのメイドが何かしましたか?」
「これはザザーライン侯爵嫡男様。いえ、うちの御者が入る門を間違えたようでこちらの女性に聞いていたのです」
「そうですか、ただこのメイドは案内係では無いので聞いてもわからないでしょう。私が案内しますよ」
そう会話をしながら下がるよう手で指示を出したのは、ザザーライン侯爵家ザカリー様だった。
私は頭を下げたままその場を離れた。
(なぜカインが侯爵家に?執務官?)
聞きたい事は山ほどあったがとにかくカインと関わってはいけない気がして、その場を走って離れた。
屋敷に戻るとすでに数名の貴族が到着しており、それぞれ当てがわれたメイドが案内をしていた。
私は洗濯室のメイドのため、案内よりも洗濯優先で免れた。
(まぁここにいる誰も、私が元伯爵令嬢とは知らないからねー)
私はそそくさと使用人専用廊下へと向かった。
「今日はお疲れ様でした。すでに六組の方達がお越しになられました。担当になった方は明日の朝からもまた誠心誠意、お仕えしてください。また、担当でない方も力を合わせて業務に当たってください!」
今日の業務が終わり、全員で夕食を取り終わった時にバルトさんから挨拶があった。
「あー、明日は残りの方達がお越しになるのよねー」
「そうね!あと・・十一組かしら?」
私が指を折りながら数える。
案内係兼お部屋係になるので、明日はもっと人員が減るのだ!明日に備えて早く寝ましょ!と同部屋のマリンの背中を叩く。
「シア、ちょっと良いですか?」
執事長のバルトさんが声をかけてきた。何事かと思ったが用事があるのは私だけだったようで、先にマリンには部屋へ戻ってもらった。
バルトさんの後ろを歩きながら どこへ行くんだろう? と首を横へ倒すと、
「ザカリー様がお呼びですよ」
なんと、ザカリー様の私室へと連れて行かれたのである!