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聖夜のプレゼントは騎士さま?  作者: 板山葵
ドレグニア王国革命編
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護衛との共同生活

 自室に着くと、アニェスはすぐにグレーゲルの傷の手当をするようジェレミーに命じた。ジェレミーは心底嫌そうに「かしこまりました」と返すと、清潔な布とともに桶に水を汲んで持ってきた。

 グレーゲルは手当されることを拒否して、自分でやりながら、落ち着かなさそうに額を拭った。


「湯あみはできないのか?」


 アニェスは首を傾げた。


「湯あみ? おそらく街に行けば大衆浴場があるかもしれないけど……病が移るし、風紀が乱れるからって推奨はされていないわ」

「ああ、この国には湯に入る文化がないのか」


 グレーゲルは呟いた。


 アニェスが産まれる前のことだが、ドレグニア王国では感染症が蔓延し、大量の死人が発生した。そこで目をつけられたのが、大衆浴場だった。大衆浴場では、大きな桶に湯を張って二人が向かい合って入る。そのせいで、病が移ると考えられたのだ。

 さらには、男女の区別もなく裸で入っていたため、風紀も乱れ、そのせいで余計に感染症が蔓延する事態となった。

 そのため、この国では大衆浴場は推奨されておらず、貴族は湯浴みなどしない。


「湯に入りたいの?」

「ああ、俺の祖国では一人分の桶に湯を張って身体を清めていた」

「まあ、そうなの。たしかに一人で入るなら問題はなさそうね。ジェレミー、できるかしら?」


 アニェスは、ジェレミーに大きな桶と湯を用意させようとしたが、渋い顔をされた。


「お嬢様、水は不衛生であるため、おすすめできません。まあ、この男が浸かるなら問題はありませんが」

「まあ、たしかにそうよね。どうしましょう」


 ジェレミーの嫌味はいつものこととして、たしかに水は不衛生だ。湯浴みの話を聞いて少し興奮してしまったが、冷静になって考えれば、水は川から引いたものだ。特に加工もしていないただの川の水はとても汚く、身体を清めるために使っては逆効果だろう。

 しかし、グレーゲルは気にした様子もない。アニェスとジェレミーが訝しげにグレーゲルを見ると、彼は口を開いた。


「いや、湯はいい。自分で用意できる」


 グレーゲルは、さも当たり前のように言った。


「え、そうなの? えっと、では桶だけを用意してもらえるかしら」


 グレーゲルの言っている意味がよく分からず、アニェスは戸惑ったが、ひとまず大きな桶だけを頼んだ。 ジェレミーも困惑した様子で眉をひそめたが、詮索は無用と判断したのだろう、これ以上の追及はしなかった。


「お嬢様、承知いたしました。すぐには用意できませんが……市街には売られているでしょう。今しばらくお待ちください」

「無理を言ってごめんなさい。お願いね」

「いいえ、全く問題ございません」


 ジェレミーは一礼すると侍女を呼びつけ、小声で何かを指示した。侍女は頷くと、慌ただしく部屋から出ていった。


「ジェレミー、あなたも下がっていいわ」

「ですがお嬢様……」


 ジェレミーは、ちらりとグレーゲルを見た。アニェスとグレーゲルを二人にするのが心配なのだろう。

 当たり前だ。行きずりの人を拾ってきたようなものなのだから。素性も知らないし、聞いたとしても嘘かもしれない。アニェスの命を狙っている可能性だってある。


「あなたも一日中、私について回って大変だったでしょう? 私は特に問題ないから。ほら、うちには他に四人も兄妹がいるんだから、気にしない! 気にしない!」


 アニェスはあえて明るく言った。ジェレミーは、何か言いたげにアニェスを見つめていたが、結局一礼して部屋から下がった。




 二人きりになると沈黙が広がり、グレーゲルの身動ぎする音が部屋に響いた。


「で、俺はいつから護衛になったんだ?」


 グレーゲルは、組んでいた腕を解いて手のひらを天に向け、肩をすくめた。そして片眉を上げて、皮肉げな笑みを浮かべる。

 その妙に男臭い笑みを見て、アニェスは頬が熱くなるのを感じた。だが、無理やり視線を逸らした。


「そ、それは悪かったと思っているわ。何も考えてなかったの」

「ならどうして俺を連れ帰った? お嬢様の気まぐれか?」

「それは……」


 アニェスは口ごもった。本当のことを答えて良いのだろうか。

 その時、イヴォンの言葉をふと思い出した。


「プレゼントだから」


 内心、冷や汗をかきながら答えた。今日は嫌な汗をかいてばかりだ。


「プレゼントだと?」

「ええ、私の尊敬する人が、私にも聖誕祭のプレゼントがあるでしょうって言ってくれたの。だから、聖誕祭にはちょっと早いけど……あなたを私のプレゼントにしたのよ!」


 アニェスの苦し紛れの言い訳を聞いて、グレーゲルは鼻で笑った。


「さすがドレグニア王国のご令嬢、人をモノ扱いするとは」

「なっ……ち、違うわ。とにかく、あなたの傷を治療しようと思ったの!」


 アニェスは、思わずむきになって言い返した。どうもこの男といると調子が狂う。


「ほう、ずいぶんと優しいんだな」


 グレーゲルは嘲笑うように言った。つい声の主に顔を向けたら、アイスブルーの瞳がアニェスを射抜いた。

 ドキリとした。まるで常に優しいふりをして、自己保身に走っている臆病な自分を見抜かれているようで。でも、なぜだか目が離せなかった。


 ややあって、アニェスはゆっくり口を開いた。


「……本当は、臆病なだけ」


 その透き通った瞳に耐えきれず、アニェスはついに白状した。


「怖かったの、あなたの手が……私の首の骨を折るんじゃないかと……だからその手から逃げるために、とっさに言ってしまったの」


 アニェスは肩を落とした。場当たり的な対応しかできない自分の無能さに嫌気がさした。グレーゲルはそれを見て、また皮肉げな笑みを浮かべた。


「では逆に墓穴を掘ったようだな。連れ帰ってみれば実は属国の民だと分かった。国名まで教えたのに、君は知らなかった」

「それは……」

「しかもこの見た目だ。明らかに戦いに敗れて落ち延びた兵士だろう」


 アニェスは青ざめて俯いた。


「今からでも俺を捨てるか?」


 グレーゲルの挑発的な声が部屋に響いた。

 アニェスは死にたくなくて行動した。それなのに、敗戦国の兵士である彼を手元に置いたら、いつか寝首をかかれるかもしれない。この家のためを思えば、今からでも手足を縛ってアダンに引き渡した方がいいだろう。

 でも、そんな選択肢は存在しなかった。


「そんなこと、しない」


 アニェスは固い口調で言った。


 このままアダンに引き渡したら、彼は喜んでグレーゲルを拷問した上に処刑するだろう。属国の兵士なんてそんなものだ。

 それに、グレーゲルにとっては、宗主国の貴族の元に置いておかれるなんて、考えうる限り最悪の事態に違いない。むしろ、復讐のためにここまで来たのかもしれない。

 きっとアニェスのことも骨の髄まで憎んでいるだろう。痛みを感じて、思わず胸を押さえる。


「俺の素性を知られたら、さっきの男に罰されるかもしれない。そうでなくとも、俺が君を殺す可能性だってあるだろう」

「ええ……そう、ね。でも、どうせ私なんて……この家のおまけなんだから、いいの! とにかく言ったことは守る。傷の治療は必ずするわ」


 アニェスは下を向いたまま言い切った。

 一度拾った手前、放り出して、アダンが痛めつけるのを見るのは寝覚めが悪い。それに無責任だ。


 ふっと小さい笑い声が聞こえた。


「優しいんだな」


 グレーゲルの声が聞こえたが、アニェスは彼を見なかった。だからグレーゲルがどんな顔でそれを言ったのか、分からなかった。




 グレーゲルが屋敷に来てから最も困ったのは、彼の寝る場所だった。最初の晩は、ジェレミーが用意した客室へと彼を案内した。しかし、ずっとそのままでは、頻繁に客人を呼ぶアニェスの兄姉が怒り出すだろう。


 当初、グレーゲルは「部屋の前で寝るから寝床なんてなくていい」と言った。しかし、それを兄姉に見られたら、何をされるか分かったものではない。みすぼらしいと罵倒されるだけなら良い方だろう。もし虫の居所が悪ければ、処刑されてもおかしくない。これにはアニェスだけではなく、ジェレミーでさえ反対した。

 一方、アニェスは自分の部屋に簡易的なベッドを置いてそこに眠ればいいと提案したが、これにもジェレミーは「どこの馬とも知れない輩とお嬢様を一緒には置いておけません!」と猛反対した。


 ジェレミーは使用人の部屋を使うように勧めたが、これに関しては意外なことにグレーゲルが反対した。


「なぜです? 使用人と言えど侯爵家の使用人ですから、家具もベッドもそれなりにまともなものをあてがわれております。もちろん客室ほどではありませんが……客室は、恐らくアダン様たちが不自然にお思いになるでしょう」


 ジェレミーが詰め寄ると、グレーゲルは肩を竦めた。


「部屋の綺麗さなんでどうでもいい」

「ではなぜ?」

「俺は彼女の護衛なのだろう? だったら近くにいる必要がある」


 グレーゲルの言葉に、アニェスは「うっ!」と喉を詰まらせた。いいアイディアだと思っていたのに、まさかここにきてそれが枷になるとは。


「そ、それはね……!」

「近くにいる方が君の兄も自然に思う。だが、扉の前では都合が悪いのだろう? それなら、俺は部屋にパーテーションでも入れて反対側で寝る。それに、そのカーテンを閉じればいいだろう」


 アニェスの言葉を遮って、天蓋つきのベッドを顎で指しながらグレーゲルは言った。


「まあ、私はそれで良いけど……」


 アニェスがちらりとジェレミーを見ると、彼は咳払いをした。


「大変不本意ですが……致し方ありません。承知いたしました。では、パーテーションと簡易ベッドを用意いたしましょう」

「賢明な判断だ」


 グレーゲルが皮肉げに笑って手のひらを天に向けると、ジェレミーは不服そうにため息をつきながら彼を睨みつけた。言いたいことが山ほどあるようだが、それを無理やり飲み込んでいるような表情だ。

 それを見て、アニェスは思わず苦笑いした。


「ありがとう、ジェレミー」

「本来なら、未婚のご令嬢の部屋に男が寝泊まりするなど非常識極まりないのですよ? ベッドのカーテンを閉め忘れぬように!」

「ええ、分かったわ」


 その日から、グレーゲルはアニェスと同じ部屋でパーテーションに区切られて寝ることになったのだ。

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