アランのお願い
「アラン……ごめんなさい。ごめんなさい」
残されたアニェスは蹲り、友人を犠牲にした罪悪感をわずかでも軽くするかのように、ひたすらそう呟いた。
我が身可愛さに愚かなことをしてしまった。グレーゲルと出会ってから色々な経験をして、自分なりに成長したと思っていた。しかし、そんなことはなかったのだ。
ドレグニア王国のことわざに『幼児の心、墓場まで』という言葉がある。幼い頃にできあがった性格は一生変わることはない、という意味だ。
アニェスの小心者で利己的な性格は今も変わっていなかった。それを思わぬタイミングで顕にされ、自己嫌悪に押しつぶされそうになった。
「アラン……」
今、一番辛いのはアランだ。
早く帰ってきてほしい。でも、合わせる顔がない。相反する思いで、胸の辺りがザワザワと不快な感じがした。
しかし、そういう時ほど時間は早く過ぎる。今が一体昼なのか夜なのか検討もつかなかったが、牢の中を右往左往していると、奥から足音が鳴り響いた。その音は、だんだんこちらに近づいてくる。
「ほら、牢に戻りな」
薄暗がりからティエリーの声が聞こえてくる。そして、すぐにその姿が現れた。
ティエリーが牢の鍵を開けて扉を引くと、後から操られて表情の抜け落ちたアランがやってきて、大人しく牢の中に入った。
「アラン!」
棒立ちになっているアランに駆け寄る。しかし当然、反応はない。
「しっかり働いてくれたよ。じゃあ、また明日ね」
ティエリーはそう言うと、アランを操る鍵をしまった。
その瞬間、アランは崩れ落ちた。
「アラン! 大丈夫!? アラン!」
「……うっ、あ」
アニェスはアランの背に手を当てたが、彼はその手を振り払い、側にある水瓶に急いで駆け寄ると、その中に勢いよく胃の中身を戻した。水瓶の中身は、魔法がかかっており、中に張られた水ごと消え、再び水だけがそこから湧いた。
アニェスはおずおずと身を寄せ、アランの背中をゆっくりとさすった。
落ち着くと、アランは壁に背を預けてぼんやりとしていた。アニェスが話しかけても首を振るばかりだった。
アニェスは深く後悔した。アランの帰りを待っていた時の比ではないくらい。
これが友を犠牲にした結果だ。『幼児の心、墓場まで』ということわざを身をもって理解する。どうにかして変わりたい。切実にそう思っている。
実際は、ものすごく怖い。あの飄々としていたアランが、ここまでになってしまうなんて。どんな残虐なことをさせられるのだろうか?
でも、アランは守ってくれたのだ。代わりに、自分もアランを守らなくてはならない。
アニェスは、決意した。
「ねぇ、アラン。明日は私が――」
「だめだ!」
アニェスは目を瞠った。それまで心ここに在らずといった調子のアランだったが、アニェスの言葉に勢いよく反応した。
「あなたは休んでいて、その方がいいわ」
宥めるように、アランの肩を撫でる。だが、アランはその手を掴んでアニェスに縋り付いた。
「お願いだ……行かないでくれ」
「もちろん。どこにも行かないわ」
「じゃあ、明日もここで待っていてくれ……」
「えっ、でも」
「お願い。俺を待っていて」
アランはしがみつくように、アニェスを抱きしめた。髪の毛からは、微かに焦げた臭いと血の臭いが感じられた。どんなことをさせられたのか聞きたかったが、彼の口からは説明させてはいけないような気がして、聞けなかった。
アランの身体は、冷えきっていた。だが、憔悴しきったアランを目の前にしてどうすることもできず、アニェスはただ彼の背中を撫で続けた。
「……ごめん。取り乱した」
しばらく撫で続けていると、平静を取り戻したアランがポツリと呟いた。
「いいの。あなたを一人で行かせた私の責任だから。あの時、怖くて……自分も行くって咄嗟に言えなかった。本当にごめんなさい」
アニェスは罪悪感に涙声になりながら謝った。本当は泣いてしまえるような立場ではない。泣いていいのは、アランだけだ。
アランはゆっくりと身体を起こした。
「当たり前だろ。誰だって怖いに決まってる。俺が勝手にアンタを守りたくなっただけだ」
アランは至近距離でアニェスを見つめると、額同士をこつりとくっつけた。慣れない異性との触れ合いに顔が一気に火照るのを感じ、アニェスは目をギュッと瞑った。その瞬間、脳裏に愛しい人の姿が過ぎり、胸がズキリと痛んだ。
「……っで、でも明日はうっ!」
気を取り直してアニェスがなおも食い下がると、アランはチュッと音を立ててアニェスの鼻の頭にキスを落とした。
「ちょっと!」
バッと離れて鼻を抑える。アランは吹き出し、そのまま腹を抱えて笑い出した。
「な、何をするのよっ」
「いや、別に? 可愛いなと思って」
「なっ……!」
不意打ちを食らって、更に顔が熱くなる。真っ赤になっているに違いない顔でアランを睨みつけていると、彼は不意に真剣な表情をした。
「必要がないことは、しなくていいんだ」
その言葉は、まるでアニェスの心の内を見透かしているかのように、罪深いほど甘い響きを伴い、心のむきだしの部分に染み込んでいく。
その優しさに流され、この身を預けることができたのなら、どんなに楽だろう。こんな状況になったのは、アニェスのせいではない。何も悪くはないのだから、常に守られる立場にいたって問題はないのだ。
しかし、本当にそれでいいのか?
「良くない……アランは苦しんでいるんだから交代する」
「苦しくないって」
アランは宥めるように、アニェスの腕を撫でた。しかしそんな嘘では、アニェスは誤魔化されなかった。
「吐いていたくせに。それに苦しくないなら、明日私が行っても良いはず――」
「だめだ」
急に咎めるような口調で言われて、アニェスは目を瞬かせる。アランは腕を撫でていた手で、そのままアニェスの二の腕あたりを強く掴んだ。
「なんでよ……やっぱり苦しいんでしょ。この頑固者!」
「頑固はどっちだよ。別に勝手に苦しい方を買って出たんだから、放っておけば良いだろ」
「良くない!」
アニェスは声を荒らげて、アランを睨みつけた。つい、ムキになってしまった。まるで出会った頃のように。
アニェスの勢いに、アランは少しだけ目を見開いた後、肩を竦めて微笑んだ。
「アンタを同じ目に遭わせるのは、俺がしんどいんだよ」
「何それ……どうして?」
予想外の反論にアニェスは面食らった。顔を覗き込むと、アランはスッと目を逸らす。
「秘密」
「えっ?」
「こっちの問題。俺の問題なんだから、アンタはただ待っとけばいいってこと」
ぶっきらぼうに言い切ると、アランはどっかりと床に座り込んだ。
わけが分からない。この短期間でどうしてここまで庇われるのだろうか。
アニェスは混乱して言葉が出なかった。それを察してか、アランがぼそっと呟いた。
「なんか放っとけないんだよ」
「なんで……」
「さあな。分からない」
分からないくせに、アランは昏い瞳でアニェスを見つめた。その瞳の奥で、何を考えているのか、全く理解できない。もう何と言って良いのか分からなかった。
そんなアニェスの当惑する姿を見て、アランはフッと笑ってから、おもむろに口を開いた。
「明日も俺のこと、待っといてくれよ。それで終わったら、うんと慰めてくれ。いいな?」
「う、うーん……うん」
勢いで丸め込まれた気がするが、本当にこれで良かったのだろうか? 真意を測りかねて、葛藤しながら頷くと、アランはパッと笑顔になった。
「よし。この話は終わり!」
アランはひとつ手を叩くと「どこかの頑固者のせいで疲れた。もう寝るわ」と言って瞼を閉じた。アニェスが「ちょっと! 誰のせいだと……」と反論する頃にはもう、規則的な寝息が聞こえてきた。そこでアニェスにも、冷静に考える時間ができた。
今の正確な時刻は分からないが、アランが外から帰ってきて寝たということは、今は寝るべき時間帯なのかもしれない。まだ話は終わっていないが、何にせよ睡眠時間は確保すべきだろう。そう結論づけて、アニェスも冷たくて硬い床に寝転がり、身を縮こまらせた。
今日は本当に嫌な一日だった。だが、アランにとってはその比ではないほど辛く、地獄のような時間だったに違いない。
すぐ近くに寝そべる、少しやつれた美丈夫を見つめる。彼はこの細い身体でアニェスを守ってくれた。
いつの間にか、体臭が気になるから近寄ってほしくない、なんて些細な考えはすっかりなくなっていた。今は、仲間として、できるだけそばにいてあげたい。そう思った。




