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聖誕祭の魔法騎士  作者: 板山葵
ドレグニア王国革命編
30/43

使役と精神操作

 気がつくと、アニェスは何か柔らかいものに包まれていた。

 身体中がチリチリと昂り、頭の天辺から指先まで今までにない新しい何かが駆け巡り、そのまま外に迸りそうな感覚に苛まれた。

 思わず手をピクリと動かすと、生暖かいチクチクとした毛に覆われた何かに触れた。

 その瞬間、それはキャンッと鳴いて勢いよく離れていった。


「うっ……!?」


 アニェスは驚いて目を開けると、最近見たばかりの天井が視界いっぱいに広がった。恐らくここは、攫われた直後にいた地下の部屋だろう。

 起き上がろうとすると、その途端に体がずしりと重く、頭に靄がかかったように全く思考が働かなくなった。あまりのだるさに、アニェスは起き上がることを諦める。


「気がついたみたいだね」

「……っ!?」


 アニェスは驚いて飛び起きようとしたが、体が重すぎてできなかった。

 いつの間に近くにいたのか、幼い頃に嫌というほど聞いた声がすぐそばから聞こえてきた。

 無理やり体を横にして声のした方を見ると、予想通りティエリーがベッドのそばに立っていた。


「久しぶりだね。と言っても、伯父上がうちの領地に視察に来られた時に一度会っているけどね」


 ティエリーはその愛らしい顔で、にこりと微笑んだ。


 伯父上、と言われて、アニェスはすぐには誰のことだか分からなかった。だが、ティエリーが「ギヨーム様のことだよ」と補足したことでやっと理解する。

 ロッテンバーグの話が正しければ、彼はアニェスとティエリーにとって、伯父に当たるのだ。


「ど、して……?」


 どうしてここにいらっしゃるのですか? そう聞こうとして、上手く喋れないことに気づく。

 ティエリーはうっすらと微笑みを浮かべたまま言った。


「へえ、その状態でよく喋れるね」

「えっ……?」


 その状態とは、どんな状態だろう? たしか、意識が途切れる直前は、ロッテンバーグと会話していたはず。魔法がどうとか言われた気がするが――

 思考が鈍っているせいで、それ以上は何も考えられなかった。


「状況を説明してあげる。君は今、魔法神経を解放されているんだ。でも、そのままだと危ないだろう? こちらを攻撃されても困るし。だからお人形になってもらうことにしたんだ」

「おに……?」


 そこまで言われ、思い出した。ロッテンバーグに最後に言われた言葉を。人形になっている、と言われたのだ。


 何がおかしいのか、ティエリーは声を立てて笑った。


「そうそう。伯父上は君に首輪を用意したんだよ。だから本当は今頃、全く思考回路が働かないはずなんだけど……さすが、魔法神経抜群。自我をかろうじて保っているなんてね。でもだんだん効いてくるよ」

「な……ティエ、に……様。な、んて……?」


 今しがた語られたことは、アニェスにとってにわかには信じ難かった。

 魔法神経――つまり、魔法を使う才能がアニェスにはあるということなのだろう。それも抜群らしい。だが、せっかく魔法を使えるようになったのに、アニェスの自我はなくなってしまうのだとティエリーは言う。

 絶望を感じて、つい目の前の兄に縋るような視線を向ける。


「ん、僕? 僕に聞かれても、何にもできないよ。僕は昔から、伯父上によくしてもらっていたから、そのご恩があるし」

「ご恩……?」


 頭がボーっとするが、必死で抵抗する。少しでも抵抗をやめてしまえば、たちまち夢の世界へ旅立ってしまう。そんな浮遊感に包まれていた。

 しかし抵抗するアニェスを後目に、ティエリーは静かに続けた。


「子どもの頃、なぜか動物たちが僕の言うことを聞くって気がついてね。それで、気に入らない友達にけしかけてみたのさ。そうしたら怪我をさせちゃったんだよね。で、みんなに気味悪がられて……でも伯父上は、それが僕の強みだ、って言ってくれたんだ。それで僕に吸血蜘蛛のブラッチュラをくれたんだ。それ以来、僕は伯父上のことが大好きなんだよ」


 それを聞いた瞬間、アニェスは過去を思い出して吐き気を覚えた。ロッテンバーグが余計なことを言わなければ、蜘蛛を贈らなければ、あの身の毛のよだつような思いをしなくて済んだのに。ティエリーに何も気づかせなければ――


 頬を赤く染めながら語るティエリーの横では、大きなウィローが頭を彼の足にこすりつけていた。ティエリーが「よしよし」と言いながらその頭を撫でると、クゥーンと甘えた声を上げる。その様子は、どう見ても使役しているようには見えず、心から懐いているようだ。

 アニェスのウィローを見る懐疑的な視線に気づいたのか、ティエリーはかがみ込んでウィローを抱きしめて言った。


「このウィローは、僕が赤ちゃんの頃から育てているから、使役じゃなくて信頼関係が成り立っているんだ」


 ティエリーはそこで言葉を切り、ニタリと笑った。


「ただし、コイツの母親は使役して自死させたけどね」

「は……?」


 ティエリーはいやらしい笑みを浮かべた。


「信頼関係を構築するためにはドラマがなくっちゃ。だから母親を殺して、僕がコイツを拾ってあげたんだ。ねー?」

「なっ……!」


 体を突き抜けるような怒りを感じる。だが、それも一瞬でたちまち霧散した。感情が揺さぶられる度に、頭の靄が濃くなって何も考えないようにさせられるのだ。


 ティエリーが愛おしげにウィローを撫でると、彼はそれに応えるように、元気よくワフッと吠えた。

 しばらくそのやり取りをぼんやりと眺めていると、ティエリーはふと顔を上げた。


「そろそろ効いてきたんじゃない?」

「……っ!」


 アニェスはもう喋ることができなくなっていた。それどころか視界が滲み、ティエリーの顔に霞がかかって見える。

 だんだんと思考が奪われていく。


「じゃあ、そろそろ行こうか。人間を消しに、ね」


 ティエリーがそう言って指を鳴らすと、不思議と行かなければいけない気持ちになる。人間を消すことが、とても自然な営みのように思えた。

 だるく重かったはずの体は、今度は勝手に起き上がり、追い風を受けたように歩き出した。


「うんうん、いい感じ。一緒に行こう。おいで」


 ティエリーはにっこり微笑んで扉へ向かって歩き出し、その後ろをウィローが続いた。すると、その後を追いかけなければいけない気持ちになって、自ずと脚が前へと進んだ。

 身体中をチリチリとした焦燥感が駆け巡り、脳が警鐘を鳴らしている気がしたが、全てが霞に隠されて一つのことしか考えられなくなっていた。


 ――人間を消さなければいけない。

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