第二話・二周目と三周目
「ここは、僕のおごりでいいんで」と言われたがどうにもこうにもおごられる筋合いがないが、どうもおごられるのが自然のようにも感じた。なぜだろう。
特別高いコーヒーゼリー千五十円それに、モンブラン七百五十円も。頼み過ぎかな。正角はアイスコーヒーを頼んでいた。
「ちょっと、聞かないんですか?」
正角はおしぼりで汗を拭きながら訊いた。
「聞くって、何をですか?」
「いやいや、いきなり結婚する人だ、なんて言ってきたわけでしょ、僕が」
「そうですね」
私は運ばれてきたコーヒーゼリーをパフェスプーンでぐじゃぐじゃと崩しながら、時折正角に目をやった。
「そうですねって、気になりませんフツウ」
「そうやって、フツウふつう普通って、普通って何ですか?」
私はコーヒーゼリーにパフェスプーンを深くぶっ刺した。店主の奥さんらしい人がそっとモンブランをテーブルに置いて、ごゆっくりと言った。幸いにも、奥の方にお婆さんがいるくらいでほとんど誰もいないに等しかった。
「いやね、普通ってのは、可でもないし不可でもないし、ちょうどど真ん中」
「それって、じゅうぶん可ですよ」
私は意味のない討論をふっかけ、極細に絞り上げられたモンブランの衣をフォークではがしながら口に運んだ。正角は私のつかみどころのない様子にあたふたしているだろう、と思って正角を見ると、また汗をおしぼりで拭いていた。
「ところで、その普通議論はちょっと置きまして、僕が咲良の夫になる人、ってのを改めて説明するとですね」
普通の定義は難しい。だから甘えたように吹っ掛けたくなる。どうも変だ。私はモンブラン、コーヒーゼリーを交互に口に運ぶという至福の時間に没頭することにした。こんなコンビで食べるなんて、自腹じゃ考えられない。正角は続けた。
「僕が死んだあと、五百年後に世界が滅んだらしいんです。もちろん見てません。ただ、咲良を看取って、そのあと僕が亡くなったわけなんですが」
「え、私が先に死ぬの?」
「そこ食いつかないで」
「食いつくよ、アンタより先に死ぬってどういうことよ」
「食べ過ぎ。やれストレスだ、ほれストレスだ、どれストレスだって。今みたいにコーヒーゼリーのお供にモンブランって、わかります? グラフィックデザイナーの仕事は天職だと思うけど、ストレスフルみただものね」
正角の言うのは正論だ。さりげなく、私の職業を言ったけど、興信所の人間なの?
「大人になってからよ。こういう食べ方は。人にご馳走してもらうときだけ」
「結婚したら、全部僕がお会計していましたからいつもご馳走モードではありますね」
「いやいや、主婦だって働いているんですよ。家事って労働だし」
待てよ、私専業主婦の目線で話している。
「で、戻しますね。僕が死んだ後、なんだかよくわからない門でその五百年を眺めているわけです。最後は地球が滅亡しちゃって、隣にいた爺さん、たぶん神様みたいな人だと思うんですが、もう一周する?って訊いてきたわけです」
「もう一周?」
私は会話の流れにはついて行っている。どうやら地球は滅亡するらしい。でも、五百年後なら、私に子どもがいたとして、孫がいたとして、その子たちが滅亡に遭遇するわけでもない。まぁ、その考え自体が人としてどうかとも思うが。
「もう一周です。で、僕はハイと答えたんですが。いろいろ誓約書みたいなのにサインをして。その中で、記憶はそのまま持っていける、ってのが書かれていて」
「それで、地球が産まれなおして、もう一回哺乳類が、でそのあと人類に進化してみたいな流れに?」
私、興味が涌いている。モンブランはもうなくなっていた。コーヒーゼリーのグラスがびっしょりと汗をかいていて、中のきれいなゼリーはフレッシュと混ざり合って、何かの生命誕生のシーンのようでもあり、おぞましいエイリアンの死のようでもあり。
「そこからですよ。約四十六億年待って」
サラリと正角は言ってのけたが、地球誕生四十六億年あたりで人類が誕生している。
「そんなに、待って私と、結婚って」
新手のナンパにしては、ウソの程度がひどい。ここはひとつ様子を見る。
「私と結婚するのが二回目と言ったけど、最初もあの本屋で?店主が心臓発作で?男子高校生が助けてくれたの?」
正角はズズッとアイスコーヒーを飲みほした。ストローを使わず、グラスに口を直接つけて。その飲み方は、嫌いだ。
「一回目に出会ったのが、八月八日で、僕たちの記念日でした。四十六億年待ちましたが、忘れませんでしたね。で、あの本屋で店主が心臓発作になりました。ですが、男子高校生じゃぁなかったんですよね。あれは、ほら奥にいるあのお婆さんが心臓マッサージしてくれたんですよ、一周目だと」
「じゃぁ、なんであの男子高校生が心臓マッサージするってわかったのよ」
「一周目はあの場所にお婆さんが立ってたんですよ。それに僕からじゃぁあの角に誰が経っているか見えなかったし」
確かに正角からは死角だった。店主が倒れてから、サッと足早に倒れた店主に近づき、心臓マッサージ、救急車指示、自転車撤去指示。お婆さんにそんなこと指示されたら、四十六億年経っても覚えていられそうなくらい印象的だ。
「じゃぁ、あの男子高校生は誰なんだろう」
「チラッとしか顔が見えなかったからなぁ。若い時の僕にも似てるかなぁ」
「人助けした人を自分と重ねるってちょっと図々しくない? それにちょいちょい気になるんだけど、タメ口なのか敬語なのか、その辺決めてくれない。私はタメ口に決めたから。アンタもタメ口でいいわよ」
「あ、ありがとうございます」
「タメ口」
「それで、私がアンタと結婚するってのは、一周目だとそうだったってことなのね」
「はい、結婚するのは間違いないんですが」「でもさぁ、仮に一周目に私と結婚していたとして、二周目にも私と結婚するなんてどうしてなのよ。もったいなくない?もう一度だよ、他の人と楽しめばいいじゃん。わたしならそうする」
正角は黒縁の眼鏡をクッと持ち上げて
「それがですね、一周目で咲良が死ぬ間際に《あんたとなんか結婚しなけりゃよかった》って、言ったんですよ」
それは酷い。私がそんなことを言うんだ。言いそうではあるが。正角はタメ口を封印したのか、敬語モードだ。
「そうなら、なおさら私ともう一度結婚する必要なんてなくない?」
「改めたくないですか?たぶんココがダメだったんだろーなってところ、たくさんあるんですよ、僕。自信を持って言えます」
「え?」
この男は何を言っているのだ。一周目でミスった人生をやり直すために意地になって私ともう一度結婚したいとでも言うのか。私にとっては、少なくとも私の現意識にとっては、初婚であることには変わりないというのに。
奥に座っていたお婆さんが立ち上がり、杖をつきながらレジに向かった。マスターと奥さんに話しかけている。
「私、今日、すごくやり残したことがあるみたいだけど、思い出せないわ。ホント、すごくやり残したの」
奥さんがお婆さんをなだめながら、レジ前の飴玉を掴んでお婆さんのバッグに入れた。
「信じられないことも多いと思うんだけど、二周目でも咲良と結婚したいというのは本当の気持ちなので、ひとまずお付き合いのほどよろしくお願いできないでしょうか?」
強引にもほどがある、が、私は目下のところ猛烈にヒマである。さらなるヒマつぶしには丁度いいのかもしれないし、心の中でずっとこの男を正角と呼び捨てにしているところを思うに、イヤではないらしい。客観的にメタ的に自分を見つめてみると、どんな出会いも相手が既婚者やDV男でないのなら、受け入れるべしというのが私の信念でもある。
「いいよ、じゃぁ、結婚を前提に付き合いましょう」
連絡先を交換し、私たちは来週の夜七時に再びこの喫茶店で会う約束をした。
私だって暇じゃない。一週間後、Gガイルで待てど暮らせど、正角は来なかった。代わりに血相を変えたあの男子高校生が入って来た。私を見つけると一目散に私の対面の席、正角が座るはずだった席に腰かけた。
「ちょっと、何?」
男子高校生は私の水をグイッと飲み干し言った。
「やっぱり駄目だったか。僕のせいかも。死んじゃったのかなぁ」と突拍子もないことを言い出したのである。