エピローグ
「さーて、ジョッキは全員のところで行き渡っているかしら? それじゃ、乾杯っ!!」
「「かんぱーい!!」」
ルイゼ嬢の音頭に合わせ、テーブルについた面々が一斉にジョッキを打ち鳴らす。
ここはオストラントの冒険者ギルドに併設された酒場だ。調子のいい周りの冒険者も、便乗とばかりに快哉の声をあげている。
まずは駆けつけ。ぐいっと呷るエール酒の程よい酸味に、あたしは思わず顔を緩ませてしまった。
「いやー、人の金で飲む酒って最高ね!!」
「あ……あのなあ、嬢ちゃん。俺たちゃまだ、お前とは違って持ち合わせが少ないんだ。ちょっとくらい、手心ってもんをだな……」
「なーに、ちっさいこと言ってんの。第一、戻ってこられたら奢ってやるって言ったのは、あんたらの方でしょうが。お金なんて、これからじゃんじゃか稼げばいいのよ」
「下水道のドブさらいやゴブリン退治で、そんな大金が稼げるわきゃねえだろうがっ!!」
「勘弁してくださいよ、姐さん……」
「だから、姐さんはやめろって言ってんでしょ。ま、足りない分は貸しにしといたげる。利子はトイチでよろしく」
「ひでえ、鬼かよ」
参加してるメンツは、実に混沌極まりなかった。
仕事を早々に切り上げ、参加してくれたルイゼはまだいいとして、向かいの席に座っているのはあのガラントの取り巻き達。なんとこの三人、組織を足抜けして冒険者ギルドに鞍替えしたようなのだ。
何でも、うだつの上がらない裏稼業に限界を感じ、ガラントやあたし達みたく冒険者で成り上がろうと一念発起したのだとか。
長続きするかはさて置いて、まずはその意気を汲んでやりたいところだ。今はひよっこ冒険者として、コツコツと依頼をこなす毎日を送っているらしい。
「お待たせしました。えーと、鴨のローストとキノコのアヒージョ。それから、エールのおかわりですっ!!」
「お、来たわね。お疲れ様、モニカ」
「いえいえ。お料理はまだありますから、どんどん食べてくださいね」
もう一人の意外な顔ぶれとして、ヘルマンの屋敷でメイドを務めていたモニカが注文を運んできた。
屋敷のごたごたで仕事を失った彼女は、どこからともなくあたし達の噂を聞きつけて、オストラントまでやってきたんだそうな。
今ではメイド服から給仕服に着替え、この酒場のウェイトレスとして働いている。
一生懸命な仕事っぷりが庇護欲をそそるとかで、水面下で着実にファンが増えつつあることを本人は知らない。
さて、今日の宴会の名目はこないだのヘルマン邸での一件が片付いたことはもちろん、もう一つあったりする。
それは、今回の事件を機に正式なパーティを結成したこと。メンバーは言うまでもなくあたしとロミ。それから――。
「まさか、あんたまで冒険者になっちゃうなんてね」
「教会の命に背いてしまった以上、聖王国に戻れば処罰は免れない。だから、しばらくはこの街に潜伏することにした」
何食わぬ顔であたしの右隣の席に陣取っているのはリーシャだった。左側に座っているロミが、ワイングラスを傾けながら苦々しげな顔をする。
「よく言うわよ。派遣されてきた都市に潜伏だなんて、いくら何でも目算が甘すぎるわ。本気で逃げ切るつもりがあるのなら、魔法王国か自由都市自治領辺りにでも高飛びすべきだったのではなくて?」
「あなたこそ、教会の諜報能力を甘く見すぎ。本気になった彼らは、それこそ世界の果てまでだって追いかけてくる。どこへいても変わらないなら、この街に身を寄せるのが最も合理的と判断した。それに……」
言葉を切ると、リーシャはあたし達を見遣って悪びれることなく続けた。
「二人が一緒なら、いざという時の戦力になる」
「それって、最初から巻き込む気満々ってことじゃない!! 私は嫌よ。これ以上、教会と事を構えるだなんて!!」
「こうなった原因はあなた達にもあるのだから、責任は取ってもらう。……あと、最初にわたしを冒険者に誘ったのはレイリだから」
「へ……? そ、そうだったっけ?」
「言ったわ、確かに。……呆れた、まさか忘れてるなんて」
「あはは……。ごめん、ごめんて」
あたしの反応がお気に召さなかったのか、ジト目で口を尖らせるリーシャ。うーん、あんまり記憶にないけど、そう言うのなら多分言ったのだろう。
ちなみに、あたしとロミが破壊したはずの聖剣はすっかり元通りになっていたりする。複製品は駄目になってしまったようだけど、本物は精神体に近い存在らしく、神子本人が健在である限り、いくらでも再召喚が可能なのだとか。
何はともあれ、当座はこの三人で冒険者を続けることになりそうだ。あたしとしても、剣の腕はもちろん、治癒術まで使えるリーシャが加わるなら戦力的に心強い。
問題なのは、ロミに加えてリーシャまであたしのツッコミ役に回りつつあること。
普段は口喧嘩が絶えないくせに、そういう時だけ息があってるからタチが悪い。お前ら、やっぱり本当は仲良しだろ。
「まあまあ、いいじゃない。ギルドとしては、腕の立つ人間はいつでも歓迎よ。元教会の関係者というのも、そこまで珍しいことではないし。これからの活躍に期待してるわよ、リーシャ」
「……そういえば、あなたの名前はルイゼというのね」
「ええ。そうだけど、まだ名乗ってなかったかしら?」
「多分、初耳」
「そう。じゃあ、改めてということになるわ。よろしくね」
「……よろしく」
ルイゼのテンションに戸惑いながらも、差し出された手を握り返すリーシャ。
そういえば、オフモードのルイゼを見るのは初めてなんだっけか。そういうことなら、混乱するのも無理はない。
「ちょっとルイゼー、あたしの時と対応が随分と違くない?」
「あなたの場合、無一文だわ、武器もないわで、最初はどこの馬の骨が迷い込んだのかと思ったもの。聞いてよモニカ、この子ったら……」
「やめなさいってば!! ああもう、あたしが悪かったわよ!!」
「あはは……。レイン……じゃなくて、レイリちゃんって、昔からそんな感じなんだ」
嬉々として、あたしの汚点を暴露するルイゼ。モニカはモニカで、苦笑いはしてるけど否定しないし。くそう、いつか逆襲してやるからな。
◆
その後も大いに盛り上がり、いつしか宴もたけなわ。
三人組は早々に酔い潰れたのに対し、一番飲んでるはずのルイゼは顔色ひとつ変えずにケロっとしていた。すでに知ってたことだけど、彼女は相当にザルなのである。
リーシャは相も変わらずの無表情――と思いきや、顔を真っ赤にしつつそれでも黙々と飲み続けていた。
あ、これは止めとかないとマズい奴だ。モニカに頼んで、こっそり葡萄ジュースにでもすり替えといてもらうか。
そして、もう一人はというと。
「……あれ? そういえば、ロミは?」
「ロミだったら、さっき席を外したわよ。外の空気を吸ってくるって」
「ふーん……。そんじゃあたしも、ちょっと出てこよっかな」
「わかったわ。酔っ払いどもの相手は任せといて」
「あはは、よろしくー」
「ロミのこと、お願いね」
ひらひらと手を振るルイゼに見送られつつ、あたしは夜の街へと繰り出した。
外に出ると、ひんやりした夜気があたしの身体を包み込んだ。この街を訪れた頃はまだ暖かかったのに、最近はめっきり冷えるようになってきた。
季節はじきに冬に差しかかる。半年もこの街で暮らしてれば、当然のことだろう。
あてもないまま、街をぶらつくことしばし。
脇道に入り、喧騒から遠く離れた路地裏でロミを見つけた。樹木のように立ち並ぶボロ家の間から覗く夜空を、彼女は一人静かに仰ぎ見ている。
「ようやく見つけたわよ、ロミ」
「……よく、ここにいるってわかったわね」
「流石にすぐにとはいかなかったけれどね。何なく、ここかと思ったの」
「そう」
ここはあたし達の始まりの場所。この街へやってきた初日、ガラント達に絡まれていたロミを見つけた場所だった。
冬の夜空の空気は冷たく、それでいてとても澄み渡っていた。都会にしてはよく見える星と、細くかかる白銀の三日月。
時が停まったかと錯覚する静寂の中に、彼女は何を見ていたのだろうか。
「そういえば、あの刀を帯びるつもりはもうないの?」
「……少なくとも、しばらくの間はね」
今しがた指摘された通り、あたしが腰に下げているのは代替品のシミターだ。
さんざん苦労した末に、ようやく取り戻した羅刹刀ではあったけど、最終的にあたしはそれを封印することに決めた。
羅刹刀は、元来うちの道場に代々伝わる由緒正しき宝刀だ。今のあたしが振るうには、少しばかり荷が勝ちすぎている。
刀を継ぐに相応しい実力が得られるその日まで、羅刹刀は抜かない。今よりもっと強くなるため、あたしはそう心に誓ったのだ。
「そっちこそ、何をこんな所で黄昏れてんのよ」
「人の多い場所は苦手なの。これまでずっと、一人で生きてきたから」
「ずっと一人で、ね……」
ロミが言うずっとは、きっと人間の尺度と大きく隔たったものに違いない。
何十年、あるいは何百年。彼女が生き続けてきた時間は、きっとあたしとは比べものにならないほどに長いのだから。
「こんなに多くの人に囲まれたのは本当に久しぶり。けれど、それも長くは続かない」
「……どうして、そんな風に思うのよ」
「魔女は決して、歳をとらない。五年や十年くらいならともかく、何年経っても見た目が変わらなければ、いずれは気味悪がられ、疎まれることになるわ」
「ロミ……」
「だから私は、なるべくひと所には留まらないよう生きてきた。身を寄せた先でも極力、口の端に登らないように、息を潜めて隠れながらね」
自嘲めいた笑みを浮かべつつ、独り事ちるような言葉を紡ぐ。そうやって、幾度となく居場所を転々と変えながら、彼女はこれまで生き続けてきたのだろう。
「みんながみんな、あんたのことを嫌うとは限らないでしょうよ。あたしは少なくとも、そうじゃないって言いきれるわ」
「あなたはきっとそうなのでしょうね。けど、それだっていつまでも続くものじゃない」
「何よそれ。あんたはあたしが、心変わりするとでも……」
「そうではないの。……心は変わらずとも、あなたにだっていずれ終わりはやってくる。人の一生なんて、私にとってはほんの瞬きに過ぎないのだから」
「あ……」
ロミの浮かべる、あまりにも寂しげな微笑に言葉が詰まる。永遠に在り続ける生の中で、数えきれない出会いと別れを繰り返してきたと見て取れる、そんな笑み。
深い諦観と孤独に彩られた彼女の在り方に、あたしはどう向き合うべきなのか。
「笑ってくれてもいいわ、レイリ。私はね、怖くてたまらないの。あなたが見せてくれる煌めくように眩しい日々も、いつか泡沫の夢となって私の前から消えてしまうでしょう。だったらそんなもの、初めから知らないほうが幸せなのかもしれない」
「…………」
「ごめんなさいね、あなたを困らせるつもりはなかったの。……さあ、もう夜も遅いわ。そろそろ、戻りましょう」
「……はぁ。あんたって、ほんっとバカよね」
逃げるように背を向け、足早に歩きだすロミの腕を捕まえた。頑固者で融通が効かず、頭がいいくせに肝心なとこで不器用で。本当は、誰より寂しがり屋なあたしの相棒。
「まだ何もしてないうちから、終わった後のことなんてぐじぐじと考えててどうすんの。そういうのをね、あたしの国じゃ鬼が笑うって言うのよ」
ちょっと目を離せば、すぐに自分の殻に閉じこもろうとする。
……まったく。そんな風に下ばかり向いていたら、どんなに素敵なものだって見逃してしまうじゃないか。
「あたしはね、あんたのことが心底羨ましいって思ってる。他人の何倍も生きて、色んな出来事を経験して。その気になれば、世界の果てにも手が伸ばせる。それって、すっごく素敵なことだと思わない?」
「私は……。私には、あなたのように考えられないわ」
「だったら、あたしが思い知らせてあげる。あんた、他人の人生をほんの瞬きとか言ってくれたわよね? その瞬きとやらの間に、どんな日々が待ってるか見せつけてあげるから楽しみにしときなさい!!」
「ちょ、ちょっと、レイリ!?」
そしてもう、二度と独りぼっちがいいだなんて言わせない。陽の光の下を颯爽と歩く、そんな魔女がいたっていいじゃないか。
「……本当に。あなたって、困った人だわ」
「何よ、今頃になって気が付いたの? 覚悟しときなさいよ、ロミ。あんたにはこの先、絶対に吠え面かかせてやるんだから!!」
(おわり)