第2話
「うわぁ……何これ、すっごいわね」
所狭しと並べられた料理の数々に、思わず感嘆の声が漏れる。
芳しい湯気をたてる鳥の炙り焼き。香辛料の香り漂う魚介のパエリア。瑞々しい野菜をふんだんに用いたサラダにこんがりと焼き色のついたパン。そして、美味しそうな果物とチーズの盛り合わせ。
ここメルヴィール騎士王国は海と山の両方に面しており、実に豊富なバリエーションの食材が揃っているらしい。食事どきでぺこぺこになったあたしのお腹が、目の前の料理にこれでもかとばかりに刺激されている。
「ねえ、ほんとにいいの? あたし、そんなつもりでお姉さんを助けたんじゃないけど」
「遠慮しないで。助けてもらったのは事実だし、ここは奢らせて頂戴な」
「そう? そういうことなら、お言葉に甘えて」
給仕の女の子が運んできてくれたエール酒を受け取り、向かいに座ったお姉さんと軽く乾杯を交わした。
なみなみと注がれたジョッキの中身をあたしはぐびりと呷り、対するお姉さんは両手で包み持つようにしてちびちびと口を付ける。
「まずは、改めて自己紹介といきましょうか。あたしはレイリ。レイリ・ノースウィンドっていうの」
「ロミ・シルヴァリアよ。よろしくね、小さな剣士さん」
料理に舌鼓を打つあたしを、彼女は微笑ましいものを見るような眼差しで眺めていた。そんなにまじまじと見つめられると、流石にちょっと気恥ずかしい。
だって仕方がないじゃないか。船上じゃ出てくるのは保存食ばかりで、こんなに豪勢な食事をするのは久しぶりなんだから。
「にしたって、災難だったわね。あんなガラの悪そうな連中に絡まれるなんてさ」
「どちらかというと、災難だったのは彼らの方ではないかしら。彼らが自業自得なことを否定はしないけれど、あれでは弱い者いじめと大して変わらなくてよ?」
「あ、あはは……。なかなかに手厳しいね、ロミさんは」
さらりと辛辣なことを言ってのける。見た目はおっとりとしているが、なかなか率直な物言いをする人のようだ。
ちなみに、あの連中はふん縛って路地に転がしておいた。通報とかはしていないけど、後は見つけた衛兵辺りが何とかしてくれるだろう。
「ロミでいいわ。彼らのリーダー――ガラントとは、以前にちょっとした縁があってね。街中でたまたま出くわしたところを、付きまとわれて困っていたのよ。レイリにも迷惑をかけてしまったわね」
「ひょっとして、あたしが助けるまでもなかった?」
「さあ。そこは想像にお任せするわ」
くすくすと笑いながら、エールを傾ける。彼女がただのか弱い女性でないことは、これまでのやり取りからとっくの昔に気付いていた。剣こそ帯びてはいないものの、その佇まいには付け入る隙がまるで感じられない。
「それで、レイリはどこの大陸からやってきたのかしら。随分と腕が立つのは間違いないようだけれど」
「……参ったなぁ。そんなことまでお見通しなんだ。ほんとに敵わないわね」
「これでも、人を見る目には自信があるの。服装にしても、その腰に差した剣にしても、あなたがこの大陸の出身でないことは一目瞭然よ」
やはり、目の前の人物はただ者じゃない。普通、余所の国の出身と思われることはあっても、別の大陸からやってきたなんていう発想はそもそもからして出てこない。
すなわちそれは、各地に点在する他の国々の文化や風俗に精通しているということ。それだけの広い見識を持ちあわせている者など、ほんのひと握りに限られるだろう。
「ご明察よ、ロミ。あたしは東方にある、セルベリアって国からやってきたの。はるばる海を越えて、武者修行の旅にね」
あたしの国でも、内海や離島を行き来する定期船までは一般的だけど、外海を航行する船となると滅多にお目にかかることができない。
安全な航路が確立されていないため、長期に渡る船旅は遭難の危険が非常に高くて割に合わないのだと、港で知り合った水夫のおっちゃん達は口を揃えて言っていた。
交易でひと山当てようという一人の商人が私財を投げ打って建造した大型船に便乗し、あたしはやっとの思いでこの国へと辿り着いたのだ。
「その一風変わった剣は、レイリの国の物なのかしら?」
「セルベリアじゃ刀って呼ばれてる。割と一般的な武器なんだけど、こっちに来てからは一度も見かけてないわね」
流石に店内で抜くのは躊躇われたので、鞘に入ったままのそれを眼前に掲げてみせた。鞘に取り付けられている鉄紺色の下緒には、我が家の家紋にも用いられている一つ巴が無数に織り込まれている。
細身ながらも、確かな鉄の重みを感じさせる拵え。斬撃に特化したこの剣を、あたしの国では自らの魂になぞらえる者たちさえいるくらいだ。
この刀の銘は“羅刹刀”。これまで幾度となく振り続けてきたおかげで、今では自らの手も同然に馴染んだ立派な相棒である。
「ただ珍しいだけではないわ。恐らく、その剣は数百年単位の歳月を経た銘剣。さぞかし名のある鍛冶師の手で鍛えられたのでしょう」
「すごいわね、ロミは。ひと目でそこまで見抜くなんて」
「古い武具というのは、それだけで独自の気配や意思を宿すものよ。あなたの刀からは、そういった力強さが伝わってくる。大切に扱ってあげなさいな」
そんじょそこらの刀とは訳が違うと思っていたけど、まさかそこまでの代物だったとは。実のところ、こいつの素性についてはあたしも詳しく知らなかったりする。
「ところで、武者修行の旅と言っていたけれど」
「あー、うん。あたしの実家は、国に古くから伝わってる剣術道場でね。もっともっと、強くなりたいんだ」
「今のままでも、十分に強いように思えるけれど」
「冗談。今のあたしじゃ、兄貴たちの足元にだって及ばないわ。もちろん、道場主である父親にもね。だから、少しでも多くの相手と剣を交えて腕を磨きたいの」
――そう。いつか、あいつら全員に吠え面かかせてやるためにも。
「……レイリ?」
おっと、いけない。知らず知らずのうち、刀を睨む目が険しくなっていたようだ。
訝しげに視線を寄越してくるロミを誤魔化すべく、あたしは目の前の料理に手をつけることにした。
お店の人が名物だと勧めてくれた海鮮パエリアは、口に運ぶと濃厚な魚介の旨味が口いっぱいに広がった。大きめに切られたイカの歯ごたえがたまらない。
「ごめん、何でもない。それよりもさ、今度はそっちの話を聞かせて。その見聞の広さ、ロミだってただ者じゃないんでしょう?」
「……私は見ての通り、一介の魔術師に過ぎないわ。どこかの術院に籍を置いてる訳でもないから、地位や権力とも無縁だしね」
少し寂しそうな笑みを浮かべながら、彼女は手にしたジョッキの中身を口にする。
呪いや祈祷によって超常の力を操る者たちのことを、この国では魔術師と呼ぶらしい。ロミみたいな格好の人はあたしの国にもいたので、そこは何となく察することができた。
しかし、これほどの知識があれば一廉の人物であってもおかしくないだろうに。
まあ、うちの国でも彼らはお山に籠もって権力争いばっかりしていた記憶があるので、そういった世俗のしがらみに興味がないだけなのかもしれない。
「今はこの街の冒険者ギルドで、簡単な依頼をこなしながら生計を立ててるの。あなたも冒険者になるつもりなら紹介してあげられるけど、どうする?」
「冒険者、かぁ……」
デザートの果物にフォークを突き刺しながら、はたと思考を巡らせる。
冒険者については船の上で何度も耳にした。ギルドと呼ばれる組織に身を置く便利屋の集まりで、様々な依頼を報酬と引き換えに請け負うのだという。
用心棒や魔物退治などの荒事もこなすようだが、それ以外の雑用に駆り出されることもよくあると聞く。実戦経験を多く積めるのは魅力的に感じたが、徒党を組んで何でも屋の真似ごとをするなんて性分に合わないと感じた。
「ありがたい申し出だけど、遠慮しとくわ。自分の目的は、あくまで剣の腕を磨くことにあるし。しばらくは、この街で腕に覚えがありそうな道場を回ってみるつもり」
「そうなの、残念。あなたほどの腕があれば、冒険者として引く手あまたなのだけれど。もし、気が変わったならギルドを訪ねて頂戴。いつだって歓迎するわ」
食事を終えて店を出た後は、約束通り街の案内をお願いすることにした。
オストラントという名のこの街は、メルヴィール騎士王国の東部を治める副都らしい。王城を擁する首都ローテンシルトに次ぐ大都市で、王位の継承権を持つお偉いさん方も住んでいたりするのだとか。
街区は貴族街を中心にして東西南北に広がっており、あたし達がいるのは南側の区画にあたった。職人たちの工房や商店が軒を連ねており、どこか故郷の下町を彷彿とさせる。雑多で活気のある雰囲気は実にあたし好みで、ここを根城にすることを密かに決心した。
「それじゃ、ここでお別れね。何だか、最終的にあたしの方が世話になったみたい」
「いいのよ、気にしないで。私も久しぶりに楽しい時間が過ごせた気がするわ。同じ街に暮らす者同士、またいつか会う機会もあるでしょう。その時はよろしくね、レイリ」
「ええ。また会いましょう、ロミ」
最後に冒険者ギルドの場所を教わってから、あたしはロミに別れを告げた。
当座の寝床として目星を付けた宿屋は、通りから少し外れた路地の一角にあった。
お世辞にも上等といえない安宿を選んだ理由は、端的に言って資金を節約するためだ。路銀にはまだ余裕があったが、先は長い。無駄遣いは極力避けるべきだろう。
無愛想で陰気な主人から部屋の鍵を受け取り、庭先で素振りをして軽く汗を流した。それから部屋に戻ってひと息つくと、あたしはベッドの上にごろんと仰向けになった。昼食をしこたまご馳走になったので、夕食は抜きでも構わないだろう。
「この街に来て早々、色んなことがあったわね」
ロミとの出会いを反芻しながら、これからの道行きに思いを馳せる。
ここメルヴィールは騎士王国と呼ばれているだけのことはあり、屈指の軍事国家としてその名を轟かせていた。
当然ながら、名家と称される貴族の中には武芸に秀でた猛者どもを大勢抱えている者もいるはず。武者修行の場として、これほど打ってつけの場所はないだろう。
まずは、手近な道場の門を片っ端から叩いてみるとしよう。どこぞの門下に入って腕を磨くもよし、道場破りで名を馳せるもよし。
いずれにせよ、いよいよここからが本番だ。程よい疲労感に包まれながら瞼を閉じると、あたしの意識はすぐに眠りの底へと落ちていった。




