第25話
「レイリっ!!」
「う、ぁ……あ、あぁ……?」
切迫した声が、あたしを現実へ引き戻す。目の前で肩を揺さぶってるのは、銀髪碧眼に眼鏡をかけた尖り帽の女魔術師。
「ロ、ミ……ロミ、なの……?」
「よかった……。意識が戻ったのね」
心底から安堵したようなロミの表情。ローブはほつれ、顔には青あざ、おまけに眼鏡はひび割れていたけど、間違いなく生きてる。ということは、成功したのか……?
未だに寝ぼけているのか、上手く思考がまとまらない。順を追って思い出そうとして、記憶を辿った瞬間――想像を絶する頭痛が、あたしに襲いかかった。
「ッ、がッ!? あ、あが、がぁああぁあッッ!!」
「無理に思い出しては駄目よ!! 意識を他のことへ移しなさい!!」
「そ、んな……無茶、言われ、ても……ぁぎ、がぁああ゙あ゙ッッッ!?」
何だこれ、頭が割れる!! 土木用の大木槌で脳味噌を滅多打ちにされ、赤熱した鉄串を何本も突き立てられてるみたいだ!! 痛みで意識が飛びそうになり、けれど更なる激痛がそれすら許してくれない。
床をのたうち回り、収まらない苦痛から逃れたくて石畳に頭を打ちつける。涙と鼻水と吐瀉物でぐちゃぐちゃになりながら、あたしはひたすらに悶絶する羽目になった。
「はぁ、はぁ……あ、ぐ……うっ。な……何、なの、これ……」
「あなたが行使した禁術の反動よ。時間軸が矯正されたことで、今のあなたには矛盾した二つの記憶が混在しているの」
「二つの、記憶ですって……? ッ、あ痛たたっ……」
「理解までしなくていい。記憶の遮断は私が済ませておいたから、安静にしてさえいれば後遺症は残らないはずよ」
ようやく引いてきた痛みを堪え、上体を起こす。ロミはそんなあたしを見遣りながら、何とも複雑そうな表情を浮かべていた。
「……まったく、何を考えているの。人間が魔女の禁術を再現するなんて、前代未聞にも程があるわよ」
「た、はは……、そんなに褒められたら、照れるじゃないの」
「馬鹿ね、呆れてるの!! あなた、あと少しで廃人になっていたところよ!!」
どうやら、あたしは相当に危ない橋を渡っていたらしい。
だが、そのおかげでロミの命を救うことができた。ここは結果オーライだろう。
「それで、ここはどこ? ……って、聞くまでもないか。あたし達、やっぱりリーシャに追われたままなの?」
「ええ。私が時系列を遡った時点で、レイリが記憶の統合による反動を受けることは目に見えていた。あの子の追跡を振り切って、あなたが目を覚ますのを待っていたのよ」
周囲を見渡すと、そこは薄暗い路地裏の一角だった。
さっきまでリーシャとやりあってた時と同様に、街には人どころか虫一匹の気配さえも感じられない。まるで世界中から、ありとあらゆる生物が死滅してしまったかのような、不気味な静寂が一帯を支配していた。
「私たちは現在、あの子が張った結界の内部に閉じ込められている。外界から隔絶されたこの空間は、彼女が自らの意思で術を解くか、さもなければ彼女が力尽きるまで維持され続けるのよ」
「袋のネズミって訳だ。けど、それもある意味じゃ好都合かもしれないわね。要するに、この中でどれだけ暴れても外には影響がないってことよね。あいつを見つけて、今度こそぎったんぎったんにしてやるんだから」
「レイリ、そのことなのだけれど」
ロミはそこで言葉を切ると、神妙な面持ちであたしに向き直った。
「私たち、ここで別れましょう」
「…………」
「実際に戦ってみてわかったはずよ。今のあなたの実力で、彼女に勝つことはできない。……元々、禁術を行使した時点で覚悟はしていたことなのよ。私の抹殺さえ完了すれば、リーシャもそれ以上は追ってこないはず。むざむざ拾った命を粗末にするのはやめなさい。あなたは生き残って……」
「いい加減に、しなさいよ」
奥歯が砕けるんじゃないかってぐらい、ぎりりと強く噛み締める。
ああ、わかっていたさ。禁術とやらを使った後から、ロミの様子はずっとおかしいままだったのだから。
……いや、違う。思えば最初にリーシャと出会った時から、こいつは今みたいな事態をあらかじめ見越していたのだ。
「あーもう、ほんっっとに腹立つわね!!」
「……レイリ」
荒ぶる感情に身を任せたまま、ロミの胸倉を思いっきり掴みあげる。
まるでもう命運が尽きてしまったかのような、すべてを諦めきった態度。
そして、この期に及んでもなお、自分のことよりあたしの身を案じ続けてるところが、何よりもって気に食わない!!
「勝手に決めてんじゃないわよ!! あんたはリーシャに目を付けられてもお構いなしで、命がけであたしのことを助けてくれた!! なのに、今度はあんたを見捨てて逃げろって!? それじゃ筋が通らないでしょうが!!」
「けど、」
「けど、じゃない!! リーシャがあたしより強い? だから何だっていうの? あたしはまだ動ける。まだ戦える。あんたこそ何なのよ。狙われている当人が、臆病風に吹かれてどうすんの!?」
「私は、臆病風に吹かれてなんて……」
「あたしの目が誤魔化せると思ってる? さっきの戦闘、あんたはリーシャに抵抗らしい抵抗もしなかった。あんたが本気を出せば、互角以上に戦うことだってできたはずよ」
「それは……」
「今のあんたは、進んであいつの手にかかりたがってるように見える。聞かせなさいよ。どういう了見で、あんたはこんな馬鹿げた真似をしてるっていうの?」
ぽつり、と。か細い声でロミは呟いた。
「もう、疲れてしまったのよ」
「……は?」
「白銀の魔女神の手によって私たちがこの世に生まれ落ち、何千年もの月日が流れたわ。人々に魔術を伝えるために生みだされた魔女が、魔術が普及したこの時代に必要とされることはない。寿命という概念が存在しない私たちは、各地を転々としながら正体を隠してひっそりと生き続けてきた。その孤独がどれほどか、あなたには想像がついて?」
「…………」
「幸いなことに、私たちは不老ではあっても不死ではない。七人いた魔女も、時の流れと共に次々と歴史から姿を消していった。いずれにせよ、ここが潮時だったのよ。最後に、あなたという友人を助けられたのなら、もう思い残すことなんて……」
「そんなもん、あるに決まってんでしょうが!!」
「あ痛っ!?」
がんっ、と。衝動的に繰り出した頭突きが、ロミの額に直撃する。くっそー、せっかく収まってきた頭痛が、またぶり返してきたじゃないか。
「な、な、な、何をするのよ、この乱暴娘!!」
「そっちこそ、どういう頭の固さしてんのよ!! 凝り固まった考えと一緒で、頭に石でも詰まってんじゃないの!?」
「何ですって!?」
「だいたいあんたは、あたしがこんな思いまでして助けに来た理由を全然わかってない!! あたしはね、その全部を悟った澄まし顔に、一発入れなきゃ気が済まなかったのよ!!」
「ふ、ふざけないで!! あなたに私の孤独の何がわかるというの!?」
「知るか、そんなもん!!」
売り言葉に買い言葉。ここが死地であることなんてすっかり忘れ、あたし達はお互いを罵りあった。
「あなたはいつだってそう!! 後先なんてちっとも考えないで、いっつも思いつきだけで行動して!! 私が石頭だというなら、レイリは突撃することしか能のない猪同然よ!!」
「うっさいわ、この万年引きこもり女!! あ、ロミの場合は冗談じゃ済まなかったっけ。何千年も生きてて、どんだけ自分の殻にこもってんだか。そんなんだから、しみったれた考え方しかできなくなんのよ!!」
「この、言わせておけば……っ!!」
「あんたがどれだけ長く生きてきたかなんて、あたしの知ったこっちゃない!! あたしにとってのロミ・シルヴァリアは、半年前に知り合ったばっかりの、やたらと口うるさくてお節介焼きな、ただの女魔術師よ!!」
ますます激しさを増す舌戦とは裏腹に、ロミの顔は今にも泣きだしてしまいそうだ。
だから、あたしは手を差し伸べる。頑固で頭でっかちな、このわからず屋にはっきりと言ってやる。
「あんたにとっては何千年かもしれないけど、あたしにとってはまだ半年なのよ。それをこんな形で台無しにするなんて、あたしは絶対に許さない」
「レイリ……」
「だから、一緒に戦いなさい。例え一人で敵わなくたって、あんたが手伝ってくれるなら絶対に勝ってみせる。二人でこの、クソッタレな夜を終わらせんのよ!!」