第22話
「ロミ、ロミってば」
「レ、イリ……」
あたしの呼びかけに反応し、ロミがゆっくりと目を開ける。
いきなり倒れた時には肝を冷やしたけど、どうやら大事はなさそうだ。顔色がまだ少し悪いが、じきに回復するだろう。
「何事かと思ったじゃない。びっくりさせないでよ……」
「……今度は無事、ヘルマン伯爵を倒せたようね」
「ロミ……?」
言葉のニュアンスに違和感があった。こちらを見つめるロミの瞳に、今までになかった何かを感じる。
「ひょっとして、思いだしたの? それじゃ、あたしはあの時……」
「ええ。あなたはヘルマン伯爵に後ろから刺され、死の淵に立たされていた」
やはり、あれは白昼夢などではなかったのだ。しかし、それならどうして自分はここにいるのだろう。
これまで幾度の死線を潜り抜けてきたからこそ、はっきりとわかる。あの時の一撃は、間違いなくあたしの心臓を捉えていた。治癒術の心得がない彼女では、手の施しようなどなかったはずなのに。
「……聞きたいことが山ほどって顔をしてるわね。とにかく、まずは屋敷を出ましょう。ここにはじきに、騎士団が駆けつけてくるから……く、うっ」
「ロミっ!?」
再びよろめいた身体を、慌てて受け止める。額にはじっとりと冷や汗が浮かんでおり、まだ本調子ではないようだ。
「本当に大丈夫なの? もう少し休んだ方が……」
「心配は、いらないわ。これは、一時的な記憶の混乱によるものだから……」
ロミは差し伸べた手をやんわりと押しのけ、覚束ない足取りのままで立ち上がった。傍目に見ても無理をしてるのは明らかだったけど、ここに留まり続ければ面倒なことになるのは事実だ。
あたしはまだふらついているロミに肩を貸しながら、あらかじめ決めておいた脱出路を使って屋敷を後にした。
幸いにもあたし達は、途中で追っ手に出くわすことなく脱出に成功した。時間はすでに夜半を過ぎているらしく、月明かりの差す街並みはしんと静まり返っている。
「……それで、ロミはあたしに何をしたの? 気が付いた時、あたしは地下室へ潜入する前に戻っていた。これって、ロミがあそこでの出来事をなしにしたってことよね?」
「厳密に言えば少し違うのだけど、起きた事象としては同じね。私は死に瀕したレイリの意識を、直前の夜へと送ったのよ。結果として時間軸は再構成され、あなたが命を落とすという結末は回避された」
「時間軸の……再構成」
ロミが口にした説明を、きちんと理解できたかというと疑わしい。けれど、その芸当がどれだけ常識の埒外にあるかということだけは、何となく想像がついた。
あたしに魔術の素養はまったくないのだが、実は武術と根底に流れるものは違わないと密かに思っている。
自らの中に流れる力を、内に向けて肉体に作用させるのが武術、外に向けて何かしらの現象を引き起こすのが魔術。つまるところ、闘気も魔力も本質は同じなのだ。
ひいてそれは、どれだけ荒唐無稽に見えたとしても実現可能な範囲に限度があるということでもある。
あたし達は人間である以上、人としての限界を越えることはできない。起きた出来事を覆すなんて、もはや神さまの領域と言ったって過言ではないだろう。
「ただ者じゃないと思ってたけど、そんな真似ができるなんてね。それって、いくらでもやり直しが効くってことじゃない」
「残念ながら、そこまで万能ではないわ。これは私の『夜』という属性を利用することで成立する、ある種の禁術だから。もし仮にもう一度行使しようとすると、百年以上は先になるでしょうね」
「ひゃ、百年っ!?」
途方もない数字に、思わず声が裏返ってしまう。ロミがあたしに使った術は、文字通り彼女にとっての最後の切り札だったということだ。
しかし、聞けば聞くほどに疑問ばかりが募っていく。そもそも、ロミはどうしてそんなとんでもない力を使うことができるのか。それに加え、彼女の口ぶりはまるで数百年もの長い年月を生き続けてきたかのようだ。
世の中には、あたしの何倍もの寿命を持つ亜人種が存在するというが、彼女にその種の身体的な特徴は表れていない。延命の魔術で伸ばせる寿命にだって限度がある。ロミは一体――。
「……どうやら、ここまでのようね」
あたしの思考を遮るかのように、ロミがぽつりと呟いた。
どうして、今まで気が付くことができなかったのか。ここへ来てようやく、自分たちが置かれた異状を認識する。
屋敷を後にしてからここまで、あたし達は誰にも見咎められることがなかった。
……そう、あまりにも静かすぎるのだ。
屋敷での祝宴にあてられた酔漢も、ヘルマン伯を捕らえようと屋敷に向かう対立勢力の騎士たちも、誰一人として通りに見当たらない。
書き割りのように虚ろな真夜中の大路に、ただ一人の人影が佇んでいるのが見えた。
黒を基調としたくるぶし丈の修道服に純白の肩掛け。胸元に下げているのは、夜闇でも燦然と輝く太陽の聖印。
おかっぱに切り揃えた栗色の髪を風になびかせ、アイスブルーの瞳が無表情にこちらを見据えていた。
「やはり、見逃してはくれないのね」
「あらかじめ、警告はしていたはず。あなたが力を振るうようなことがあれば、その時はわたしが始末をつけると」
そこに立っていたのは、オストラントで別れたはずのリーシャだった。
伯爵領に位置するこの小都市は、オストラントから徒歩で十日以上かかる距離にある。彼女がいるはずはないのだ。……前もって、あたし達を尾けてきたのでない限り。
「世界の調和を乱す者は、何人たりとも看過できない。女神と教会の名において、ここであなたを断罪する。――〈顕れよ〉」
「リーシャっ!!」
紡がれた聖句と共に、蒼い玻璃で象られた剣が現出する。あたしとロミが、リーシャと一緒に地下遺跡で見つけだした聖遺物。星を射貫く閃光と呼ばれる大剣を、彼女は躊躇することなくこちらに向けて構えた。
「ちょっと、待ちなさいよ!! そりゃ、あんたとロミの仲が険悪なのは知ってるけど……いきなり現れて、襲ってくることはないでしょうが!!」
「違うのよ、レイリ」
「何が違うってのよ!? 大体、あんたもあんたよ!! 何でそんなに落ち着き払ってんの!? それじゃ、まるで……」
最初から、こうなることがわかってたみたいじゃないか。
「リーシャの真の目的は、ロミ・シルヴァリアという存在の監視と、禁忌を犯した場合の抹殺。彼女の正体は、教会が認定した異端を狩るために遣わした執行者なのだから」
「執行者……それじゃ、あんたは」
「聖遺物探索の依頼は、あくまで接触を図るための口実に過ぎない。わたしに課せられた本来の任務は、ロミ・シルヴァリアの捜索と監視だった」
淡々と告げながら、リーシャは一歩ずつこちらへと近付いてくる。彼女が発する殺意は紛れもなく本物で、とても冗談を言ってるようには聞こえない。
急転する事態を受け入れる余裕さえ与えられぬまま、あたしは二人の間に割って入る。
「やめなさいって言ってんでしょ、リーシャ!!」
「そこを退いて、レイリ。あなたは抹殺の対象に含まれていない。大人しくしていれば、危害を加えるつもりはない」
「ふざけんじゃないわよ!! そんなこと言われて、はいそうですかって引き下がるとでも思ってる訳!?」
「レイリは何故、彼女を庇おうとするの?」
「目の前で人が殺されようとしてるのに、黙って見過ごせる訳がないでしょうが!!」
「本当は彼女が、人間でなかったとしても?」
「っ……どういう意味よ!!」
その言葉に一瞬だけ詰まってしまったのは、あたしの疑念をある意味で裏付けるものであったからか。
「彼女は人間を模して造られた、仮初めの生命。人心を拐かし、この世界に禁断の知識をもたらした忌むべき存在。……魔女と呼ばれる者たちを、古来より教会は異端と認定し、長年に渡って狩り続けてきた」
「魔女……それじゃ、ロミは」
「ええ、人間ではないわ。夜景の魔女――白銀の女神がかつて地上に遣わした七人の中で、最後の一人が私。……ごめんなさいね、レイリ。私はずっと、あなたを欺き続けてきた。本当に……ごめんなさい」
「そっか……。そう、なんだ」
二人から告げられた事実は、衝撃であると同時に合点のいくものでもあった。
人並外れた魔術に対する造詣と、底知れない技量。そして、どこか浮世離れした雰囲気。どれを取ったところで、ロミがただの人間というよりよほどしっくりくる。
「あたしの腹は決まったわよ、リーシャ」
鯉口を切って、愛刀を抜き放つ。数ヶ月ぶりに手にする羅刹刀は、あたしの杞憂なんてつゆ知らずで手に馴染んでくれる。
「どうあっても、邪魔立てするつもり?」
「ロミが魔女だから、何だっていうの? あたしにとってロミは、この国で初めてできた友達で、今や大事な相棒なの」
「レイリ、あなた……」
「教会の手前勝手な都合なんて、あたしの知ったこっちゃないわ。尻尾巻いて逃げるのはあんたの方よ、リーシャ!!」
「ならば、あなたも障害として排除するまでのこと」
「上等よ!! やれるもんならやってみなさい!!」