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風の剣士と夜景の魔女  作者: 古代かなた
第3章 蒐剣伯
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第21話

「なるほど、これは凄まじい。人の身体をまるで抵抗なく貫くことができるとは」

「へ、ルマ……」


 こいつ……いつの間に、背後を。いくら戦いに集中していたとはいえ、まったく気配を掴むことができなかった。

 刀を引き抜かれて、支えを失くした身体がぐらりと傾く。耐えがたい吐き気にたまらず嘔吐すると、口からあふれたのはおびただしい量の鮮血だった。


「あ……ゲボッ、ガ……ぇほっ……」

「ふふ……私が剣を扱えぬとでも思ったかね? これでも若かりし頃は、親衛隊の隊長を務めていたこともあるのだよ」

「レイリーーーーッ!!」

「さて、少しあっけないがここで幕切れだ。後は、そこの魔術師さえ片付れば……む?」

「よくも、レイリを……ッッ!!」


 激情に駆られたロミが発動させた氷嵐の魔術が、ヘルマン伯の身体を瞬時に包み込む。苦悶の声をあげる間もなく、氷像と化した伯爵の身体が粉々に砕け散った。


「レイリ!! レイリ、しっかりなさい!!」

「ぁ……ロ、ロミ……。ご、め……ドジ、ったわ……」

「喋らないで!! ああ、私がついていながら、何てこと……」


 全身が萎えてしまい力が入らない。心臓をやられると、こんな風になってしまうのか。傷の痛みさえ他人事にしか感じられず、流れる血と共に刻一刻と命が失われていく。

 ああ、これは駄目だ。助からない。直感的に、それがはっきりと理解できてしまう。


 ふわりと柔らかな感触。駆けつけたロミが、血みどろになるのも厭わずに抱きかかえてくれたらしい。ぼんやり見上げた顔はすっかり取り乱し、涙でぼろぼろになっていた。


「はは……。あんたのからだ、あった、かいわね……。ねえ、ちょっとだけ、そのままでいて、くんないかな……?」

「何を馬鹿なことを言ってるの!! 気をしっかりと持ちなさい!!」


 必死に呼びかけてくれているが、恐らく彼女にもわかっているのだろう。

 秘薬の調合には長けていても、ロミは治癒術を一切使うことができない。迅速な処置が必要とされる重傷に対し、彼女はあまりにも無力なのだ。

 この場にリーシャがいてくれたなら、もう少し話が変わってくるのかもしれないが……まあ、ない物ねだりをしても仕方がないか。

 ……マズい、何だか猛烈に眠たくなってきた。このまま目を閉じてしまったら、二度と目覚められない自信がある。

 まさか、こんな形で最期を迎えることになるなんて。まったく、締まらないったらない。


「ねえ、ロミ……。羅刹刀、なんだけどさ。これ、あんたが預かっといて、くれる……?」

「何を、言って」

「もし、あたしの国から……そいつを、探しにき……人が、きたら、返し……、ごめ……」

「やめなさい!! そんな、遺言みたいな真似は……っ!!」

「けど、さ……。こんな、こと……あんた、にしか……頼め、ないしさ……。犬にでも、かまれた……って思って……おね、が……」

「レイリぃっ!!」


 腕に抱かれたまま、意識が遠のいていく。もはや、目を開けていることさえ億劫だ。

 瞼の裏に浮かんできたのは、何故かしかめっ面をした親父。今際の際に出てくるのが、よりにもよってあいつだなんて。

 あたしを睨みつける親父の傍には、まだ年若い女性が寄り添っていた。紫紺の髪を長く伸ばしたその人は、おぼろげにしか記憶のないあたしの母親だろうか。

 こんなものまで見えるなんて、いよいよもって……。


「……させないわ」

「ぇ、ぁ……」

「死なせない。こんなところで、死なせたりなんてするものですか。あなたのことは私が助ける。例え、この私のすべてを懸けたとしても……!!」


 視界はぼやけて用をなさなかったけど、そうさせる程の決意が声音に込められていた。見上げたロミの手に、まばゆい魔力の光が灯る。


「夜景の魔女の名において、今ここにひとたびの秘跡を。我は旧きことわりの伝道者。我が身に宿りし月神の叡智よ。夜天を渡る、無窮の翼を彼の者へ――」

「ロ、ミ……?」


 彼女が紡ぐ詠唱と共に、膨大な魔力が流れ込んでくる。魔術とも治癒術とも、法術とも異なる未知の力が、あたしの中を静かに満たしていく。

 その時、奇妙な浮遊感があたしの身体を包み込んだ。月の光を思わせる蒼銀の輝きが、閉ざした目蓋の内側までをもまばゆく照らしだす。

 どこからともなく、風鳴りの音がした。凪は徐々に激しさを増し、嵐となってあたしを何処かへと運び去っていく。絶望的だった死の気配さえ、遠く彼方に引き離し――。


  ◆


「ようやく来たわね。準備はいい?」

「……へ?」


 涼やかな声としんと冷えた夜空が、あたしの意識を覚醒させた。メイド服に身を包んだロミが、怪訝そうにあたしの顔を覗き込んでいる。


(……メイド服?)


 ちょっと待て。どうしてロミは、またそんな格好をしてるんだ?

 と、そこで自分の服装の違和感にも気付く。胴衣の上から着込んだメイド服が、今にもはちきれんばかりにぱっつぱつになっている。


 さっきまで感じていた痛みは、綺麗さっぱり消え失せていた。貫かれた心臓どころか、エイブラハムにやられた手傷まで何もなかったかのようだ。


「レイリ?」

「ねえ、あいつは……ヘルマン伯は、一体どうなったの?」

「あなた、本当に大丈夫? 伯爵の宝物庫には、これから忍び込むところでしょう?」

「は……はぁあぁぁっ!?」

「この馬鹿、声が大きいわよ!! 見張りの衛兵に、見つかりでもしたらどうするの!?」

「いや……だって、あんた……」

「さっきから、何を訳のわからないことを言っているの。寝ぼけるにしたところで、時と場合というものがあるでしょう?」


 訳がわからないってのは、むしろこっちの台詞だった。だけどロミは、嘘をついたり、すっとぼけてるようにはとても見えない。

 改めて周囲を見回してみる。ここは、宝物庫に忍び込む前に待ち合わせしてた裏庭か。まったくもって話が見えない。あたしが見てたのは、白昼夢だったとでもいうのか。

 ……いや、そんなはずがない。背後から心臓を刺された時の、あの冷たい感触。流れる鮮血と這い寄る死の感覚は、今でもまざまざと脳裏に焼き付いていた。

 あの生々しい体験が、単なる夢ということは断じてあり得ない。


「あんたがやったの、ロミ……?」

「どういうこと? 私は別に、何も……」


 だったら、あの時の決意に満ちた言葉は何だったのか。ロミ自身が覚えてないのでは、地下で起きた出来事が現実であったかを確かめる術もない。

 その時、ふと身体を温かいものが包み込んだ。混乱するあたしを見かねたロミが、抱きしめてくれたと理解するまで少しかかった。


「ロ、ロミ……?」

「レイリの身に何があったのか、今の私には知る術がないわ。でも、もしあなたが何かを見たというのなら、決してそのことを忘れないで。それはきっと、あなたにとって無駄にしてはいけないことだから」

「……うん」


 やはり、ロミは何か知っているのだろうか。依然として、疑問は残されたままだ。

 だけど、今ので気持ちが落ち着いた気がする。こうして抱かれているのは、少しばかり照れ臭かったけど。


「行きましょう、レイリ。あなたが探し求めていたものは、すぐそこにあるのだから」

「そう、だったわね。今度こそ、羅刹刀を取り返さなきゃ」

「ええ」


  ◆


 そこから先は、まるで舞台の再演を見ているかのように事が進んでいった。

 ロミによって無効化された防犯機構をかいくぐり、寝室前の兵士たちを魔術で眠らせ、地下室を降りたところでヘルマン伯と対峙する。やはり、あたしが見たのはただの夢ではなかったようだ。


 状況に変化が生じたのは、衛兵を蹴散らした後に現れたエイブラハムとの再戦だった。一度は苦戦を強いられたとはいえ、すでに手の内は知り尽くしている。相手のペースに惑わされることなく、持ち前の機動力を活かして戦いを優位に進めていく。


「……何故だ。何故、こちらの太刀筋をこうも読みきれる。君と剣を交えるのは、これが初めてのはずなのだがな」

「さあね。正直、こっちが聞きたいくらいだわ」

「世の中とは広いものだ。君のような若輩に、ここまで圧倒されるとは。私もまだまだ、未熟だったということか……」


 その後も戦況は変わらず、あたしは危なげなくエイブラハムを制した。汚い手を使ってしまった気がするが、おかげでまだかなりの余力を残している。

 さて、ここからが本題だ。崩れ落ちたエイブラハムを見下ろしつつ、不意打ちに備えて全神経を集中させる。


「駄目よレイリ、まだ終わってないわ!!」

(――そこか!!)


 僅かに発せられる殺気。背後から迫る羅刹刀の刃を、振り向きざまに迎撃する。甲高い金属音が鳴り響き、伯爵の目が驚愕に見開かれた。


「何とぉッッ!?」

「二度も同じ手を、喰らってたまるかってのよ!!」


 あたし相手に気配を悟らせず、背後をとる実力は確かに本物だ。

 だけど、その腐った心根ゆえか、攻め手にここ一番の気迫というものがない。初撃さえ凌いでしまえば、エイブラハムよりむしろ与しやすい相手といえた。


「終わりよ、ヘルマン伯!!」

「ぬうぅっ!!」


 すくい上げの一撃が、刀を宙高くへ舞いあがらせた。空中でそれを掴み取り、あたしは渾身の峰打ちを奴の脳天にお見舞いしてやった。


「ぐ、おおっ……」


 殺された相手に情けをかけるべきなのか迷ったけど、とどめは刺さずにおいた。

 別に不殺を心がけている訳じゃないが、わざわざ殺す必要はない。後のことは、じきに駆けつける対立勢力とやらが何とかしてくれるだろう。


「……ふう」


 ヘルマン伯の手から鞘を取り上げ、刀を収める。引きちぎられてしまった下緒以外に、目立った損傷は見当たらない。ひとまず、これで一件落着といったところか。


「やったわよ、ロミ!! あんたのおかげで、ようやく……」

「う……くっ……あ、ああっ……!!」

「ロミっ!?」


 喜び勇んで振り返った先で、ロミが苦しみ悶えていた。

 彼女は頭を抱えてうずくまったかと思うと、力なくその場に倒れ伏したのだった。

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