第1話
「こンの、クソガキゃあ……。黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって」
「痛い目見たくなかったら、今すぐここから失せるんだな。お前みてぇな小娘が相手じゃ、お楽しみにもなりゃしねぇ」
「まあ待て。生意気そうなガキだが、よくよく見りゃ中々の上玉だ。こういう奴に自分の立場をわからせてやるってぇのも、たまには悪かねぇ」
こっちの逃げ道を塞ぎつつ、下卑た台詞を口走るチンピラ三人。
まったく、この手の手合いはどこで見ても変わり映えというものがない。せめて、もう少し気の利いたことは言えないのだろうか。
わざとらしく肩を竦めて、連中を煽るように鼻先で嘲笑ってやる。安い挑発にまんまと乗せられ、面白いほど簡単にあたしへ注意を向けてくれた。
「あんたらみたいな三下にどうこうされるほど、あたしは弱くないの。第一、女性一人に寄ってたかって、みっともないったらありゃしない。……ああ。そんなんだから、こんな裏びれた場所で、せこせこ粋ることしかできないのかしら？」
「こ、このアマァッ！！」
「喧嘩売ってんのか、てめぇ！！」
事実として、売っているのだ。何しろ船の中じゃ、大した騒動も起こらずに退屈してたところだ。素振りや型稽古ばっかりじゃ腕も鈍るし、ここいらで肩慣らしの一つでもしておきたいと思っていた。
すっかりやる気になった男たちは、懐から思い思いの刃物を抜き放つ。
肘先程度の長さの短刀で、そんな物じゃ、市井の人を脅すのが関の山といったところ。身のこなしにしたって、素人同然だ。
「へへ、すっかりビビっちまってやがる」
「今さら後悔したって遅ぇからな」
「痛めつけて金目の物を奪うだけじゃ気が収まらねぇ。ひん剥いて足腰立たなくしてやるから、覚悟しやがれ！！」
武器を手にして気が大きくなったのか、やたらと強気な男たち。
やれやれ。相手の力量も推し量れないようじゃ、お話にもなりゃしない。退屈しのぎと言ったものの、これじゃ単なる時間の無駄だ。わざわざ剣を抜くまでもない。
あたしはチンピラどもが動くより先に、軽く地面を蹴って前へと踏み込んだ。
彼らの間をすり抜けただけなのだが、向こうからしてみれば突如として消え失せたかのように見えただろう。案の定、連中は訳もわからずに目を白黒とさせている。
「おい、どこに行きゃあがった！？」
「遅い」
「がッ……！？」
振り向く暇さえ与えずに膝裏を蹴飛ばし、転倒した後頭部を石畳に叩きつけた。
まずは一人。
「何だァ！？ 何が、起き、て……」
きょろきょろと周囲を見回してる男の頸筋に、手刀を見舞って意識を刈り取る。
これで二人目。
ようやく事態を飲み込めたのか、残る一人が恐怖にひきつった顔で悲鳴をあげた。
「ひっ、ひいぃぃいっ！！ 何なんだこいつ、バケモンかよっ！？」
「誰が化け物よ、失礼しちゃうわね。命まで取る気はないから、安心なさい。もっとも、あいつらみたいにこの場で伸びてもらうけど」
「た、助けてくれガラントの兄貴っ！！ こいつ、無茶苦茶強……ぐえぇっ」
ああ、そういえばもう一人いたっけか。逃げ惑う男を回し蹴りで昏倒させつつ、離れた場所で見に徹していた奴に視線を移す。
ガラントと呼ばれた男は、顔に傷痕のある厳つい風貌をしていた。背丈はあたしよりも頭二つほど高く、だらしなく着崩した服の下から鍛えられた筋肉を覗かせている。腰から下げた得物も、他とは違って立派な長剣だ。
丁度よかった。それなりに骨のありそうな奴が、一人だけ混ざってくれていたらしい。
「あんたがこいつらの親玉？ ちょっとくらいは楽しませてくれるんでしょうね？」
「……ちっ。抜かせ、小娘が」
短く舌を打つと、ずらりと抜いた幅広の剣を油断なく構えてみせる。なかなかどうして堂に入っており、正規の訓練を受けてきたことが窺える人間の動きだ。
あたしも男に倣って腰に手を伸ばすと、くんと鯉口を切って鞘から剣を抜き放った。刀身を目にしたガラントの表情が一瞬だけ強張り、すぐさま好奇と侮蔑が入り混じった笑みへと変わる。
「おいおい、何だよその剣は。そんなので、俺とやりあおうってんじゃねぇだろうな？」
やや反りの入った片刃の渡りは二尺と三寸。相対する男の直剣よりはやや短く、厚みにおいては倍以上の差がある。
あちらが鉄の塊だとすれば、こちらは柳の枝か何かにでも見えたのだろう。ガラントの反応に、明らかな嘲りの色が含まれていた。
「刀を見るのは初めてかしら。あんたが思うような代物か、試してみる？」
「口の減らねえガキだ。腕の一本くらい、斬り落としてやってもいいんだぜ？」
「それができると思ってんなら、やってみなさい」
「……後悔すんじゃねぇぞ」
一転して剣呑な空気を纏ったガラントが、剣を振りかぶってこちらへ肉薄してくる。膂力と体重を乗せた上段からの打ち下ろし。恐らくは、これが彼にとって必殺の間合いなのだろう。
鋭い殺気を帯びた一撃が迫る。あたしはあえてそれを避けずに正面から受け止めると、鍔元で刃を交差させた。金属同士がぶつかりあう甲高い音が路地裏に響き、刃と刃の間にかすかな火花が散る。
「なっ……！？」
こちらの刀身には、折れるどころか刃こぼれ一つなかった。そりゃそうだ、この程度の打ち込みでどうにかなるほど、こいつは柔じゃない。
自慢の一撃をまともに防がれることなんて、今までほとんどなかったのだろう。勝利を確信していたガラントの顔が驚愕に凍りついた。力任せに押し切ろうとする剣をいなし、反動で後ろに飛んで間合いを取り直す。
「どうしたの。まさか、それで終わりじゃないでしょうね？」
「こンの……クソガキゃあぁぁあッ！！」
頭に血を昇らせたガラントが、怒りに任せて突っ込んできた。
劣勢に立たされてもなお、戦意を失わないその気概だけは買ってもいいが、闇雲に繰り出される連撃はどれも大雑把で精彩に欠けている。
相手の手の内が見えてしまった以上、無為な時間を費やす必要はないだろう。最低限の体捌きで剣閃を躱しつつ、間隙を縫って反撃を差し込む。一合ごとに体勢は崩れていき、男の息遣いは次第に荒くなっていった。
「くそッ。何で、こんなガキに……ッ！！」
「そんな太刀筋じゃ、当たるものも当たんないわよ。もう少し、頭を冷やしたらどう？」
「うるせぇッッ！！」
さて、ここらが潮時か。やぶれかぶれに放たれた突きを飛び退り回避すると、あたしは手にした愛刀を一度鞘に納めた。
「――シッ！！」
短く鋭い呼気が唇の隙間から漏れる。全身の発条を駆使して放たれた抜き打ちの一閃が、狙い過たず彼の長剣の半ばを捉えた。
一拍の後、乾いた音をたて地面に転がったのは断ち切られた剣の切っ先。何が起きたか理解できないといった様子で、ガラントは呆然と己の手元を見下ろしている。
あたしは相手の懐に飛び込みざま、柄頭で下顎を強かに打ちつけた。
「ぐはぁ……ぁ……っ」
「はい、これで勝負あり」
白目を剥いて崩れ落ちた大男に背を向けると、あたしは刀を鞘に納めた。
静寂を取り戻した路地裏に残されたのは、死屍累々と転がっているチンピラどもと――事の発端である、彼女ただ一人。
律儀に決着が付くまで待っててくれたらしいその女性は、丸眼鏡越しの瞳をぱちくりと瞬かせながら、狐につままれたような表情を浮かべていた。
大きな尖り帽が印象的な女性だった。年齢は……恐らく、二十歳くらい。少なくとも、あたしより年上なのは確実だ。
背格好はすらりとした細身で、肩まで伸ばした白銀色の髪は、薄暗い裏通りの闇の中で青白い燐光を放っているようにすら見える。身に纏った長衣は対照的な濃紺で、その取り合わせは夜空に浮かぶ月を連想させた。
透けるように白い肌と、どこか儚く神秘的な雰囲気。出るところもちゃんと出ており、同性のあたしから見ても魅力的な美人だ。なるほど、これは連中がちょっかいを出したくなるのも無理はない。
「さーて、とりあえずはどこかの食堂にでも入らない？ こんな場所で、立ち話ってのも何だしさ」
その場に流れる緊迫した空気を払うべく、あたしは彼女にそう提案するのだった。
