第12話
「……先ほ……術は、紛……く……魔女……。流石に、看過する訳には……」
「なら……場で……を断……? これ……火……、……の同……に」
あたしの耳元で、言い争うような声が聞こえてくる。
口論を繰り広げているのは、言うまでもなくロミとリーシャの二人。
「今……得……は、わ……理……。しか……秩……めに、……険過ぎる。これ以上……」
「教……は変わ……ね。……何百……間、……執に囚わ……ると……い。あなたも……、彼……遺し……縛ら……る……なの?」
「わたしは……」
途切れ途切れに聞こえる会話は、いつになく熱を帯びているように思えた。ともすればこのまま、殺し合いにでもなりそうな雰囲気。まったく、どうしてこいつらはこうも仲が悪いのだろうか。
「……うる、さい。二人とも、こんなとこでまで喧嘩してんじゃ、ないわよ……」
「気が付いたのね、レイリ!」
「どうやら、持ち直したみたいね。痛むところはない?」
目を開けるとそこは、つい先ほどまで死闘を繰り広げていた迷宮の一室だった。戦闘が終わった後に簡易結界を張ったようで、床に敷かれた毛布の上に寝かされている。
起き上がって身体の具合を確かめてみると、多少の倦怠感は残っているものの、傷口はすっかり塞がっていた。リーシャの用いる治癒術は、その気になれば欠損した四肢さえも接合してしまうというのだから驚きだ。
「何ともないわ。いやー、さっきのは危な……」
「この、馬鹿!!」
言いかけた言葉を遮り、あたしに詰め寄ってきたのはロミだ。一瞬そのまま、ぶたれてしまうのかと思えるくらいに彼女は激昂していた。こんなに感情を剥き出しにした彼女を見るのは、これが初めてかもしれない。
「一体、何を考えているの!! いつもいつも、無茶なことばかりして……!!」
「な、何よ。仕方ないじゃない。あそこで重傷のあんたを治療してなかったら、それこそ全滅してたかもしれないんだから」
「それについては同意する。あの場において、レイリの判断は間違っていなかった」
「ほれ見なさい」
「リーシャは少し黙っていて!! ……ねえ、わかっていて? あなた、あと少しで本当に死ぬところだったのよ?」
治療を施す前のあたしは、それはもうひどい有り様だったらしい。全身の火傷や裂傷、骨折に至るまで、生きているのが不思議なくらいだったのだという。
特に最後に喰らった尻尾、あれがマズかった。あの一撃で内臓が破裂していたらしく、あと少しでも処置が遅れていたら手遅れになっていたそうだ。
「……以前から言わなければならないと、ずっと思っていた。あなたは勝ちに拘りすぎるあまり、自らの身を省みようともしない。強さを求め躍起になっているのでしょうけど、死んでしまっては元も子もなくてよ」
「あーもう、わかってるってば。流石に今回のはちょっとやりすぎた。反省してる」
「とにかく、あんな危ない真似はもう二度とやめて頂戴。……いつまでも私が、あなたを助けられるとは限らないのだから」
「ロミ……?」
最後の一言は、半ば独り言にも近かった。
確かに、あたし達は一時的なパーティを組んでいるだけだ。でも、言い換えればそれはあたしがどこかで死んだとしてもロミには関係ないということ。
純粋に心配してくれてるんだろうけど、何もそこまで言わなくたっていいじゃないか。
「二人とも、そこまでにしてほしい。むしろ、ここから先が本番なのだから」
「わかってるわよ。……ということは、やっぱりこの奥が?」
「ええ。この迷宮の最深部になる」
玄室の奥に聳える大扉を指差すと、リーシャはこくりと頷いて肯定してみせる。
迷宮の十層目にあたるこの階層は、これまでより明らかに異様な様相を呈していた。荒い石煉瓦で組まれていた回廊からは打って変わり、壁や床は滑らかに磨きあげられた大理石で構成されている。無数に立ち並ぶ幾つもの柱には燭台の明かりが灯されており、荘厳な古代の宮殿を彷彿とさせた。
回廊の突き当たりに広がる玄室で遭遇したのが、先ほどのデーモンの集団だったのだ。長きに渡るこの迷宮の探索も、いよいよ大詰めを迎えようとしている。
「行きましょう。準備はいい?」
「ええ、問題ないわ」
「用心していきましょう。聖剣を守護する者がいるとすれば、それは今までと比べものにならないはずだから」
お互いを見遣って頷くと、見上げるほどに巨大な扉をあたしとリーシャの二人がかりで押し開いた。じりじりと開いていく扉の隙間から、閉じ込められていた空気が漏れだして頬を撫ぜる。
扉の向こう側に広がっていたのは、これまでにも増して広大な空間だった。天井も相当高いようで、目を凝らしただけではどこまで続いているか見当もつかない。
室内は不気味なまでに静かで、敵らしき者の姿はおろか気配すら感じられない。床には埃ひとつ積もっておらず、扉が閉ざされた当時のまま時が凍りついていたようだ。
あたし達のブーツが奏でる、硬質的な足音が幾重にも木霊する。そして、広間の中心に設えられた祭壇の前へと辿り着く。
台座の上に、精緻な彫刻が施された石櫃が安置されていた。リーシャがおもむろに蓋をずらしていくと、中にはひと振りの大剣が納められている。
「これが、本物の……?」
「間違いない。これこそが、失われたという剣の神子の聖剣、アルトエリシア」
うっすらと青みがかった玻璃で形作られた刀身。姿かたちこそリーシャの剣と瓜二つであったものの、発している存在感がまるで比較にならない。
こうして実物を目の当たりにしてしまえば、リーシャの持つ複製品などただの玩具に過ぎなかった。
抜き身のまま安置された剣の柄をリーシャが握った瞬間、何者かの気配が広間を急速に満たした。それと同時に、どこからともなく重々しい声が響き渡る。
“ 聖剣の封印を解かんとする者よ。其は何者ぞ? ”
頭の中に直接語りかけてくるかのような声。声質そのものは男性的だったが、放たれる威圧感が尋常ではなく、人間が発しているとは到底思えない。
リーシャは声の主に気圧されることなく、毅然としたまま名乗りをあげた。
「わたしの名はリーシャ・アリエス。剣の神子の名を継ぐものとして、聖剣を賜るためにこの地を訪れた」
“ ならば、神子の末裔たる証を我に示すがいい。 ”
それに対するリーシャの行動は、あたしの予想だにしないものだった。彼女は手にした聖剣の切っ先を、躊躇することなく自らの胸に突き立てたのだから。
「ちょっ……リーシャ、あんた何をやってんの!?」
「落ち着きなさい、レイリ」
「これが落ち着いてられる状況な訳ないでしょ!?」
「大丈夫だから。ほら、ご覧なさい」
促されるまま視線を戻すと、不思議なことに血は一滴も流れていなかった。リーシャはゆっくりと瞑目すると、そのまま静かに祈りを口にし始める。
「天にまします我らが女神よ。我が身は女神の忠実なる従僕にして剣の鞘なり。この魂が果てるまで、汝が剣となることを誓約する。今ひとたび、御身の奇跡をここに――」
言葉を紡ぎ終えると同時に、聖剣が淡い光を放ちだした。それと同調するかのように、リーシャの身体も同じように発光し始める。光は徐々に強さを増していき、やがて聖剣は光の粒子となって霧散していった。
「い、今のって……?」
「リーシャは聖剣を自らの魂と同化させたのよ。それこそアルトエリシアの力を引き出す唯一無二の方法であり、彼女を神子たらしめている要因でもある」
「それじゃ、これで目的達成ってこと?」
「……いえ。どうやら、そこまで甘いものではないみたい」
問いかけつつも、あたしは広間に満ちている気配が依然として薄れていないことに気が付いていた。むしろ、先ほどよりも明確に圧力が高まっていると言っていい。
“ 人の子よ。剣の神子たる汝に最後の試練を与える。我を見事打ち倒し、聖剣を振るうに足る力を示すがいい!! ”
次の瞬間、目の前に巨大な火球が現出する。すべてを灼き尽くさんとする業火の中から生まれ出でたのは、燃え盛るような深紅の鱗に覆われた巨大な竜。
迷宮内で竜の類いとは何度か交戦していたが、そんなものとは明らかに格が違う。
“ 我が名はイグニス。熾焔竜イグニス=ヴォルニクスなり!! ”