第11話
「ブレスが来るわよ、二人とも下がって!!」
合成獣が持つ三つ首のうち、竜の頭が轟く咆哮と共に炎の息を吐く。床を舐めるように迫る猛炎を、あたしとリーシャは左右に跳んで回避した。
リーシャが振るった一撃が大獅子の頭を真っ二つに断ち割り、負けじと放ったあたしの一閃によって山羊頭の首が宙を舞う。
そして、苦悶の雄叫びをあげる竜頭めがけて、ロミの杖から放たれた氷槍が殺到した。硬い骨格に覆われた体躯にそれらは深々と突き刺さり、鮮血は噴きだすことすら許されずたちまちに凍りついた。
氷像と化した合成獣の巨体がどうと倒れて砕け散るも、まだ安心はできない。むしろ、本当の脅威はその背後にこそ控えているのだから。
歪に捩じくれた角を生やす異形の怪物。身の丈はあたし達の倍以上あり、青黒い表皮の四肢に隆々とした筋肉の束が見てとれる。背中の翼には蝙蝠のような皮膜が備わっており、立ち昇る瘴気が陽炎となって全身を揺らめかせていた。
人とは異なる次元に住まうという悪魔族の中でも、上位種とされるものが全部で三体。単体でも熟練の冒険者を壊滅させる恐るべき魔人が、あたし達の行く手を遮っていた。
「オ゙オ゙オ゙ォォオォッッ!!」
おぞましい雄叫びと共に、デーモンが腕を振りあげる。四指の先から延びる鋭い爪が、大理石の床を豆腐か何かのように切り裂いた。すんでのところで攻撃を躱し、一瞬の隙を縫って反撃を叩き込む。
(くっ……なんて硬さしてんのよ、こいつは……っ!?)
まるで岩を切りつけているような手応え。あたしの斬撃は相手の皮膚を浅く傷つけるに留まり、有効打には至らなかった。
すかさず繰り出されたもう一方の腕をかいくぐり、今度は脇腹へ抜き胴を叩き込んだが結果は同じ。下手なことをすれば、こちらの剣が折れてしまいそうだ。
横合いから追撃を仕掛ける別の個体を、リーシャが大剣で迎え撃つ。教会が鍛えあげた特別製というだけのことはあり、強靭なデーモンの肉体に対しても十分な威力を発揮しているようだ。逆袈裟に斬りあげられた傷口から、どす黒い血液が迸る。
せめてこんな安物ではなく、羅刹刀が手元にあれば。そう思わずにいられなかったが、ない物ねだりをしても詮がない。
「ッ、らあぁあああッッ!!」
手負いのデーモンめがけて疾駆すると、胸元の傷口に向かって力任せに剣を突き刺す。ぶちぶちと筋繊維が引きちぎられる嫌な感触と共に、切っ先が肋骨の隙間を抜けて心臓と思しき部位にまで到達する。
そこまでしてもなお絶命には至らず、リーシャが頭部を破壊することでようやく活動を停止した。沈黙したデーモンの肉体が、黒い塵となってその場へ霧散していく。
これで、ようやく一体。荒い息をつきつつ顔をあげると、どこからともなく低い韻律を伴った詠唱が聞こえてきた。
人の声帯で紡ぎ得ない音の連なりの主は、後ろに控えていた三体目のデーモン。掲げた両腕の間に禍々しい紋様が浮かび、膨大な魔力がそこへと収束していく。
「マズっ……!?」
「ッ、――停滞する大気!!」
反射的にロミが唱えたのは、空気の振動を抑止することで発音自体を阻害する中級魔術。しかし、完成したはずの魔術はデーモンに到達するより前にかき消えてしまう。
呪文無効化能力。強力な抗魔力を有する一部の魔物のみ行使可能とされる特殊な力だ。悪魔の双眸がにいと歪められ、空間に生じた爆炎があたし達を飲み込んだ。
「きゃああぁあぁっ!!」
凄まじい熱波と衝撃に、全身がバラバラになったような錯覚を覚える。
辛うじて直撃だけは免れたものの、それでも相当の痛手を負ってしまった。リーシャが直前に張った防護障壁がなかったら、今ので完全にお陀仏だっただろう。
「……ぅ、く……うっ……」
煙をぶすぶすとあげつつ、膝をついているリーシャもとても無事とは言いがたいけど、最も深刻なのは援護に回っていたロミだった。どうにか意識は保っているが、うつ伏せに倒れたままで起きてくる気配がない。
剣を床に突き立てると、笑いそうになった膝を無理やり叱咤して立ち上がる。治癒術を行使しようと駆け寄るリーシャを制し、勝ち誇る悪魔どもを睨みつけて構えを取った。
「……レイリ」
「リーシャはロミの回復に専念して。こいつらの相手は、あたしがしとくから」
「無茶を言わないでほしい。あなただって、立っているだけで精一杯のはず」
「ここでロミがやられたら、それこそおしまいよ。いいから行って!!」
「……わかった。三分だけ持ちこたえて」
ロミの下へと向かうリーシャを背で見送り、デーモンの群れと対峙する。
さて。啖呵を切ってみたまではいいものの、状況ははっきり言って最悪だ。火傷による痛みが全身をひりひりと苛んでおり、戦闘どころか立っているのも精一杯だった。そして、対する二体のデーモンはいずれも健在のまま。こちらを追い詰めるべく一歩、また一歩と着実に迫ってくる。
だが、泣き言など言ってる余裕はなかった。ここでこいつらを食い止められなければ、パーティは間違いなく壊滅する。
……いや、本当はそんなこと、どうでもいいのかもしれない。
これ以上、リーシャの後塵を拝していることに我慢ならないのだ。武器の性能じゃなく純粋な技量においてさえ、彼女には遠く及ばないのではないかと思う。同年代の少女に、ここまで強い対抗意識を抱いたのは生まれて初めてかもしれない。
あたしが目指している強さは、この程度の相手に屈するものじゃないはずだ。
三分だけ持ちこたえる? 言ってくれるじゃないか。
リーシャはあたしが、こいつらに敵わないと、そう思ってるっていうのか。
「……上等じゃない。かかってきなさい、ブッ倒してやるわよ!!」
ふつふつと湧きあがる怒りを闘志に変え、あたしはデーモンに先んじて飛びかかった。振り下ろされた鉤爪を、ギリギリのところで転がって回避。狙うはあたし達にとどめを刺すべく、再び詠唱を始めている奥の個体だ。
こいつらの肉体に、生半可な攻撃は通用しない。考えろ。どこならば通じる?
さっきだって、リーシャが付けた傷からであれば致命傷を与えることができた。奴らは決して不死身なんかじゃない。急所を見極めるんだ。今こいつらに与え得る、最も効果的な一撃を。
「……ここだァッッ!!」
床を踏み抜く勢いで蹴りつけ、跳躍の勢いに任せて狙うは奴の喉仏。
身体ごとぶつかるようにして繰り出した柄頭での打撃が、敵の急所を的確に捉えた。さしものデーモンといえど今のは堪えたようで、声にならぬ叫びをあげながら仰け反り、顎を大きく開く。
その好機を逃がすつもりなどなかった。無防備に晒された口腔めがけて、ありったけの力を振り絞って剣を突き入れる。
「グ、ア゙ァ゙ァ゙ア゙アァァッッッ!!」
刃の先端が硬い肉を貫く確かな感触。血液に酸でも含んでいるのか、異臭を放つそれがあたしの腕を容赦なく灼き焦がした。これでも、まだ死なない。鋭い乱杭歯を食い締め、腕を噛みちぎろうとしてくる。
あたしの口から迸る獣じみた絶叫。激痛を無視し、さらに深く強く切っ先をねじ込む。そのまま全体重で剣を押し上げ、頚椎から上顎にかけてまでを一気に断ち切った。断末魔をあげることさえできず、今度こそデーモンの肉体が黒い塵となって四散する。
やった。やってやった。そう思えたのも束の間、最後の一体が間髪入れずに襲いかかる。唸りをあげて迫る蹴りはフェイントに過ぎず、それに気付いた直後に横から強烈な尻尾の一撃を受けて吹き飛ばされた。
「ぐっ……!? ごふっ、が、はぁ……っ!!」
床の上を二度、三度と転がされ、壁にぶつかってようやく止まる。今ので肋骨が何本か逝ったらしく、息をするたびに胸の奥が焼けるように痛んだ。呼吸も満足にままならず、這いつくばって歩み寄るデーモンを睨みつけることしかできない。
逆襲など思いもよらなかったのだろう。今で余裕綽々だった顔が怒りに燃えているのが小気味よい。あたしの頭を踏み潰そうと、その足が大きく持ち上げられた、その刹那。
「よく持ちこたえたわね、レイリ。――廃滅の流星雨!!」
玲然とした声音と共に、背後から幾条もの光芒が降り注いだ。無効化能力すら圧倒する魔弾の暴風を放っているのは、リーシャの治癒術によって快復したロミだ。
まばゆい光が玄室を照らしだし、あれだけ歯が立たなかったデーモンの肉体を容赦なく抉り取っていく。今まで目にしてきた魔術と比べて、彼女の行使しているそれが桁違いの威力を誇っていることは明らかだった。
銀髪をなびかせながら詠唱を続けるロミの姿は凛々しく、神々しさすらも感じさせる。
姿形はまるで違うというのに、あたしはその雄姿が故郷に伝っている天女のようだと、場違いな感想を抱いていた。
(……ったく。奥の手があるんなら、最初っから使っときなさいよね)
破壊の奔流に飲み込まれたデーモンが完全消滅したのを見届け、あたしは毒づきながら繋ぎ留めていた意識を手放した。