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9話 身体は頭に先んじて

  王や領主といった貴人はその地位を失うまで、24時間365日休むことなくその特権に伴う責務に追われる。緊急時であれば食事中でも睡眠中でも、即座に対応せねばならない。10年前の東方独立事件の際など、シャマル国王は3日間ろくに眠らず各所からの報告を受け、また指示を出し、幾重にもなる会議に出席したという。


 それはまた、任地での魔獣撃退を任ぜられた“魔女”にも当てはまることであった。魔獣は出現する時を選ばない。であれば、いついかなる時でも出撃できる心構えが必要とされる。


 もうすっかり日付も変わったころ、ヒサール領に赴任したばかりの魔女アウレーシャ・バルワは闇に紛れるような黒い官服を身にまとい、四肢にはミスリル鉱の防具をつけ、燭台のような形の魔女の杖を手に長い廊下を歩いていた。


 昼間に業務マニュアルを読み込み、特に魔獣も出ることなく夕方を迎え、城内の大食堂で新任2人の紹介を兼ねた夕食会を終えてから自室で仮眠をとった後のことである。


「先代のフレイヤ様がやっていたのなら私もやった方がいいんだろうなぁ」

 そうつぶやいた彼女がこれから向かうのは深夜の街の見回りである。業務マニュアルにあった中で、今の自分でもできそうなこととして候補に挙がったものだった。


 善は急げ、なすべきことは言葉にするよりも早く行動に起こせ。

 そう唱えてアウレーシャはこうして外に出よう廊下を歩いている。その彼女がハタと足を止めた。炎魔法の込められた魔法石で照らされた廊下に、今日1日ですっかり見慣れた姿があるのだ。

「メイヤさん、こんばんは」


 アウレーシャが声をかけると、手にバスケットを持った長身のメイドがビクリと肩を震わせた。

「アウレーシャ様、こんばんは。どうかなさいましたか? こんな時間に官服をお召しになって」

「夜間の見回りにでも行こうかと。本当は官服より戦闘服の方が威圧感がなくて良いのでしょうけれど、そっちは完成待ちで。メイヤさんこそこんな時間にどうしたんですか?」

「その、夜間警備の方に夜食を」


 バスケットを掲げるメイドは昼間と変わずニコリともしないが、その言葉には昼間にはなかったような動揺が滲む。アウレーシャは首を傾げた。少し前に寝室の窓から交代の兵士がこうしてバスケットに入った夜食を下げて意気揚々と警備の担当場所に向かっていったのを見たばかりだ。


「……メイヤさん、よろしければ杖に乗って行かれますか? 届け先まで送りますよ」

 よほど自分で届けに行きたい理由があるのかと思いつつ、アウレーシャが魔女の杖を上下逆さにして言うと、メイヤはわたわたと首を横に振る。

「空を飛ぶのは魔力をずいぶん使うのだと聞き及んでおりますので」

「私の訓練の一環だと思って付き合っていただけませんか? それに道中で街のことなどお話ししていただければ私としては嬉しいですし」


 ダメ元で言った言葉だったが、本心であった。この街に到着した際に領主であるアドラフェルや秘書官ザマンからなんとなく街の構造や建物の配置については教えられていたが、ゆっくり見て回れたわけでもない。


「……あ、でもメイヤさんスカートですね」

 そりゃあ断るわけだ、と内心で納得したアウレーシャだったが、帰ってきた返事は意外なものだった。

「下にドロワーズを履いているので問題ございません。アウレーシャ様のご親切に甘えさせていただきます」

「どちらまで行かれますか?」

「では、農地の端のヒサール大門までお願いいたします」


 城の前庭に出た魔女は逆さにした杖の燭台の腕に足をかける。メイヤもそれにならい、両手で杖を握るとふわりと杖が浮き上がる。燭台の先から炎が噴き出し、城壁を超えて赤く光の筋を描きながら空を飛び始める。


 杖は城から街までの下り坂をなぞるように高度を下げ、物見塔をひょいと超え、砦に囲まれたヒサールの街に出る。巨大な街は東西南北に延びる十字の大通りに貫かれ、その中央には噴水と鐘楼しょうろうのそびえる広場がある。


「見えますか、アウレーシャ様。あの北側の端の区画が庶民向けの歓楽街です。酒場や娼館が並びます。見回りということなら高度を下げてゆっくりあちらを回っていくのがよろしいかと」

 メイヤのアドバイスに従い、アウレーシャは魔力の出力を絞り、杖を地面近くに下げて店という店から暖かな光の漏れる道に入る。


 表通りの酒場や宿屋、やや奥まった通りの娼館から賑やかな笑い声や、時折楽器や歌も聞こえてくる。客を店内に誘おうとする者、店の前で客と別れる者たち、艶やかに着飾る男女。どれもこれもがアウレーシャにとって新鮮な景色だ。

「随分盛り上がっているんですね。この歌は?」


 ミスリルの大戦斧を振り回し、魔獣も魔王もなんのその、天下無敵の我らが領主、空に輝く青き極星……。


 歯切れの良いリズムに乗って聞こえてくる言葉に耳を傾けながら新任の魔女が問うと、ヒサール城のメイドは苦笑する。

「先代領主様をたたえる歌……を当代領主様用にアレンジしたものです。私も詳しいことは知りませんが、先代領主様の歌はかつて王都でも歌われていたとか」

 へぇ、と相槌を打ったところで道を歩いていた酔客たちがはやし立てた。


「おッありゃあヒサール城の喧嘩最強メイド、メリルさんじゃないか!」

「メリルちゃん、騎士団長さんのところに行くの?」

「そっちのお嬢ちゃんは誰?」

「あの真っ赤な髪、まさか魔女様かい?!」

「おいおい、マジで王国府からの戦力が来たのかよ」

「フレイヤ様以外の魔女なんて俺は認めねぇぞ!」

「なんだよ、ちんちくりんの小娘じゃねぇか」

「えッあれが魔女? フレイヤ様と全然違うじゃないのよ!」

 わぁわぁと賑やかなのを振り切り、メリルは眉根を下げて笑って言った。


「……酔っぱらってる人もいるけどみんな気のいい人たちなんです」

 そしてその声をかき消すように、ひときわ華やかな建物の花飾りの窓がパッと開いてきゃあきゃあと黄色い声が降りかかった。


「メリルちゃんよ!」

「喧嘩最強、私たちのメリルちゃん!」

「そっちのお嬢ちゃんが魔女さま?」

「魔女さま、うちの店にぜひ遊びに来てね!」

「ウチはお金落としてくれるなら王国府でも女でも男でも泥棒でも大歓迎!」

「泥棒はだめでしょー!」


 華やかな化粧を施した薄着の女たちが笑い声を上げながら窓からヒラヒラと手を振っている。途端に道を歩いていた男たちが彼女らを見上げてその名を呼んで手を振るが、娼婦たちはそちらに意味深な笑みを向けるばかりである。


「凄まじい盛り上がりですね。……メリルさん、喧嘩最強って言われてましたけど」

「一度酔客がトラブルを起こしそうになっていたのを殴って止めただけです」

 騒ぐほどのことじゃありません、と応える魔王城のメイドは仏頂面に見えてわずかに口角を上げている。それを横目で見ながら、アウレーシャはヒサール城の敷地内で生活できず撤退を余儀なくされた王国府騎士団を思い出す。


 人並みの魔力では生活できない魔力濃度のあの魔王城で、あの官吏たちやメイドたち、秘書官、炊事係たちは何食わぬ顔して仕事をしているのだ。

(……貴族に匹敵する高い魔力を持ってる人が百人単位で集まってるんだよな、そりゃあ王国府も警戒する)


 単純に、魔力が高ければそれだけ高度な魔法を扱うことができる。王国府騎士団と同じ数の、王国府騎士団より高い魔力を持つ集団がヒサールにはいるのだ。これが領主の指揮下で一致団結して現地騎士団と共に反乱でも起こそうものなら鎮圧に割かれる戦力や物資、時間はいかばかりか。


 それを警戒しての王国府からの戦力の派遣なのである。


「アウレーシャ様、そろそろ砦を出ましょう」

 北端に伸びる歓楽街を抜け、メリルが真っすぐに前を指さす。魔女の杖は高度を上げ、砦を超えて、その先にある畑や果樹園、牧草地帯を抜けて他領との境に設けられたヒサール大門から少し離れて到着した。突然目の前に官服を着た魔女が現れたら緊急事態かと門番たちが驚くのを気にしてのことだ。


 地面に降りたメリルは腕に下げていたバスケットの中身を見る。中のサンドイッチがつぶれていないのを確認すると、彼女はチラとアウレーシャに視線をやった。

「行ってきてください」

 それに応えて静かに言えば、メリルは意を決したような顔で大門の傍に騎馬を立てる男に小走りで向かって行く。それを遠巻きで眺めながらアウレーシャはふぅん、と面白がるよに呟く。


「お疲れ様です、魔女さま」

 メリルと入れ替わるようにやって来たのは、騎士団長とともに警備にあたっていた若い騎士だった。アウレーシャはどうも、と返事して、隣にやってきた彼に肩をすくめて問う。

「あの2人に気を使って?」

「もちろんです。お忙しい方々ですからね、数分の逢瀬くらい気を利かせなきゃ野暮ってもんですよ……と、魔女様に対して気安いスね、すみません」


 若い騎士が苦笑するのに、アウレーシャは気にしませんよ、と言う。

「……正直、あなた方は魔女に対してもっと警戒するかと思っていました」

「まあ王国府からの戦力ですから思うところはありますが、我々騎士団としては常在戦場のヒサールには戦える人なんていくらいてもいいですから」


 ニィ、と笑った若い騎士はグラッドと名乗った。その彼に、新任の魔女はそれにしても、と向こうの騎士団長とその恋人を眺めながら言う。

「騎士団長も夜警を担当するんですね」

「部下としてはああやって上司が前線に立ってくれるとやる気が出ますよ。バンダック団長はそのあたりをよくお分かりだ。それはアドラフェル閣下もそうなんですが……あの方はむしろ独りで先行して戦っている感が強いからなぁ」


 頭を掻いたグラッドに意外ですか、と問われ、アウレーシャは少し考えてから首を横に振った。

「私は旧き家系ですから、そういう振る舞いはむしろよく馴染みます」


 バルワ伯爵家令嬢の言葉に、騎士は納得したように言う。

「旧き家系のおこりは魔王時代、人々を背に守りながら最前線で魔族や魔獣と戦ったことでしたね。その礼として人々が差し出した食べ物や毛皮はのちの時代に“税”と呼ばれ、血族はのちの時代に貴族と呼ばれる地位になった……」


 若いヒサール騎士団員は歌うように言う。旧き家系の子供なら寝物語として聞かされることだ。グラッドは歯を見せて笑った。

「魔女さま、たぶんヒサールに向いていますよ。先代のフレイヤ様のことがあるから市民は受け入れるのに時間がかかると思いますけど」

「ありがとう」

「それにしても旧き家系か、良いスね、魔法も強くて」

「そうでもないです、負の遺産も多い」

「でも……大声の魔法、なんて意味わかんない魔法よりマシですよ」

 声がデカいなんて役に立ちもしない、と若者はすねる。少年じみたその横顔を見つめてアウレーシャは「使い方次第よ」と笑う。


 けれど次の瞬間、彼女の顔が強張った。杖を握る手を震わせながら空を仰ぎ見る。

(何? 大気中の魔力が……重くなった?)


 隣にいたグラッドもまた空を見上げ、次には大門の方にいる2人に聞こえるように大声で言った。

「魔獣が出る! メイヤさん、魔女さまと一緒に城まで向かってください!」


 それと同時に、街の中心にある鐘楼から鐘が鳴り響いた。独特のリズムの八点鐘が示すのは、魔獣出現の警告である。


 恋人たちの対応は早かった。メイヤはパッと駆けてアウレーシャの傍に戻り、騎士団長バンダックは武器を構えてむしろ門の外をにらんで立ち、グラッドもその隣の持ち場に戻る。魔獣の出現に乗じた侵入者にそなえた騎士団の動きに迷いはない。


「アウレーシャ様、飛んでください!」

 メイヤは魔女の傍まで来て、行きと同じように杖に足をかける。促されるまま空に浮上するアウレーシャに魔力の残りを聞くのも忘れない。

「問題ありません、休憩させてもらえましたし。それより……」


 街を囲む砦を見下ろすほど高く浮き上がり、そのまま城に向かいながら、アウレーシャは前方に目を凝らす。


 砦の街の向こうに黒くそびえる魔王城、その上に魔法陣が広がっている。


「何? 魔法陣?」

 顔をしかめるアウレーシャの傍で、ヒサール城のメイドが囁いた。

「魔獣が来ます」

 見てください、と指さした先で、城上空の魔法陣が光り出している。

「魔界へと続く瘴気の穴に対しての、ヒサール城という封印術式をすり抜けて瘴気と共にやってくる魔界の生き物……魔獣が、来ます」


 魔法陣から黒い靄のようなものが吹き出て、陣の中心から犬のような足が伸びた。

 アウレーシャはメリルと共に、ヒサールの街上空を飛んで城まで急ぐ。

 その足元、ヒサールの城下街は騒然としていた。


「みんな起きろ、子供と妊婦を砦の避難所へ!」

「俺が護送する! 護衛役にあと2人来てくれ!」

「動けない者のいる家は雨戸を閉めろ! 防御魔法の魔法石を忘れるな!」

「戦えるものは外へ! 接敵したら2,3人で対処しろ!」

「待機中の騎士団が出てきたぞ、避難はわき道から! 大通りは空けろ!」


 けれどそれは混乱による騒乱ではない。事前に決められた緊急時への対処を互いに促すための騒ぎである。すでに家の軒先に子供らが集められ、先導と殿の大人が彼らを砦へと誘導し始めている。若い男女が屋根へと上り、杖代わりの箒や木の棒を手に空をにらんでいる。


(……これがヒサール。常在戦場の街。なるほど、王国府が牽制用の戦力を派遣するわけだ!)

 いついかなる時でも緊急時に動かねばならぬのは、この街のすべての市民に対しても言えることであった。


 外に出た人々が空を飛ぶ魔女に声をかける。

「お嬢ちゃん、急いで!」

「メリルさん、その子を頼むぜ!」

「公爵様が出ていると思うわ、お嬢ちゃんも遅れないで!」

「お嬢さん、あんたそんなとこで何やってんだ! 急いでくれよ!」


 アウレーシャが呟く。

「加速します」

 唱えた声に応えて魔女の杖がゴウと大きく火を噴き、魔王城の傍まで一直線。

 城上空の魔法陣からヒサールの街に飛び込もうとするオオカミ型の魔獣の群れを望む。

「炎よ!」

 簡略化した詠唱コールで、魔女のかざした左腕の先に赤く輝く魔方陣が現れ、炎が吹き出す。地上から「おぉッ」と感嘆の声が上がった。


 しかし、それから逃れた個体のうち数体がヒサール城の前庭に着地した。

 襲撃を宣言するように、オオカミ型魔獣はアオォーン、と街中に声を響かせ、そのまま坂道を駆け下りようとする。 


 しかし、その四つ足たちがひるんだ。

 

「門を閉めよ、全隊突撃ッ!」


 雷のような声。それに合わせてガチャンと無慈悲な音がして、前庭と坂道をつなぐ門が閉まり、それと同時に馬蹄の津波が押し寄せる。


 前庭の兵舎に詰めていた騎士団たちが30人ほどで隊列を組んで魔獣たちを門の方に追い詰め、そのまま手にした槍で貫いていく。中には槍の穂先に魔法をまとわせている者もいる。


 肩にコートを羽織り、大戦斧を手に立っていた白銀の髪の男は畳みかけるように声を上げる。

「確実に殺すまで気を抜くな!」


 それを空から見守っていたアウレーシャは、杖の高度を下げて前庭の端に降りる。しかしそれでほっと一息つく暇はなかった。

「失礼、閣下!」

「旦那さまッ!」


 2つの声がしたのと、大戦斧を構えたアドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵が自身の背後を振り返ったのは同時だった。彼が見たのは、己を背後から襲おうとしていたオオカミ型魔獣と、魔獣に対して投げられたナイフを投げるメイヤと拳を振り上げるナーヒヤール・ボーカード。


 大戦斧とナイフと拳が正確にオオカミ型魔獣にめり込む。地に倒れて絶命したのを確認すると、大戦斧は素早く後退して秘書官見習いから距離を取った。


「……なるほど、喧嘩最強」

 アウレーシャは横でナイフを放った女中頭メイヤを見やり唖然とした。メイド服の長いスカートは勇ましくめくりあげられ、脚にはナイフが装備してある。


 騎馬隊を率いていた年かさの騎士から魔獣撃退の第1報を受けたアドラフェル・ヒサール・ユリスナは、ナーヒヤールに鋭い視線を向けて口を開いた。

「……なぜ身一つで飛び込んできた。武器の間合いが分からんわけではなかろう」

 静かに冷えた声だった。


 アウレーシャの傍に立ったメイヤが戸惑ったような顔をしている。


「御身を守りたいと思うことはそれほどおかしいことでしょうか」

 答える秘書官見習いの言葉は淡々としている。

「俺が自分の身も守れんように見えるか」

 氷柱のような声が夜の前庭に響く。周囲の騎士たちも不安そうにそのやり取りを見守っている。


 けれどナーヒヤール・ボーカードはそのどれにもひるまず、くすんだ金の髪を夜風に遊ばせながら、ピカピカと輝く金の隻眼でまっすぐにアドラフェルを見つめて言った。

「そういうわけではありません。けれど、信じていても、理解していても、我慢できずに身体が動く瞬間がひとにはあります。それが自分にとっては今だったというだけのことです」


 睨みつけるように見習いの青年を見やり、アドラフェルはため息交じりに言った。

「……斧でその頭をたたき割られたくなかったら2度と戦闘中に俺の傍に立つな」

 黙って頭を下げる金髪をしり目に、アドラフェルの鋭い目が今度はアウレーシャに飛んだ。


「参上が遅れて申し訳ありません、領主閣下。おまけに魔獣を取り逃がしお手数をおかけしました」

 叱咤されることがあるだろうと先んじて魔女が言うと、返事は「そういうことではない」と唸るような声だった。

「貴官が官服で夜遊びに興じる愚か者とは思えん、夜間の見回りでもしていたというところか」


 確信したような言葉に、アウレーシャは黙ってうなずく。

「貴官にはこの街がそれほど不安定に見えるか」

 声は荒げていない。けれど、冷え冷えとした音だ。


「そういうわけではありませんが、任地をよく知るのは王国府魔術戦闘特別顧問の責務のひとつかと」

 答えながらアウレーシャは自身の胸元に触れる。

「その気持ちは汲むが、別に夜間でなくても良かろう。王国府からの戦力という時点で一部の市民は貴官を警戒している。そのうえ王国府騎士団がふがいないところを見せて信頼も下がっている。街の巡回、とくに夜間の巡回はその信頼を取り戻してからでも構わんはずだ」


 反論の余地も与えず「話は以上だ」と言ったヒサール領主はアウレーシャから目をそらし、周囲を見渡し朗々たる声で言った。

「各部隊、被害状況の報告をせよ。怪我人がいる場合は救護班を向ける」


 ザマン、と名を呼ばれて前庭の端からやってきた老秘書官の手はオオカミ型魔獣を引きずっていた。彼もまた取り逃がした魔獣を仕留めていたらしい。方々から集まってきた兵士からの報告を受けながら、ヒサール領主はアウレーシャとメイヤ、ナーヒヤールに声をかけた。


「魔女殿は明日の昼までに出撃報告を提出せよ。3人とも今日はもう休め。明日はいつも通り始業だ、遅れるなよ」

 ヒサール公はそれ以上話すことはないとばかりに各部隊の報告を再開させたので、3人は黙って頭を下げて居住棟に戻っていく。


「……正直、驚きました」

 しばらく沈黙を貫いていたメイヤがぽつりと呟いた。

「騎士たちも驚いていると思います。旦那様は目下の者にあんな声色であんな物言いはなさいません。厳重注意の時であってももっと柔らかい物言いをなさいます。魔女様も王国府からの賓客とはいえ、立場としては旦那様の部下というかたちに収まります。それなのに……」


 眉間にしわを寄せ、眉を下げたヒサール城のメイドだったが、それに反して当人たちは思うところがありながらもケロリとしていた。

「お気遣いありがとう、メイヤさん。でも大丈夫です、あの方が何を言っても私は私のしたいことをするだけですから」

「僕もアウレーシャ嬢と同じです」


 おやすみなさいと笑った2人に、メイヤは深々と頭を下げて誰にも聴こえない声で呟いた。 

「どうぞ、アドラフェル坊ちゃんをよろしくお願いします」

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