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8話 勇壮なる乙女なれば

 街の歓声を背に、一行はヒサール砦の物見塔を兼ねた門を通過し、そのまま坂道を登っていく。蛇行する坂道を登りきり、跳ね橋を渡り、ようやく魔王城、もといヒサール城門前にたどり着き、兵士たちに敬礼されながら門をくぐった。

 

 広々とした前庭の向こうに佇むのがヒサール城である。古めかしく、高く、堂々とした、巨大な石造りの城は、ここ200年ほどで建てられた新しい城とは異なり、防衛機能を備えている。

 広々とした前庭で騎士団たちは兵舎に向かい、領主と老秘書官、そして2人の新人は前庭を抜ける。ようやくヒサール城の扉にたどり着くと、衛兵たちが扉を開き、彼らを中へと迎え入れた。


 ヒサール城内はあちこちに設けられた窓ガラスから夕暮れの光が差し込んで、青いカーペットが敷かれた石造りの廊下に長い影を投げかけている。廊下の左右に揃いの制服を身に着けた使用人たちがずらりと並んで、頭を下げた。

「おかえりなさいませ、旦那様」


 声をそろえての出迎えに、城主もまた応える。

「アドラフェル・ヒサール・ユリスナが今戻った。魔女殿と秘書官見習いの部屋の用意はできているか?」

「もちろんでございます」


 返事して、列の先頭にいた背の高い女がすっと歩み出る。黒いワンピースの上に白いエプロンを身に着け、長い栗毛をシニヨンカバーでまとめた彼女の腰にはチェーンで小さな鍵やペン、鋏が下がっている。ようやく30を超えたかという若さで女中頭の地位にあるらしい。

「旦那様、コートをお預かりいたします。3階の窓辺の応接間にお茶を用意しております」


 ニコリともせず切れ長の目を数度瞬かせて言った長身のメイドに、城主もまた同じような仏頂面で短く礼を言う。

 妙に緊張感のある2人のやり取りに気圧されていたアウレーシャ・バルワとナーヒヤール・ボーカードだったが、行くぞと声をかけられて城主の背中を追いかける。


「……明るい城内ですね」

 夕日で赤い廊下を歩きながらアウレーシャが意外だとばかりにつぶやくと、一番後ろを歩いていたヒサール城の老秘書官が「もちろんですとも」と言う。


「魔王がいた当時は居住性が極めて低く、勇者一行対策にあちこち罠が仕掛けられていたとか。初代領主でもある勇者から何代かかけて改修を続け居住性を上げていきましたが、採光用の窓はその際に設けられたものです」

 ガラス魔法の使い手によって作られたという窓を眺めながら、ふとナーヒヤール・ボーカードが呟く。


「ヒサールの街はともかく確かに城内は一等魔力が濃いですね」

 感嘆交じりの言葉に、ヒサール城の主は当然だ、と応える。


「この城の地下には国内最大級の瘴気の穴がある。かつて魔王が魔力供給源にしていた瘴気の供給口でもあるが、それをこの城そのもので封印している。その影響で城の内部もかなりの魔力濃度なのだ」

 ヒサール城の主は呆れたように肩をすくめて続ける。。

「ま、封印と言っても魔界の高等生物である悪魔や魔族の出入りを拒む代わりに、魔獣の侵入は許してしまうのだが。王都付近や南方の瘴気の穴も同様の具合だ。悪魔や魔族の出入りは防げるが魔獣だけはな」

 どれもこれも300年前から変わらぬ課題だ、とため息交じりに言って、領主は階段を2階分上り、3階の廊下を歩く。


 城主の姿を認めると、ひときわ大きな扉の前に立っていた兵士たちが敬礼して扉を開いた。

 広々とした応接間には華やかかつ品の良い調度品がそろっていた。猫足の深緑色のソファと象嵌細工のローテーブル。端に置かれた棚の上では大きな壺に花が飾られ、暖炉の上には肖像画が飾られている。しかし何より目を引くのは「窓辺の応接間」の呼び名の通りの大きな窓。そこから城下を一望できる。

 

 暮れなずむヒサールの城下街を眺めながら、領主はソファに腰かけて客人たちにも正面に座るように促す。老秘書官がメイドの運んできた茶器一式を受け取り3人に供すると、ヒサール城の主はさて、と息をついた。

「その魔王城に入ったわけだが貴官ら、体調はどうだ」


 カップを傾けるアドラフェルの言葉に、その正面に座ったアウレーシャとナーヒヤールは一瞬虚を突かれた顔をして己の手を拳に握ってみたり胸のあたりに手を当ててみたりしておずおずと言った。

「大丈夫です、最初は少し息苦しい感じもありましたが。アウレーシャ嬢はどうですか?」

「私も平気です。最初に息苦しかったのは、多分気圧されていたのもあると思います」


「……それなら良い。こと、王国府から派遣された魔女殿がこの城内の魔力に耐えられんとあっては話にならんからな」

 ヒサール領主は皮肉めいた笑いを浮かべながらそう言って、カップを空にして立ち上がった。

「城の案内は明日で良かろう。2人とも今日はもう休め、早馬での移動は疲れるものだ」


 城主に続こうと急ぎ立ち上がったアウレーシャだったが、壁にかかった肖像画が目に留まって、足が止まった。

「どうかしたか、魔女殿」


 アウレーシャより頭二つ分ほど長身のアドラフェルが彼女の見ているものを見ようと身を屈めた。その目線の先にあるものに気づくと得心がいったとばかりにうなずいて、客人に教えてやる。

「今どき流行らんが、魔王を倒した勇者一行の肖像画だ。真ん中が勇者、左隣が初代魔女、右隣が回復術師。この城を瘴気の穴をふさぐ封印にした本人たちだ」


「そのお隣の2枚はどなたですか?」

 アウレーシャとアドラフェルに並ぶように立ったナーヒヤールが示す肖像画は、男のものと女のもの。

 男の方は灰色がかった黒髪に四角い顔、顎にひげを蓄えた鋭くも美しい薄青の瞳の偉丈夫。女の方は白銀の髪に優しげな面立ち、抜けるような白い肌の中でわずかに紫がかった銀の瞳の美女。


(どことなく見覚えがあるお顔だけど、ええと)

 ふと顔を上げたアウレーシャの隣に立つ白銀の髪に、アイスブルーの瞳の青年が呟くように答えた。

「先代領主と先代魔女、俺の父と母だ」

 その、取り残された子供のような寂しげな横顔。


 アウレーシャはヒサールの街の沿道に集った人々の声を思い出す。「世代」でない彼女でも噂話のひとつとして知っている。

 魔女フレイヤ、当時最高峰と言われた魔法の使い手にして絶世の美女。今のアウレーシャのように王国府に任命されヒサール領に赴任し、精力的に活動し、当該地域の「監視役」を担いながらもヒサール領民に慕われ、当時のヒサール領主の妻となり、戦場で短い生涯を終えたという。  


 その息子はそれ以上父母については語らず、応接間を出る。廊下にはあの切れ長の目に長身のメイドが立っていた。

「メイヤ、魔女殿を女子居住棟までご案内するように。ザマンも見習い殿を男子居住棟まで。ザマン、今日はお前もそのまま上がってくれ」


 長年の付き合いであるザマン秘書官にすら言葉をさしはさむ余地すら与えず、アドラフェルはさっさとその場を後にしてしまう。それでも狩猟会の間じゅう主人につきっきりだった秘書官は深く腰を追って「お気遣い痛み入ります」と言った。


***


 翌朝、身支度を終えた王国府魔術戦闘特別顧問・魔女アウレーシャ・バルワとヒサール領秘書官見習いナーヒヤール・ボーカードは城の主塔の階段の前で出くわした。双方とも、身の回り品やメモ、ペンを入れたポーチを腰に吊り下げたスタイルである。


「おはようございます、アウレーシャ嬢。良く寝られましたか?」

「おかげさまで。狩猟会でいろいろありすぎて修道院を出たのが大昔に思えます」

 軽口をたたき合いながら並び立って階段をのぼり、上階にある領主の執務室を目指す。


「ナーヒヤール殿は今日からザマン秘書官の手伝い、でしたっけ?」

「はい、しばらくは。たしか魔女殿は……」

「魔女用の執務室に業務マニュアルがあるからそれを見ろ、と」

 言ってましたねぇ、と眼帯の青年が苦笑する。くすんだような金髪を搔いて咳払いをひとつ。そして声を潜めて呟いた。


「アドラフェル卿、あんまり僕らのこと歓迎してない感じですよね。とくにあなたに対しては……」

 それはアウレーシャ自身も思うところだった。アドラフェル卿の見せる、試し、探り、脅し、煽り、こちらの力量や態度を見極めようという態度や、時折投げかけられる意地の悪いような面白がるような笑みを思い出す。しかしそういった態度が、ヒサール領主として名高い彼の評判にどうにもそぐわないのも事実だ。


「まあヒサール公は先代も今代も厳格で……つ生真面目で能力も高い方ですから、共に働くならこちらもそれなりにできないと困る、ということかもしれませんけど」

 アウレーシャと同じ疑問を持っているらしいナーヒヤールはそう言いながらも涼しい顔をしている。そんな彼を見つめて、アウレーシャは失踪したナナマン家の一人息子のことを思い出していた。彼女にとっての「ナーヒャ」のことである。

(……いや、ナーヒヤールなんて珍しい名前でもないんだから。せめてナーヒャくんが生きてるのか死んでるのか分かればいいんだけど)


 そんなことを思いながらアウレーシャは、ボーカード家出身の青年の言葉に「そうですねぇ」なんてのんきに答えた。


 なにがしかの形でアドラフェルを助けてやりたいというのは、もう、ただ、彼女自身の我儘わがままであるので。

 当のアドラフェルがあの時の約束や“魔女”やアウレーシャのことをどう思っていようと関係ないことだった。


「まあでも、アウレーシャ嬢も困ったことがあったら僕に相談してください。どれくらいお役に立てるかはわかりませんがヒサール赴任同期組、ということで」

 さわやかに言ってナーヒヤール青年が立ち止まってすっと手を差し出す。


 アウレーシャはなぜか、不思議と、一切の戸惑いも遠慮もなくその手を握り返した。ナーヒヤールという名前が、失踪したというナーヒヤール・ナナマンや18年前に彼らと交わした約束を思い出させるのかもしれなかった。


 触れ合った手の暖かさを感じながら、彼女の口は言葉をこぼす。

「ありがとう。あなたも困ったらきっと私に頼ってね」

 考えるよりも前に出た言葉に彼女自身が驚いていた。ナーヒヤール・ボーカードもまた隻眼を見開き、けれどすぐに笑みを浮かべて行きましょうか、と上を指した。


 上階の領主執務室にたどり着くと、既に扉の前には領首府の政務官たちやヒサール騎士団長までがそれぞれ書類を手に扉が開くのを今か今かと待っていた。そして間もなく始業の鐘が町全体に鳴り響くと、扉が開かれ、政務官たちがずらりと領主の政務机の前に並んだ。その机の端には小さな野の花が生けられている。


「おはようございます、ヒサール公。今日も一日よろしくお願いします」

 一番前に立っていた政務官の言葉に、領主は部下たちを見まわして朗々たる声で言った。

「こちらこそよろしく頼む。さて、まずは素早く早く終わるところから済ませようか」


 アイスブルーの視線が迷いなく新任の2人に向けられた。

「魔女殿、見習い殿、廊下にメイヤがいるから彼女について回って城を1周してこい。見習い殿はその後ザマンにつき、彼の指示に従うように。魔女殿はさらにメイヤについて行って自身の執務室の確認、業務マニュアルがあるのでそれに目を通すように」

 行ってくると良い、と言われてメモをポーチに仕舞った2人は失礼します、と声を上げて駆け足で領主の部屋を出た。


***

 

 午前いっぱい時間をかけてようやく城を一巡りしたアウレーシャは再びメイヤに連れられて魔女の執務室に向かっていた。

「魔女のための執務室は先代魔女であった奥様……フレイヤ様がお亡くなりになってから20年間使われていませんでしたが手入れはしてあります。不足しているものはないと思いますが、何かありましたらなんなりとお申し付けください」


 そう言ってメイヤが繊細な細工の施された扉を開く。室内を一目見て、アウレーシャは目を輝かせた。

「すごい、これ、私の部屋なんですか?」

 卓越した魔法の使い手だという魔女の子供のような反応に、優秀なメイドはほんの少しの間言葉を失う。

「……はい、こちらが王国府からの賓客である魔女さまのために用意されたお部屋です」


 わぁっと歓声を上げて室内に入ったアウレーシャはメイヤの方を見て嬉しいです、と笑う。

「私、自分の部屋をもらうのが久々なんです。昨日の居住棟の寝室もそうでしたけど……修道院にいたころは自分だけの部屋ってなくて」


 そう言われて、メイヤは己を見上げてにこにこと笑う少女が本来なら生きて世に出られない身であったことを思い出す。


 独立未遂事件で財産を一部没収されたふるき家系といえどバルワ伯爵家の令嬢ともあれば、身の回りを世話する侍女が1人いておかしくない。けれど彼女は修道院から出るや否や、供の1人、ペットの1匹も連れず旅行鞄と官職と長大な杖をひとつずつ携えてやって来た。

 とんだ無鉄砲、蛮勇のとも言うべき貴族令嬢は、けれどその眼差しに不安の一つもにじませない。


 メイヤの知る貴族令嬢にこんな娘はおよそいない。無二の淑女として彼女の記憶に深く刻み込まれた先代魔女フレイヤともまた違う。

「アウレーシャ様。お申し付け頂ければ朝のお仕度など我らメイドがお手伝いいたしますが」


 その言葉に、早速業務マニュアルを開いていたアウレーシャは顔を上げて首を横に振ってきっぱりと言った。

「お気持ちは嬉しいですが、必要ありません。なにせ修道院暮らしだったので」


 精霊たちの御前で人々は等しく並び立つ。

 歌うように聖句の1節を唱え、アウレーシャは苦笑する。


「修道院長の計らいで貴族教育や魔法訓練は一通り受けましたが、それ以外に貴族としての特別措置は一切なし。院内の薬草園の手入れや畑の管理、当番制の炊事、洗濯、石鹼づくり、四季ごとのお祭りやバザーの手伝いで発生するいろいろな雑務、全部やりましたから」


 大丈夫です、と言い切る顔がどこか幼気なものから勇壮な笑みに塗り替わる。野蛮令嬢などという不名誉な二つ名の通りに狩猟会で荒々しく魔法をふるったという女に、メイヤはいっそ笑みすら浮かべて頭を下げた。

「何かありましたらいつでも我らにお申し付けください」


「ありがとう。……それにしてもフレイヤ様は後年随分いろいろなお仕事をなさっていたんですね」

 業務マニュアルに付録的に収められた出撃報告の雛型や一日のスケジュールを見てアウレーシャは感嘆の声を上げる。


 通常の魔獣撃退だけでなく、早朝と深夜に行う1日2回の自領の見回りに始まり、領首府に届く相談事や苦情の問題解決の一部を担い、自領はもちろん近隣の領からの隊商の護衛、近隣領の見回りまで請け負っている。その上で領主である夫がヒサールを留守にした時にはその代理も担っている。


「ええ、本当に。フレイヤ様は忙しい合間を縫ってアドラフェル様の面倒もなるべく自ら見ておられました。……随分な無茶をなさっていたと、今なら分かります」

 そう答えたメイヤのうち沈んだような声の響きに、顔を上げたアウレーシャは何か言うこともできなかった。

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