6話 祭りのあと
ナーヒヤール!
騒ぎの渦中にあったアウレーシャとアドラフェルがその名を呼んで金髪金目の青年の腕や肩を掴んでその顔をまじまじと見つめる。どこか懐かしいように感じるが、あの日の「ナーヒャ」とは髪色が違うことや眼帯に動揺し、それでも我慢できないとばかりに2人は口々に青年に疑問をぶつける。
「イダ家の推薦状って?」
「お前が件の?」
「推薦したのはご当主の方? それとも当主代理のご姉弟?」
「ナナマン家ではなく、ボーガード家?」
アウレーシャとアドラフェルが交互に喋るので、襲い掛かってきた犬を余裕で撃退したナーヒヤール・ボーガード青年もさすがにおろおろと彼らの顔を交互に見て言葉に詰まる。そしてコホンと咳払いをして真面目腐った顔で言った。
「お2人とも、陛下の御前ですよ」
あッと声を上げてヒサール領主と魔女立候補者は居住まいを正す。その一連の流れを黙って見守っていた国王は目を細めて言った。
「アドラフェル卿のそのような顔は久々に見た」
幼い命を見守るときに人々がおのずと浮かべるような王の表情に、血濡れの氷冷公は僅かに頬を赤くして黙りこんだ。
「アウレーシャ嬢、立つが良い」
国王の言葉で、魔女の杖を持ったまま言われたようにする。ヒサール公とナーヒヤール・ボーガードは脇によけ、他の貴族たちも国王の言葉に耳を傾けた。
「魔女の杖は特別な術式を用いて作られ、その先端に取り付けられる高純度の魔法石も相まって握れる者は限られる。ましてやそれを制御して己がものにできる者など」
おいそれとはいないだろう、と国王は断言した。
「皆、アウレーシャ嬢の先ほどの戦いぶりは見たな? 先代魔女と同じく杖をもって空を飛ぶ、魔女を名乗るのに遜色ない実力である。他に自らこそ魔女にふさわしいと思う者がいればここに出でよ。その力、余が見極める」
さっきまでの戦いを目の当たりにして、もはや誰も我こそは、などと言う者はいなかった。それになんといっても派遣されるのはあのヒサール領だ。
しかし、アウレーシャが魔女の称号を帯びることに待ったをかける者はいた。
「お待ちください陛下、その娘と話をさせてください!」
「アウレーシャ、アウレーシャ!」
人波をかき分けて駆け寄ってくるのはイダ家の昔なじみ、レパーサとカレーナ。彼らの勢いに国王は一歩下がった。姉弟は妹分に駆け寄って彼女の手をぎゅっと握る。
「後悔しない? 王国府の一員としてのお仕事よ?」
「ボクら、君に仕事を紹介しようと思っていたんだ。そっちじゃダメかなぁ」
「そのお仕事ならあなたに何か困ったことがあればすぐにわたくしたちが助けて差しあげられますわ」
「ダメかい?」
どこか泣きそうな、切実な表情で優しいことを言う年上たちに抱きしめられて胸を温かくしながらも、アウレーシャはゆっくりと首を横に振る。握られた手をするりとほどいてただ静かにほほ笑み、柔らかな声色で、けれど確固たるものを滲ませて言った。
「私、こうするためにあの10年を過ごしたんです。誓いを果たしたくて……」
だって、力を貸してほしいといったアドラフェルはなんだか泣きそうな顔をしていたのだ。
「困っていたら助けたくって」
それを叶えるために全てを賭けても構わなかった。
「……カレーナお姉さま、レパーサお兄さま、ありがとうございます。お気持ちだけありがたく頂戴します」
アウレーシャは寂しげに微笑んで握られた手をそっとほどいた。そのまま国王に向き直った。
18年前の約束を抱きしめて生きてきた。
「私に迷いはありません」
そう宣言した彼女の赤く輝くその瞳から放たれる意志の輝きを受けて、国王は宣言した。
「余は、バルワ伯爵家アウレーシャ嬢に魔女の称号を与え、王国府魔術戦闘特別顧問に任命する」
アウレーシャは深く深く頭を下げる。
「身命を賭して任に臨みます」
そうして、その約束は彼女を一騎士団に匹敵する一騎当千の“魔女”にまで押し上げた。
もはやその道行を止める者はいない。
華々しくトランペットが鳴る中、昔なじみの姉弟や、あるいはアドラフェルすらも僅かに眉間にしわを寄せながらアウレーシャを見つめていた。
***
「よろしいのですか? 私がいただいても」
狩猟館で一番大きく豪奢な部屋に通されたアウレーシャの前にズイと差し出された巨大な盆の上には仕立ての良い革手袋や金貨の入った袋、魔力を込めて織られた最高品質の布などが乘っている。
「先ほどの様子を見ただろう。皆もう意を削がれたようでな、残っていた魔獣を狩る気はないようだ」
王冠飾りの椅子に座った国王はそう言って、窓の外を眩しそうに眺める。外からは楽器を演奏し、輪になって踊る楽しげな声や、湖にボートを漕ぎだそうとはしゃぐ笑い声が聞こえていた。
「それに、卿らが獲物のほとんどを狩りつくしたようでな。戦果を数えても今年の狩猟会は卿らが男女それぞれの部の1位ということで構わんだろう、主催者が言うのだから間違いない」
珍しく声を上げて笑う国王に、アウレーシャとその隣に立ったアドラフェルは頭を下げ狩猟会1等の品を受け取った。そのまま老人は愉快そうに喋る。
「それにしても、とっさのこととはいえアウレーシャ嬢もアドラフェル卿も、互いを愛称で呼んだのにはいささか驚いたな。ああ、いや、それは良いのだ、仲が良いのならそれに越したことはない。アウレーシャ嬢のとっさの判断、見事であった」
思いがけない指摘に、アウレーシャは深々と頭を下げる。
「お褒めにあずかり光栄至極。公爵に対してはいささか軽率であったと恥じております」
「それを言うなら私の方こそ配慮が欠けていた。かばってくださったことに感謝する、アウレーシャ嬢」
横にいた長身の公爵が白銀の髪を揺らして頭を下げる。
貴族の間では互いを愛称で呼ぶのは家族や恋人と言ったごく親しい間に限られる。とっさの場面とはいえ、あまり歓迎されないことだったと双方が恥じるのを、国王はかまわんと笑った。
声を上げて話を切り替えたのは女宰相だった。狩猟会の優勝者たちは褒美の品を王家の侍従たちに預けて居住まいを正した。
「それでは続けて、アウレーシャ嬢の王国府魔術戦闘特別顧問の任官手続きを行います。本来であれば狩猟会の勝者には今晩のパーティーに出席していただきたいところですが、時間がありませんのでパーティーの間、あなたには王国府側からの任官オリエンテーションを受けていただきます」
「それって、私、パーティーには出られないってことですか?」
アウレーシャは驚きと不満を表明した。しかしすねるような表情をしたのもごく短い時間のことで、すぐに表情を引き締めて「わかりました」と返事する。王国府の命令には逆らい難いし、なによりこのオリエンテーションを受けなくては任官できないのだから仕方がない。
その分かりやすい表情の変化に苦笑しながら、女宰相は手に持った革張りのファイルをアウレーシャに差し出して言った。
「こちらに職務規定などが書いてありますが、面倒なことは別段ありません。詳しいことはオリエンテーションの際にも言いますが、あなたが覚えておくべきことは3つ」
厳しい声に魔女はビシリと全身を緊張させる。
「魔女はただ1人で、これまでヒサール領に派遣されていた国王府騎士団に代わる戦力。現地の騎士団、つまりヒサール騎士団との連携を密にして当該地域における治安維持にあたること」
「はい!」
「任期は原則として3年間。その期間中、基本的にはヒサール領での活動はすべて領主の指示に従うこと」
「はい!」
「ただし、王国府からの命令が下った場合にはそれを最優先にすること」
「……はい!」
返事をするまでのわずかなラグをどうとらえたのか、辣腕で知られる女宰相はふと眼鏡の奥の眼光を緩めてやわらかい声で言った。
「あなたは修道院から出たばかりの身、見知らぬ土地への任官にも人一倍不安があるでしょう。生活のために必要と思えば侍女やペットなどを連れて行って構いません」
その発言は隣に立っていたヒサール領主どころか国王にとっても意外だったらしい。あのメリルが、と呟いて次第にニヤニヤと笑い始める。ばつの悪そうな顔になった貴婦人はコホンと咳払いして小さな声で言った。
「わたくしにも娘時代があったのですよ」
「いや、いや、すまなんだ。……ヒサール公」
それまで黙っていた男は王に視線を向けて返事をする。
「卿の母君のこともある、魔女の派遣には戸惑うこともあるかと思うがいつも通りで構わん。卿の父君はフレイヤ嬢が派遣された時も、彼女と婚姻した後も、亡くなった後も変わらず誠実で公正な男であった」
「……お気遣い痛み入ります。そのお言葉でわが父も母も報われます」
「アウレーシャ嬢、時に王国府から不本意な命令が下らんとも限らん。だが魔女の最大の任務は民を守ること。それだけ忘れないでいてくれ」
その言葉に含まれたものをよく理解してアウレーシャは頭を下げて返事した。
「肝に銘じておきます」
「アウレーシャ嬢はオリエンテーションの前に王国府官吏としての官服を作りますから、別室に移動してください。陛下からのお話は以上です。それではお2人とも、良い午後を」
侍従に促されるように廊下に出たアウレーシャはアドラフェルに言葉をかける間もなく彼と別れることになった。
昼の光が差し込む廊下を歩きながら、アウレーシャは考え込む。
(私たちのナーヒャは黒髪に金目、多分10年前に失踪したナナマン家の男の子で間違いない。瞳と髪の色は魔力の象徴、それを染めたり色ガラスでごまかすことは不可能。だとしたら、あのナーヒヤール・ボーガードとは別人……なんだろうなぁ、彼は金髪だったし)
そもそも、ナーヒヤールという名前自体が珍しいものでもない。典雅さを備えた男子の名前として特に貴族に好まれる。
同じ名前の別人、と考えるのが普通だ。だというのにあの眼帯のナーヒヤール・ボーガード青年の顔が妙に懐かしく感じられて仕方ない。折を見て要検討、と一時的に結論付けて、アウレーシャは通された部屋の仕立屋にあいさつした。
「ご機嫌よう、よろしくお願いいたしますね!」
***
「本当に一晩で仕上げてしまうのですね」
翌朝、身支度と荷造りと朝食を終えたアウレーシャは仕立屋に呼び出されて官服の最後の確認を行っていた。試着した官服は、今まで着た服の中でも抜群に着心地が良い。その上から胸部と四肢にミスリル鉱の防具を取り付けてもゴワつくことのない見事な仕上がりである。
一緒に朝食の席を囲んでいたイダ家の2人は衝立の向こうで真っ先に彼女の晴れ姿を見ようと控えている。
伯爵令嬢が新鮮な驚きを滲ませて言うので、仕立て人はもちろんです、と誇らしげに笑う。
「官服のお仕立てが遅れるわけにはいきませんから。王国府から事前に急ぎの仕事と聞いて充分準備をしてまいりましたし、私の糸繰の魔法ならそれも可能です。……もちろんアウレーシャ様のように凄まじい魔法を使う方からすれば私の魔法などみすぼらしく見えるかもしれませんが」
「いえ、そんなことは。手に職系の魔法、素晴らしいです。それに私の炎の魔法は壊すばかりですから」
「……ありがとうございます。私の魔法は元は糸を結んだりするだけの魔法でしたが、仕立ての師匠のアドバイスでそれを拡大解釈して今の糸繰の魔法なったもので……私の自慢なんです」
職人親方というにはまだ若い女仕立屋ははにかんでアウレーシャを鏡の前に立たせた。
「お二方もどうぞご覧になってください」
声をかけられたカレーナとレパーサが衝立から顔をのぞかせてわぁっと歓声を上げた。
「似合ってるよ、アウレーシャ嬢! 本当に昨晩君とパーティーに参加できなかったのが悔やまれる!」
「本当に! ああもう、官服も憎いくらいに似合ってますわ! ……アウレーシャ、魔女のお披露目が終われば直接ヒサール領に赴くのですわよね、寂しくなりますわ」
「何はともあれ顔が見れてよかった。また手紙を書くよ」
「魔女の任務が嫌になったらいつでも我らイダ家においでなさい、あなたならいつでも歓迎!」
茶化しつつも彼女を抱きしめて励ます年上たちはそれじゃあ、と名残惜しそうに手を振って部屋を出ていく。場が落ち着くと、仕立て人はもう1枚の服を広げて見せた。
「アウレーシャ様、こちらが王国府指定の特別官職専用の戦闘服一式です、が……いささかデザインが簡素で」
もう一枚の衣服は戦闘服というだけあって高い魔力耐性を持つ布のみで作られ、機能性を重視している。しかしあまりに遊び心がなく、特別官職にあてがうにはあまりに地味なデザインである。
「皆さま細部にアレンジをなさっているのですが……アウレーシャ様はどうなさいますか? 襟元と袖、それからボタンを付け替えると見栄えも良くなるかと。よろしければ私がこのまま引き受けて完成次第急ぎでヒサール領に送りますが」
言われて、アウレーシャは机の端に置いていた狩猟会の褒美の金貨袋をズイと差し出した。
「あなたにお任せします。もしこの金貨で足りなかったら完成品と一緒に請求書を送ってください」
アウレーシャはそう言ってにこりと笑い、官服のベレー帽をかぶり黒い手袋をはめる。部屋の外から雑務係が彼女を呼ぶ声がしていた。
狩猟会閉会の場に集った者たちは、軍服を模した黒い官服に身を包んだアウレーシャ・バルワにささやかな感嘆の声を上げた。長く伸ばした深紅の髪を今は一つにまとめ、金糸の縁飾りと金ボタンが輝くその黒い出で立ちに向けられたのは、あるいは畏怖の声かもしれない。彼女に妙な威圧感を感じたのだ。
アウレーシャ・バルワという娘は別段大柄というわけでもなく、顔もやや童顔である。しかしキッと前を見据える時に彼女の大きな紅玉の瞳や深紅の髪は魔力に由来する輝きを放ち、周囲を圧倒する。そして覚悟を決め切ったときに特有の堂々とした身のこなしが彼女に存在感を与えている。加えて昨日の戦いの凄まじい戦いぶりが人々の記憶に焼き付いていた。
手には燭台のような形の魔女の杖を持ち、国王の前に立つ。
王は堂々たる声で宣言した。
「バルワ伯爵家アウレーシャ・バルワに魔女の称号を授け、王国府魔術戦闘特別顧問に任命し、ヒサール領に派遣する」
すかさず宰相が革張りのファイルを差し出して開く。それに挟まれた2枚の任官の書類にアウレーシャは立ち上がってサインをし、王に腰を折った。
「身命を賭して任に当たります」
国王が歩み出て、侍従から受け取った緋色の布を広げて彼女の肩にかけた。場内からおぉ、と今度こそ感嘆の声が上がる。
「王国府の紋章が入った緋色のマントだ」
「金糸の刺繍も見事だな」
場内の声に紛れて、国王は大いに期待しているぞ、と笑った。
頭を下げたアウレーシャがファイルを小脇に抱えたまま侍従に促されて壁際の貴人・高官の列の末尾に加わると、横に立っていた女宰相が低い声で囁いた。
「アウレーシャ嬢、王国府から下される命令が特に不服に思えることもあるかもしれない。……どうかそんなことが起きないように私は祈っているわ」
壇上で閉会のあいさつをする国王を見つめながらアウレーシャはただ一言「はい」と返事した。




