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3話 魔王城の主は氷冷

 王家の狩場に備えられた狩猟館の客室で、アウレーシャは書類を仕舞っていたファイルを開いた。イダ家の人々によって確保された小さいが品良く清潔な、彼女のための客室だった。狩猟会に参加する者たちが宿泊するために開放された館のあちこちからは社交シーズンの始まりと春の陽気に浮かされた賑やかな声が聴こえてくる。

 こんな日に、アウレーシャはいつもあの園遊会を思い出す。


(アディの銀の髪もアイスブルーの目も、ナーヒャの黒髪も金の目も、陽の光に輝いてうんと綺麗だった)

 懐かしさに目を細めながら、明日の衣装合わせを終えたアウレーシャは何度も読んだ3つの官報の切り抜きに目を通していた。


 それらを読むと、当時16歳のヒサール領主の子息アドラフェルが故郷を離れて国王府で学業を修め、その数年後に療養中の父親の政務を補佐するため帰郷し、さらにその1年後に亡くなった父の跡を継いでヒサール領主に就任したことが分かる。


「アディ、今あなたが困っていなくて誰の力も必要としていないのならそれが一番良いけれど」

 呟いて、アウレーシャは官報に掲載された小さな肖像画を撫でる。初めてこの記事を見た時の衝撃は忘れられないものだった。


 アウレーシャが大切な約束を交わした園遊会という場は、例外的に貴族であればその年齢に関係なく参加できる。当時の彼女はまだ6歳。それゆえ、園遊会が終わってからあの大切な約束を一緒に交わした2人の少年が誰であったのか探し出すこともできなかった。


 そのまま月日は流れ、生涯を修道院で過ごすことになった失意の日々の中でアウレーシャは「アディくん」を見つけ出した。


 俗世から切り離されているとはいえ、修道院にもシャマル国王府が発行する官報は届く。あらゆるものから逃げ出そうとしながらも踏ん切りがつかず、二の足を踏んで結局はその場で膝を抱えて泣くしかできない彼女は、気を紛らわせるために隅に捨て置かれていた官報を手に取った。


 ふと目に留まったその肖像画の、懐かしい面影。その傍にはヒサール領領主の子息、アドラフェル・ヒサール・ユリスナという彼の名前。


 それを見た瞬間、確信した。彼こそあの時3人で一緒に約束を交わしたアディくんだと。

 けれど、そこにあの時のような楽しげで幸福な気配は無い。どこか苦しげで思いつめたような、悲壮な表情。


 それを見た瞬間、覚悟した。あの約束を果たそうと。


「もしもあなたが困っているなら、何に変えてでも私が力になるよ」

 呟いたアウレーシャは外を見やる。

「……ナーヒャはどうしてるかな。あなたがいま困っていないと良いけれど」

 その問いに応えはない。春の空を背景に、若葉がただ青々と茂っている。


***


 やや傾き始めた光に目を細める。その横顔に「ヒサール公!」と鋭い声が投げかけられた。

「聞いておられるか、ヒサール公!」


 再び名を呼ばれてアドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵はゆったりとした仕草で円卓正面席に向き直る。眉間にわずかに皺を刻んだまま、氷河のように厳しくも美しい顔立ちでそこに座る者を見つめ、薄いくちびるを開いた。


「失礼、国王府騎士団の不甲斐なさに対する防衛局大臣閣下の弁明があまりに要領を得ず」

 唖然としていた、と続ける低い声は若く張りがある。傍に控える老秘書官に必要ないとばかりに資料を預けた青年領主は、愛想の欠片もない顔のまま続けた。


「確かに我がヒサール領は王都をはじめとする他の土地に比べて魔力濃度が高い。魔力の高い者でなければ我が城で過ごすのも一苦労だろう。そうして体調を崩した者と入れ替わりで王都から派遣されたばかりの騎士たちと、我がヒサール騎士団の足並みが揃わぬのも無理ないこと。それは3年前、王国府騎士団を我が領に招聘しょうへいすると決めた時点で見越していた」

 

 私はそこを責めているのではない、とヒサール領主はアイスブルーの瞳で真正面に座る年輩の男を眉間の皺を深くして睨みつけた。気の弱い者であれば震え上がるような迫力がある。


「私が問題視しているのは、王国府騎士団が魔獣を倒せないどころか、一般市民に後れを取りあまつさえ我先にと逃げ出したことだ。その上その弁明として、昨今の平和な世を引き合いに出すとはいかなることか。いかに平和の世であろうと……否、平和な世であるからこそ不測の事態に備え騎士団は常にその技を磨き己の責への自覚を深める必要がある。それが分からぬと言うのなら貴君に防衛局の総責任者を名乗る資格はない」


 親子ほど年の離れた青年の静かながらも厳しい声色で紡がれる責めに、防衛局大臣は顔を赤くして唇を噛み締めながら黙り込んだ。この場で最年少のアドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵の言うことに間違いはなかった。


「王国府騎士団の現構成員に対してはその責務を改めて自覚させるとともに訓練内容を見直したほうがよかろう」

 さらに、と続けようとしたヒサール領主の言葉を押しのけて防衛局大臣が口を開いた。 

「さらに、次年度からの新入団員募集要項は見直しの余地がある」

 若造の手出しは無用とばかりに言い切る。


 それで良いと言いたげにアドラフェルが目を細めると、円卓より一段高い上座に置かれた椅子に座っていた老人が声を上げた。

「やはり、ヒサール領に王国府騎士団は馴染まなんだか」

 老人の座るひときわ豪奢な椅子の背もたれには黄金に輝く王冠の意匠が施されている。


 

 円卓に就いていた者たちがそろって立ち上がり、叩頭こうとうした。

 この老人こそシャマル王国現国王。好々爺然とした顔立ちと鷹揚な態度で国民の人気も高く、若干20歳にして王位を継いで以来、50年間この国の玉座に座り続けている。


 楽にせよ、と国王が言うとみな元のように椅子に就くが、一人の老貴婦人が国王の前に一歩歩み出て言った。

「シャマル王国府宰相が国王陛下に進言いたします。王国府の騎士団は3年前のヒサール公領主就任の際の約定に従い撤退させ、代わりに魔女を派遣するのがよろしいかと存じます」


 臣下の言葉を受け、国王は柔和な顔立ちをわずかに曇らせながら呟いた。

「やはりそうなるか」

 国王の声がかすかに揺れていることに気づいたのは長年その傍に立ち続けた宰相くらいのものであろう。老人は小さくため息をつき、一瞬顔を伏せてからヒサール領主に視線を向けた。

「ヒサール公、けいはどう思う?」


 名指しされ、年若い領主は秘書官に椅子を引かせて落ち着いた動きで立ち上がる。平静な顔の中で眉根をわずかに寄せながらも深く頭を下げた。

「ヒサール領主が国王陛下に申し上げます」

 手をぎゅっと握りしめる。


「陛下のおっしゃる通り、王国府騎士団は我がヒサール領に馴染めなかったというほかありません。私とて騎士たちが我が領に馴染まず倒れるのを見たいわけではございません、撤退が合理的な判断かと」


 しかし、と一呼吸おいて続ける。

「辺境領である我がヒサールに王国府からの兵力が存在しない状況は原則認められていません。わが父の代にはそのような例外的な状況が長らく続きましたが、ほかの領地を差し置いてこれ以上陛下の温情を賜るわけにも参りません。……他に手立てもない以上、私は宰相閣下の進言を支持いたします」


「……あい分かった」

 僅かな沈黙の後、国王は決然とした声で言い、立ち上がる。円卓の家臣たちも立ち上がり、上座の王を見上げる。その視線を受けて、国王の柔和な顔立ちに凛々しく鋭いものが滲んだ。


「シャマル王国第17代国王たる余がここに決定する。西方辺境領ヒサールに駐留する王国府騎士団は速やかに当該とうがいの領から全隊撤退とする。同時に慣例に従い明日の狩猟会で“魔女”を選定し、王国府騎士団と入れ替わりでこれをヒサール領に赴任させるものとする。なお魔女の選定はまず希望者をつのることとする」


 臣下たちがそろって叩頭こうとうした。

「陛下のご下命かめいのままに」


 女宰相が一歩歩み出て口を開く。

「このようなこともあろうかと、魔女のロッドはすでにこちらに移送しております。陛下のご決定は速やかに各所に伝達いたします」

「ヒサール駐留部隊の撤退はこの防衛局大臣が急がせます」

 国王は一同を見まわしウムと頷き、若きヒサール領主に視線を向けた。


「アドラフェル卿よ。先代ヒサール領主のことといい、先代魔女のことといい、直接関係のないけいに随分と苦労をかける」

「そのお言葉だけで十分でございます」

 父の座を継いだ若い貴族の言葉に国王はまた一つ返事をして、狩猟館の会議室を退出していった。それを見送ると、円卓に就いていた者たちもため息をついて緊張をほぐし、国王が使ったのとは別の扉から次々退出していく。


 国家運営の中枢を担う者たちが部屋を出てくると、廊下で待ち構えていた貴族たちがわっと彼らに声をかける。しかしその中で唯一、ヒサール領主だけは別である。年若い乙女たちが僅かに頬を赤らめながらも恐る恐る遠目から見守る程度で、自ら彼に声をかけようとする者はいない。


 けれどそれを気にする様子はなく、アドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵は己の後ろを歩く老秘書官に声をかけた。

「ザマンよ、先ほどの陛下の御言葉を」

「ヒサールへ早馬での通達、ですね。すでに文書はできております。アドラフェル様」

 差し出された紙面の字列を一瞥して、若い領主は厳しくも秀麗な顔にささやかな笑みを浮かべた。


「お前がいなくなったら我が領は破綻するかもしれんな」

 老秘書官は深く頭を下げて傍にいた雑務係に文書を託し、面白がるような気配を滲ませてる。主人の眉間の皺が薄くなっているのは喜ばしいことだった。


「もったいないお言葉です。しかしこのザマン、アドラフェル様のお父様の代からヒサール家に仕えてまいりましたがあの頃に比べれば体も自由に動かなくなりました。そろそろ後任を見つけていただきたいものです」

「分かっている。行きがけにお前から受け取った手紙だがな、その新しい秘書官の推薦状だった。この狩猟会にも出席しているらしいからどこかで挨拶のひとつでもしてくるかもしれん」

「それはそれは、この老体も肩の荷が下りた心地です」


 心にもないことを、と若い領主は喉を震わせる。その彼の目が、少し離れたところの談話スペースに留まった。アドラフェルよりも幾分か年下らしい若い貴族の一団が椅子に座り込み、盛り上がっているらしい。 


「魔法を用いて魔獣を狩るだなんて、時代遅れもはなはだしいわ。昔ならいざ知らず、今となっては強大な戦闘用魔法なんて使いどころがないもの」

「魔王に一度国を滅ぼされたってのも500年前だからなぁ。200年かけて魔王を討伐したって言うけど、魔王支配の期間よりも魔王を倒してからの方がもう長いもんな」

「例外はヒサール領だな。あそこは魔王城をヒサール城と名を改めてそのまま領首府として使っているが、その地下に封印している国内最大級の瘴気の穴からは今でも強力な魔獣が出る」

「各地の瘴気の穴からも魔獣は出るが、そちらは騎士団が倒せる程度のものだしな」 

「とはいえここ最近、魔獣があちこちで暴れてるのはどうにかならんのか」

「そもそもこの狩猟会、ヒサール領でわざわざ魔獣を捕まえて王都に運ぶなんて手間をかけてまでやる価値があるのかしら?」

「そんな風に言うものじゃない、これも貴族のたしなみだ」

「それはそうとあの野蛮令嬢バーバリアーナとかいうのが今回の狩猟会に出るというのは本当? わたしたちは直接顔を知らないけれど、見かけたって話を聞かないわ」

「どこかに隠れているんだろう。それより、ぼくがいつも思うのはヒサール領民のことだ。魔獣が頻出するような危ない街に住まうやからの気が知れん」

「ヒサールには魔獣をコントロールする技術があるのかもしれんぜ。じゃなきゃ魔獣だらけの街でどうやって人が住めるってんだ!」


 まさかさすがにないでしょう、と笑う声が響く。

 春の陽気に浮かされたようなその若者たちに声がかかった。

「ほう、貴君らは我がヒサール領に興味があると見える」


 氷柱つららのような声を紡ぐくちびるの端は品よく上がって笑みを描いている。

「よければ近く、貴君らを我がヒサール城に招待しよう。貴君らのような若く将来有望な者たちであれば我が城でも問題なく過ごせるだろうからな」 

 だが、異様な圧がある。


 背が高く堂々とした立ち姿がそう思わせるのか。氷のごとく硬質に輝くアイスブルーの目がそう思わせるのか。雪のごとく光る白銀の髪がそう思わせるのか。それとも鋭く整った顔立ちがそう思わせるのか。あるいはその強大な魔力がそう思わせるのか。


 若者たちはさっと顔を青くしながらも素早く立ち上がった。西方辺境領ヒサール領主アドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵本人が目の前にいるのだ。父譲りの堅実な領地運営の手腕と魔法を用いた戦闘術の高さでも知られる貴人を前に、若者たちは青い顔のまま丁寧にお辞儀をした。


「ご機嫌よう、ヒサール公爵」

「ヒサール公のような高貴な方にお声がけいただき身に余る光栄に存じます」

「しかし我々のような若輩の身としては閣下のようなご立派な方にお声がけ頂くだけでのぼせ上ってしまいます」

「どうぞよろしければ、またいずれ閣下にヒサール領のことや貴族としてのふるまいについてお教えいただければと存じます」


 若者たちの物言いにヒサール領主はハ!と短く声を上げて笑って言った。

「またいずれ、な。今回は5年に1度の春の狩猟会だ、楽しんでいかれると良い」

 行くぞザマン、と己の秘書官の名を呼びツカツカと歩いていく領主を見送りながら、若者たちは重くため息をついてがっくりと肩を落とし、あるいは涙目になりながら言うのだった。

「あの“血濡れの氷冷公ひょうれいこう”が治める街とか絶対行きたくない……!」


 そんな彼らを背後に、当のヒサール領主は喉を鳴らして笑う。

「威勢だけでもなさそうだったな。顔面蒼白でもあれだけ言えるのは貴族の才能がある」


 どうやら心底面白がっているらしい主人に老秘書官は左様で、と返事する。わずかにけんのあるその声色に《《魔王城》》の主は不敵に笑う。

「捨て置け、あの程度いちいち目のかたきにしていては身が持たん」


 ヒサール公爵は自身に割り当てられた一等豪勢な部屋に戻ると上等な春用コートを脱ぎ首元のタイをゆるめ、机の上に置いていた1か月前の官報に目をやる。『恩赦おんしゃ』の項目のアウレーシャ・バルワの表記を白い指でなぞりながらアドラフェルは僅かに沈んだような声で言った。


「“魔女”の任命など、できれば避けたかったのだが」

「思い出しますか、お母様のことを」

「……さすがにな。先代魔女であった母上の心労がいかほどであったか、今なら分かる」

 父上もな、と言って先代ヒサール領主の息子は目を伏せて眉間にしわを寄せ、静かにほほ笑む。そうして唇だけを動かして声もなくいつかの思い出に呼びかける。

 それに応える声は、未だアドラフェルに届かない。


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